第5話 【王都side】殿下の討伐隊、敗走す
王都イグニスタの北西三十里――鬱蒼とした「死灰の森」に、轟音が響き渡っていた。
「撃て! 火力を惜しむな! 我が王立特務討伐隊の威光を見せてやれ!」
黄金の甲冑に身を包んだ第二王子アルヴィスが、高らかに抜剣して叫ぶ。
彼が率いるのは、王立魔導学園の首席クラスと宮廷魔導士三十名、さらに近衛重装兵二十名を加えた総勢五十名の精鋭部隊。
その後方には、純白のドレスに身を包んだリーゼロッテ・シュタールが、聖女の微笑みを湛えて控えていた。
狙う獲物は、突如森の奥に現れた特級変異魔獣――《腐王鹿》。
樹木を薙ぎ倒して現れた巨躯は、体長五メートル。
頭上には紫黒の毒気を放つ巨大な角を戴き、足元の大地を触れるそばから腐らせていく。
「総員、斉射!」
号令とともに、三十重の攻撃魔法が一斉に放たれた。
業火の槍、轟雷の嵐、爆裂の光弾。
夜会を彩る余興そのままの華々しい魔力が空を埋め尽くし、腐王鹿の巨体を呑み込んだ。
ズドォォォォンッ!
森が揺れ、土煙と爆炎が天を衝く。
巨獣の身体は半ば吹き飛び、紫色の体液が四散した。
「やったぞ!」「さすがはアルヴィス殿下だ!」「一撃で消し炭だ!」
取り巻きの魔導士たちが歓声を上げ、ハイタッチを交わす。
アルヴィスもまた、満足げに口元を吊り上げた。
「フン、他愛もない。これが王家の力だ。弱体だの呪詛だの、小賢しい小細工など初めから不要なのだ!」
だが――立ち込める煙の向こうで、歓声は凍りついた。
ドクン、と大地を震わせる脈動音。
紫黒の肉塊が、蠢いていた。
吹き飛んだはずの頭部が、肋骨が、肉の繊維が、凄まじい勢いで編み直されていく。
わずか三秒。
煙が晴れたとき、そこには傷口一つ残っていない腐王鹿が、紅蓮の瞳を見開いて立ち尽くしていた。
毎秒三千五百の超再生。
「な……なに……!?」
アルヴィスの顔から血の気が引いた。
「バ、バカな! 今の斉射で、総魔力は十万を超えていたはずだぞ! もう一度だ! 最大火力で撃ち込め!」
再び放たれる爆炎と雷撃。
だが、二度目の斉射は一度目よりも明らかに威力がおちていた。
大火力魔法は燃費が極めて悪い。魔導士たちの魔力残量は、すでに半分を割り込んでいた。
ズガンッ!
再び吹き飛ぶ腐王鹿の胴体。
しかし――ドクン、ドクンと心臓の脈動が響くたび、肉が盛り上がり、五秒と経たずに元通りへと復元される。
削っても、削っても、瞬く間に満ちる生命力。
「ヒッ……再生している!? 傷が塞がっていくぞ!」
「魔力が……もう撃てません!」
「リーゼロッテ! 聖光で浄化しろ! あの化け物を焼き払え!」
取り乱したアルヴィスが後方へ怒鳴る。
純白のドレスを纏ったリーゼロッテは、蒼白な顔で震えながら両手を掲げた。
「お、主の御名において……穢れを祓い給えぇっ!」
まばゆい光の柱が腐王鹿を包み込む。
だが――卒業試験でエルセリアが完全に弱体化させたキメラとは違う。
万全の生命力と超再生を誇る本物の特級魔獣に対し、見栄えだけの聖光など、ただの眩しい光にすぎなかった。
ブフォォォッ!
