第34話 裁定者契約
# 第34話 裁定者契約
月光が照らす薔薇庭園に、老魔導士バルツァーの静かな声が響き渡った。
「……ご覧くだされ、陛下。これこそが、八百年前の建国期、初代アルディア国王とノクティス家始祖との間に交わされた――『裁定者契約』の原本にございます」
バルツァーが広げた古文書の羊皮紙には、王家の初代玉璽と、ノクティス家の銀時計の紋章が鮮やかに刻まれていた。
そこには、古代の格調高き王語で、絶対の盟約が記されていた。
『――王家は光の統治を司り、その影に生ずる一切の因果と穢れをノクティスに開示せよ。ノクティスは影の調律者として、秒刻みの法によりその罪を清算すべし。もし王家がこの拍を乱し、調律者を退けるならば、溜まりし罪は厄災となりて王土を呑み尽くすべし』
国王が息を呑み、第一騎士団長や重臣たちが身を乗り出してその文面を凝視する。
「八百年昔、初代国王は『光の聖王国』としての治世を敷くにあたり、統治の裏で生じる政敵の暗殺、冤罪、失政の穢れをすべて地下の人工核――《罪の器》へと集積させる仕組みを作りました。……そして、その器が決壊せぬよう、因果の澱みを秒単位で調律・清算する対等なる盟約を結んだ。それこそが、ノクティス家でございます」
古文書に記されていたのは、ノクティス家が「不吉な呪い使い」などではなく、王国の存亡を地下で支え続けてきた真の守護家系であった証拠だった。
「ですが……二百年前、事態は歪められました」
庭園の回廊の奥から、屈強な甲冑の足音が響いた。
現れたのは、ヴァルテン女辺境伯の筆頭使者たる辺境騎士だった。手にした公式書状を掲げ、朗々と言い放つ。
「辺境伯領の古代書庫より発見された記録と、この古文書の記述は完全に一致しております! 二百年前、当時のクライン宰相家と神殿上層部は、自らの横領や不正がノクティスの《生命視》と《罪量刻印》によって白日の下に晒されることを恐れました。……ゆえに彼らは『一撃の火力こそが正義』という虚飾の教義を国中に広め、ノクティス家を『日陰者の無能』『時代遅れの穀潰し』として宮廷から追放したのです!」
「な……何ということだ……!」
国王が顔を覆って呻いた。
庭園を取り囲む近衛兵たちも、自らが誇りとしてきた王国の「火力信仰」の正体が、ただの権力者たちの保身と隠蔽のための謀略であったことに戦慄していた。
「清算する者を奪われた地下の器は、二百年分の罪を溜め込み、ついに自我を持つ厄災へと変貌した。……王都を滅ぼしかけた厄災は、他でもない、この国が自らの罪から目を背け続けた『自業自得の報い』だったのです!」
バルツァーの断罪の言葉が、夜の庭園に重く突き刺さる。
回廊の陰に佇んでいた宰相オズワルドは、顔から血の気を引かせ、脂汗を垂らして激しく動揺していた。
「……ええ」
私は胸元から銀の懐中時計を取り出し、パチンと蓋を開いた。
チ、チ、チ。
静寂の中に響く、一定の三拍子。
「ノクティスの家訓――『拍を乱すな。罪は必ず、利子をつけて戻る』。……二百年前に先祖が支払いを拒んだ負債が、いま、利子を伴って王国へと請求されただけのことにございます」
私の冷徹な宣告に、国王も重臣たちも、もはや返す言葉を失っていた。
その時だった。
「……エ、エルセリア……」
庭園の闇の奥から、震える声が響いた。
現れたのは――事の全容をその耳で聞き、顔面を蒼白にした私の実父、グレアム・ヴァン・ノクティス伯爵だった。
すべてを知り、自らが何を切り捨ててしまったのかを悟った父が、亡霊のようにふらつきながら、私の前へと歩み出てきたのだ。
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