38話 触れられない記念品
「さて、そろそろ記念品授与の時間にするか」
パーティーが始まり、ある程度食事も終えて何となくまったりとした空気が流れつつあったタイミングでヴィルが大きく手を叩いて視線を集めつつ発言すれば、散らかっていた一同の意識が一つに戻った。各々別の部屋に一時置きしていたプレゼントを手に取って、食堂に集まる。その表情には僅かな緊張と期待が浮かんでいた。そんな中で唯一葵だけは、どうしても申し訳なさそうな表情を浮かべ掛けて慌てて笑顔を取り繕っていたが、5人は各々それに気付いても決して口に出すことはしなかった。
改めて食堂に揃った一同は軽く互いに視線を見合わせて、それから小さく頷いて立ち上がったヴィルが一番手を務める事になった。その表情は普段通りの真顔に近かったが、どことなく緊張が隠せていない。矢張り、価値観が全く異なる葵が喜んでくれる記念品となるとその決定までの道筋は難航した。他のメンバーも同じだが、色々な調査や聞取りを行った結果自身が渡せる最も葵に必要になりそうなものを決定したのだ。彼らは互いにどんな記念品を用意したのかは知らなかったが、心の奥底ではどうせ似たようなものを用意したのだろうと薄々察していた。
「まずは俺からだ。色々考えたが、結論としては俺にしか用意できないものが良いだろうと判断した。と言う事で…これを」
「これは…書状?」
「俺の家の書庫全てに好き放題立ち入れる許可証を用意してみた。トートで生活していくにあたって、情報が多いに越したことはないだろう?」
ヴィルから差し出されたのは一枚の分厚い用紙だった。国家公認巨大書庫入室許可及びそれに伴う敷地内自由行動許可証、と長々しい言葉が並べられているが、要約すると普段からヴィル同伴で立ち入っていた書庫に自由に一人で自由に出入りできる正式な書状らしい。最後にはヴィル直筆のサインまで書かれており、仰々しい印が押され用紙そのものにも何かしらの魔力を感じる辺り確実に捏造が困難な作りがされているのだろう。最初は困惑気味な反応を浮かべていたルシエが興味本位で葵の手元を覗き込んで、分かりやすく後ずさる。そうしてゆっくりとヴィルと視線を合わせた結果、しっかりと頷かれて頭を抱えた。
「ヴィル…この書状、書庫内から書庫に到るまでの道を個人で自由行動可能って事…?」
「その通り、付き添いなしで自由に俺の家に出入りできる許可とも言える。つまり、今後葵は俺の家や書庫がある場所は一人で好きに出入りしてくれて構わない」
「る、ルシエでも付き添いがないと出入りできない場所もあるのに…あり得ない、なんてものを…」
始めはあまり理解が追い付いていなかった葵だが、ルシエの本気でドン引きした様子を見る限り相当価値が高く、本来入手困難どころか不可な書類であると察しがついてしまった。二人の会話を聞いた上で再び書類に視線を落とした葵がそっとヴィルの表情を伺ったが、緊張は隠せていなくとも普段通りの表情を浮かべているのは相変わらずだった。反応が気になるのか、ぱちりと目線が合う。一方で本当に受け取っていいのかも分からない明らかに危険そうな書類を持つ手が僅かに震えてきた葵は、恐る恐る言葉を発した。
「えーっと…、これ…ほんまにウチが貰っちゃってええの?」
「あぁ、その為に正式に国家承認をさせたんだからな。…あまり嬉しくなかったか?」
「いや!?う、ウン……アリガトウ、ウレシイナー…」
「そうか!良かった…葵は魔法陣研究を今でも継続的に続けているようだからな。いつも俺と予定を合わせていては中々進まないだろうと以前から気になっていたんだ。もっと良い権利を渡す案もあったんだが、あまりやり過ぎると葵は委縮してしまうだろう?とは言え、この程度で十分なのか心配だったから、無事喜んでもらえた様で本当に嬉しい」
