63話 共犯者
「アオイちゃんは、一人っ子さんですか?」
「…そう、やね。ずっと兄弟が欲しいとは思っとったけど…急にどうしたんルコちゃん、珍しいね」
「なんとなく、ですかね。わたくしは、沢山兄弟がいたんですよ。まぁ、色々あって今は兄一人が兄弟として認められていますが」
珍しくも強引なオルコスによって馬車の外へと連れ出された葵は、近くを流れていた沢で時間を潰していた。さらさらと足の甲当たりの深さの水が下流へと流れていく。そっと指先を入れれば、冷たい水が抵抗と共に僅かな飛沫を上げた。
ぼんやりと適当な流木に腰を下ろして沢を眺めていれば、隣に腰を下ろしたオルコスも同じように水面に手を伸ばしながら問いかけてきたのだ。突然の問いかけにどこか普段の調子を保てない葵は、そう言えばオルコスと明確に二人きりになる機会はこれが初めてかもしれないとどこかで他人事の様に思っていた。一体何故二人で馬車を離れたのか、一体何を考えているのか、一体…葵に何を期待しているのか。ぐるぐると定まらない思考を押しやる様に、葵は適当な話題を口にする。
「オーフって、やっぱり危険なの?」
「うーん…国内の王侯貴族に関しては命を狙い狙われての関係性が常ですが、外面だけは最高に整えられた国ですから。あくまで他国から見えたお客様であるアオイちゃん達にとっては、それなりに快適な国になるのではないでしょうか」
「はは、めっちゃ言うやん!…違うか、ルコちゃんはウチに聞いて欲しいんやろ」
涼し気な瞳で言うには余りに過激な内容に、思わず葵は噴き出した。これまでも片鱗は見え隠れしていたが、それでも最低限の体裁を守っていた聖女様の唐突な暴露。そこに何かしらの意図が込められている事位、葵はとうに理解していた。だから、敢えて顔を水面に固定した葵は何でもない日常会話を装って本質を突いた。
「……はい、正直なところ他国の王侯貴族である皆様には、とてもわたくしの口から伝えられない実態ですから。勿論、皆さんはある程度気付かれているんでしょうけど。今から、最低なお願いをしますね」
「話だけは聞いたるよ」
「ありがとうございます。…アオイちゃんの事、利用させてもらえませんか?」
軽い気持ちでオルコスに投げた返答は、とんでもない剛速球になって葵に帰ってきてしまった。咄嗟にどうしていいのか判断が出来なくなった葵は黙って俯く。水面を僅かに反射したオルコスの瞳が、何も映さない無であったからだろうか、何となく葵は普段から決して外すことなく被り続けていた笑顔の仮面をなくして顔を上げた。そんな様子に気付いたのだろう、どこか苦笑交じりに肩を竦めたオルコスは、ゆっくりと掌を水面に沈めながら口を開く。
「オーフは、腐敗した国です。何せ、革命が成立して染み合う国ですからね、良い情報だけを受け取っていた筈の民の目線から見てさえ腐敗が表面化していた事実は、覆せません。現聖人…いえ、今は故、聖人ですね。わたくしの、血縁上の父親に当たるその人が、オーフ全体の政治を取り仕切っていたのですが…弱きものを切り捨てて…いえ、財力がある者だけが強きものとして振る舞える社会を完成させていたんです」
分かりやすい腐敗国家の実態にファンタジーと感想を浮かべたのは、きっと現実逃避が混ざっていたのだろう。それを聞いてどう反応を返せばいいのだろうとそればかりに気を取られている葵は、無言のままオルコスの話の続きを待つことしか出来なかった。
「元々歴代の聖女、聖人も近しい素振りは見せていましたが…あの男はやり過ぎました。だから結果として、天罰が下ったのです」
「…ありがちな、腐敗国家やね。そりゃ時期聖人、聖女争いも醜かったんとちゃう?」
「えぇ、仰る通りです。元々数え切れないほど居たわたくしの兄弟姉妹は、殆どが権力争いに敗れ死にました。わたくし達程の身分になると、敗者には死以外の選択肢がありませんからね」
