3話 はじまりの街
「うわぁ…!まち、街だーーーっ!」
無意識で駆けだそうとした葵の首元を掴んだチトはため息をつく。
「あんまりはしゃぐと田舎者がバレるぞ。頼むから大人しくしてくれ」
「人!チト君人がいっぱいいる!!」
「あぁ…はぁ、そうだな、いっぱいいるなー」
「わ、車!チト君あれ、車があるよ!」
「くるま?…魔道馬車の事か。元は馬が引いてたから馬車って形で馬の単語が残っているけど、あれは魔力で動く機械人形を活用した移動用魔道具だな」
「なんか難しい事言うてはるな!分からんからスルーで!」
「コイツ…」
魔法が存在する世界の引っ越しは葵が良く知る現代日本に比べて非常に楽だ。一日足らずで荷物を空間魔法でまとめたチトに久方ぶりに常識の違いを目の当たりにしながらも、二人はあっさりと森の小屋を抜けて早三日。大きな問題が起こる事もなく野営を挟みながらだらだらと歩けば大きな外壁に囲まれた街に辿り着く。チト曰く転移魔法を使えば一瞬で終わる移動だが、流石に有機物である葵を連れて葵が行ったことがない場所へ向かう転移魔法を使うのは亜空間分解のリスクがある。仕方がないので身一つでの移動を決定したらしい。事情があるとはいえ、初めての野営や度そのものにずっとテンションが高かった葵をどうにか宥めながら森の中を進んだチトの精神疲労は計り知れないものがあるが、三日も経過して流石に疲れて大人しくなってきたところで街に辿り着いてしまった為チトは隠し切れないため息を吐き出した。
初めて見るチト以外の人間、未知の魔道具、まさしく異世界を彷彿とさせるレンガ造りの家々。魔法と出会ったばかりだった時同様に瞳を輝かせた葵は、石門で入寮管理を行う甲冑を身にまとった兵士や、列を作って順番を待つ商人、旅人に到るまで全てに興味津々であり、見るからに治安が悪そうな冒険者を指さして何か言葉を発しようとした時は流石のチトも必死で止めた。
街に辿り着いてようやく一息つける、そう考えていたチトは倍速で積み重なっていく心労に本日何止めかもわからないため息をついて恨めし気に門を見上げた。
「お前たちは我が街へどういったご用件で?」
「えっと、んぐ」
「お前は適当な事しか言わねーんだから黙ってろ!全く…。箱入りのコイツを中央の魔法学校へ放り込むための中継地点としてきた。この街で少し休みつつ物資を整えてから乗り合い魔道馬車を捕まえる予定だ」
異世界転生小説のテンプレートのような兵士の問いに目を輝かせて応えようとした葵は、物理的にチトに口元を塞がれて目線だけで異を唱える。もごもごと抵抗を続ける様子を全く意に返さず兵士に回答を告げ大きなため息をついたチトを前に、兵士は思わず噴き出した。
「確かに、相当箱入りのお嬢ちゃんらしいな!兄ちゃんは付き添いの家庭教師さんかい?」
「そんなところだ。通っていいか?」
「もちろん!ようこそ、我が街へ!良い旅を」
気前よく笑った兵士に手を振られて、未だに口元をふさがれたままの葵は楽しそうに大きく手を振って返す。半ば葵を引きずるように門をくぐって進んでいたチトがようやく葵の挙動に気付いて頭をはたくまで、その手が下ろされることはなかった。
「…とりあえず宿を取って一息つきたいからそれまで大人しくしてろ!買ってに一人でどこかへ行こうとするな、大きな声を出すな、何でもかんでも興味を持ったからと言って指をさすな!いいな!?」
「はぁーい…もぃ、チト君ってばウチの事なんやと思っとるん?赤ちゃんじゃないんやで?」
「殆ど一緒だろうが…」
そんな軽口を交わしながらも葵の視線はあちらこちらに揺れて吸い込まれんばかりだ。これでは到底大人しくなどしてもらえないだろうと諦めたチトは、葵の片手を取った。
「チト君?」
「迷子予防」
「チト君!?」
親子同然の会話を仲良く手を繋いで続ける見た目年齢だけで言えば年が近く見える二人。それは傍から見れば非常に仲が良い兄妹のようだったが、本人たちがそれに気づく事はない。何度注意しても何かしらに向かって進もうとする葵をどうにか引きずって宿に辿り着いたチトは、受付に辿り着いてもなお視線を動きまわす姿を目撃した受付嬢にお疲れ様です、とそっと声を掛けられた哀しみを一生忘れられないだろう。
