36話 完全復活
「俺、完全復活!!おはようアオイ、最高の朝だな!!」
「うぇ~…うるさいよぉチト君…」
「今すぐ起きろ、今日は良い天気だ!」
「いや訳分からんし…。って言うか、いつも起きる時間より全然早ない?ウチまだ眠いんやけど…」
朝一番、葵の部屋に堂々と侵入してきたかと思えば、魔法を使わず自らの手でカーテンと窓を開けたチトは朝日に反射した金髪を輝かせて満面の笑みを浮かべている。どこからか鶏が鳴く声が響き、暫くは放っておいてもらえないだろうかと小さく縮こまってやり過ごそうとしていた葵はチトがその場から動く気配がない事を察して仕方なく身体を起こす。瞼をこすって半目でチトの金髪から顔を逸らす葵の意識は未だ覚醒しきっておらず、折角身体を起こしたは良いものの直ぐにベッドに逆戻りしそうになったところで重力魔法で強制的に遮られてしまった。
「…なぁ、なんでこんな朝っぱらからテンションが高いん?」
「そんなの、俺が全快したからに決まってるだろ?体調不良になったのって数百年振りだったからさ、復活した今がめちゃくちゃ気分最高でたまんねーの!」
「そんなんチト君の勝手やし、ウチ関係ないやん…」
「それに、今なら完成させられる気がするんだ!」
「……なにを?」
「お菓子の家だよ!」
その一言にじわじわと覚醒してきていた意識が瞬時に切り替わった。不自然にならない程度でチトの表情を確認すれば、まるで乙女ゲームのスチルの様に完成しきった美貌が未だ朝日に触れて輝きを放っている。その表情は瞳の奥に到るまで心から喜びを表していて、二つの意味で葵にとって眩しい。だからさりげなく視線をベッドの方へ向けて、チトの口から零れた単語だけに意識を集中させることを決め込んだ。
「お菓子の家って、チト君そんながっつりお菓子作りなんかやったっけ?」
「違う違う、そういう魔法があるの。いや、まだ作ってる途中なんだけど…とにかく、体調不良宙に夢を見て思い出したんだ。昔、土台から柱の一つに到るまで全て食べられるお菓子の家を魔法陣で作る事に挑戦して、失敗してるんだよ。その時は失敗って言っても、ブツ自体はちゃんと完成してたんだけどな…如何せん味がしなかった。無味無臭」
「確かに魔法陣に味覚を刺激する要素を組み込むのは、難易度が高そうやね」
「でも、こんなに頭が冴えてるのは久しぶりなんだ。だから、今ならいける気がする!アオイってこういうの好きだろ?だから、お前への誕生部プレゼントにもぴったりだと思って!どうだ、興味あるだろ?全部食べられる美味しいお菓子の家!」
天啓だ、名案だ。そんな意思を隠すことなく向けられた葵は少しだけ考える素振りを浮かべて直ぐに、全力で瞳を輝かせた。魔法陣には不可能がない、そう実感している今の葵でさえ、飲食可能なお菓子の家を魔法陣で作れるかどうかなんて考えたこともなかった。それを、葵以上に魔法陣知識に精通しているチトが完成させるというのなら期待を裏切られる事はそうそうないだろう。
「…ふふ、ファンタジーや!めっちゃいいね、ウチ楽しみにしとる!」
「おう、任せろ!」
始めは寝起きに不機嫌気味だった葵が分かりやすく上機嫌になった様子に満足げに頷いたチトは、そのまま洗面所の方へ向かってしまった。どうやらチト自身も起きて一番に葵を叩き起こしに来ていたらしい。完全に開かれてしまったカーテンと、二度寝するにははっきりしすぎた意識。これは長い一日が始まったなぁとぼんやり考えた葵は、自由になった体でその場に立ち上がりつい先ほどまではチトが眺めていた窓の外の景色に意識を向けた。
「お菓子の家、ね」
ぽつりと呟かれた言葉は、馬車の行き交う音が響く街の喧騒に飲まれて誰の耳にも入らない。水を流す音が少し離れたところから聞こえてきた事を確認した葵は、吐き出す様に小さな推理を零した。
