47話 珍道中
「…あれ、ルシエにオルコス?二人だけでこの小屋に来るなんて珍しいじゃん」
朝一番に目の前で葵をソフィに誘拐されたチトは、一人残されて仕方なく魔法陣の研究に集中する事にした。家を出てもいいが、いつ葵が帰還してどんな調子なのかも分からない以上家で待っていた方が良いと判断したのだ。特に急ぐ用事もなく、けれどもやる事がない訳でもない。そんなぼんやりとした時間の中でふと興味が浮かんだのは、葵が机の上に置き忘れていった例のソフィが送った書物。今のチトにさえ完全に読み解ける気は一切しない揃ものだったが、少しでも内容が理解出来れば葵を元の世界へ還す為の魔法陣を製作する上で何かに役に立つかもしれないと考えたのである。
一先ず適当な解読済みの古代文字が書かれた魔導書を森の方の小屋から持ち出したチトは、ひたすらに解読を進めていたのだ。そんな中で魔力感知に掛かったのは、ルシエとオルコスである。珍しい組み合わせに首を傾げつつも玄関を開け、一先ず家の中へ迎え入れた。
どことなく困惑した表情を浮かべる二人を前に、重力操作魔法で散らかった机の上を片付けたチトは魔法で作り出した紅茶を差し出した。一口含んで揃ってため息を零した二人は、ようやく表情を多少なりともマシにしたのである。
「実は、ヴィルが朝一番でソフィに拉致されたって話を聞いて。今日は仕事を手伝う約束があったから、困ってて。そしたら、同じようにソフィの事で困ってるオルコスと遭遇した。だから、チトなら何か知ってるかなって」
「わたくしも、朝一番にソフィが冒険に行ってくると言って突然いなくなってしまいまして。今日は元々あの人も含んだ公務の予定があったので、取りあえず延期にはしてもらったのですが…理由も分からず予定を変える行いは、本来許されない事です。少しでもソフィが何をしているのか情報を知ることが出来れば、とこの場所を尋ねてきました」
どことなく聞き覚えのある状況にため息を零したチトは、自身も席について紅茶を煽りながら天井を見上げた。不満そうに、それ以上に不安そうな表情を浮かべてチトを頼ってきた二人を前に、どう対応したものかと頭を抱えていたのである。二人の主張は理解できる。けれども、それを相談し合った上でチトに話を持ってきた事に素直に驚いたのだ。正直なところ、ヴィルが居なければ、ソフィが居なければ、殆ど碌な自己主張をする様子を見たことがなかった二人。葵と関係を持つようになってから、大きく変わったのはこの二人だとチトは感じている。言葉を探したチトは、一先ず自分が知る情報を素直に提供する事にした。
「俺も、朝からソフィが家に突撃してきたかと思えば葵をさらってどっか行った、って事しか分かんねーんだわ。アイツが付いているなら余程の事にはならねーと思うけど、まさかヴィルまで巻き込まれていたとはな。大方、あのクソエルフの気まぐれに選ばれたのがこの二人だったんだろーよ」
「だからこの場にアオイちゃんがいらっしゃらなかったんですね。ですが、そうですか…。ソフィとアオイちゃんは、どこか難しい空気があるようで落ち着かないんです」
戸惑い交じりでチトの話を聞いていた二人。先に肩を竦めて俯いたのは意外にもオルコスの方だった。自分とソフィ、それ以外とソフィが関わる時とは何か大きく違った空気を纏っている二人の関係性。それが、今回で良くない方向に暴走しなければよいのだけれど。そんな祈る事しか出来ない現状に再び小さくため息を零したオルコスを元気づける様に口を開いたのは、ルシエだった。
「ヴィルが居るなら、多分大丈夫。都合の良い立ち回りが上手い嫌な男だから」
「相変わらずお前はヴィルに対して辛辣だな…。でも、ソフィがアオイの事を滅茶苦茶気に入ってるって言うのは事実だ。お節介が行き過ぎる可能性は十分にあるからそこは確かに心配要素かもな」
ばっさりと不安を切り捨てたルシエだったが、その両手は僅かに震えたままティーカップを包んでいた。ソフィが得体の知れない存在である事は誰しもが理解している。そして、葵が何事にも動じない絶対的な強さを持っているわけではない事をルシエとオルコスは理解していたのだ。自ら作り出してしまった空気とは言え、悪い流れに会話が進んでしまった事に小さく後悔を覚えたオルコスは、はっと顔を上げた。
