第37話 聖女の選択
深夜の王都大聖堂。
静まり返った礼拝堂の奥、荘厳な神像がそびえる中央祭壇の前に、純白の修道服を乱したリーゼロッテが立ち尽くしていた。
その両手には、脈動するように黒紫の不気味な光を放つ鉱石――《厄災の核片》が握られていた。
「やめてください、リーゼロッテ様!」
大聖堂の大扉を押し開け、ミリアが息を切らして駆け込んできた。
神殿の隔離牢の結界が破られた異変をミリアが察知し、さらに私の《生命視》が王都の夜空に脈打つ「ヴォルグレイドの核片の瘴気」を捉えたことで、私たちはこの場へと急行したのだ。
大剣と大盾を構えたガルドと、私が静かに礼拝堂へと足を踏み入れる。
「ミリア……!」
リーゼロッテが弾かれたように振り返る。
その瞳は血走り、額には狂乱の脂汗が浮かんでいた。
「リーゼロッテ様、その石を手放してください!」
ミリアが聖杖を抱きしめ、必死の叫びを上げる。
「それはヴォルグレイドの心核……この国が八百年間にわたって地下に捨て続けた、怨嗟と罪の澱みそのものです! そんなものを体内に取り込めば、肉体も魂も汚染され、二度と人の姿には戻れません!」
「黙りなさい、卑しい分家の分際で!」
リーゼロッテは金切り声を上げ、核片を胸元で強く抱きしめた。
「私は選ばれた存在よ! 民の歓声を一身に浴び、光の頂点に君臨する真の聖女なのよ! それを……あんな日陰者の呪い使いに奪われてたまるものですか!」
「リーゼロッテ様」
私は静かに歩み寄り、冷ややかに彼女を見据えた。
「貴方が執着しているのは、聖女の祈りでも民の救済でもありませんわ。ただ自身を飾り立てるための、空虚な名声と称賛だけ。……その浅ましさゆえに、貴方は今、真の破滅の淵に立っておりますのよ」
「うるさい、うるさい、うるさいわぁぁぁっ!」
リーゼロッテは耳を塞ぐように首を振り、私を憎悪に満ちた目で睨みつけた。
「撃破数ゼロの役立たずのくせに! 除籍されて辺境で野垂れ死ぬはずだった穀潰しのくせに! なぜお前ばかりが讃えられるのよ! なぜお前が公爵で、私が裁かれなければならないのよぉぉっ!」
彼女の魂を支配していたのは、神への信仰でも、国への忠誠でもない。
ただ、私への異常なまでの嫉心と、敗北を認めることのできない肥大化した自己愛。
リーゼロッテの細い指先が、核片の鋭利な切先を胸元に向けた。
その瞬間、脈打つ黒紫の禍々しさに、彼女の手が一瞬だけ小刻みに震えた。
人として踏み込んではならない領域への、本能的な恐怖。
――だが。
冷徹に自分を見つめる私の姿を瞳に映した瞬間、屈辱と嫉悪の炎が、その僅かな恐怖を完全に焼き尽くした。
「私は……あの女にだけは、絶対に負けない……!」
「いけません、リーゼロッテ様ぁぁっ!」
ミリアが叫びながら手を伸ばした、その刹那――。
グシャリ……ッ!
リーゼロッテは自らの胸元へと、黒曜石の核片を深々と突き刺した。
「――あ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
礼拝堂全体を揺るがすような、絶叫。
彼女の胸から噴き出したのは、純白の聖光ではなかった。
神聖なる白銀の光と、鉛のように重い紫黒の瘴気がドロドロと混ざり合った、冒涜的な濁流の輝きだった。
メキメキメキ……ッ!
骨が軋み、筋肉が異常に膨張していく。
純白の修道服が内側から引き裂かれ、背中からは天使の翼を模した白骨の触手と、黒曜石の鋭利な外殻が幾重にも突き破って生え出していく。
――聖光×罪業の複合異形化。
ドガァァァァァァンッ!!
爆発的な魔力の奔流が大聖堂のステンドグラスをすべて粉々に吹き飛ばし、夜空へと極太の白黒の光柱が立ち昇った。
「ちっ、ミリア、俺の後ろに隠れてな!」
ガルドが即座に大盾を石畳に叩き込み、暴風のような衝撃波からミリアを庇いながら、鋭い眼光で異形を見据えて迎撃の構えをとる。
王都全土を震わせる、神聖にして冒涜的な異形の咆哮。
「グアァァァァァァッ!!」
崩れ落ちる祭壇の中央に立ち上がったのは――かつての聖女の面影を完全に失った、白銀の装甲と漆黒の触手を纏う、異形の巨獣だった。
チ、チ、チ。
私の胸元で、銀の懐中時計が静かに最後の拍を刻み始めていた。
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