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58話 信用


「…はぁ?オーフへ行くアオイ達の引率ぅ?俺が?」

「そうなんだよぉエトちゃん…」


オルコスが葵達三人に対してオーフ観光の提案をし、承諾の返事を返してから数日。概要は聞きつつもソフィが大賢者を務める国に自分が関与する理由もないだろうと欠席を決め込んでいたチトは、珍しく心からの困惑をのせた表情で素っ頓狂な声を上げた。一方で、そんな意味不明な話を持ち掛けたソフィも普段の怪しげな雰囲気や空気を捨てて本当に迷いの含んだ表情でチトの反応に肯定を返す。そこまでされてしまえば、いくらチトでもソフィが本気で発言している事を悟ってしまって素直に嫌そうな表情を浮かべながら確認の為に再び口を開く事になった。


「この俺が、あの国に?」

「本当にごめんねぇ…。ボクも面白そうだし、オーフは現状ボクの領域でもあるんだから一緒に行く気満々だったんだけどねぇ…。…ここだけの話、世界樹の挙動が例年にない異常反応を見せているんだ。次代の魔王誕生に向けた布石の為に活性化が始まっていること自体はこれまで通りなんだけど…」


魔王、その言葉に僅かに眉を寄せたチトをどことなく気遣うように言葉を止めたソフィは、少しだけ間を開けてから再び口を開く。それは、チトにとって魔王がどんな意味を示す単語であるかを知った上で、それらの情報を整理させるために意図的に作られた間だった。こんなところで、ソフィの変わり様の一端を見せつけらえたチトは自分の事より目の前のエルフの変化に気を取られて僅かながらも気が抜ける。残念ながら、その変化には気付かなかったソフィの表情はどこか陰ったままだった。


「どうやら、これまでとはかなり異なる反応を強く示しているんだ。いつもなら気にする程大きな変化ではないのかもしれないけど、今この時代が前提にある以上…ボクは、直接確認するべきだと判断した。時間なんて気にした事もなかったけど、時折人間が口にする”一分一秒が惜しい”って言葉は、こういう時に使うのかもしれないねぇ」


ソフィにとってはある意味当たり前で、特段意識して発せられた言葉ではないのだろう。けれども、確かに現代の人間に寄り添った、それも初めて見せつけられる特別扱いをされた対象が誰なのか痛いほど理解できてしまったチトは、からかう事も出来ずに発言に対して苦笑を見せる事しか出来なかった。これまで緊張感が高まっていた二人の間に漂っていた空気感も、僅かに緩和されたような気がする。


「それで、オーフだろ?一応オルコスの母国でもあるんだから、アイツらに任せるでも大きな問題はないんじゃねーの?実際キーフの時はお前が居ても居なくても変わらないくらい、アイツらだけで上手くやれてたんだろ?」

「それは…そうなんだけどぉ…。でも、流石に今の、革命成立直後のあの国に子供四人だけで向かわせるのは色々不安要素が多すぎるのぉ!物理的、と言うより精神的な意味合いが強いかな、あの子たちが知らない人間に壊されるのは、君だって面白くないでしょお?」


隣国オーフ、その国がチトにとって様々な方面からどんな意味を持っているのか、それを世界で最も理解しているのは間違いなく目の前のエルフだろう。これまでなら敢えてなのか気にしていなかったのか、兎も角一切話題に提示されることがなかった国の存在をここまで表に出してまで告げてくるのは、やっぱりソフィが何かしら変化を得た証明であるような気がした。続けられる発言に納得してしまう自分自身を棚に置いてコイツもなんだかんだ変わったな、なんて事をぼんやりと考えていたチトに対して、自分の説明が心に響いていないと勝手に勘違いしたソフィは畳みかけた。