「うぅん…あはは…」
これ以上を渡す計画も存在していた!?と内心動揺して周囲を見渡せば、ルシエやオルコスが顔を真っ青にしつつ首を振った。矢張り、この記念品と言う名の権利書が正常なものではなかった様だ。いくら周囲と根本的な価値観がズレている自覚がある葵でも、これが異常である事くらいは分かる。そして、周囲がそれを理解してくれる者たちであった事に本気で安堵した。葵の返事に嬉しそうに口角を緩めた愛の重すぎるプレゼントを前に、冷や汗をどうにか誤魔化して笑顔を作り上げる。
「ほんまに嬉しいよ、ありがとうヴィル君。大切に使うね」
「うむ、会議で少々強引に出た甲斐があったな!」
本当に嬉しそうに答えるヴィルを横目に視線をルシエの方に向けたが、心底呆れた様子で首を振られてしまったのでこれ以上深く考えることはやめた。精神衛生に支障を起こしそうな予感がしたからである。因みにヴィルがとんでもない権利を大賢者の弟子とは言え得体の知れない子供に渡すと宣言した会議は荒れに荒れたのだが、それを知っているのはヴィルだけで充分である。
「…ヴィルの後だと薄れるけど、ルシエからはこれ。アオイが今持っていない物は何か、って視点で考えた結果」
「これも書状や…」
「ん、トート国家公認魔法教会特別推薦魔導士証明書と、特級魔導士認定証。これがあればトート国内や近隣国でも低調に扱われると思う。…どう?」
「えぇーっと…?」
どことなく嫌な予感を片隅に、葵は渡された書状の内容に目を通す。先程の物同様に魔力が込められた用紙の本文には、権利を証明する趣旨とそれによる特典が書かれていた。一部国家指定禁止エリアへの無条件での立ち入り許可、魔導士協会による正式な身分の証明。葵は魔導士協会と言う単語にあまり聞き馴染みがなかったが、ポカンと口を開けたヴィルが視界に入った以上とんでもない代物なのだろう事は予想がついてしまった。ルシエの完全に期待の込められた視線で見上げられて、どうにか吐き出せた言葉は正直聞かない方が良かったものなのかもしれない。
「と、特級魔導士って?」
「本来は年単位で実施される複数の試験を全て合格する事で、世界的に独立した組織である魔導士協会から最高位の魔法使いである事を証明された者の事だ。この地位は各国家でも無視できないもので、無条件で王族に近しい対応を受けることが出来る代物でもあるな。…ルシエ、俺の記念品に文句がありそうだったが、お前の方が相当だろう」
「アオイ相手ではこれでも過小評価。魔法においてルシエ達と同等なんておこがましい」
ヴィルの険しい表情に動揺することなく、寧ろ不満気な様子で返事を返すルシエ。聞けば聞く程とんでもない身分証を受け取ってしまった、という認識が進んでいく葵だが、ルシエとしてはこれでもまだ足りないと考えているらしい。正直もう既にお腹いっぱいである。
「それでもだな…。葵、この地位はもっと下位の級から試験の合格を進めてようやく辿り着くものだ。ルシエが持ってきたのは、それら全ての試験を飛び級して最高位である事を証明する代物、異様さで言えば…そうだな、オルコスが実技試験を受けていないにも拘らず試験官が満点で合格だ、と言っているようなものだ」
「な、どうして突然わたくしが下げられたのですか!?」
