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50話 本質


「……はぁ、やーめた。ここでソフィ君と敵対してもウチに利点はすくないし、そもそも勝てないや」

「ふふ、そっかぁ。その辺りの判断は葵ちゃんに任せるよぉ」


一触即発、今にも浮かび上がった無数の魔法陣に込められた魔力を放出しようとしていた葵は、動揺の一つもしないまま微笑を浮かべていたソフィを前に深いため息をついて杖を下した。途端に魔法陣は消滅し、周囲一帯を支配していた魔力による圧がなくなる。無意識の間に呼吸すらもを止めていたヴィルは、緩んだ金曜間を前に思わず蹈鞴を踏んで後ずさった。


深呼吸をして早まったままの鼓動をどうにか落ち着かせたヴィルは、視線をさ迷わせながらもどうにか口を開いた。この場で自分が何か行動を起こさなければ、今後の全ての動向に悪影響を及ぼすと判断したからである。果たしてその判断は英断だったのだろうか。


「…なんと言うか、滅茶苦茶触れ辛いんだが…俺は今の二人のやり取りをどう受け取ればいいんだ?見てみぬフリが正解か?それとも、踏み込むべき状況だったのか?」


どこか気の抜ける、けれども的確な問いかけに肩を竦めたソフィが困ったような笑みを浮かべる。そんな様子にため息を零した葵もまた、現状の空気を作り出したことを謝罪するように気の抜けた表情を浮かべつつ回答を促す様にソフィへ視線を流した。


「質問内容の割に、随分明け透けだねぇ。ヴィルちゃんのそういう理解の範疇を超えた問題を遠慮なく口に出して、問題の原因を作り出した張本人相手だろうが堂々と回答を求めるところ、ボクは結構気に入ってるんだよぉ?」

「馬鹿にされているだろう事は理解したからな。それで、どうなんだ?」


始めはどこか困惑気味だったヴィルの表情は綺麗に切り替わった。淡々と、普段通りの無表情に近しい平坦な瞳と声音で放たれる問いかけは、あくまで事務的な意味合いが強かった。けれどもその内容に本人がどうしたいのか、と言った意思が一切見られない。まさに、貴族社会で生きていく為だけに磨き上げられたヴィルの長所であり、普通の人間関係を結んでいく上では致命的な欠点にもなり得る十八番、諸刃の剣と化した対人方法だった。


そんな欠点を惜しみなくさらすヴィルに困ったように笑ったソフィを相手にしても、一切表情を変える事はない。それは、自分が何故そのような笑みを向けられているのか検討する必要すらないと本人が思い込んでいるからであった。どうしたものか、と僅かに視線をさ迷わせたソフィは、結局決定権を葵に委ねるべく視線を向けた。一方で面倒事を押し付けられてしまった葵はと言えば、ソフィからわざとらしく視線を逸らしながらも何となく周囲を見回して目についた結晶に近づいて、その表面に触れた。


「…ヴィル君はどこまで知りたい?」

「いや、俺はそう言う話をしている訳じゃ、」

「ヴィル君に任せちゃおうかなぁ。…まぁぶっちゃけ、ウチも分からんことが多くて何でも話せるって訳じゃないんやけどね」


先程までの葵とソフィの対立の原点である結晶の前に座り込み、膝を利用し頬杖を突いた葵は全てをヴィルに押し付けてみることにした。それはヴィルがいつまでも今の思考方法のままではいけないだろうと何となくお節介な気持ちが働いたからであるが、残念ながら理由はそれだけではなかった。


端的に、考えることが面倒になったからである。


この迷宮探索が始まってから早半日、罠関係から現状の結晶に到るまで思考回路を常に動かし続けていた葵は肉体疲労は当然として、精神的疲労が重なり続けていた。そこに覆い被さってきたのが、先程のソフィによる核心を突いた厭らしい問いかけだった。葵自身、自分自身の心境の変化や周囲の環境の変化、時折ソフィやチトからこちらの都合も考えないまま一方的に押し付けられる過去に纏わる情報に常に大混乱なのだ。表には決して出していないだけで、毎日お腹いっぱいである。目の前で動揺するヴィルだって、当然葵とは全く異なる内容で様々な事を考えながら生きているのだろうが、それでも無遠慮に日々情報を押し付けられる葵には及ばないだろうと勝手に思い込んでいる。普段から他人便りで圧倒的保守人間であるヴィル。偶には、回答一つで未来が変わる究極の選択を迫られて見ろ、と若干理不尽な苛立ちをぶつけてしまっている自分自身に呆れながらも、結局葵は静かに回答を待った。