「…よしっ。皆さん、今日はこの後お時間ありますか?」
「?ヴィルがいなくなったから、予定はなくなったけど…」
「俺も、これと言ってやらなくちゃいけない事は特にないな。アオイが居れば必然的に何かやる事が生まれていたかもしれないけど」
小さく拳を握ったオルコスは、どこか緊張した様子で顔を上げた。思わず顔を見合わせたチトとルシエは、その並々ならぬ覚悟を決めた表情に思わず無駄口を止める。固唾を呑んだオルコスが続けた言葉は、意外でありながら彼女らしい提案だった。
「あのですね、改めてアオイちゃんの誕生日記念品を、何か形が残る物で用意してみませんか…?皆さん魔法や書状ばかりで、少しだけ気がかりだったんです。折角の20歳の記念日なんですから、その…いかがでしょうか?」
彼女らしからぬ物音を立てて勢いよく立ち上がった割に、迷いを含んだ弱々しい声音で聞かされた提案に目を丸くした二人は息を呑む。矢張り、彼女らしいのに彼女らしくない。誰かの為の提案でありながら、誰かの手を良くも悪くも煩わせる可能性がある提案。そんなものを他の誰でもないオルコスがしてくるとは、想像もしていなかった。けれども、どうにか提案の中身を咀嚼して見れば、確かに先日の会で葵が受け取った記念品と言えば得体の知れない書状ばかりで、唯一物理的な記念品を用意したソフィだって中身は表に絶対に出せない危険な書物だ。折角の記念品、今のまま終わってしまうのが味気ないのは確かにそのとおりである。
「ま、いいんじゃね?」
「ん…アオイ、持ち物が少なそう。だから、ルシエ達で充実させて、宝物…増やす!」
「っやった、決定ですね!」
穏やかな笑みと共に返された賛成の声に小さく跳びあがったオルコスは、チトが用意した紅茶の中身を勢いよく飲み干した。そのままの勢いでくるりと回り、浮かべたのは幼い子供の様な笑み。それは、彼女が普段聖女として見せる笑みとは大きく違い、けれども無表情の彼女からもかけ放たれたものだった。
「この三人でお出かけなんて初めての経験ですね!とっても楽しみです」
上機嫌で玄関へ向かっていくオルコスにつられるように口角を緩めた二人は、顔を見合わせて肩を竦めてから同じように紅茶を飲み干す。折角ならば葵が居るところでその表情を見せれば物凄く喜ばれたのではないか、なんて自然に湧いた一言は、今はまだ胸の中で納めておくことを決めた。早く早く、と言いたげに視線を向けてくるオルコスに向かって小走りで駆けだして、早速小屋の外へ飛び出した。
「それでは、アオイちゃんの記念品探しに出発です!」
「おー」
「?お、おー?」
オルコスの、普段の葵の様などこか自由奔放な掛け声に即刻適応したチトに動揺しながらも、ルシエは慌てて同じように拳を掲げた。
―――
「で、アイツが喜ぶ物って具体的になんだ?」
「アオイ、物欲ない。このバンクルを購入した時も、そうだった」
「キーフでは楽しそうに食料関係を買い漁っている姿を見かけましたが…」
「それはまた違う気がするな」
街に繰り出した三人は、一先ず道端に建てられた露店を横目に眺めつつ作戦会議を行っていた。正直なところ、悩みに悩んだ結果、暴走と脱線を重ねて目に見えないものを記念品に選んだ三人は、葵が欲しいと思う者がさっぱり分からなかったのである。何なら、始めはもっととんでもない物を渡す案だって存在していたのだ。それをしなかっただけマシとも言えるだろう。お金に困っていない三人だからこそ、お金を使って用意する物理的な記念品選びは現時点に非常に難航する事が予想されていた。そもそも、物の時点で決定していればあそこまでおかしな記念品授与の時間が生まれることはなかったのだ。
「ずっとアオイちゃんと一緒にいるチトさんでも、思い当たるものはないのですね…」
