第18話 【王都side】罪の器、目覚める
王都イグニスタは、建国以来かつてない業火と悲鳴に包まれていた。
白亜の美しさを誇っていた王立中央広場は、直径数百メートルの巨大な陥没孔へと変わり果てていた。
大聖堂の鐘楼が轟音とともに崩壊し、巨石の瓦礫の下から血塗れの手が幾重にも伸びている。逃げ惑う親は泣き叫ぶ我が子を抱きかかえて石畳を走り、逃げ遅れた市民を庇った騎士が、降り注ぐ瓦礫に甲冑ごと押し潰されていく。
紫黒の濃密な瘴気が地底から間欠泉のように噴き上がり、王都の青空を瞬く間に毒の帳で塗り潰していった。
その陥没孔の中心に、それは座していた。
――罪の器。
体長三十メートルを超える、漆黒の超巨獣。
黒曜石と鋼鉄を練り合わせたような禍々しい装甲を纏い、背中からは幾千もの罪を吸い上げた無数の脈動する触手が伸びている。
ただそこに存在するだけで、周囲の石畳がジュクジュクと腐食し、空気が鉛のように重く淀んでいく。
八百年分の王国の悪意を喰らい尽くし、ついに現世へと受肉した絶対の厄災。
「第一騎士団、大盾を連結しろ! 鋼鉄の壁を維持せよ!」
「第二騎士団は左右へ展開! 退路を確保しつつ魔導砲の一斉照準!」
第一近衛騎士団長が剣を抜き、必死の号令を響かせた。
前衛の重装騎士百騎がタワーシールドを噛み合わせて防壁を築き、中衛の宮廷魔導士団百名が幾重にも重なる巨大な多重詠唱陣を展開する。
王国最強を誇る騎士団と特級冒険者たちによる、持てる戦力のすべてを注ぎ込んだ完璧な迎撃陣形。
「王都の守護を見せよ……撃てぇぇぇぇっ!」
轟音とともに、無数の魔導砲と極大魔法が一斉に放たれた。
――特級火炎《獄炎乱舞》。
――特級氷結《絶対零度》。
――特級雷撃《天破轟雷》。
山一つを吹き飛ばすほどの膨大な熱量と破壊の奔流が、ヴォルグレイドの巨躯へと着弾する。
広場全体が白光に包まれ、猛烈な爆風が周囲の石造建築を薙ぎ倒した。
「やったか……!?」
騎士たちが固唾を呑んで煙の晴れ間を見つめる。
だが――煙が吹き払われた時、広場に広がったのは、完全なる悪夢だった。
ズゥゥゥゥン……。
ヴォルグレイドの黒鉄の装甲には、煤一つついていなかった。
それどころか、浴びせられた極大魔法の魔力を装甲の亀裂からジュルリと貪り喰らい、その巨躯をさらに一回り肥大化させていたのだ。
――ダメージ、ゼロ。
――魔力吸収率、百パーセント。
「な……ば、馬鹿な!? 宮廷魔導士団の一斉掃射が……傷一つついていないだと!?」
魔導士団長が蒼白になって叫ぶ。
「退け! 余が討ち滅ぼす!」
黄金の甲冑を纏ったアルヴィス王子が、雷光を纏う宝剣を抜いて前に進み出た。
その双眸には、自らの武勇を天下に示す好機だという傲慢な光が宿っている。
「王家に伝わる至高の雷撃の前に、灰燼と化せ! ――《神雷天罰斬》ッ!」
天を衝く雷柱が落ち、アルヴィスの全魔力を込めた一撃が、ヴォルグレイドの眉間へと振り下ろされた。
直撃。
――ガキィィィィンッ!
乾いた金属音が響き渡り、雷光は一瞬で漆黒の呪殻の中へと吸い込まれた。
宝剣の刃先が、硝子細工のように粉々に砕け散る。
「……は?」
アルヴィスが呆然と折れた剣を見つめた、次の瞬間。
ヴォルグレイドの巨大な尾が、薙ぎ払うように振るわれた。
ドガァァァァンッ!