一方で、葵により質問を質問で返されてしまったヴィルは大混乱に陥っていた。何せ、社会的な意味合いを放り捨てて個人的な意見を求められる機会なんてこれまで殆どなかったのである。立場が立場、あまりにも複雑すぎる第二王子と言う状況下でヴィルが本心からの政治的意見を求められる機会は非常に少ない。常に安定した指示書通りに、過去の通例通りに動くヴィルに与えられる選択肢など、衣装を赤にするか青にするか程に些細で重さの一つない選択ばかりだったのだ。仕事として判断を下すなら、何一つ遠慮なく最も合理的で効率的な対処を選択できるヴィルだったが、ヴィル個人として意見を求められることには酷く弱かった。それはもう、葵基準で昭和のパソコンの処理速度か?と突っ込みたくなってしまう程には、ヴィルは自分の意見を求められると一気に様々な可能性と未来の模索を始めてしまってどうしようもなくなってしまうのである。


ぐるぐると目を回して要領を得ない言葉として成立しているかも怪しい音を漏らしながら、ヴィルは必至で脳内をかけまわした。


「…ここで聞けば、今後動き辛くなるかもしれない。だがしかし…感情と言う不確定要素は邪魔だ。相応の行いをする為には…、いや、ここで聞く機会を失えば俺は…っ、…一生疑問を背負ったまま、生きていくのか?寧ろ効率から見れば、その方が無意味で…っどうしよう、どうすれば…!」


こんな時、普段ならどうしていただろうか。今までだって、判断を迫られる機会が一切なかった訳ではないのだ。一つの目標の為ならいくらでも動かせる判断が、自分一人の問題になった途端全くの無能へと成り下がる。ヴィルが頼りないぽんこつと化した時、いつも隣にいてくれたのは。ため息交じりで、呆れながらも最終的な判断を下してくれていたのは。最終的な責任は己で背負うとしても、選択をしたという精神的な言い訳を与えてくれたのは。


「……っ、ルシエ、」


涙など欠片も滲んでいない筈なのに、その声は確かに泣いていた。眉を寄せた表情で縋る様に呼ぶのは、絶対的な相棒であり宝物の存在であるルシエだ。冷静になろうと何度言い聞かせても、現状迫られた余りにも重すぎる選択肢を前にすればその言葉でさえ簡単に流されてしまう。まるで、海辺で砂の城を作り上げた時の様にどれだけ分厚い外壁を建てても全てはあっさりと流されてしまっていくような最悪の心地だった。こんな時ルシエなら、仕方がない子だって苦笑しながら結論を決めてくれていた。こんな時ルシエなら、自分のせいにすればいいって結局ヴィルがそうしない事を理解していながら敢えて言葉にしてくれていた。己の宝物、半身、何故こんな大切な時に自分の傍にいない?仮にも自らを護衛と名乗った癖に、不敬じゃないだろうか。冷静になれ、と何度目かも分からない心内の言葉と共に握りしめた拳は僅かに震えており、見ている側がなんだか可哀想だと思ってしまう程にヴィルは静かに、確かに、動揺していた。


ヴィルという男は、社会で生きていく上では非常に適した性格をしてた。

ヴィルという男は、個人で生きていく上では非常に欠落した性格をしていた。


泣いていない、確かに泣いていない筈なのだ。証拠に瞳が乾く事も、揺れることもない。けれども、確かに目の前の男が幼い子供が途方に暮れた様に泣いている錯覚を二人は同時に見た。


何てことだ、泣かせてしまったぞ。


先程までの空気感などどこへやら、大慌てで視線を混じり合わせた葵とソフィは、お互い基本的に他者に共感する力が根本的に欠けている事を念頭に置きながらも脳を高速回転させる。


「……えぇと、一先ず封印についての話に戻ろうかぁ!ねぇ?」

「せ、せやね!この話は迷宮探索が終わって落ち着いてからでも問題ないし!な、ソフィ君!」

「そ、そうそう!その通りだよぉ葵ちゃん。ほら、ヴィルちゃんも一旦切り替えようかぁ?」


必死に考えて、考え込んで、辿り着いた唯一の答えは現状を保留にし話題を持ち越す事だった。


…それを、人はただの”逃げ”だと言う。


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