先程のルシエと逆転してヴィルが丁寧に説明してくれたが、最終的にはオルコスを介した例え話のお陰でようやく理解が追い付いた。つまるところ、とんでもない飛び級証明書を貰ってしまったという事だ。何の前触れもなく飛び火したオルコスが若干拗ねているが、それに反応を返す余裕もない。もしかしなくとも、目の前の二人は本来の葵が受け取るべきではない相当不味い物を軽く渡してきているのではないだろうか。徐々に異常さに気付いて周囲に助けを求めようと視線を泳がせたが、そもそもこの場に居合わせるのは一般人から外れた者だけ。誰一人として、ぽっと出の一般人が突如常識外の権利を渡されたという事実そのものに対しては何も思っていない。ヴィルやルシエの二人だって、用意した事自体に動揺しているだけでそれを葵が受け取る事には肯定的なのだ。
「その…あー、こんなすごいものをどうやって?」
「ルシエはお父様にお願いした。お父様はルシエのお願いならって簡単に用意してくれた。だから問題ない」
「問題大有りだ馬鹿。何故お前の御父上はそうお前にだけ甘い…他のご家族にはそこまでじゃない筈なのに…」
「そもそも問題なのはヴィルの方。国家指定の禁書まで読める権利、それも一人で。どう考えても危険」
「禁書程度アオイであれば問題ない。それに、それを言うならルシエの方が危険だ。魔導士協会の最高位認定書など、実力どうのと言うより突然用意すれば面倒なやっかみを受けるだろう」
「それこそアオイなら問題ない。全部蹴散らす」
目の前で始まった、完全に葵の実力になんの根拠もない自信を持った上での口喧嘩。当の本人である葵は完全に放置されており、遠い目でそれを眺めている事しか出来ない。確かに二人の言う通り、禁書の扱いは小屋に居た頃山程触れてきたのである程度事故対処が可能だし、面倒なやっかみも対処できる位の魔法技術は持っていると最近完全に理解した。だから、問題はそこじゃない。葵がその権利を得ていいのか否かである筈なのだ。一体何故目の前の二人はその前提を吹き飛ばしてしまっているのだろうか。収集が付かなくなってきた現状に掠れた笑い声を漏らした葵は、とにかく権力の使い方には気を付けようと悪い例を前にしっかり決意を固めて、一体いつになったらこの国家権力の殴り合いみたいな内容から始まったとは思えない子供同士の口喧嘩が終わるのだろうかとため息を零した。
「わたくし、一体どうしてヴィルさんに下げられたのでしょうか。わたくしだって最近は攻撃魔法の練習を行っていますのに…」
因みにその時オルコスは一人で拗ねて、呼び出した杖を指先でいじりながら小さくなっていた。チトとソフィはと言うと、そんな4人の様子を酒の肴にのんびりと残った料理を食べていた。この自由過ぎる空間に救いはない。
―――
暫くして、一人取り残されて口喧嘩を続けていたヴィル達を眺めていた葵の様子に気付いたオルコスが慌てた様に駆け寄ってきた。どうやらヴィルの発言からは自力で回復できたらしい。
「ごめんなさいアオイちゃん、わたくしまだ記念品をお渡しできていないのに自分の世界に入ってしまって…。なんだか書状続きで申し訳ない気持ちもありますが、こちらがわたくしからの記念品です」
「既に嫌な予感がするんやけどぉ?」
受け取った書状のタイトルを確認した葵が、そっと視線をヴィル達の方へ向けた。オルコスの発言が耳に入ったようで口喧嘩が中断されたらしい。そうして認識した葵の表情が余りにも微妙であったからか、同じように何とも言えない表情を浮かべた二人が近付いてくる。冷静に、と何度も脳内で繰り返して深い深呼吸をした葵は、再び書状に視線を落とした。
「…一体、何が?」
恐る恐る、ルシエが訪ねてきた。思わず瞼を細めて息を止めていた葵は、ゆっくりと肩の力を抜きながら書かれていた内容をそのまま復唱する。
「…聖オーフ教会王国品賓客認定及び祈聖承諾書、らしいで」
「オーフ国内での安定した地位確立と…は、祈聖承諾書!?」
「え、オルコス…え?ちょ、本気…?」