連結された大盾の防壁が一瞬で紙屑のように粉砕され、アルヴィスの身体が小石のように吹き飛んで城壁へと激突した。
「ぐ、がはっ……!?」
血を噴き出し、折れた宝剣を握りしめたまま白目を剥いて崩れ落ちる王子。
王国の誇る「最大火力」が、文字通り塵のように打ち砕かれたのだ。
「で、殿下ぁぁっ! 殿下をお運びしろ!」
「怯むな! 聖女様をお守りしろ!」
失神したアルヴィスが近衛兵たちによって後方へ引きずり出される中、後方で立ち尽くしていたリーゼロッテが、恐怖に震えながら白銀の聖杖を掲げた。
「ひ、光よ……! 邪悪を浄化する神聖なる光よ……! 《聖天大浄化》ぁぁぁっ!」
大聖堂に集う信徒たちの祈りを吸い上げた、最大級の聖光の柱がヴォルグレイドを包み込む。
どんな魔物も蒸発させるはずの神聖の光。
「消えなさい! 消えて頂戴化け物ぉぉぉっ!」
リーゼロッテが叫ぶ。
だが――光に包まれたヴォルグレイドは、苦痛の声を上げるどころか、心地よさそうに身震いをした。
ゴク、ゴク、ゴク……!
聖光の粒子が、ヴォルグレイドの背中の触手を通して体内へと注ぎ込まれていく。
王国の犯した罪を隠蔽するために大聖堂が捧げてきた「偽りの祈り」。その欺瞞の光こそが、厄災にとって最上の栄養源だったのだ。
ズキィィィン!
聖光を貪り喰らったヴォルグレイドの呪殻が、さらに強固に、より禍々しい漆黒へと変異を遂げた。
触手から放たれた黒い瘴気の波動が、周囲の騎士や魔導士たちを一瞬で薙ぎ倒す。
「いやぁぁぁぁぁっ! 光を……私の聖光を食べているの……!?」
リーゼロッテはその場にへたり込み、ドレスを泥で汚しながら絶叫した。
かつて誇った「聖女」の威光は、木っ端微塵に粉砕されていた。
「逃げろ! 市民を中央大通りへ誘導しろ!」
「障壁を展開! 我が身が砕けても、最後の一人が逃げるまで持ちこたえろ!」
阿鼻叫喚の地獄の中、重傷を負った若い騎士たちが折れた剣を杖代わりに立ち上がり、血を吐きながら市民の盾となって立ちはだかっていた。年若い魔導士たちが自らの魔力を絞り尽くして防護壁を張り、泣き叫ぶ子供の手を引いて退路を開く。
傲慢な上層部の欺瞞とは裏腹に、現場の兵たちには、命を賭して王都の民を守ろうとする愚直な光が確かに残っていた。
だが、その必死の献身すらも、ヴォルグレイドの圧倒的な質量と毒の前に、砂上の楼閣のように削り取られていく。
逃げ惑う群衆と、血を流して倒れる騎士たちの奥で――
宰相オズワルド・グランツだけが、城塞のテラスからその惨状を見下ろしていた。
手すりを掴む老獪な指先が、恐怖でカタカタと震えている。
失脚や権力の喪失といった矮小な計算など、すでに吹き飛んでいた。この怪物が解き放たれれば、栄華どころか、王都も王国も跡形もなく呑み込まれるという、逃れようのない終末の恐怖。
「……目覚めてしまった。八百年……我がグランツ家が隠蔽し続けてきた王国の負債が……」
オズワルドの脳裏に、自らが追放したあの令嬢の、冷徹な紫の双眸が鮮烈に蘇っていた。
「ノクティス……。あの娘の術でなければ……あれを止める術は、この世に存在せんのか……!」
絶望の咆哮が、王都の天蓋を黒く染め上げていった。
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