あおの記憶
「———いい?“あお”、よーく聞いて」
「ぐすっ…ぅん、なぁに?お母さん」
「お母さんは一度だけ夢の中で大冒険をしたことがあるんやで」
「…?」
大きな和風建築の御屋敷の片隅、端の部屋で隠れるように泣いていた幼い少女は母親の声に顔を上げた。数多い親戚が集まった空間で、母親は真っ黒の喪服に身を包んで会場の空気に見合わない笑みを浮かべている。小学校の制服に身を包んだ少女は、涙を拭ってその声に耳を傾けた。
「その世界でお母さんは、とある武器を使って戦った。超最強の武器やで?何か分かる?」
「ぶき?…伝説の剣、とか、すごい魔法とか?」
突如母親が始めた話に気をとられた少女はいつの間にか泣き止んでいた。それに気付いて小さく笑った母親は、その頭を撫でつけながら戸惑い交じりに少女から告げられた問いに対する答えにゆっくり首を振る。
「ううん、もっと身近な…あおでも使える最強の武器。それはね、嘘やで」
「うそ…」
「アンタは気が弱いし優しすぎる子や。今日もどうせ親戚のジジババにぎょうさん酷い事言われたから泣いとるんやろ?噓はな、突き詰めれば真実にもなる。優しさは大切やけど、いつか遠い未来でアンタが存する可能性やって大いにあるの。それでもアンタがその優しさを大切にしたいって思うてはるなら、真実の中に嘘を混ぜるんや。9の真実に1の嘘。たったそれだけでも、アンタを守る最強の武器になるさかい、ちゃんと覚えとくんやで?はい、お返事は?」
「う、うん。お母さんは嘘を武器にした大冒険でどうなったん?」
「うーん…最初はウチも馬鹿正直にしとったせいで、全然上手くいかんかった。でも、嘘を上手に使えるようになってからは、いい事も沢山あった。初恋だって…した」
「!こい…!お母さんはお父さん以外も好きになったことがあるん?」
「あるで、正直今でもウチはあの人のことが忘れられん。でも、それは全部夢の中での話。だから、二度と会えん、それでいいの」
「……、」
少女は、自分の母親が家が決めた政略結婚を放り出して今の父親と結婚したことを知っている。半ば駆け落ちのような状態だったために親族との折り合いが悪く、母親にとっての父親、つまり少女にとっての祖父が亡くなってその法事に参加できるのも少女とその母親だけで父親の参加は強く断られてしまった。とは言え少女は祖父と殆ど顔を合わせたことがなく、話を聞く限り寡黙で多くを語らないが一族の誰しもを不幸にしない考え方をする人だったという。母親の駆け落ちも、祖父は何も言わなかったらしい。当時の一族の長である祖父が何も言わなかったからこそ、少女と母親はこの場にいる事が許されたのだ。勿論親族がそれを許すことはなく、一族の集まりに参加する度に面倒な嫌がらせを受けることが殆どだったが。二人の立場は一族にとって微妙だった。だからこそ、実際に式の会場となっている部屋を離れていても咎められるどころか殆ど気にも留められていなかったのである。そんな、一族を敵に回してでも今の父親と結婚を決めた母親の、今もなお忘れられない初恋の人。他の同世代の子供よりいくらか精神年齢が高かった少女が、それに食いつくのは当然だった。
「もし会えたら、その人になんて言う?」
「えぇ~?ふふ、そうやなぁ…。んふ、うん。どうや!ウチはアンタなんかおらんでも十分に幸せやで!……とか?」
「忘れられん人なのに、そんなこと言っちゃうん?」
「うん、絶対に言う!…って、ウチ、じゃなくてお母さんの話はええの。今はあお、アンタの話や。せやなぁ…手っ取り早く一つ、嘘でもついてみる?」
「そんないきなり、あおできないよ…」
「大丈夫。アンタがつく嘘は、その控えめで大人しい性格や。例えば真逆の、元気いっぱいで常に笑顔を絶やさない子を演じてみなさい?今かて学校のクソガキ共にからかわれて嫌な思いしとるんやろ?せやったら、そんな奴らと対等にやり合えるくらい明るくてうるさい子を演じてまえばええんよ!」
にかりと、親族が集まる場では決して浮かべない母親自身の底抜けに明るい笑顔が少女を照らす。思わず手を伸ばしてしまいたくなるほど、眩しいその表情を自分の中で何度も繰り返すのだ。
「…あお、上手にできるかな…?」
「うーんせやな、まずは一人称を変えてみるとこから始めよか?あおも自分の事ウチって呼ぼうか。それだけでも強く慣れた気にならへん?」
「ウチ…う、ん。ウチは“葵”」
「うんうん…ええ感じ!もっと!」
「あ、えっと…水族館が大好きで、お勉強も嫌いやないで!…得意でもないけど」
「っ、あっはははは!!常に学年一位で全国模試でも首位争いをしとるアンタが勉強得意じゃないとか大嘘やないかい!ふは、ええんちゃう?その嘘、突き詰めていけばいつかあおを助ける強い武器になる」
「…、分かった!お母さん、これからちゃんとウチが上手にできるとこ見とってな?」
「もちろんや」
遥か遠い日の記憶、約束を結ぶために二つの小指が重なる。
「ゆびきりげんまん、うそついたら…」
「死んだじじぃが化けてで~ちゃう!!」
「!?あおい、ほとんど会った事ないのに!でも、あんな嫌な事する人らのトップなんやから怖い人に決まっとるよな…魔王とか!って、うそついたらダメなのはお母さんの方!!」
「あはは、魔王、ね。……まぁまぁ。それにしても、アンタは本当に一族の人間が苦手やなぁ。…ま、お線香は上げたしこれ以上この屋敷に留まっとく理由もないか。じゃ、帰ろうか、あお」
「ん、うんっ!」
二つの影が夕陽に延ばされている。その影は確かに、手を繋いで横並びに進んでいた。
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