軽く読んだだけでも、最初の内容でかなり不味いものが渡された事には気付いていた。けれども、もう一方の祈聖承諾書の意味が分からなかった葵は、ぴしゃりと固まって冷や汗と共にオルコスの方へ視線を向けるヴィル達の反応を見て矢張りとんでもない爆弾が手渡された事実に天井を仰いだ。兎に角話を聞かなければ何もできない。内容を尋ねるために視線を向ければ、心得たと言わんばかりに顔の横で人差し指を立てたオルコスが口を開く。
「わたくしも、皆さんと同じように色々考えたのですが、今のアオイちゃんが欲しいと望むものはあまりないと思ったんです。ですから、欲しくなった時にお渡しできるものにすれば良いかと!そこで、此方の書状です。これがあれば何でも一つ、アオイちゃんの望みをオーフが全力で叶える、という証明書。もう一つは名前の通り、オーフで快適に過ごす事が出来る書類になります。わたくし、アオイちゃんには是非オーフに観光に来て欲しいですから!」
成程、そういった考え方があったのか。そんな表情を浮かべたヴィルはルシエに頭を叩かれていた。余り国家に纏わる力についての実感が薄い葵でも、その発言と差し出された権利の異様さは理解できた。確かにヴィルやルシエの直接的な権利に関わる書状も危険だったが、オルコスが持ち出した内容はその次元を優に超えている。葵の発言が、国家を動かすとそう言ってのけたのだ。それでも渡されるのがどちらか単体であればまだ猶予があった。けれどもこれは、葵がオーフにとっても最高位の客人であり、尚且つそんな立場を持った人間がたった一つ、けれども確実に国家が総力を挙げて望みを叶える権利を渡されてしまったと言われれば話は変わってしまうのだ。これでは、ある意味で葵自身にも逃げ場がない。軽い気持ちでオーフに踏み出せば、葵の一言で国そのものが変わってしまう可能性だってあるのだ。
「どうでしょう、喜んでいただけますか?」
そう言って何も知らない無垢な子供の様に小首を傾げて微笑んだオルコスが、敢えてそうある事を選んだことは全員が気付いていた。馬鹿なフリをして渡した書類は、国の将来を左右するもの。つまりオルコスは、葵に国に纏わる何かを求めている。下手すれば国際問題に発展しかねない危険物。それが、今確かに葵の手元に渡ってしまった。オルコス自身、葵がその意味を理解できないなんて思っていない癖に、ヴィルやルシエが居る場所でこんな大胆な行動に出るなんて。
「…大切に、するね」
本能的な恐怖から震えた手で書状を握りしめた葵は、ヴィル達に縋る視線を向ける。けれども二人そろって全力で逸らされてしまった。始めは目先の効果に興味を持っていたヴィルも、話が進むにつれてその内容の異様さに気付いたのだろう。受け取る以外の選択肢が実質的に存在しない書状を前に、オルコスが渡してきた記念品こそが最も危険なものである事を理解してしまった。こればかりは本格的に使い方を考える必要があるだろう、と深いため息を押し殺した葵は、この先待ち受ける人外二人組からの記念品に構えの姿勢をとるしかなかった。正直なところ、もう何も考えたくなかったとも言うが。
「おやぁ、子供たち同士の記念品授与は終わったみたいだねぇ。それにしても、まさか三人とも目に見えない記念品を渡しただなんて驚いたなぁ。色々迷っていたみたいだけど、最終的には皆らしい内容になって良かったんじゃなぁい?」
何が良かったんだ、そう文句を言いたくなる気持ちをぐっと押し殺した葵はつい先ほどまで食事を突いていたソフィの方へ一歩踏み出す。先に受け取った三つの危険書類はまとめて空間魔法で収納をした。暫く取り出されることはないだろう。葵の気も知らず、呑気に普段と変わらない穏やかな表情を見せたソフィはゆっくりと葵に近づき、一冊の本を渡した。
