35話 大広間
「まぁ…とっても広いですね」
「魔族の中には物理的に身体が大きい者もいたからねぇ。ある程度の魔族が集まれるように作られた城で、大広間なんだから全てが巨大化するのもある意味仕方がなかったんだと思うよぉ」
「あの椅子凄い、ヴィルが普段使ってる椅子の百倍凄い」
「悪かったな、普段から持ち運びができる平民事務員御用達の簡易椅子を使っていて」
一同が罠を抜けてようやく辿り着いたのは、いかにもと言った印象を受ける非常に天井が高い広間だった。重たい鉄製の扉が開いた途端室内の巨大な照明全てが点灯し、綺麗に磨かれた床が反射して思わず三人は目を細めてしまった。隅には所々に大きな円形のテーブルと椅子が配置されており、掛けられた布は汚れ一つない純白のものだ。そしてルシエが指さす最奥に配置されたのは、非常に豪華絢爛に装飾された巨大な椅子だった。道筋を示す様に深紅のカーペットが敷かれており、会談に沿って空気一つ入っていない様子を見るだけで当時の魔族が持っていた技術が十分人類に匹敵していたことを察する事が出来る。壁に掛けられた絵画、時が止まり全盛期の姿を保ったままの花が刺された花瓶、テーブル上のカトラリーに到るまで全てが遠目で見ても最高品質であることを主張しており、普段からある程度高級慣れしていた筈の一同ですら思わず息を呑んだ。
「まるで、絵本の世界の様です…」
ぽつりと呟いたのはオルコスだ。視線の先は世話しなく様々な風景を取り込んでいるらしく、中々定まらない。トートやオーフにも王城、そして大広間が存在するが、正直それを超える程の空間だったのだ。チトの管理のお陰か埃や塵の一つすらないその空間は、確かに物語の情景を丸ごと切り取ったかのように存在している。試しに近くのテーブルを覆う布を撫でた感触が現代の最高品質を超えかねない程余りにも滑らかだった事に驚き、咳払いしてそっと手を背中に隠した。
「想定通りこの広間内で罠の気配はないねぇ。ボクは近くの部屋から感じる魔導書の気配が気になるから、少し席を外すよぉ。この部屋から移動しても構わないけど、どうなっても責任は取れないからねぇ。これでも一応、生命の危機に関わる罠は全て避ける様に選んで来てるしぃ?」
そう言ってさらっと脅しの言葉を吐いたソフィは、フラフラと大広間から離れていった。そんなことを言われてもなおこの部屋から離れる程冒険心を持った者はこの場に居ない。好奇心旺盛な葵が居れば話は違ったかのかもしれないが、生憎彼女はチトの看病の為にこの場には居ないのだ。もし看病がなければ、間違いなく共に付いてきていただろう未来は簡単に想像できた。だからこそ、部屋の移動もできずになんとなく静かになった大広間で最初に口を開いたのは意外にもヴィルだった。
「…そう言えば、研究課題でキーフ史を調べることになっだだろう、その一環でトート国内に残る過去資料から何か情報を得られないかと俺も少し調べてみたんだ。すると偶然、チト…と言うよりチェントの名前を見かけてな、もう少し深追いしたんだ。はっきり言って、俺がチトに対して知っている情報はここ数百年のものだけだからな、それ以前の事は何も知らないんだ。だからこそ、様々な角度から見て疑わしい情報を見付けて扱いに迷っている」
「どんな表記がされていたのですか?」
「その時呼んだ資料は語り継がれる言伝を纏めた手記に近い物だったんだが…そうだな、御伽噺で魔王と勇者が戦った、という話があるだろう?実際、この城もその戦場だったって話だ。とは言え、それはこの城が発見されたのが今から数百年前の話であり、伝承と実情を照らし合わせた結果恐らくそうであろう…という意味合いで言われているだけで、実際にどうなのかは不明だ。しかし、その資料の中にはこの城が確かに魔王が作り上げた城塞であり今から約千年前、チェントと言う存在が魔達をを統べる者であった、と表記されていた。…いくら何でも荒唐無稽過ぎると思わないか?」