腐王鹿が太い鼻息とともに頭角を薙ぎ払った。
毒霧の突風が吹き荒れ、聖光の結界が無残に砕け散る。
「きゃあああっ!?」
悲鳴を上げて泥水の中へ転がるリーゼロッテ。純白のドレスはヘドロと腐食毒にまみれ、見る影もなく汚れた。
だが、屈辱に唇を噛みながらも、彼女の頭はすでに次の計算を始めていた。
(……この役立たずどもが! 前衛の展開が三秒遅れたせいで……! 殿下にそう吹き込んで、騎士団の不手際に仕立て上げなくては……!)
泥まみれの顔で、リーゼロッテは震える手でアルヴィスの腕にすがりついた。
「で、殿下……! 前衛の足並みが乱れておりますわ! ここは一度、体勢を立て直すべきです!」
怒り狂った巨獣が、前足を振り上げて突進を開始する。
先頭にいた重装騎士たちが紙屑のように吹き飛ばされ、悲鳴と怒号が森に響き渡った。
「退避! 全軍、退却だぁぁぁっ!」
アルヴィスは剣を投げ捨て、真っ先に背を向けて逃げ出した。
泥まみれになり、王冠を落とし、這う這うの体で森を敗走するエリート討伐隊。
そこには、王城で誇らしげに婚約破棄を宣言した王子の尊大さなど、欠片も残っていなかった。
◇
森の出口。
後方で必死に防御結界を張り、殿軍を務めていた老宮廷魔導士バルツァーは、血の混じった唾を吐き捨てた。
「……クソが。底なしの井戸に、いくら派手に水を注いだところで満ちるわけがなかろうが!」
三百年前の大戦を知る彼には、この無様な敗走の原因が嫌というほど分かっていた。
「一撃のデカさばかり競いおって……! あの脈動を縛らん限り、どんな大火力も全部ただの餌じゃ! 《再生阻害》の楔を打ち込んで、じわじわ息の根を止める……ノクティスの術はどうした!」
バルツァーは隣で肩で息をする伝令の襟首を掴み上げた。
「おい! ノクティスの娘はどうした!? エルセリア嬢をなぜ前線に連れてこんかったんじゃ!」
「ひ、ヒィッ……! ば、バルツァー様、ご存知ないのですか!? エルセリア嬢は……昨夜、殿下から婚約破棄を言い渡され、今朝除籍されて……辺境へ追放されました!」
「……は?」
老魔導士の顔から、さっと血の気が引いた。
「追放……? あの娘を、この国唯一の『調律者』を追い出したというのか……!?」
バルツァーは天を仰ぎ、震える拳を地面に叩きつけた。
「なんという莫迦どもじゃ……! 自分たちで首を絞めておることに、まだ気づいておらんのか……!」
◇
王城・宰相執務室。
重厚なマホガニーの机の上に、一枚の羊皮紙が置かれていた。
『特務討伐隊、死灰の森にて敗走。死者九名、重軽傷二十二名――腐王鹿の討伐失敗』。
執務机の前に立つ宰相オズワルド・グランツは、深く刻まれた皺の奥で、冷徹な双眸を細めた。
シュッ。
オズワルドは報告書を取り上げると、躊躇うことなく暖炉の炎の中へと放り込んだ。
紙面は赤黒い炎に包まれ、一瞬で灰へと変わる。
「……殿下の初陣に、傷をつけるわけにはいかん」
オズワルドは冷たい声で、影に潜む暗部に命じた。
「この魔獣は『最初から存在しなかった』ことにせよ。死傷者は訓練中の落雷事故として処理しろ」
「御意」
影が音もなく消え去る。
オズワルドは窓辺へと歩み寄り、冷たい雨の降り始めた北の空を見つめた。
二百年前に自らの先祖が隠蔽した、ノクティス家の真実。
王国の地下深くに眠る、決して目覚めさせてはならない「あの器」。
「ノクティスの娘か。……辺境の泥水の中で、静かに野垂れ死んでおればよいものを」
老宰相の呟きは、雨音の中へと冷たく消えていった。




