39話 手掛かり
お菓子の家による興奮も落ち着き、元々忙しい中で準備を完遂したヴィルとルシエが仲良く寝落ちしてしまった。魔法で用意されたソファで肩を寄せ合って眠る姿は仲の良い恋人同士の様に見える。そんな様子を微笑まし気に眺めていたオルコスも、いつの間にか寝落ちしてしまった。彼女もオーフからの留学生として様々な場に顔を出す必要があり、時間に余裕がある訳ではなかったのだ。そんな様子を確認したチトは、一人ソファに座ってソフィから渡されたばかりの本と睨めっこをする葵に声をかけた。
「じゃあ、そろそろ最後のプレゼントといきますか」
「あ、そう言えばそうやっけ」
自然な動作で眠る3人の周囲に防音の結界を張ったちとは、一枚の白紙を浮かび上がらせ魔力を載せた文字で魔法陣を描いていく。葵はその様子をじっと見詰め、内容を読み解こうと思考を回す。そうして浮かび上がってきた単語に、小さく呟いた。
「…なんやろ、ウチの元の世界へ帰るための…手がかり、みたいな?多分、完成はしてない、気がする」
「お、せーかい。流石は魔法陣作成主席様だな」
「もう、茶化さんといてや。でも、それ以上深い内容を読み解く前に要素が足されすぎて、最後まではついていけへんかった。チト君、めっちゃ複雑な魔法陣を作ったんやない?」
「魔法陣作成が得意なのは自分だけだと思ってたのか?おれだって、一時期超勉強してたんだからな」
先程までの騒がしさはなく、静かな二人の会話は森の小屋に居た頃を思い出させる。まだ小屋を旅立ってから一年すら経過していないにも拘らず、いつの間にか喧騒が日常になっていた。それが葵にとっては楽しいと感じる事であり、同時に少しだけ寂しさを覚えさせるものだったと気付かされる。チトの言葉にそんなつもりはないんだけどな、なんて思いながら視線を魔法陣に戻した葵を見て、チトもゆっくりと魔法陣に魔力を流し始める。
「この魔法陣はお前の予想通り、元の世界へ返すための布石…記憶再現魔法、って奴だな。コイツ事態で転移の条件は満たせないだが、葵の召喚時の記憶を元にお前が暮らしていた世界と全く同じ座標、そして時間軸を作り出せるはずだ。簡単に言うと、お前がこの世界に召喚される直前の景色を見れる魔法陣、って訳だ。アオイには、この魔法陣を使って座標と時間軸が正しいかどうかを確認してきて欲しい」
「記憶再現魔法…」
葵の中で何か思うところがあったのか、僅かに反応が鈍る。けれどもチトはそれが説明の内容を噛み砕いている最中なのだと思い込んだまま、魔力を流す力を強めた。
「あ、そうだ。一応補足なんだけど、」
「御託はいいから発動しちゃいなよぉ!そーれっ!」
「は、ちょ、ソフィ!!お前っ、」
葵が再びチトの顔を見上げたタイミングを見計らって、チトが追加の情報を伝えようとした瞬間だった。どこからともなく顔を出したソフィが、発動待機中の魔法陣に自身の魔力を注ぎ込んだ。慌てるチトを横目ににこりと笑って、驚いた表情を浮かべた葵に手を振る。
「ほらほら、いってらっしゃーい!」
―――――――――暗転。
「……おい、クソエルフ。お前、まだ説明が終わってなかったのに」
「えぇ~?こんな複雑な魔法陣に、まだ説明が必要な要素があったのぉ?」
「あったんだ。追加でこの魔法陣に組み込んだ内容がある。それは、アオイが見ている景色を第三者視点から魔法陣を発動させた相手が視る事が出来るって言うものだ。勿論干渉は出来ないし、言葉も届かないけどな。万が一内容に誤りがあった場合即魔法陣の発動を止める為の措置だ」
深いため息を零したチトに対して不思議そうに首を傾げたソフィは、少ししてなるほどと頷いた。
「つまりぃ、ボクとエトちゃん二人の魔力を注いじゃったから、一緒に葵ちゃんが見ている世界を見る事が出来るようになったって事だねぇ」
