第29話 この国の罪は、私が清算いたします
チ、チ、チ。
手元の銀の懐中時計が、冷酷な現実を告げていた。
王子の雷撃暴走を抑え込むための多重再構築により、私の魔力消費レートは通常の三・八倍。
このままでは、あと五時間三十分で私の体内魔力は完全に底を突き、調律の檻は崩壊する。
残存生命量――およそ一千四百五十万。
従来の秒間百二十七の損耗ペースでは、削り切るまでにあと三十時間以上を要する。
「……計算が合いませんわね」
私は静かに扇を胸の前で閉じ、息を整えた。
王都を守るために駆けつけてくれた近衛騎士団の生き残りたち。瓦礫の中で傷だらけになりながら、私を信じて瞳を向けているガルドとミリア。
これ以上の犠牲を出すわけにはいかない。
ならば――答えは一つ。
(持久戦の拍を、ここで一気に加速させます)
私は懐から、黒く輝くノクティス家の銀時計を両手で包み込んだ。
我が家に代々伝わる、弱体調律の始祖たる奥義。
あまりの危険性と因果の重さゆえに、平時には決して使うことを許されなかった禁断の術式。
「――《罪量刻印》」
私の呟きとともに、掌の時計から漆黒の光芒が溢れ出した。
その術式の性質は、極めて単純にして絶対。
――対象が背負う「罪の重さ」に比例し、あらゆる弱体効果と損耗レートを幾何級数的に増幅させる裁きの天秤。
無垢なる獣に刻めば、羽毛ほどの効果しか持たない。
だが――目の前に座する漆黒の巨獣の正体は何だったか。
かつて辺境の古代遺跡の壁画に刻まれていた真実。
王国の建国以来、八百年にわたって王家と神殿が光の繁栄の裏で切り捨て、隠蔽し、地底へと投棄し続けてきた「握り潰された罪の器」。
「……ええ、分かっておりますわ」
私は黒曜石の巨躯を見上げ、冷徹な微笑みを浮かべた。
「貴方は、この国が裁かなかった罪そのもの。自らの都合で光を飾り立て、影へと押し付け続けた澱みの塊。――ならば」
私はドレスの裾を翻し、黒い扇の先端を怪物の心核へと真っ直ぐに向けた。
「効くべくして、効きますわ」
――カチリ。
秒針の音が広場全体に木霊した瞬間、黒銀の刻印がヴォルグレイドの胸郭深部へと突き刺さった。
キィィィィィィィン……ッ!
次の瞬間、広場を焼き尽くすほどの黒銀の閃光が爆発した。
ヴォルグレイドの巨躯に刻まれていた十六重の術式ラインが、八百年分の罪業の重みと共鳴し、目も眩むような深紅の光を放って脈打ち始めたのだ。
――対象の罪業値:測定不能(極大)。
――《罪量刻印》による損耗増幅:五百三十五パーセント。
――秒間損耗:百二十七から「六百八十」へ超加速。
――一分で四万八百。
――一時間で二百四十四万八千。
グ……ガァァァァァァァッ!?
ヴォルグレイドが、天地を裂くような断末魔の絶叫を上げた。
内側から全身の細胞が急速に灰へと腐食し、分厚い黒曜石の外殻が、まるで乾いた砂の城のようにボロボロと崩れ落ちていく。
「な……何だあれは!?」
城壁の上で、老魔導士バルツァーが目を剥いて叫んだ。
「削れる速度が……一瞬で五倍以上に跳ね上がったぞ! 計器の針が狂ったように落ちていく……! これなら……五時間もかからずにゼロへ届く!」
「おおおぉぉぉっ!」
「削れている! あの化け物が崩れていくぞぉぉっ!」
城壁を埋め尽くす数万の民衆と近衛兵たちから、地鳴りのような大歓声が沸き起こった。
かつて「撃破数ゼロ」と嘲笑われた令嬢が、いま、国の八百年分の負債を一手に背負い、冷徹にその命を清算していく。
チ、チ、チ。
懐中時計の秒針は、寸分の狂いもなく、七十二時間二十分の「最終到達点」へと向かって刻まれていた。
「さあ……フィナーレの幕を引きますわよ」
私は黒い扇を掲げ、崩れゆく巨獣へ向けて最後の一歩を踏み出した。
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