「もう、ボクが直接干渉できない以上、この世界で信用してあの子たちを任せられる魔法使いなんてエトちゃんしかいないの!」

「は…お前、いつの間にか随分とアイツらに甘くなったな」

「なんだい、君にだけは言われたくないんだけどぉ?」

「いやだって、その子供達って全員残さずお前が最弱の種族として一番に上げてきた人間だぞ?それが、上層が混乱中の国に行かせるのが不安だから付き添ってくれ、って…」


信用、なんて言葉をソフィの口から聞いたのはこれが初めてかもしれない。それに対してどこかむず痒いような、落ち着かない気分になったチトが咄嗟に放った照れ隠しに近い言葉は、自分の発言の意味に気付かないソフィに睨みつけるように押し返されてしまった。チトはこれでも、ソフィよりは人間の事を理解しているつもりだ。だから、発言して直ぐに自分が今どんな感情を抱いているのか、この会話が客観的に見ればどのように映るのかを把握していた。焦ったような表情を見せツチトに何を思ったのか、本質的な意味を何も理解していないソフィはどこか気まずそうに視線を逸らしながら、一つの映像を宙に浮かび上がらせた。それは確か、この世界で唯一世界樹とつながりがあるソフィだからこそ、狙った瞬間を切り取って再生できる禁忌に等しい力。


本来は、世界の文明発展を調整するべく限度を超えた技術を記録しておく為だけに許されている筈の魔法だった。


「…これは?」


その頭に写った葵の満面の笑みを前に、お前とんでもない力を一体何に使っているんだ…の意味を込めて発した問いかけは、残念ながら正しく伝わらなかったらしい。照れ交じりにへらりと笑った様子に頭を抱えたチトは、仕方なくその言い訳を聞くことしか出来なかった。


「皆でオーフに行くときに着るお揃いの服を決めているところだよぉ。どうしても身分上式典関係に参加する必要が出てくるだろうから、って話を聞いて真っ先に葵ちゃんが提案したんだ。仲間内でお揃いの服装を身に着けるだなんて、制服や一部戦闘関係の甲冑以外で考えたこともなかった発想だったけど…皆で色違いにして、純粋にそれを楽しむつもりなんだって」


ソフィの言う通り、映像の中の葵は以前ルシエと遭遇した、学園の制服を購入した服屋で手に取ったらしいジャケットを近くにいたヴィルの身体に合わせている。男女の差はあれど、上半身の服装を同じにするつもりの様だ。それに対してルシエが何かを言って、ヴィルが突っ込んで、オルコスが慌てて仲裁して、そんなやり取りに葵が笑って。日常的にお揃いの服装を身に着けるだなんて確かに考えたこともなかった考え方だが、実際その為の服を選ぶ姿はどこまでも眩しくて、映像越しであるにもかかわらずチトは僅かに瞼を細めた。


「皆、すっごく楽しそうでしょお?人間としては一般的以上の目的をそれぞれ抱えている子達なのに、どこまでも純粋で、眩しくて…羨ましい。何より、その…葵ちゃんはボクにとって、初めての人間のお友達…で、あの子やエトちゃんはどちらかと言えば同志って感じの付き合いでしょ?だから舞い上がってるって言うか、この表情を曇らせたくはないって、言うか…その、なんというか?」


恥ずかしそうに視線をさ迷わせながら微笑んだソフィを前に、チトは呆れ顔を浮かべながらも内心酷く動揺していた。小さな変化を積み重ねてきたとはいえ、これまでどこまでも人間離れした印象が拭えなかったエルフ。今だって、発言とは裏腹にやっている事は世界で唯一ソフィしか出来ない殆ど禁忌同然の力の無駄遣いだ。それが、反比例するように人間臭い曖昧な表情を露わにして言葉を探している。困惑、ではなく、確かな戸惑い。その頬が薄っすら赤く染まっている様は何度瞬きを繰り返しても変わらず、思い返せば例の突発迷宮探索以降このエルフは明確な変化続きであるような気さえした。それがどこか、置いて行かれているような気持ちにもなって。だから、茶化した。茶化して、後悔する羽目になった。


「……お前さては偽物か??」

「なんでそんな事言うのぉエトちゃん!もう、ボクはこの笑顔を曇らせたくないの!ボクだって、正直驚いているんだからねぇ?悠久の時を生きてきた中で、こんな感覚初めてなんだから…。葵ちゃんやルコちゃんだけじゃない。ヴィルちゃんやルシエちゃんだって…悲しい顔はさせたくないな、って思ってる。これまでだったらその全ての出来事に対する喜怒哀楽を観察したいって思ってた筈だったのに…実際、あの子の時は、そういう考えが強かったのに」


ソフィは自身の状況を明確に言葉に言い表してしまった。つまり、詳細は兎も角現状をソフィ自身が最低限理解している事の証明だった。ソフィはこれまで何千年何万年と生きてきた中で初めての変化を自覚している。…じゃあ、自分は?