彼ら三人の中で、ソフィが歴史の全てを知っていることは既に決定付けられていた。そして、さりげなくこの城が魔族の為に調整された大きさだと言っていた時点で、その説は立証されたと言っても過言ではない。過去にこの城に魔族が集まっていたというのは少なくとも事実なのだろう。けれども、その実態を教えてくれるつもりがない事も察していたのだ。あくまで全ての物事に置いて第三者、傍観者である事を徹底しているオーフの謎多きエルフ族大賢者に人間らしい気遣いを求める事は愚問だったのである。だから、下手に考察を進めれば有耶無耶にされてしまう事も知っていた。ソフィは恐らく、ヴィル達が過去の歴史に関する情報を得ることを善しとしていないのだ。それは軽い気持ちで考察しそれをあたかも事実であったかのように流布されない為なのかもしれないし、そもそも人間が過去を知ること自体がソフィにとって禁句なのかもしれなかった。兎も角、ソフィが明確に席を外した今こそがチャンスだと思ったのだ。
「チトが魔物を統べる者…?それって、魔王の事?そんな話、市井の子供でもあり得ないって知ってる。勇者や魔王の存在はあくまで御伽噺、歴史がそれを証明している。だって、あり得ない。魔王という世界共通の敵が出現したからと言って、世界中の人類が手を取り合って討伐に挑んだなんて綺麗事過ぎる。もしそれが実話なら、今この世界は戦争なんかしてない筈」
ルシエの語った誰もが知る一般的な常識は、どこか寂しかった。さりげなく垣間見えた人間不信の面影に僅かに眉を寄せたヴィルは、素知らぬ顔で発言を肯定するように頷く。事実、世界中で各国が戦争をしている世界だ。トートだって今は何もなくとも、嘗ての隣国キーフと戦争をし吸収した過去がある。例え強大な敵が現れたからと言って、各国が手を取り合う姿は想像できなかった。だからこそ、この場で疑問を口にしたのである。
「……実際、オーフにも結構その手の文献は残されています。ですが、時代が作り上げた創造物だと言う説が濃厚ですね。それに、どの資料を見ても魔王は勇者によって討伐された…つまり、消滅させられたと表記されています。もしチトさんが魔王だとすれば、現在に大きな矛盾が生じてしまいますよ」
「面白い話をしているねぇ、三人とも」
「な、いつの間に……って、まぁいつもの事か。ソフィが真相を知っていることは十分理解した上での会話だ」
「ふふ、確かにボクは知ってる側の存在だ。何せ、君たちがあったかもしれない歴史として語る”世界戦争時代”と称された年代も生きていたからねぇ」
いつの間にか円を作って会話していた三人の隙間に入り込んでいたソフィは、どこか楽しそうに笑った。ヴィルの呆れ交じりの問いかけも迷わず肯定しているようで、その真実を考察する隙をどこにも見せない話し方をするのだからこのエルフが居るところで三人はあまり今のような会話をしたくなかったのである。
「…ではソフィ、魔王は本当に存在したのですか?」
「おや、それを他の誰でもないルコちゃんが聞くのかい?面白いねぇ…。因みに、その時代のボクは大層な引きこもりだったから、詳しい世界情勢は知らない事の方が多いんだぁ。そもそも、エトちゃんの事が知りたいなら直接本人に尋ねてみればいいでしょぉ?」
「ソフィは、チトが何者なのか知ってる?」
「勿論。でも、それはボクの口から語れる話ではないかなぁ。…あぁでも、一つだけ教えてあげる。あの子は決して、””
”魔王”ではないよぉ」
ゆるりと微笑んだソフィは、各々考え込む三人の頭をゆっくりと撫でる。それは、人間の子供が悩んでいる時にされると喜ぶ、と長い人生の中で学習したことの模倣だった。少なくとも間違いではなかったのだろう、と振り払われなかった掌をなんとなく閉じては開いてと繰り返していたソフィは、顔を上げてぐるりと大広間全体を見渡した。そして、一際目立つ大座の隣に小さくも豪華な装飾が施された椅子が配置されているところに視線を止めた。