「なんで楽しそうなんだよ、お前の魔力のせいで余計な変数が発生したら責任取って貰うからな!」
「はいはぁい」
チトに軽く肘で突かれたソフィは、大げさにその場所を摩りながらへらりと笑う。それから暗闇に包まれた世界が徐々に見慣れない景色を映し出していく様子を、興味深そうに眺めた。そうして最初に広がったのは、空だ。
「…へぇ、凄いねぇ。白黒なのは仕様かなぁ?」
「そんな文言を追加した覚えはないけど…多分何かしらの誤作動だろうな。起動自体には問題がなさそうだから、我慢しろ」
「はーい。…おやぁ?景色が変わったねぇ。これは…」
続いて地上から構築されていったのは複数の建造物、つまり一軒家やマンション達だ。時折公園なども挟まれる空間は、モノクロである事を除いて確かに現代日本である事を示していた。けれども、そんな葵にとっての当たり前を知らない二人からすれば初めて見る景色は疑問の連続だ。
「なんか均等な建物ばかりだな。この壁に使われている素材はなんだ?酷く頑丈そうに見えるけど…」
「うーん、ちょっと待ってねぇ。今この世界戦のボクと繋げるから。…うん、確かに、この世界は葵ちゃんが元居た世界で間違いなさそうだねぇ。魔法に頼らない代わりに科学、と称される技術が発展した世界。因みに壁の名前はこんくりーと…って言うらしいよぉ」
「ふーん?それで、アオイは…あっちから魔力を感じるな。…居たぞ、建物の上だ。柵の外側で…景色でも見ているのか?あの建造物はなんだ?」
「あれは…この世界の学園みたいだねぇ。葵ちゃんが立っている場所の名称は屋上、通常出入り禁止になっている事が多いみたいだけど…」
「へぇ、これが学園?何か随分地味だな。じゃあ、そっちの広い建造物はなんだ?」
初見だらけの構造物たちに葵が初めて召喚されて以降何度も驚いていた反応の意味を理解したチトは、興味の赴くままに様々な物に触れてはあれはなんだこれはなんだとソフィを質問攻めしていた。最初は苦笑したように答えていたソフィだったが、その質問の内容が深まるにつれて回答を辞めてため息を零す。
「エトちゃん?ちょっと止まってくれるかなぁ。確かにボクはどんな世界でも全知全能に近い存在ではあるけれど、今この空間においては辞書を持った子供とそう変わらないんだ。ただ、情報源としてのボクに聞いて、答えをそのまま伝えているだけ。そんな事より、今優先すべきなのは葵ちゃんの状況でしょお?」
「う…わ、悪かったよ。お前の言う通り、今は記憶にとどめて後からアオイに直接確認する方が早い。…それで、そのアオイは一体何をやってるんだ?ずっと足元を見つめて」
「……さぁ?」
屋上の柵を飛び越えて、柵を背もたれにしたアオイの表情は窺えない。ただ、その視線の先が足元に向いている事だけは確かだった。その意図が読めない二人は顔を見合わせて、それから首を傾げる事しか出来なかった。
―――
ゆっくりと目を開くと、目の前には葵にとって見覚えがある景色が広がっていた。
運動場から聞こえる騒がしい声、どこかの教室から響いてくる楽器の音。時折響く甲高いどこかの女子生徒達の笑い声がキンと耳を刺激して、思わず顔を顰める。
足元を見れば思わず視界が揺れたように錯覚する、空中まであと一歩のところ。
「あぁ、そうか」
ぽつりと、何の感情も宿さない真っ暗な瞳と共に、低い声音が風に乗って消えていく。そっと踵に体重を掛ければ、役割を果たさない危険防止のフェンスに背中が触れて小さく笑った。余りにも現実過ぎる世界、普段通りのモノクロの世界。
「全部、都合がいい白昼夢だったのかも。そりゃ、そうだよね…私が幸せになんてなれる筈がない。不幸を運ぶ事しか出来ない、化け物なんだから」
