第17話 王都からの早馬
古代神殿から帰還した私たちは、グレンヴェルド城塞の作戦会議室に集まっていた。
円卓の上には、神殿の壁画から写し取った古代調律陣の図面と、王国の地脈図が広げられている。
煙管を燻らせながら図面を見つめていたヴァルテン女辺境伯は、紫煙を吐き出しながら低く唸った。
「……なるほどな。八百年前、初代国王とノクティス家が結んだ『裁定者契約』か」
「はい、閣下」
私は静かに頷いた。
「アルディア王国が繁栄の裏で積み重ねてきた夥しい悪意と罪――その魔術的残滓を地下深くに隔離・蓄積してきた器が《ヴォルグレイド》ですわ。本来ならば、代々のノクティス当主が定期的にその毒を抜き、天秤を均衡に保つはずでした。……ですが二百年前、当時の宰相家が自らの汚職の記録を隠蔽するため、契約そのものを歴史から抹消したのです」
「……馬鹿げた話だ」
ヴァルテンは冷笑を浮かべ、拳で机を小突いた。
「自らの醜聞を隠すために、国の下に時限爆弾を埋め込み、信管を抜く唯一の職人を追放したわけだ。王都の豚どもがどこまで愚かか、呆れて言葉も出ん」
「あの……エルセリア様」
隣で控えていたミリアが、青ざめた顔でおずおずと口を開いた。
「もし……もしそのヴォルグレイドが目覚めてしまったら、王都はどうなるのですか……?」
「現在、王都には瞬間火力を誇る魔導士や、聖光を崇める治癒術師しかおりません。……ですがヴォルグレイドは、王国の『罪そのもの』を喰らって膨張した概念の塊。大火力をぶつければその魔力を吸収して巨大化し、聖光を注げば自己修復の糧に変換いたします。――今の王都の戦力では、傷一つ負わせることはできませんわ」
「な……傷一つつけられない……!?」
ガルドが息を呑む。
どんな英雄の剣も、どんな大魔導の雷撃も、ただの「ゼロ」。火力の時代の人間にとって、それはまさに絶対の絶望。
「二百年分の利子が乗った負債ですもの。……清算の時は、そう遠くありませんわ」
私が懐中時計をそっと撫でた、まさにその時だった。
パカランッ! パカランッ! ドサッ!
城門の広場から、激しい馬蹄の音とともに、馬が力尽きて倒れ込む鈍い地響きが鳴り響いた。
「き、緊急の伝令! 王都からの早馬です!」
衛兵の悲鳴のような叫び声とともに、作戦会議室の扉が激しく開かれた。
飛び込んできたのは、全身泥と汗にまみれ、鎧の半ばが腐食して煙を上げている一人の王都近衛騎士だった。
騎士はその場に崩れ落ち、血を吐きながら床を這いずり、震える手でヴァルテンへと親書を差し出した。
「ば、ヴァルテン閣下……! 王都が……王都が壊滅の危機に……!」
「落ち着け!」
ヴァルテンが立ち上がり、騎士の肩を掴んだ。
「王都で何が起きた! アルヴィス殿下の討伐隊はどうした!」
「ぜ、全滅です……!」
騎士の口から漏れた言葉に、部屋中の空気が凍りついた。
「王都の中央広場……大聖堂の地下が突如陥没し、地底から……黒い巨獣が現れました……! 第一、第二近衛騎士団が総出で挑みましたが、必殺の一撃はすべて吸収され……アルヴィス殿下は自慢の特級雷撃をすべて喰われ、眼前で部隊を壊滅させられて失神……! リーゼロッテ様の聖光は、すべて奴の肉体の餌になりました……! すでに街区の三分の一が呑まれ……死傷者は数千に達しています……!」
「聖光が……怪物の餌に……!?」
ミリアが聖杖を胸に抱きしめ、青ざめた唇を震わせた。
自らが信じてきた大聖堂の光が厄災を育てているという悪夢の現実に、涙を浮かべながらも、王都の民のために祈るように指を組む。
「国王陛下より……直々の……至急救援要請です……! 全軍を率いて……王都へ……」
騎士はそこまで絞り出すと、泡を吹いて気絶した。
「王都までの強行軍で最短二日……市街戦なら狭い路地での盾受けと住民の退避誘導が要る」
ガルドが大剣を背負い直し、歴戦の顔つきで身を乗り出した。
「閣下、直属の重装騎兵と防毒隊を何騎動かせますかい?」
「出せるだけ出す。即刻準備にかかれ」
ヴァルテンは血塗れの親書を一瞥すると、それを乱暴に机へ放り投げた。
そして、獰猛な狼のような笑みを浮かべ、私へと視線を向けた。
「……聞いた通りだ、エルセリア。『撃破数ゼロの無能』と嘲笑い、お前を追放した連中が、泣き面で救援を乞うてきおったぞ」
「……」
私は西の空を見つめ、静かに息を吐いた。
瞳の奥に宿るのは、底冷えするような静かな怒り。
無関係な民を数千人も巻き込んでおきながら、己の保身と虚飾のために真実を隠蔽し続けてきた王都の愚か者たちへの、冷徹な軽蔑。
「火力を誇り、他者の功績を奪い、弱者を踏みにじってきた方々ですもの。……積み重ねてこられた罪の重さに、ようやく気づかれたようですわ」
私は銀の懐中時計をパチンと胸元に収め、扇を広げて優雅に一礼した。
「参りましょう、閣下。――王都の皆様へ、八百年分の請求書をお届けにあがりませんと」
静寂の中、天秤の秒針が、新たな時代の幕開けを告げるように冷徹に響き渡った。
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