「ルコちゃんの聖女らしい振る舞いとか、そういう所からなんとなく予想は立ててたつもりやったけど…実際本人から聞くと生々しいな。この世界がやっぱり、ウチの世界とは違うって事実を叩き付けられた気分や」
どうせ、オルコスは葵の本当の身分を知っているのだろう。だから、何気なく会話に混ぜた自身が異世界人である事実が当然のように聞き流された事に内心ため息を零して、率直な感想を返す事で場を保つ事しか出来なかった。現代日本ではありえない殺傷を伴う権力争い。流刑や権威消失では済まない最悪な敗者道。何をとっても元居た日本からかけ離れた事情の中でそれでもオルコスが今を生きているのは、偏に彼女が死にたくないと望んだからなのであろう。まるで、自分とは真逆だ。
「…アオイちゃんは、どうですか?」
無意識で零れた自重の笑みを遮るように続いた問いに、葵はぴたりとその体の動きを止めた。静かに顔だけをオルコスへ向ける。その真っ暗な瞳に、重苦しい負の感情に、いつにもなく何一つを移さない表情に、本能的な恐怖を感じたオルコスは無意識で杖を呼び出してしまってから、その事実に気付いた。
「ぁ、ごめ、」
「……家族は皆、事故で死んだ。その後遠縁の親戚に引き取られた。まぁ、本当に顔すら合わせた事がなかった人たちやったからかな…関わり辛かったのかも。居ないものとして扱われることが殆どだった。それでよかった、下手に慰められて惨めな思いをするくらいなら、お互い不干渉を貫いた方が呼吸しやすかったから。でも…何故か、その親戚に対してウチの家族が遭遇した事故と類似したものが降りかかった。誰も死ななかったけど…後遺症が残った。わたしが居るからだって言われた、近付かないでくれって言われた、不幸を呼ぶ…化け物だって、言われた」
その単語に聞き覚えがあったオルコスは、僅かに眉を寄せる。けれども、口出ししていい状況では到底なかった。唇を噛んですぐにでも葵を取り囲んだ周囲の悪意を否定したくなる気持ちを堪える事しか出来なかったのだ。
「誰からも距離を取られるようになって、それでも…わたしはウチであり続けた。そしたら、本当に化け物だって、人の感情がないんだって、言われるようになった。死んじゃった家族の分まで生きなきゃって思ってたけど、もう…いいかなって、許してもらえるかなって、思った。……この世界は良いよね、魔法がある。魔法さえあれば、どんな怪我だって、事故だって、塗り替えることが出来る…!」
ふらりと立ち上がった葵は沢の中央へと水飛沫を上げて進んだ。ひやりと足先が冷たくなっていく感覚を敢えて受けるのは、きっと正気を保つためだった。
「なぁ、ルコちゃんはウチが違う世界から来た事くらい知っとるんやろ?ウチね、元の世界に還りたくないんだ。この世界に居れば、万が一誰かを不幸にしてしまっても魔法でどうにでもなる!誰も傷付けないでいられる!それに、ヴィル君も、ルシエちゃんも、ソフィも…っルコちゃんだって、ウチの事を見ててくれる!疫病神じゃない、化け物じゃない、この葵って人間自身の事を…っ!!」
オルコスは、そう叫ぶように言い切った葵の表情を何度も見た事があった。望んだところで手に入る筈もない親からの愛情を求めた姉、信じた弟に裏切られた妹、一番から引きずり降ろされた兄。その瞳に浮かぶ絶望を、悔しさを、言葉に言い表せない感情の渦を爆発させる姿を。オルコスは葵を完璧な存在だと思っていた。思い込むことで、無意識に寄りかかっていた。けれども、そうではない、そんな事とうに理解していた筈だったのに。思わず俯きそうになったオルコスは、直前に葵が言い放った言葉の違和感に慌てて口を開いた。
「……チトさんは、そこにいないんですか?」