「ボクもボクらしい記念品を用意したよぉ。はい、どうぞぉ」
「これは…」
書状じゃないだけで安心感が違う。三人は何かしらの権利を渡してきた事で葵は使う義務が生じたが、本であれば受け取って内容に目を通すだけで良いのだ。素直に受け取った葵はその表紙に書かれた内容に首を傾げながら、説明を求めるために再び顔を上げた。
「旧世界の禁書、って言われるものだよぉ。普段はエルフみたいな長寿種か必死に隠してる書物の中の一つなんだけどぉ…、特別に盗って来ちゃったんだぁ」
「……お前マジかよ」
てへへ、と朗らかに笑ったソフィを前に、これまでは微笑まし気に成り行きを見守っていたチトがドン引きした声音でツッコミを入れた。折角穏やかな気持ちになりつつあった葵は、猛烈に嫌な予感を感じながらも続きの説明に耳を傾ける。
「主な内容は世界循環説について。これは、一つの世界で何度も文明の発達から滅亡までを繰り返しているといった説を事実史から読み解いていく形式の旧世界で書かれた書物だよぉ。あぁ、因みに旧世界って言うのは、まぁ1000年くらい前の文明の事かなぁ?ボク達長寿種が勝手に呼んでいるだけなんだけどねぇ」
「お前アオイの事本当に気に入ってるな。基本的に何にも干渉しない事を決め込んでいる癖に、アオイの前に立つと直ぐ世界に纏わる真理を与えたがる」
「ふふ、ボクは面白いことに興味があるだけだよぉ?確かに葵ちゃんを贔屓している自覚はあるけどぉ…それは彼女であれば新しい知見を得ることが出来るからだからねぇ。と言う事で、早速少し読んでみてよぉ、今のアオイちゃんなら、この文字だって読めるでしょお?」
非常に軽いノリでぽんと渡された書物を前に、恐る恐る表紙を捲る。確かに、中々堅苦しい文章が並んでいるようだが読むことが出来た。学園に入学したばかりの頃に作成した言語取得の魔法陣の効果のお陰らしい。興味本位で覗き込んできたヴィル達は完全に解読不能なのか眉を寄せるだけだったので、隠れて読む必要がある訳でもなさそうだった。
「えっと…世界は1000年単位で繁栄と衰退を繰り返している。衰退の主な原因は戦争であり、この世界に武力が存在する以上なくなる事はない。魔法は全ての現象を引き起こす崇高且つ最も恐ろしい力の呼称だ。では、世界から魔法が存在しなくなった時、戦争はどういった変化を得るだろう。電波、と言う概念を知っているだろうか。それは…、…これ、は…」
突如並んだ見知った言葉に驚いた葵は、そっと書物を閉じて顔を上げる。そこには変わらない笑みを浮かべたソフィが視線が重なった途端頷いてくれた。
「そうだねぇ、これ以上は止めようと思っていたところだよぉ。この先は、葵ちゃんが一人の時にゆっくり読んでみてねぇ。どうせ今の世界の人間たちでは読めない代物だけど、一応は表に出ない様に気を付けてねぇ?」
「電波、か。…また懐かしい単語が出てきたな。確かにその続きは今の世界には不似合いだろうよ。お前ら3人とも、今の単語にはこれ以上深入りしない方が良い。それがお前たちの為になる。…分かったか?」
「…うむ、了解した」
「分かった」
「はい、かしこまりました」
チトの取り纏めに素直にうなずいた三人は、本当に何もなかったかのように普段通りの表情をしている。立場上聞いてはいけない話、というものに慣れているからだった。立場が上がれば上がるほど増える、聞かなければ安全な話は多い。まさにその渦中にいる三人にとって、知らないフリや深入りしない為の心情整理は日常茶飯事なのである。
「さて、最後は俺の記念品だな。俺からは二つ用意した。一つはこの場所で、もう一つは悪いが葵にだけ渡させてもらう」