今だ思考の波に飲まれているらしい子供たちを置いてゆっくりとその椅子に近づいたソフィは、繊細な手つきで肘掛に掘られた”チェント”の文字を撫でる。
「…あの子たちが真実に辿り着いて受け入れられるようになるまでには、もう少し時間がかかりそうだねぇ」
どこか穏やかな声音で囁くように呟かれた言葉は、三人の耳には届かなかった。
「———さて、考え事は終わりにしようかぁ。大広間の内装を確認した訳だけど、会場設営の具体的なイメージは作れたのぉ?」
ソフィがわざとらしく柏手を打てば、はっと三人が現実に引き戻された。当初の目的を思い出した彼らは、慌てた様にぐるりと周囲を見渡して困ったように顔を見合わせる。
「…我が城の大広間より天井が高い。勿論広さもだが…集まる人数が少ない葵に対してこの会場規模感は相応しくないと感じるな」
「そうですね…パーティーは盛大にやってこそ、という考え方が普通ですが、アオイちゃんの性格を思う限り会場の雰囲気に委縮して心から楽しめないのでは、とも思いますね。彼女は一体、どういった生活をしてきたのでしょうか」
「少なくとも、ルシエ達と全く違う価値観だと思う。パーティー自体乗り気に見えなかったし」
先程までとは違い、ずっと身近な様で遠い葵と言う存在の為だけに頭を抱えて悩み込む三人の姿を微笑まし気に眺めるソフィは、決して助言する気がない。ソフィであれば葵の元の世界での生活様式を知るくらい片手間で可能だが、それでは意味がないと漠然と感じていたのだ。
「…分からないなら、聞けばいい。アオイに誕生日パーティーについて聞いてみる?」
「確かに、その方が効率的かもしれないな。下手に当日の驚きに拘るより、思い切って寄り添った会を開いた方がアオイは喜びそうだ」
「つまり、またチトさんの家に逆戻りですね。折角の機会です、帰りの道すがら、アオイさんにお渡しする記念品選びの相談でもしませんか?当日被ってしまうと味気ないですから」
「賛成、オルコスも偶には良い事言う」
「たまにはですか!?いつもはつまらないって事ですか…!?」
ルシエの何気ない一言に食いついたオルコスが騒ぎ出す。少しして始まった、円形テーブルを使ったささやかな追いかけ合いを眺めていたヴィルが、ソフィに視線を向けつつ呆れた様に口を開いた。
「ソフィも一緒に来るか?」
「記念品選びなら、確かにボクも一緒に動くべきだねぇ。ルコちゃんの言う通り、被ったらつまらないからなぁ…」
「決定だな。ほら、そこの二人?移動するぞ」
「オルコス、足遅い」
「もぉ!なんですって…!!」
「いい加減落ち着きなさい」
「「は、はい…」」
ヴィルの全く穏やかさを感じない満面の笑みを受けた二人は大人しく足を止め、慌てた様に姿勢を正してヴィルのすぐ後ろにつく。そんな茶番染みた様子に思わず笑ってしまったソフィは、改めて葵に向けた記念品の内容を考えながら最後尾を歩く。…さりげなく、危険な罠を事前に魔法で解除しながら。
―――
「チトくーん、生きてる?」
「しんでる…」
所変わってチトと葵が暮らす小屋のベッドの上、肩で息をするチトの頭の上には魔法で作られた氷袋が乗っており、完全に普段の調子は崩されていた。時間の経過と自覚によって本格的に体調が悪化してきたのか、呼吸が粗く声もどこか掠れて聞き取るのがやっとの状態である。
一先ず家の中にあった牛乳とパンでおかゆを作ったまでは良かったが、とても食べ物を飲み込める様子ではなさそうだと判断した葵はチトが転がるベッドの隅に腰かけてその様子を伺っていた。
「…疲労からくる体調不良やってルコちゃんは言うてたけど…」