その問いかけに、すんと表情が抜け落ちた。まるで、沢の流れに合わせて全ての感情が押し流されてしまったような切り替わり様だった。普段から演じることに慣れている筈のオルコスですら、思わず身構えてしまう程の変化。ゆっくりと開いた口元が、何も言わないで欲しいと意味もなく願ってしまう自分を抑え込んでオルコスは静かに続く言葉を待った。
「あぁ、チト君?あの人は…一度だって、ウチの事を見てくれたことなんてないよ」
そう口にした瞬間の葵は、本当に何一つの感情が浮かばない平坦な表情をしていた。何か言葉をかけたくて、けれども何一つ正解が見つけられなくて、どうしようもなかったオルコスはぐっと唇を噛んで俯いた。そんな様子にどこか困ったように笑った葵は、ゆっくりと沢から上がって濡れた足を乾かす様に片足立ちで宙に揺らす。反対の足もある程度水気を払って、再びオルコスの隣に腰かけた。
「もうね、ウチどうしたらいいんか分かんないの。帰らなきゃいけないんだよ、だって、この世界の事やっぱり何も理解できんし、一番近くに居てくれる筈のチト君はずっとウチから遠いところに居る。そんなんもう、消えたくなるに決まっとるやん。でも、こんなウチと一緒に居てくれる皆と離れたくない。あぁもう、ほんと…わたし、何がしたいんだろう。帰りたいのかな、帰りたくないのかな。………死にたいのかな、死にたくないのかな?」
一人称がぐるぐると入れ替わる葵は、きっと今も完全に正気と言う訳ではないのだろう。それでも、頭を抱えるようにどこか揺れた声で告げられる言葉は、決して彼女の瞳から雫が零れている訳ではないにも関わらず泣いているような気がした。葵はきっと、泣けないのだ。泣きたいと思った時に泣けない、それがどれほど苦痛なのかをオルコスは知っていた。だから、オルコスは今この瞬間自分にしか出来ない事を約束する事に決めた。少しでも慰めに繋がればなんておこがましい事は思わない。ただ、彼女を繋ぐ鎖の一欠片になれればいいと、自ら巻き込む選択をした哀れな少女、利用されることを受け入れてくれた大切な少女の為だけに。
「……もし、今アオイちゃんが死んでしまったら…わたくしがどんな手を使ってでも生き返らせてみせますからね。何せ、わたくしはオーフで一番の聖属性魔法使いなのですから」
「そっか…じゃあ、そんな凄い人の手を煩わせない為にも、ウチは暫く大人しくしとくよ」
「はい、そうして下さい」
話は終わりだ、そう言わんばかりに新たに切り替わった葵の雰囲気に、オルコスは無意識で詰まっていた息を小さく吐いた。肩の力が抜け、ようやく握りしめたままだった杖を持つ手の震えも収まってくる。葵はこれ以上話をしない事を選んだ。ならば、今の自分に出来ることは。
「……以上、独り言でした」
「…っぷ、あっはは!えらい大胆な独り言やったなぁ…!」
二度と、同じ内容の会話が、この会話の続きが交わされる事はないだろう。
二度と、互いが真実を口にする事はないかもしれない。
魔道馬車へ戻る二人の間に、意味や中身のある会話は一切ない。そして、決して先程浮かべられた無表情が姿を現す事もなかった。二人の間にあったのは、始めから一貫して変わらない関係性だけなのかもしれない。
共犯者。
同族嫌悪、それが二人を結び付けた真実なのかもしれない。ある意味で似たような環境、似たような生き方をしてきた二人にとって、その言葉は痛いほど相応しかった。
「うーん…めっちゃええ天気!葵だけに、”青い”空が広がってますな~」
「まぁ!ふふ、流石ですね」
「それほんまに褒めとる??」
もしこの二人のやり取りを好奇心旺盛なエルフが目撃していれば面倒なことになっていたかもしれない。けれども、このやり取りは明確に二人きりの空間で、二人だけの世界で行われたものだったのだ。青空の向こうに本音を隠して、二人は馬車へ戻る道を急いだ。
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