「……最初に送った相手は、きっと」
当然、その言葉を拾う者など誰一人現れなかった。
―――
「ふむ、ようやくチトが復活か。意外と完治まで時間が掛かったな」
「五日間でしたねぇ。これ以上長引かなくて本当に良かったです」
「普段病気に掛からない者程、いざ掛かると長引くのはよく聞く話」
「…それでぇ、当の本人はなんでこの部屋にいないのぉ?そっちから気配はするけどぉ」
チトが体調不良でベッドに沈んでから数日、暫くはチト抜きで進められていた誕生日パーティーに向けた準備の為に、今日も小屋には4人が訪れていた。一応は見舞いも兼ねた来訪だったが、誰一人チトが体調不良如きでどうにかなってしまうとは思っていなかったのでそちらの方がついでだったりもする。兎にも角にも昨日の時点である程度普通に会話ができる様にまで回復していたチトに対して、今日から準備に合流だろうと考えていた4人はその姿が見えない事実に首を傾げていた。少なくとも葵は特に慌てた様子もなく、上機嫌に4人を迎え入れたので問題が生じているとは考えにくいが、中々姿を現さない張本人を前にしびれを切らしたのは意外にもソフィだった。
「なんかなぁ~…」
視線の集中を感じた葵は少々たじろぎながらチトが閉じこもっている部屋の扉の方へ視線をやった。扉は閉ざされており、中の様子は簡単には窺えない。
「朝一番に起きて魔法陣作る!って意気込んで書斎に飛び込んで、それっきり。魔法の気配的に森の小屋の方には偶に飛んどるみたいやけど、基本はそこのじぇやでずーっと机とオトモダチやで。そんなんしとるから体調崩すんとちゃうん?」
「あらら、辛辣だねぇ葵ちゃん。でも、機嫌は悪くなさそう、何か良い事でもあったのかなぁ?」
「別に?もしかしたら空元気かもしれんよ?…まぁ、嘘やけど」
「…へぇ、そっかぁ。でも、ようやくボクも会場設営の案内役から解放されそうで良かったよぉ。罠探知みたいな細かい事、元から得意じゃないからねぇ」
机に頬杖をついて、椅子から揺れる両足を前後に揺らす葵の正面に座ったソフィは魔法で紅茶の準備をしながらどこか困ったように微笑む。すぐ傍では、こっそりチトが籠っている部屋の中を覗き込もうと計画を始めたルシエを中心に巻き込まれたヴィルとオルコスが三人で顔を突き合わせて企み事の相談を始めているようだ。そんな様子を横目に、葵は差し出されたティーカップを受け取り静かに口を付けた。葵好みの、少しぬるめ且つ薄味で淹れられた紅茶。それに恩着せがましい素振りの一つも見せない辺り、妙なところで人間臭いエルフである。
「そうだ、あの子達皆忘れてそうだからボクが聞いちゃうねぇ。葵ちゃんの知る誕生日パーティーって、どんな感じだったのかなぁ?」
自分も同じように紅茶を飲みながら三人の様子を観察していたソフィが、ふと思い出したよに視線の先を葵に向けた。まさか他の誰でもないソフィからそんな問いかけを受けるとは思っていなかった葵は素直に目を丸くして、それから少しだけ揺れる紅茶の水面に視線を落とし自分の表情を見詰めながら笑みを浮かべる。
「別に、普通やったよ。おうちでちょっと豪華なご飯とかケーキを食べて、それから…プレゼントを、貰って。うん、それでおしまいかな。特に年をとればとる程あんましっかりやらん人が多かったから、特別っちゃあ特別やけど、態々どこかに会場を借りてやるようなものでもなかったかなぁ?」
「そっかぁ…。じゃあ、会場は大広間みたいな場所より、そうだなぁ…今ボクたちが居るこの部屋みたいな感じの方が純粋に楽しめるのかなぁ?」
「うん、後者の方が嬉しいで!広い場所やと皆との距離が必然的に遠くなっちゃって寂しいやろ?」
「そういう考え方もあるんだねぇ…。了解、その方向で進めるねぇ」
「……なんか、ごめんなソフィ君」