「心当たりはあるぞ、そもそもあの小屋を出たこと自体200年振りとかだからな…。急に環境が変わって、無意識化で疲労が蓄積されてたんだと思う…別にお前のせいじゃねーよ、俺が調子に乗ってただけ」
「……そっかぁ」
どこか虚ろな表情のまま葵を見上げたチトは、乾いた咳交じりにため息を零す。普段は単純そうに見えて何を考えているのか分からない葵だったが、今日ばかりは確実に彼女の脳内を支配しているだろう内容を察する事が出来た。思わず笑いかけて咳をしたチトは呼吸を落ち着かせてから再び口を開く。
「そんな気にしてますって顔、すんな。お察しの通り俺は人外だけど、この身の殆どは人間なんだ。体調位普通に崩すもんだよ」
「でも…きかっけは、」
「元々、トートに顔を出さなきゃいけない時期だったんだ。小屋から出る理由にお前を利用しただけで、っげほっ」
「わ、ご、ごめんな!無理にお話しさせてまって…ウチ、一旦部屋出るからゆっくり休んでや!何かあったら魔法で、」
慌てて立ち上がって部屋を出ようとした葵の言葉が途切れる。それは、チトが葵のローブの裾を僅かな力で引く感覚に気付いたからだった。視線をやれば、弱々しくもしっかり掴まれてしまっている状況に困惑した葵はどうしていいのか分からず口を閉ざす。それからどれくらい時間が経っただろうか、もう眠っただろうかと顔を覗き込もうとした葵は、ぼんやりとこちらを見詰めるチトの視線に気づいて驚きの声が出そうになるのをぐっと堪えた。
「えっと…チト君?」
「なんか、歌えよ…子守歌。…お前得意でしょ」
幼い子供が甘えるような、緩く気の抜けた声音と縋るような瞳を向けられて葵は思わず固まった。葵にとってこれまで頼れる師であり、世界における絶対的な導き手であったチトの面影がどこにも感じられなかったのだ。ただ純粋に、じっと見詰めてくるチトの深紅の瞳は、熱に浮かれているせいか潤んで宝石のように輝きを放っている。それにしても、歌。果たして葵は、チトの前でまともに歌を披露したことがあっただろうか。得意かどうかはさておき、歌うこと自体は割と好んでいる葵は戸惑い交じりに変わらず己のローブを掴むチトの手をそっと撫でる。抵抗はなかった。
「え…っと、じゃあ、ウチのお母さんが昔よう聞かせてくれた子守唄を歌ってあげる。…よーく、聞いとってな?」
混乱する頭をどうにか沈めた葵は、優しくチトが未だローブの裾を掴む指先を丁寧に解きながら片手間に杖を呼び出して息を吸う。
「きらきらひかる、おそらのほしよ。またたきしては、みんなをみてる、」
歌にのせて杖を振れば、まだ日が出ている外の光を遮る様にカーテンが閉まる。光魔法を用いて作り出した星空は、少しでもチトを眠る時間だと錯覚させるために疑似的に作り出した夜のつもりだ。ぼんやりと人工的に作り出された星空を眺めるチトの瞳が瞬くのを横目に、そっと部屋の空気を入れ替えるべく柔らかい風魔法が通り抜ける。まるで頭を撫でる様に前髪が揺れた頃には、その瞳は閉ざされていた。
「———きらきらひかる、おそらのほしよ」
魔法から意識を逸らしチトへ視線を向けた葵は、多少落ち着いた様子で目を瞑る様子に肩の力を抜いた。
「何かあったら呼んでな?」
「……ん、ありがと。……”イブキ”」
「ぇ、」
心地よさそうな表情を浮かべたチトは、深い眠りの世界へと旅立っていった。邪魔しないように静かに立ち上がり部屋を出た葵の頭の中では、最後の最後に零された単語がぐるりと駆け回っている。
「……いくら似てるからって、女の子の名前を呼び間違えるのは減点だよ」
無表情に、平坦に。ぽつりと吐き出された言葉に弁明を告げる者は、いない。
「やっぱり、”私”は誰かの代わりにしかなれないのかな」
そんな諦観しきった口調で零された言葉は、誰にも聞かれないまま消えていった。
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