何となく沈黙が広がった空気を切り替える様に、チトが取り出したのは一枚の魔法陣が描かれた用紙だった。興味深そうな5人そろった視線を受けて得意気に頷いたチトは、杖を一振りしてあっという間に食事が乗っていた机を消してしまった。
「これは皆で楽しめる代物かもな?…喜べ、実際に食べられる美味いお菓子の家だ!」
用紙を床に置いたチトが魔力を込めれば、土台から屋根に向かって名前の通りお菓子の家が生えてきた。
「ふ、ふぉおおおお…!!」
壁にはクッキーやチョコレート、塗装にキャンディやグミ。他にもクラッカーやクリームが連なって出来上がった芸術品は、実際に食べられなくても既に感動する完成度を誇っている。まさに夢のお菓子の家が爆誕した瞬間だった。
「なんと…!本当に夢のような魔法です。チトさん、これは全て飲食可能なんですよね?」
「勿論。小型の家で実食済みだ。…ちゃんと美味いぞ」
「うわぁ、相変わらず才能の無駄遣いだねぇ。エトちゃんってここ数百年そう言うの本当に増えたよねぇ。まぁ、これはこれで面白いからアリだけどぉ」
「渡された張本人の顔を見る限り、悔しいながらも今回一番の記念品を用意したのはチトの様だな」
「これには勝てない…発想がなかった…悔しい…!」
各々が感嘆の声を零す中、早速葵が完成したお菓子の家に駆けよる。飴細工の窓から中を覗けば、内装も全てお菓子で作り込まれているのが分かった。タルトのテーブルに綿あめのソファ、ふかふかなパンのベッド。ここまでの技術があるならばもっと様々な技術の発展が見いだせるのではないか、そんなソフィの指摘はまさにその通りである。けれどもチトにとって世界の発展は二の次で、今その瞬間作りたい魔法陣を作る事こそが大切。だからこそ、葵が瞳を輝かせて大喜びする様子を見たチトの表情はこれまで以上に満足気で、とても余計な口を挟む気には誰もなれなかった。
「チト君、これ今すぐ食べてええ?」
「勿論。ただ量は見た通りだからあんま食いすぎるなよ」
「やったぁ、いただきまーす!」
外壁のレンガ的な役割を果たしていたクッキーを一欠片手に取った葵は、嬉々として口の中に放り込んだ。そこに警戒の色は一切ない。本能的にチトが作り出した魔法やチト自身を信頼しきった反応である。
「ん、んまーーーー!!」
満面の笑みを浮かべた葵の一言をきかっけに、各々顔を見合わせた一同はお菓子の家に手を付け始めた。
「ん、確かにこれは美味しい。家で食べた事ある、かも?」
「うん、参考になってそうやで!さっきの魔法陣が発動する前ちょっと見てたけど、知らんブランド名っぽい文言組み込まれとったから、多分それやと思う!」
「あの一瞬で魔法陣の内容を解読したのか…?相変わらずアオイは規格外だな」
「そんな事より、めっちゃおいしい!甘い物さいこー!!」
「はい、なんだかとっても贅沢な気分です。あら、こちらのお菓子、ルシエさんが好みそうな味わいがします」
「どれ?」
本当に幼い子供の様にはしゃぐ4人は思うままにお菓子の家を食べては感想を言い合っている。それは、ヴィル達3人が立場を前に過去に置き去りにしてきた子供心を取り戻した瞬間の様にも見えた。そしてその中心には矢張り葵がいる。過去のあれこれを何も知らないままで、無邪気にお菓子を頬張る葵を前にすれば、いくら年齢以上に大人びている3人とて体裁を守る事を忘れてしまっても仕方がないのだ。そんな眩しい光景が広がるのを、少し離れたところで眺めていた者達。
「過去の君に見せてあげたいなぁ、こんな素敵な魔法をねぇ?」
「るせ、黙ってお前も食っとけ」
くすりと笑ったソフィから顔を逸らしたチトの耳は、僅かに赤く染まっていた。
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