腕を空に向けて杖を呼び出す動作をしても、そこには何も現れない。これまで当然の様に手元にあった筈の相棒の存在がないまま、空の掌をぐっと握りしめた葵は手を胸元に引き寄せてから笑った。
「やっぱり、■んじゃおうか!」
ぽつり、声音だけが明るいまま堕ち切った瞳を細めた葵の声が響いた。
―――
「……おい、どういう事だソフィ」
「そんなのボクにも分からないよ…でも、この高さから降りた程度であの子がどうにかなる訳がない。だって、葵ちゃんは優秀な魔法使いだから、反射的に浮遊魔法を使う筈、」
葵と同じ屋上まで移動してきていた二人は、魔法が発動したばかりで景色に目を輝かせていた時とは打って変わってその顔色を明確に悪くしていた。明らかに不穏な空気を含んだ葵の発言の真意が分からず、しかし自分達の存在や声が彼女に届かない以上どうすればいいのかを考え込んでいたのだ。声だけは普段から良く知る葵だろう。けれどもその表情は、瞳は、どこまでも絶望しきって何も映していなかった。彼女の瞳には本当に何も映っていない。街の景色も、見下ろす学生たちも、空の色も、何もかもが彼女にとってはないに等しかったのだ。そんな全てに絶望しきった在り方を、二人は知っていた。それは嘗てのチト自身であり、それを見付けたソフィである。あぁ、一体何故。どうして葵の様な子が、そんな顔をする?
「どうして葵ちゃんは杖を構えていないんだろう…?」
それは、ソフィが浮かべた素朴な疑問だった。優秀な葵であれば、理解不能な状況に陥れば瞬時に魔法による解決を求める筈だった。それに、確かに先程葵は杖を呼び出すような動作を行っていた。それならば今、杖を持っていない状況は可笑しかったのだ。ソフィの一言にチトの記憶が一気に蘇る。それは、考え得る中で最悪の想定に辿り着く為に十分すぎる結論だった。
「ぁ……っ待て、この世界に魔法は存在しないんだよな?アイツは出会ったばかりの頃、俺達の世界を夢のようだと言っていた。今アイツの中に魔法を使うイメージは存在していない…!魔法が存在しない状況でこの高さから落下すれば待ち受けるのは、」
「っエトちゃん今すぐ魔法陣の発動を中止して!不用意な記憶を植え付けた結果が不確定すぎる!それに、こんなの…っこんなの、間違っている!!」
「——————ばいばい」
ふわりと、葵の身体が宙に浮かび上がった。まるで空を飛んでいるみたいにスカートの裾が浮かび上がる。そうして落下していく中で、自然と体の向きは頭が下へと入れ替わる。ゆっくりと目を瞑り、無意識で浮かんだ微笑を抑える事無くついに地面と身体が触れ合う瞬間、世界は再び暗転した。
「……夢、じゃ…なかった…?」
閉じていた瞼を開いて、驚いたように固まった葵は視界の先に未だ肩を寄せ合ってぐっすり眠るヴィル達三人の姿を見詰めた。それから、何か言いたげに視線を向けてくるチトとソフィに気付いて俯いたかと思えば、その手元に杖を呼び出した。確認するように何度か杖や先端の魔法石に触れた葵は、小さく息を吐いて杖を消してから二人の元へ駆け寄った。
「———チト君、あのね!ウチ、チト君の狙い通り確かにこの世界に召喚される直前の景色を見たよ!これでまた、目標に一歩近づけたね!」
”満面の笑み”とともに希望に満ち溢れた瞳を輝かせて、”心底楽しそう”に詰め寄る姿は一挙手一投足がどこか演技染みていて、それがこれまで通りの葵であったことに気付かされる。普段から大袈裟に見えた動作が、意図的に行われていたものだとすれば?そんな疑問にぴたりと固まったのは、チトなのかソフィなのか。兎も角、”元気いっぱい”全身を使って先ほどまで見ていた景色が正しかったことを伝えようとする葵を前に、チトは自身に対して精神操作魔法をひっそりと掛けた。
