34話 過去の罠
「あ、ルコちゃんそこ罠あるからねぇ」
「ふえぇ!?わ、な、なんですかこれ、何事!?」
「装備品を溶解する特別製の液体を噴射する罠だねぇ。前はこれで防具を溶かして侵入者の戦意を削ぐ目的があったんだぁ。…まぁ、長い時間を経て濃度が上がったせいで衣服まで溶かす様になったみたいだけどぉ?」
「なんて悪趣味な罠なんですかぁ!」
「落ち着けオルコス、取りあえず俺の上着を羽織るといい」
「オルコス、ないすらっきーすけべ」
「なんですかルシエさんその呪文は…って言うか、どうしてヴィルさんはそんなに冷静なんですかぁ!わたくし、何かを失っている気がします…!」
普段と変わらない調子のヴィルに肩から上着を掛けられたオルコスが叫ぶ。その胴体は、折角綺麗な装飾が施されたワンピースを身に着けていたにもかかわらず蛍光色の液体に塗れ所々が溶けて非常に残念な事になっていた。一人の未婚の淑女であり、聖女と民からもてはやされる立場として気軽に異性に身体を見られる訳にはいかない。けれども、仮にも美少女と持て囃されてきた己のあられもない姿を前に無反応と言うのもオルコスとしては納得できなかったようだ。とは言え気遣ってくれるヴィルが悪ではない以上、やり場のない怒りを向けた先はへらへらと笑うソフィだった。
「ヴィルちゃん、そこに別の罠」
「は……な、んだこれは…!?」
「それは一時的に性転換させてしまう液体だったねぇ。完全に混乱を起こす目的の為だけに開発されたんだよぉ」
「…っぷ、ふふ…ヴィル、可愛い……」
「おいソフィ、早く元に戻せ…!俺の尊厳が掛かっているんだぞ!」
「あれ、声はそのまま?」
「変わるのは身体だけで、声帯や思考回路はそのままだからこそ実践投入されず罠で終わったんだよねぇ。もう少し研究に時間を掛けられれば、世界に革命が起こったかもしれないよぉ?ルシエちゃん興味深々みたいだけど…どう、研究してみる気はあるかなぁ?」
「本当の意味で護衛に…」
「今そういう話してる場合じゃない、どうすれば俺の身体は元に戻るんだ!…っておいルシエ、何処を触っているんだお前は…!」
髪が腰辺りまで伸び全体的に小柄で丸みを帯びた体つきへと変化したヴィルが険しい表情で睨みつけている…つもりなのだろうが、その美少女顔を見れば気が抜けてしまう。苦し気に胸元のボタンをいくつか外せばどこからともなくルシエの手が伸びてきて、その膨らみに触れた。一方では上着を着て服の一部をはだけさせた美少女、もう一方では男物の明らかにオーバーサイズな服を身に着けていながら胸元を苦し気に明けた美少女。しかも他の少女に胸を揉まれている。眼福だねぇ、と素直に口にするほどソフィも愚かではなかったため、簡易的な地獄がその場に完成していた。
ソフィとオルコスを仲間に加えて再び旧世界城へやってきたヴィルとルシエは、一先ず大広間とされる場所へ向かうための廊下を進んでいた。歴史的重要保管文化財に指定された結果一般公開不可となったその場所へ続く道は、基本的に誰も人が寄り付かない。と言うより、寄り付けないのだ。罠の解除どころかどこに罠が合って、どんな内容なのかも不明瞭な状態で半ば放置されていた廊下は、実質的な迷宮と同条件。つまり、彼らは誕生日パーティーの会場選定のつもりが突如として迷宮攻略を始めたようなものだった。
早速罠に掛かって精神的なダメージを受けたヴィルとオルコスは虚ろな瞳を浮かべており、女体化したヴィルの姿に思うところがあったらしいルシエだけがどこか仄暗い真面目な表情で考え込んでいる。それを更に第三者視点でのんびり観察しているソフィを含めて、どうしようもない状況が広がっていた。ある程度時間が過ぎこのままでは埒が明かない事を悟ったソフィは、観察を諦めて二人に降りかかった罠の解除の為の魔法を発動させる。正確には選択した対象の時間を巻き戻す禁忌魔法を使ったのだが、そんな事を知らない二人は何故もっと早く行動しなかったのかと拗ねていた。それに理不尽だ、と不機嫌になるソフィも可笑しいが、使われた魔法の内容を思えばお互い様である。
