第39話 なぜ、私にだけ効くの!?
「エルセリアァァァァッ!!」
白銀の装甲を纏う巨獣の頭部から、リーゼロッテの怨嗟に満ちた絶叫が響き渡った。
無数の黒曜石の触手と白骨の刃が、広場の石畳を粉々に砕きながら、私を目掛けて一直線に殺到する。
「お嬢さんには指一本触れさせねえよ!」
ドガガガガガァァァンッ!!
轟音とともに前に躍り出たガルドが、大盾を構えて触手の一撃を完璧に受け止めた。
すさまじい衝撃に足元の石畳がバキバキと砕け散り、両膝が数寸ほどめり込む。両腕の骨が軋み、筋肉が悲鳴を上げるほどの重圧。
だがガルドは歯を剥き出しにし、不敵に笑い飛ばした。
「へっ……! ヴォルグレイドの咆哮に比べりゃあ、蚊が刺したようなもんだぜ!」
一瞬で敵意を己へと完全に固定し、巌のように仁王立ちを保つ。
「頼もしいことですわ」
私は扇の陰で静かに微笑み、指示を飛ばす。
「ミリア、結界の展開マージンは七点五メートルですわ」
「はい、エルセリア様! 《聖域防護陣》、展開!」
ミリアが聖杖を掲げ、純白の防護結界が私たちの周囲を寸分の狂いもなく覆い尽くす。
二人の完璧な布陣を背に、私は黒い扇を胸の前で優雅に展開した。
「さあ――私とワルツを踊りましょう、リーゼロッテ様」
私の紫の瞳が、静かに《生命視》の波長へと切り替わる。
視界に浮かび上がるのは、巨獣の体内に渦巻くおぞましい因果の濁流。
他人の功績の横取り、学園での記録改竄、神殿での権力闘争、そして多くの者を罠に嵌めて社会的抹殺へと追いやった――幾重にも積み上げられた、真っ黒な罪業の堆積。
「奥義――《罪量刻印》」
パチン。
扇を閉じる乾いた音が、夜の広場に響いた。
シュゥゥゥ……ッ!
その瞬間、勇者の聖剣も宮廷魔導士団の火炎もことごとく弾き返した「聖光の絶対障壁」を、私の放った漆黒の術式が、まるで最初から何も存在しないかのように音もなくすり抜けた。
そして――巨獣の体内、心核の深淵へと、深々と突き刺さった。
「――ガ、ァ……ッ!?」
怪物の動きが、ピタリと止まった。
次の瞬間、巨獣の全身を覆う白銀の結晶装甲が、内側から凄まじい軋み音を立ててボロボロと崩落し始めたのだ。
ノクティスの術は、外側から敵を破壊する攻撃魔法ではない。
対象がその身に宿す「罪の因果」を触媒とし、内側から因果の天秤を傾けて損耗を与える調律術。
外装の防護がどれほど強固であろうと、内に罪を抱えている限り、術式は防ぎようもなく心核へと直撃する。
「ギ、アァァァァァァッ!!」
体表を焼き焦がす黒煙とともに、巨獣が悶絶して石畳をのたうち回った。
頭部から露出したリーゼロッテの顔が、信じがたい激痛と屈辱に歪み、狂乱の絶叫を上げる。
「な、何なのよ……これは何なのよぉぉっ! 勇者の聖剣も、魔導士たちの最強魔法すら傷一つつけられなかった私の体に……なぜ!? なぜ、あの女のショボい弱体術だけが効くのよぉぉぉっ!!」
その悲痛な叫びを聞き、ミリアの瞳が一瞬だけ痛ましげに揺れた。
だが、これは誰のせいでもない、リーゼロッテ自身が他者を踏みにじって積み上げてきた報い。ミリアは祈りの光を絶やさず、私の背中へと全霊の信頼を注ぎ続けた。
広場を取り囲む国王も、騎士団長も、勇者も、誰もが信じがたい光景に息を呑み、言葉を失っていた。
自分たちの誇る最大火力が何一つ通じなかった絶対無敵の怪物に対し、一人の令嬢が扇を振るっただけで、怪物が内側から崩壊を始めているのだ。
悲鳴を上げるリーゼロッテを見下ろし、私は扇の先端を静かに突きつけた。
どこまでも穏やかで、どこまでも冷徹な声が、夜の静寂を支配する。
「――積み重ねてこられたのでしょう?」
「ひっ……!?」
「他人の功績を奪い、嘘で飾り立て、周囲を欺き続けてきた……その醜い欺瞞の数々を。貴方が積み上げた罪の分だけ、私の術は深く、重く、確実に突き刺さりますのよ」
リーゼロッテの瞳が、絶望と恐怖で見開かれた。
チ、チ、チ。
私は銀の懐中時計を掲げ、冷ややかに唇を吊り上げた。
「それでは、始めましょうか。――パヴァーヌを。あなたの罪に相応しい遅さで」
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