「なんか、この世界って三年くらい過ごして結構ファンタジーにも慣れたって思ってきてたけど、ウチが見てた世界ってめっちゃ小さかったんやなぁ…。あれだ、あの小屋は箱庭やったって事?」
「箱庭、ねぇ。まぁ確かに、俺も研究に集中しすぎていたとはいえ若干お前を箱入りに育てすぎてたんだなぁとは痛感したけどな、この数日で」
「チト君って人と喋るのあんま得意じゃないんかと思っとったけど、そういう訳ではないんやね?」
「そう見えたならそうなんじゃね?慣れだよ、慣れ」
少々お高い宿の一室で腰を下ろした葵は、思い出したように口を開く。ベッドに転がって見上げた天井には、これまで住んでいた小屋にはなかったお洒落な照明が浮かんでいる。その光は間違いなく本物の炎の揺らぎであり、現代日本であれば管理に始まり安全基準などと問題にしかならなさそうな代物だが、部屋に入った途端自動的に火が灯り現在進行形でガスや煙臭さも感じていない以上矢張りこれも魔道具の一種なのだろうと思考を放棄した。小屋は蠟燭の灯りと窓から差し込む日光ばかりを頼りにしていたため、田舎と都会の違いなのだろうかと深い考察を浮かべ掛けてそれもやめる。もう三年、されどたった三年しか葵は世界に触れていないのだ。
「なぁなぁチト君、魔法学校がある中央都市はもっと凄いの?」
「うわ、俺が必死で考えないようにしていた事を…。まぁ、魔法学校があるっていうだけあって魔法学関連の技術発展はトート国内最先端だからな。この街も結構でかい方だとは思うけど、その日じゃない大きさをしているし色々見れると思う」
「ふぉおお!ファンタジー観光楽しみ!」
「一番の目的は魔法学校卒業だからな」
「あ、そうやった!って、うそうそ、わかってるって!」
「そんな自信満々に忘れていた発言されてもなぁ」
葵に倣ってベッドに倒れ込み枕を顔に埋めたままだったチトはへらりと笑う葵に呆れた視線を隠さずに向ける。勢いと偶然、そして紙一重の奇跡と不幸が重なった出会いからいつの間にか年単位が過ぎ、やってきた街の宿で隣のベッドになる事に何も感じない。チト自体人間らしい思考が欠如している自覚はあったが、それでも年頃の少女と大人である己が同室になる事を何とも思わなかった事実が恐ろしい。元々二人暮らしの同居の身だったくせに、という突っ込みは禁止だ。人間らしい思考回路、それに疲れ果てて箱庭と称された小屋に独りで住んでいたことは理由の一つ、そこに根っから人間らしい、というより幼い子供同然の葵が表れてもなお己のペースが崩れなかった事は内心チトも驚いている。まるで隣にいる事が当然とまではいかずとも、それが普通であるような錯覚を覚えるのが、葵という少女だった。踏み込んでくる割に引き際がはっきりしている。よくできた少女だ。
これまでチトが町や都市へ出る時、今回ほど騒がしかったことが果たして一度でもあっただろうか。いや、たった一度あったぐらいで、それも随分昔のことになる。着いた先で遭遇した問題ならまだしも、道中は基本独りでいる事が殆どだったチトにとって、誰かと共に行動するなんて本当にいつ依頼だろうか。胃痛が途切れることは一度もなかったし、普段の何百倍も、下手したらこれまでで一番疲労を感じた三日間だったかもしれない。なんでこんなことになったんだっけ、そんな風に頭を抱えたことも両手では数えきれないほどあったが、それでも確かに小さな感情がチトの中で渦巻いている。
「…でもまぁ、悪くないんだよな」
「チト君?何か言ったー?」
「なんも。そろそろ夕飯の時間だろ、下の酒場で料理も出るらしいし早く食って寝ようぜ。明日は朝一番の乗合馬車取る予定なんだから」
「ご飯!異世界飯だ、楽しみ!」
「そういえば最近は葵の手料理ばっかりだったから、葵の世界のメニューしか食べてなかったんだよな。俺も久々のこの世界の飯だわ」
「そうと決まれば今すぐしゅっぱーつ!!」
「ちょ、自力で起き上がれるから、引っ張るなって!」
☆評価やブックマークで応援して頂けると励みになります。次回も是非御一読下さい。