「エトちゃんだって、ボクと同じ気持ちなんじゃないのぉ?」

「…それは、」


咄嗟には否定出来なかった。少なくとも、ソフィが言うあの子との関わり方に置いて自分は決して目の前のエルフとは違った感覚で接しているつもりだった。その頃の自分と、今葵達と接する自分。そこにどれ程の変化が生じているのだろうか。違うのは分かる、けれども、何が違うのかは今のチトでは分からなかった。


「確かに、アオイを筆頭に人間と積極的に関わるようになってから、確かに情と呼べるものが湧いてきている事は否定できない。でも、ソフィ…お前は聊か深入りしすぎているんじゃないか?お前自身が俺に言ってきてたんだろ、辛くなるのは自分自身だ、って」


冷や水を浴びせたつもりだったのだ、チトには。けれども、ソフィが見せたのは予想していた反応とは一切異なるものだった。


「…詳しくは、話せないんだけど。今、新しい魔法陣の研究を進めているんだぁ。上手くいけば…うん、その前提条件を出し抜ける可能性が生じるかもしれない」


確かな希望の込められた瞳だった。目の前で大きな変化を経ていくエルフを前にして、ついにチトは否定する言葉を見付けられなくなってしまった。いつの間にか、自分より後ろを歩いていた筈の存在が、ずっと前を走るようになっていた。残されたのは、前にも後ろにも進むことが出来ないただの子供。子供のまま大人になったエルフとは違う、大人になりたくなくて子供であろうと必死な大人。…全てが馬鹿らしい、と自分の中に浮かんでいた考えを捨てるように小さく頭を振ったチトは、ようやく正面からソフィの話を聞く方向へ考えを変えた。


「今の発言は聞かなかったことにしておく。でも…オーフか。あそこは確か、一定の対象向けで聖属性結界が張られているんじゃなかったか?少なくとも、世界大戦時代にはそんな噂を聞いたぞ。俺…通り抜けれる訳?」

「あぁ…一応、あの国の血が流れていればそっちが優先される筈だけどぉ…。識別の指定が最初にオーフの民特有の魔力、次に魔王陣営に関わる魔力を探知する仕組みだった筈。…それで、どうかなぁ?ほら、久方ぶりの……里帰りだと思って!」

「そもそも一度も里に入った事なんかねーんだけど?」


前言撤回、ソフィはどこまでもソフィだった。これまで見せつけた変化全てを放り出す様に、最後に告げられた言葉はどこまでも自分本位で他者への村長が一切見えない残酷な発言だった。これを当然のように、と言うよりむしろうまい事を言ったとでも言いたげな調子で相手へ告げられている時点でやっぱりコイツはクソエルフだ。腹が立つを通り越えて寧ろ納得の感情を覚えてしまったチトは、そんな自分に呆れながらもどうせ自分が断らない前提で話を進めているのだろうエルフの提案に相槌を打った。


理屈からかけ離れた強引な言葉を積み重ねられて、面倒になった自分はついうっかり了承の返答を告げる。昔から変わらない二人だから成立するやり取り。そんなチトの反応を前に、満足げに笑ったソフィは機嫌良くその場を去っていく。相も変わらず、気配や魔力の一つも残さない見事な魔法でその場にはほんのわずかなそよ風だけが吹き、僅かに前髪が揺れた。


残されたチトは一人、無意識に握り込んでいた事で爪が食い込みほんのり血の一滴を零した自身の掌を開いて眺める。



「オーフの血、ね。…まさか、これが流れている事が何かの理由になる日が来るなんてな」



無表情である筈なのに、どこか寂し気な瞳を浮かべたままぽつりと言葉を吐き捨てたチトは、その小さな傷を塞ぐように魔法を発動させる。淡い光が収まれば、そこには血の一滴も流れない綺麗な掌が残されていた。次に顔を上げた時には、普段と変わらないどことなく詰まらなさそうな表情を浮かべたチトが静かに歩き出している。


仕方なく、未だ服を選んでいるらしい葵達の様子を見に行くために。


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