「そうだな。何を渡しても基本的に喜ぶんだよ、アイツ。街を歩いている時の視線を観察しても特に何にも興味がなさそうだし、実際何か欲しい物はあるかって聞いても碌な返事がない。最早、好き嫌いがないのか?」
「それって…人間的に、あり得る?普通に生きていく中で好き嫌いの一つや二つは当然生じてくる。ルシエも強くて派手な魔法が好き。口先だけの馬鹿は嫌い。オルコスだって、好きは分からなくても自分の領域を侵害する愚者は嫌い、でしょ?」
「よくぞご存知で…。では、これは例え話ですが。アオイちゃんが普通じゃなければ、どうなるでしょうか」
ぽつりとつぶやいて足を止めたオルコスにつられて、二人もその場で立ち止まる。思い至ってしまった嫌な想像に僅かに身体を震わせたオルコスは、自身を落ち着ける様に深呼吸をしてから二人と顔を合わせた。
「今ルシエさんが仰った通り、人間はある程度広範囲に渡る”普通”の範疇で生きています。わたくしやルシエさんだって、この街で暮らす方々だって、歩んできた道は異なれど相応の暮らしを辿ってきた筈なのです。もし、アオイちゃんが…何かを求めても何一つ得られない生活を送ってきていたとしたら?」
「得られない生活、それって具体的に何を示しているんだ?」
「誕生日の話をしていた時から考えていたんです。彼女が暮らしていた地域では、もしかすると子供が大切にされていなかったのではないか、と。もしくは、大切にされていない子供がいたのではないか、とも。もし仮にアオイちゃんがこれらに当てはまっていた時…」
少なくともトートで過ごす中では、考えたことがなかった視点である。それは、オーフを本拠地とするオルコスだからこそ考え辿り着けた結論だったのだろう。オーフは、一般人から見れば楽園とすら呼ばれる聖なる人が収める完璧な国家だ。けれども、その実態が様々な闇に飲まれていることを、各国のほんの上澄みだけは理解していた。楽園など存在しないと、必ず誰かがその代償を支払っているのだと、それをルシエとチトは知っている側の人間だったのだ。そんな前提を理解した上で止まったオルコスの一言を引き継いだのは、瞼を伏せたルシエだった。
「端から全てを諦めて、興味を持たない事で自分の感情を抑えている可能性がある?」
「……はい。もちろんこれは、わたくしが勝手に想像しただけの話ですけれども」
無表情のまま自身の掌を握りしめたオルコスは、僅かにその手を開いて己の手の小ささを、自身が拾えるものの少なさを痛感するように俯いた。考察の意図を理解したルシエも、入学試験が終わったばかりの頃に葵から渡されたバンクルに視線を落とす。
「ルシエが、アオイにイヤリングを上げた時も、あんな分かりやすくアオイの瞳と同じ色の宝石が付いたものを選んだのに、ルシエの趣味とは違うって言われた。絶対に、意図的なんかじゃなかった。あれは、本心からの率直な感想だった」
埋め込まれた自身の瞳と同じアメジストの宝石をそっと撫でつけたルシエは、小さなため息を零す。けれどもその表情は、悲しみや寂しさよりも悔しさがにじみ出ているような気がした。
「事実として、アオイはルシエ達に対して距離が近い癖に何も教えてくれない。アオイが好きな物、なんでもいいからあげられる人、いる?」
「好きな色は水色と白、好きな食べ物は…すこんぶ、だっけか。魚が好きとか、そんなことも言ってたが…それだけだ」
「何も、分からないです…」
「ルシエも、全然分からない。ルシエ達を一方的にかき乱して、そのくせアオイは何も見せてくれない。まるで、猫みたい」
「……首輪でも買うか?」
「ち、チトさん流石にそれは…」
最も猫っぽい性格をしているルシエが、それを言うのか。そう思った二人は、決してそれを口にする事が出来なかった。代わりと言わんばかりに発したチトの一言に、慌てて口を挟んだオルコスのやり取りのお陰でどうにか空気が多少軽くなる。
少しだけ鬱蒼とした気分を落ち着かせた三人は、気を取り直して葵の誕生日記念品探しに向かって歩き出すのだった。
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