「…おう、分かったから一旦落ち着けって。お前が記憶を確認している間に魔法陣から時空と座標をある程度特定できた。お陰で研究が進みそうだ」
「ふふっ、最高の記念品をありがとうチト君!」
「良かったねぇ、葵ちゃん。興奮しているところ申し訳ないんだけど、そろそろお開きの時間なんだぁ。片付けを手伝ってもらえるかなぁ?」
「もちろんやで!寧ろ、ウチの方から手伝わせてください、って感じやし!」
「それじゃあ取りあえず…あっちでぐっすりな3人を起こしてきてくれる?」
「りょーかいであります!おーい、皆起きろーー!!」
相変わらず楽しそうに敬礼の構えを取った葵は、勢いよく未だにぐっすりな3人の元へ飛び込んでいった。誰かが呻き声を上げる音が聞こえてくる。どこか寝ぼけ眼で葵を受け止めた3人は、まるで大型犬の様に身体の上で暴れるところを捕まえてソファに沈め始めた。きゃあきゃあと騒がしくなったソファの様子をじっと眺めていた二人は、無意識でそっと詰まっていた息を吐き出す。そうして、呼び出した杖で自分達二人の間に防音の結界魔法を発動させてからようやく肩の力を抜いた。
「……エトちゃん、ごめん。ボク、正直彼女の事を甘く見積もっていた。彼女であれば、全てを良い方向に変えてくれるって思いこんで、彼女が様々な問題に巻き込まれることを善しと考えていたんだ。何が”全知全能”なんだろうねぇ。たった一人の人間の事さえ見えてなかった癖に」
「やっぱり、葵はアイツとよく似ている。同一人物ではない事は普段の言動を見る限り明らかだけど…独りで生きてきて、全てを独りで抱え込んで何でもない顔で笑って……最後には、何も残さずにいなくなる。本質的な部分が一緒なんだよ。時々見せる表情とかもな」
繰り広げられるのは、後悔の応報だった。過去の二人が唯一と言っていい程にやり直したいと、後になってから悔やんだ出来事。それは今でも決して風化することなく彼らの中でしこりとして残っている。彼らが普通の人間であれば、過去を過去として前に進むことが出来ていたのかもしれない。けれども彼らはどこまでいっても人間ではなかったから、当時の記憶を昨日のことのように思い出せてしまった。今でも覚えている。会話の一つも、仕草の一つも、表情の一つだって。勿論彼らだって、誰もかれも全ての出来事を記憶しているわけではない。けれども、あの存在だけは、決して消える事のない記憶として刻み込まれているのだ。
「同一人物が別世界、及び並行世界に存在する場合は全く同じ名前を持つ筈だよ。調べようと思えばきっと、あの子の全てを調べることが出来る。でも、それが間違っていることくらいボクでも理解しているつもり。現状のやり取りから考察するとして、”葵”の名は間違いなく本名だよ。少なくともボクもこの世界も、彼女の口からその名前を聞いた事はない。つまり、あの子と葵ちゃんは別人である、と判断するべきだ」
「何か、見落としがある気がするんだ。アオイがあいつと同じようにひっそり隠した真実が、何処かに…っ」
険しい表情を浮かべたソフィは自身の拳を握って俯いた。ソフィには何もできない。自分が知る以外の個に纏わる情報を追求する行為は、世界の在り方を否定する事に繋がる。そうした結果何が引き起こされるのかは、ソフィ自身にも分からなかったからだ。もし、ソフィが葵についての情報を調べた結果、葵の存在が世界にとって異物であると判断されたらどうなる?元よりあるべきではない来訪の手段で召喚された葵だ、その立場は非常に不安定である。あぁ、確かに何か出来ることがある筈なのに、何もできない自分の無力さを嘆く日が来るだなんて。
ソフィは何も言えずに静かに目を瞑った。
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