「全く、皆ただの罠に気取られ過ぎ。道のりはまだ続くんだよぉ?この城って無駄に広く作られているからねぇ」
「子供の悪戯みたいな内容の罠が全部悪いだろう…。既に俺は疲労困憊だ」
「同じくです…。と言うよりソフィ、貴方さっきからわざと私たちが罠に嵌まる直前に警告していませんか?その割には真面目に警戒している私たちを差し置いて、ぼんやりしているルシエさんだけ無傷なのが気にかかりますが…もしかして贔屓ですか?わたくしと言う者がありながら、浮気性な大賢者様ですね」
「えぇ、冤罪だよぉ。ボクはちゃんと警告してるし、今だってこうして助けてあげてるでしょお?ねぇ、ルシエちゃん」
「……あ、えぇと……ごめん、何の話?」
「何も聞いてないねぇ」
グダグダと文句を言いながらも、本能的に慣れてきたらしい二人は自ら罠を避け始める。その様子に満足げに頷いたソフィは、ヴィルの一時的な女体化以降普段の調子を崩してぼんやりしているルシエの手を引いて、大広間へ続く道を進んでいった。
「…ふむ、ソフィ、此方の絵画はどういった情景を表しているのですか?何やら抽象画的な印象を受けますが」
「おぉ?いい所に目を付けたねぇルコちゃん」
そんなルシエの様子と、こちらも何か思うところがあるのか反応が若干鈍いヴィル二人に気付いたオルコスが自然を装ってソフィの足を止めた。ヴィルが完全に罠回避の為のコツを覚え始めたので、多少ソフィから離れても問題ないと判断したのだろう。ほんの少しだけヴィルと視線を合わせたオルコスは、何も言わずに呑気なエルフの服の袖を引いて絵画の前で立ち止まった。そんな気遣いに気付いているのかいないのか、兎も角オルコスの誘いに乗って絵画へ意識を向けたソフィの後ろ姿を見たヴィルは、相変わらずな様子のルシエの手を引いて少しだけ廊下を逸れた物陰へ移動した。
「何考えているんだ?」
それは、普段のヴィルらしい表情と口調でありながら決して普段のヴィルなら口にしない問いかけだった。基本的に個人的な感情や意思を抑え込んで立場に相応しい振る舞いだけを心掛けるのは、第二王子であるヴィルの幼少期からの癖だった。ただでさえ争いの火種になりかねない第二王子と言う立場で、下手に兄である第一王子との関係性を悪化させることを嫌った故の行動である。だからヴィルはヴィルである限り自身の感情が揺らぎかねない行為を基本的に行わない。自ら首を絞める行為を拒むのだ。つまり、ルシエの内心を探るその一言はヴィルらしからぬ発言だった。何が彼をそうさせたのか、まさかの行動に出たヴィルを前にルシエはこれまで考えていたことすべてが抜けて驚く事しか出来なかった。
「…間抜けな顔だな」
ヴィルは護衛であるルシエを女性らしく扱わない。それは徹底されており、エスコートに繋がる行為や言葉遣いでさえ、まるで同性の相手に向けるかのように調整されていた。小馬鹿にするように鼻で笑われて思わず文句を言おうとしたルシエは、自然な流れで自らの頬に伸びた掌にその動きを止める。きっとそれは、下手に蓋を開けてしまった過去に引きずられるルシエに対するヴィルなりの気遣いのつもりなのだろう。無抵抗で優しく、壊れ物を扱うかのように頬を撫でる手つきにルシエは喜びと怒りを同時に覚えていた。この男は何も分かっていない。ルシエが悩んでいることに気付いているのならば、だからこそ触れないべきだったのに。中途半端に優しくして、その気にさせて。未練がましい男だ。
「るしぇ、は」
怒りに任せたつもりで口から零れた声は、どこまでも弱々しくて甘えたような色を纏っていた。それに思わず舌打ちを零したルシエはヴィルの手を振り払うように勢いよく首を左右に振って、少し目が回るのを堪えながらヴィルを睨みつけた。