葵の話を自身の脳内で纏めたソフィが静かに計画を立てはじめると、ティーカップを小皿に戻した葵が顔を上げる事無くぽつりと呟いた。不思議そうに首を傾げるソフィの気配に苦笑を零した葵は、視線だけでヴィル達の意識が自分たちに向いていない事を確認してから顔を上げた。
「チト君とソフィ君は、ずっと前からのお友達なんやろ?ヴィル君とルシエちゃんとか、ルコちゃんも。でも、ウチはどこからともなく現れた出自も曖昧な人間で、きっと面倒事の塊で…。チト君や他の皆がウチと仲良くしてくれとるから、ソフィ君も今回のパーティーの準備を手伝ってくれとる。…違う?」
決して三人には聞こえない様に、けれども結界魔法を使えば魔力で気付かれてしまうかもしれないから。そんな最大限の警戒心と共に意識しなければ聞き逃してしまう程小さな声で恐る恐る投げらえた問いかけに、ソフィは驚いたように瞬きをしてからゆっくりティーカップを手に取りつつ目を瞑った。
「…うーん、君は少し難しく考えすぎてしまう癖があるのかもしれないねぇ。それが葵ちゃんの個性であり気質だって言われたらそれまでだけど…ボクは本気で、君の事を身内と判断できる人間だと思っているんだよぉ?」
ゆっくりと紅茶で口内を潤したソフィは、静かにカップを戻すと穏やかな笑みを浮かべつつそっと葵に手を伸ばした。困惑気味にその行先を視線で追っていた葵は、それが自分の頭の上に乗った瞬間驚いて身体を強張らせる。そんな様子にすら苦笑を零したソフィは、静かに言葉を続けた。
「どこからともなく流星の如く現れて、太陽の様な笑顔でエトちゃんを変えてくれた。あのエトちゃんが誰かを”育てる”側に回る日が来るなんて、これまで一度も考えたことなかったんだよぉ?ヴィルちゃんやルシエちゃん、勿論ルコちゃんだってそう。皆、君のお陰で大きな前進をした。もちろん、飛び切り良い方向に」
悪戯っ子の様な表情を浮かべたソフィが向けた視線の先では、今まさに突撃に向けた準備をしようと杖を呼び出した三人が居る。自信満々に、どこか呆れ半分に、困惑しながらも期待を隠せない様子で。三者三葉の姿は幼い子供が生まれて初めて計画的に行った悪戯の瞬間を切り取ったように見えて、思わず葵も肩の力を抜いた。確かに、初対面の頃の彼らが三人だけでチトに対して計画的な悪戯をしようなどと自主的に行動するイメージは一切持てなかったかもしれない。
「ボクが元々気に入っていた子たちを更に良い方向へ連れ出してくれた子。そんな子の記念すべき誕生日を祝うボクの気持ちに、面倒だとか仕方なくなんてそんな感情は存在しないよぉ」
素直に自らの掌の温度を受け入れた葵の様子にくすりと笑ったソフィは、その手をゆっくりと放して再びティーカップに戻す。無意識だろう葵の視線の先が自らの掌に固定されている事を口に出すつもりはなく、静かに口内を潤した。そうして息をついて、実際に魔力を練り始めた三人の様子を横目に内緒話の様に小さく言った。
「この世界の誕生日はねぇ、その人が世界で過ごせた年月を祝うための日なんだぁ。嘗ての世界では何度も戦争が起きていた。その度に、沢山の人間が死んでいった。だからこそ、特に命が軽い子供たちの誕生日はその日に到るまで生き延びた事実を祝福するべく大切にされるもので、大人として認められる節目の20歳の誕生日は尚更盛大に祝われるんだよぉ。ただでさえ死にやすい子供が、大人になるまで生き延びた記念日だからねぇ」
空になったティーカップの縁を指先で撫でたソフィは静かに微笑む。それは普段の観察を含む表情とは大きく違い、まるでこの世界そのものを慈しんでいるかのように見える傲慢染みた慈愛の笑みだった。
「無事に生まれてきてくれてありがとう、今日まで生き延びてくれてありがとう。……とまぁ、こんな感じで。どうかなぁ、少しは誕生日の在り方について分かってもらえたかなぁ?」
