第46話 ただいま、辺境
# 第46話 ただいま、辺境
石造りの頑丈な馬車が、乾いた音を立てて山道を越えていく。
車窓から吹き込んでくるのは、王都の煤煙や権謀術数の匂いとはまるで違う、針葉樹と澄んだ土の清冽な風。
東部辺境領――グレンヴェルド。
「見えてきたぜ、お嬢さん。懐かしい要塞都市だ」
御者台の小窓からガルドが声をかけてくる。
見上げれば、雄大な山脈を背にそびえ立つ無骨な城壁が、夕暮れの陽光に赤く染まっていた。
馬車が城門を潜り、領都の大通りへと入った、その瞬間だった。
「お帰りなさい、調律者様ぁぁっ!」
「エルセリア様だ! エルセリア様が帰ってこられたぞーっ!」
地鳴りのような歓声とともに、通りを埋め尽くす領民たちが馬車を取り囲んだ。
色とりどりの野花で作られた花冠を掲げる子供たち、焼き立てのパンや干し肉を差し入れてくる商人たち、笑顔で手を振る衛兵たち。
「あの瘴気炉が暴走した時は本当に助かりました!」
「息子の呪熱を秒針一本で抜いてくださったご恩、一生忘れません!」
口々に投げかけられるのは、王都のような打算や追従ではない。
かつて命を救われ、日々の暮らしを守ってもらったことへの、純粋で真っ直ぐな敬愛の言葉だった。
「ふふっ……相変わらず、熱烈な歓迎ですわね」
私が窓を開けて手を振ると、子供たちが「調律者様ー!」と満面の笑みで飛び跳ねた。
隣でミリアも目を細め、胸元の聖印を愛おしそうに撫でた。
「最初は厳しい風の吹く砦だと思っていましたが……いまは、私もこの街と皆さんのことが大好きです。ここでエルセリア様のお役に立てることが、何より誇らしいですわ」
◇
領主館の大広間。
「がはははっ! よくぞ戻った、エルセリア!」
豪快な笑い声とともに大股で歩み寄ってきたのは、東部辺境の覇者――ヴァルテン女辺境伯だった。
彼女は私の肩を力強く抱き寄せ、ポンポンと背中を叩いた。
「王都の鼻持ちならない連中を完膚なきまでに調律し、筆頭公爵の座まで捥ぎ取ってきたそうだな! 痛快極まりないわ! あの老獪なオズワルドの失脚劇、酒の肴に一生語り継いでやるぞ!」
「ヴァルテン様が辺境精鋭部隊を演習名目で王都近郊へ展開させ、オズワルド派の私兵を完璧に封じてくださったおかげですわ。古代書庫からの証拠の手配も含め、心より感謝申し上げます」
「なに、勝てる盤面を整えてやるのも辺境伯の仕事だ。お前の冷徹な計算と、その時計の拍が手繰り寄せた勝利だよ」
ヴァルテンは悪戯っぽく片目を細め、上座の席を勧めてきた。
「どうだ、公爵様。王都の豪奢な宮殿に比べれば、この辺境の砦はあまりに無骨で寒々しいだろう?」
「いいえ」
私は首を横に振り、温かいハーブティーを口に含んで微笑んだ。
「虚飾の光に塗れた王都よりも……私を『役立たず』ではなく、一人の『調律者』として真っ直ぐに受け入れてくださったこの場所こそが、私の本当の家ですわ」
「……そうか」
ヴァルテンは満足げに目を細め、力強く頷いた。
「ならば、いつでも帰ってこい。この辺境はお前の居場所だ」
◇
その日の夜。
賑やかな歓迎の宴が終わり、静まり返った領主館のバルコニー。
満天の星空の下、冷たい夜風に吹かれながら銀の懐中時計を眺めていた私の背後から、重々しい足音が近づいてきた。
「……お嬢さん」
振り返ると、そこには大剣を背負い、珍しく改まった真面目な顔をしたガルドが立っていた。
「ガルド様? いかがなさいましたの?」
「……少し、改まって話したいことがあるんだ」
いつもの軽口を封印したガルドの引き締まった瞳が、真っ直ぐに私を射抜いていた。
チ、チ、チ。
静かな夜の帳の中、二人の間に新しい拍が刻まれようとしていた。
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