「っ、ルシエは!…ヴィルの護衛。だから、ヴィルはヴィルのままでいて」
「…まるで俺が酷い人間みたいだな」
「事実、だし」
「自分の事は棚に上げて、か?」
ほんの一瞬、口調だけは変わらず第二王子のままで、それでも崩れた表情を見た瞬間ルシエは自分の顔が真っ赤になった事を悟った。けれども、必死で気付かないフリをする。自分で決めたのだ。自分が、決めたのだ。ゆっくりと近づいてくるヴィルを振り払うように勢いよく体の向きを変えて、丁度絵画の解説が終わったらしいソフィ達の方へ逃げる様に進む。全く、タイミング悪く二人きりにタイミングを作りやがってと内心文句を言いながらもヴィルの顔が見れなくて、足元が疎かになっていたのだろう。
「…っう~…ぅるさいうるさいうるさい!!早く二人の所に戻る!」
「あ、ちょ…お前、危ない!!」
「へ…わ、っ!?」
僅かに床が沈んだ感覚に驚いている内に、ヴィルがオルコスに覆いかぶさる様に倒れ込んできた。驚いて縺れた足でその場に倒れ込めば、直ぐに差し込まれた腕のお陰で地面に身体が付く事はない。動揺している間に振ってきた液体の色には覚えがあった。先程、オルコスが嵌まっていた罠と同じものだ。
「ルシエ…ここは罠だらけだからこそソフィに頼んでまた来たんだろう、気を抜くな。それでも俺の護衛か?」
冷たい口調とは裏腹に優しい手つきで体を起こされる。護衛対象の癖に、当然のようにルシエを庇って見せた馬鹿な第二王子。じわじわと溶ける衣服に不快そうに表情を歪めながら、丁寧にルシエの乱れた衣服を直して。あぁもう、何がしたいんだこの男は。
「…ないすらっきーすけべ、ですか?」
「オルコスうるさい…」
「ふふ、ナイスラッキースケベ、だねぇ!」
心底愉快そうに笑ったソフィに魔法を掛けられて溶けかけた服が元に戻っていくヴィルを横目に、動揺しながらもルシエの中で一つのスイッチが切り替わる。そう、あくまでルシエはヴィルの護衛なのだ。護衛が護衛対象に守られてどうする。男女なんて関係ない、ルシエは確かに魔法技術に置いてヴィルを凌駕しているのだ。それが、こんな単純で古典的な罠に嵌まるなんて。気が散っていた、だけでは説明が点けられないではないか。ぐっと唇を噛んだルシエは、強引に気持ちを入れ替える。ゆっくりと深呼吸をして再びその顔が挙げられた時、ルシエの表情に浮かんでいたのは普段通りの何を考えているのか分からない可愛らしい無表情だった。
「…流石に謝罪してあげる、ごめん」
「あげるとはなんだ、あげるとは」
「ここからはちゃんとする」
「最初からそうしてくれ」
ぽんぽんと進むヴィルとの会話を持って、いつも通りに戻れたことを自覚する。その様子をどこか困ったように見ていたオルコスは、切り替える様に息を吐いて廊下の先へ視線を向けた。
「ソフィ曰く、あちらの大きな扉の向こうが第一会場候補の大広間のようです。大広間自体の罠は解除されているようなので、もう少しの辛抱ですね」
「先を急ぐか」
「ん」
「もう誰も罠には嵌まってくれなさそうだなぁ…あ、冗談だよぉ?…冗談だって…」
完全に普段の調子を取り戻したルシエの様子を確認して頷いたソフィが、気の抜けた声音で敢えて場の空気を乱す。それは、ある意味で普段通りの光景を再現するための意図的なものだ。オルコスはソフィが時折人間の様には考えられないと言っている姿を目撃しているが、こうやって空気を切り替える立場を買って出ている辺り十分人間に近づいてきているのではないだろうか、なんて事を考えながらも静かにヴィルをからかうルシエと、律儀に反応を返すヴィルの後ろ姿をゆっくりと追った。じれったいですね、なんて小さく呟きながら。
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