第30話 終曲
チ、チ、チ。
王都中央広場に、三日三晩刻まれ続けた銀時計の秒針が、最後の円弧を描いていた。
戦闘開始から――七十二時間と十九分五十秒。
三十メートルを超える漆黒の巨獣の全身は、もはや原形を留めていなかった。
《罪量刻印》によって毎秒六百八十の猛烈な速度で因果を削り落とされ、黒曜石の外殻は灰の吹雪となって夜空へと舞い散っている。
――《生命視》。
――残存生命量:四百八十……二百十……三十……。
私は銀の懐中時計を掌の上に掲げ、静かに秒針を見つめた。
チ、チ、チ。
五十八秒、五十九秒――
――カチリ。
ちょうど七十二時間二十分ゼロ秒を指した、その瞬間。
ヴォルグレイドの胸郭深部で脈打っていた最後の赤い光が、静かに、永遠に途絶えた。
――残存生命量:ゼロ。
――自己修復量:完全停止。
ズズズズズ……ッ。
王都を恐怖の底に叩き落とし、王国総戦力すら赤子のように蹂躙した八百年越しの厄災が、光の粒子となってゆっくりと崩壊していく。
地響きとともに巨躯が崩れ去り、夜明けの風がその灰を遠くへと運び去っていった。
パチン。
私は黒い扇を胸の前で閉じ、夜色のドレスの裾を優雅につまんで、消えゆく厄災へ向けて静かに一礼を捧げた。
「お疲れさまでした。……これにて、終曲ですわ」
パサリ。
礼を終えたその刹那、張り詰めていた緊張の糸が解け、私の両膝が静かに石畳へと落ちた。
七十二時間二十分。
不眠不休で一秒の拍も乱さず、脳を限界まで酷使し続けた肉体が、生まれて初めて限界を訴えていた。
「お嬢さん……!」
瓦礫の中から、脱臼した肩を吊ったガルドが、足を引きずりながら必死に駆け寄ってきた。
その隣で、血を拭ったミリアも涙を流しながら私の肩を支える。
「エルセリア様……! 終わった……終わったのですね……!」
「ええ……。誤差ゼロ、予定通りですわ」
私が弱々しく微笑んだ、その時だった。
――ウォォォォォォォォォッ!!
王都全体が、耳を劈くような大歓声によって爆発した。
城壁の上で、街路の片隅で、瓦礫の陰で息を潜めていた数万の民衆、近衛兵、避難民たちが、涙を流しながら抱き合い、空へと拳を突き上げていた。
「勝った……! 勝ったぞぉぉぉっ!」
「エルセリア様万歳! 真の救世主様万歳!」
「ノクティスの令嬢が、王都を救ってくださったぞぉぉっ!」
かつて「撃破数ゼロの無能」と蔑まれ、夜会から追放された令嬢へ向けて、国中の万雷の喝采が降り注いでいた。
◇
やがて、灰が舞い散った広場の中心――ヴォルグレイドが消滅した陥没孔の底に、淡い光を放つものが残されていた。
「……あれは?」
ミリアが息を呑む。
それは、黒曜石の結晶で綴られた、数十枚に及ぶ分厚い石板の束だった。
私が指先で触れると、古代の文字が青白く浮かび上がった。
――八百年間にわたり、王家と神殿が光の歴史の裏で処刑し、隠蔽し、地底へと投棄してきた「握り潰された罪の台帳」。
誰が、いつ、いかなる不正と暗殺を働き、その穢れをこの器へと押し付けたのか。
王国の暗部が、一言一句違わずに克明に刻まれていた。
「……なるほど。これが、貴方の正体でしたのね」
私は台帳を腕の中に抱き、冷徹な光を宿した瞳で城壁の上を見上げた。
城壁の特等席。
歓声に沸く群衆の影で、その台帳の出現を目撃した宰相オズワルドが、顔から血の気を引かせて蒼白になり、ガタガタと膝を震わせていた。
チ、チ、チ。
胸元の銀時計が、新しい時代の幕開けを告げるように、静かに秒針を刻み始める。
――厄災のワルツは終わった。
ここからは、この国に巣食う真の罪人たちを裁く、冷徹なる断罪の調べの始まりだった。
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