「……いきのびて、くれて」
話が進むにつれて顔を俯かせていた葵が、ソフィの言葉の一部を小さく復唱する。そこに込められていたのは、困惑や葛藤、苦しみと言った負の感情だった。困ったように笑ったソフィはかなり冷めてしまった葵の紅茶を温め直すべくそっとティーカップに手を伸ばして魔法を発動させつつ、言葉を続ける。
「ここ数百年はぐっと減ったけれど、嘗て戦争が横行して時代で最も命を落としたのは人間の子供だったからねぇ。それも…殆どの死因は実質的な自殺が殆どだった。葵ちゃんはどうしてだと思う?」
「……、どうして?」
「マシだったんだよぉ。このまま全てが保証されない不確定な未来へ進むより、今この瞬間家族や兄弟、大切な友人と共に一生を終えてしまう方が。それくらい、嘗ての世界は絶望に染まっていた。敵側に捕らえられた者は軒並み尊厳を奪われて、生死も曖昧な状態で同族を殺すための兵器に改造される事もあった。元々世界情勢にそう興味がないボクでさえ、見かければ思わず救済を行ってしまう位には残酷な手法が横行していたんだ」
暖かくなったティーカップで暖を取るべく両手で包み込んだ葵は、戸惑いながらも視線を上げた。目の前で何でもない口調で過去を語るエルフの表情はどこまでも凪いでおり、それがエルフだからなのかそれ以上にソフィには何かがあるのかまでは分からずとも、普通にこの世界を生きてきた存在が見せる反応ではない事は明らかだった。そんなソフィでさえ手を出してしまう状況、本当に余程酷い状況だったことは今の葵でも理解できた。…でも。
「…どうして、その話をウチにするの?ソフィ君は、過去の出来事を自ら口にするつもりはないって顔でいつもおるやん」
「どうして、だろうねぇ…。なんとなく、君には話さなければならないような気がしたんだぁ。ボクもボク自身が不思議、でも間違ったことはしていないと確信している。その確信さえ不思議。全て、君と出会ってから得た変化だよぉ?人間って本当に興味深い生き物だよねぇ」
「……そっか」
答えになっているようで、全く意味の繋がらない説明に葵は適当に返す。確かに葵は誕生日をやけに大事にする文化に困惑していたし、周囲から向けられる献身的な態度に申し訳なさを感じていた。誕生日を大切にする理由を言われたからこそ、この世界の住人ではない葵は今度こそその献身を受け取る権利がないのではないかと思えてしまったのだ。少なくとも葵が暮らす現代日本で生きてくれてありがとう、なんて言葉を耳にする機会は殆どない。余程大きな災害から生還でもすれば話は変わってくるのかもしれないが、葵のこれまでの人生においてそんな経験も、そんな風に考えたことも、一度たりともなかった。だから、諦める。根本的な価値観の違いを理解しようとしたところで意味はない。何か話を逸らした方が良いだおる、と思考を変えようとした葵の動きを止めたのは、突撃した結果反射的にチトの風魔法で吹き飛ばされてきたヴィル達が飛んできたからだった。
一先ず重力魔法でヴィルとルシエを受け止めてみれば、隣でソフィがいつの間にか席を立ってて横抱きの大勢でオルコスが受け止めている。分かりやすい忖度の様子に思わず吹き出せば、そんな様子に嬉しそうに笑ったソフィは葵に告げた。
「いつか君には、もっと沢山お話してあげるねぇ」
ヴィル達を床に下す傍ら、文句を言いながら書斎から出てきたチトを迎え入れて。そんな最中で聞こえてきた言葉に小さく頷くだけで返事をした葵は、不満気なルシエから一体どんな策を練って実施したのかを聞き出してみることにした。
今はまだ、ここまでで。
そんな事をどこかで考えながら。
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