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1話 異世界誤召喚


「———朝、か」



少々古びた木組みの小屋、その一室は壁一面に書物が差し込まれた本棚が所狭しと配置されている。それでも尚収納スペースが不足しているのか、床は足の踏み場も怪しい程の読みかけで途中のページで開かれたままの本やメモが書かれた紙、栞が飛び出した本屋真っ黒に書き込まれた紙面が散乱している。

そんなまさしく紙の山に埋もれるように、半ば気絶同然の状態で眠っていた男は前進の痛みに目を覚ます。転がっていた床も本たちによって凹凸が目立ち満足に寝転がる事すらできなかったからだろう。枕代わりに頭に引いていた適当な分厚い書物も普段使うベッドに配置された柔らかい枕とは正反対だ、体の節々の痛みどころか頭痛すら感じた男はこめかみに指を置いて小さく唸った。


「…今ならできる気がする」


偶然とはいえ出来上がったある種の極限状態。休息不足は男の思考を歪ませ、本来であればなんの根拠もないどころか危険さえ伴うだろう結論に辿り着いてしまう。深夜テンションとも言える状況で男が手を伸ばしたのは、偶然視界に入った精霊術と書かれた書物だ。本来非常に高価である筈のそれを乱雑に床から取り上げ、適当なページを開く。至る所に積み重なった書類や本を押し出すように避けて、暫くぶりに顔を出した木目の床に偶然発掘した短いチョークで黙々と書き写すのは魔法陣だ。書物を見て、床を見て、中途半端な睡眠に悲鳴を上げる身体で描くのはそれでも書物通りの歪みひとつない美しい魔法陣。その最後の一投を無意識で息を殺して書き上げた男はチョークを放り投げて勢いよく伸びをした。


「できた!…って、まて、やばっ、」


意識の覚醒しきらない追い貸しな調子のまま書物を蹴り上げ、そのおかしな体制のまま後ろに倒れ込もうと胸をそらした男は近くにあった本の山に腕をぶつけてしまった。連鎖的に他の書物が崩れ、そうこうしているうちに一際大きな本棚が倒れ込まんと巨体を揺らし始める。最初こそ呆然と眺めていた男だったが、本棚が自分に向かってきていることに気付くと慌てて結解魔法を貼ろうと杖を呼び出す。それが、最後のきっかけになったのだろう。咄嗟に呼び出した杖は無事だったはずの他の本の山までもを薙ぎ倒し最悪の連続で一つで済んだはずの本棚の倒壊は三つにまで膨れ上がって男に襲い掛かる。反射的に目をつむった男は矢張り意識の半分がまだ夢の中であった事が要因となって本来であればダメージなど受けるはずがない強度を持った結解を貼ることに失敗、落ちた本の一冊が男の腕を的確に掠め、僅かばかりの鮮血が舞う事に気付く者はいない。久方ぶりに感じた明確な痛みとこれから降り注ぐだろう片付けの面倒くささに蹲る男は、散った血の一滴が書物の落下でゆがんだ魔法陣に降りかかった事になど気付くはずもない。


男の血液…魔力を潤沢に含んだそれは立った一滴で歪な魔法陣の発動条件を満たしてしまったらしい。途端に薄青い光を放った魔法陣にようやく気付いた男が慌てて発動を中止しようとしてももう遅い。部屋中を埋め尽くしてしまう程の閃光を放ったそれを前に、咄嗟に目をつむって腕で顔を覆う事しかできなかった。


暫くしてようやく思考回路が明確になった男はそれはそれは深いため息とともに肩を落とす。


「サイアク…なんの術式が発動、して…?」

「……ここ、どこ…?」


ゆっくりと顔を上げた先、魔法陣の中心には分かりやすく困惑の表情を浮かべた異国の服を身にまとった少女が1人、座り込んでいた。ミディアムロングの黒髪に青色の瞳が歪む年若い容姿からはお淑やかな印象を覚える。


「何ここ…ユ〇バ?デ〇ズニー?雰囲気的にはハ〇ポタの杖屋さんっぽいけど…」


ぐるりと本棚が倒れ書物や紙面が乱雑に広がる空間を見渡した少女は、現状をどうにか己の理解できる範疇に収めようと言葉を紡ぐ。とはいえ元居た風景とあまりにも違いすぎる光景に暫くして諦めたのか呆然と己を見つめる男の方へ視線を向けた。


「…あー、ここはトート王国中央都市の最北端、中枢都市キーフとの境に位置する森の、俺の家…だな」

「えーっと、つまり?」

「古い王国文献で読んだ事がある。その俺が知る限りどの国にも当てはまらない異国の服装から見ても、恐らく間違いはないだろうな。どうやら俺は…勇者召喚に近しい何かをやっちまったらしい」

「勇者召喚って…そんな、小説みたいな事が…」

「それはこっちのセリフだよ。まぁともかく、勇者召喚されるのは従来魔法が使われない世界の青年だって話を聞いたことがある。つまり…これが証拠になる訳だ」


男は自身も混乱の最中にありながらも、どうにか思考回路をフルで動かし勇者召喚に関する記憶を思い出す。そんな中で浮かんだ特徴に合わせて指パッチンと共に指先に水の塊を動かし、呆然とする少女にシャワーのように掛けてやればびくりと肩を揺らした少女はようやく状況を理解し始めたのか人一倍大きな声で悲鳴を上げた。余談だが、お淑やかな第一印象は男の中から消え失せた。


男が独りで長らく住んでいた森の奥深くに位置する木組みの小屋。そこで聞こえる音のほとんどは男が出す最低限の生活音と獣たちが零す鳴き声、それに風がもたらす音くらいだった。そんな静かな空間に甲高い驚嘆の叫び声が響き渡ったその時、小屋の屋根上で一休みしていた小鳥が大慌てで飛び立っていった。


―――


「…落ち着いたか?」

「いや全然。でも、落ち着いたって事に一旦しとくね」


暫く驚きと同様から騒がしかった少女が思い出したようにすんと無表情を浮かべたので男が問いかければ、きりりと真面目な表情で思考放棄を告げられて思わず男は噴き出した。だがしかし、無理もないだろう。突然異世界に連れてこられた、しかも従来の勇者召喚のように視覚的に分かりやすい召喚の間にいるわけでも、儀式を行った者たちやそれを見守る王族貴族がいるわけでもなく少女が最初に視界に入れたのは本棚が倒壊した木小屋の一室なのだから。そう思い直した男は咳払いと共に改めて少女に体を向け直した。


「おう、そうしてくれると助かるわ。とりあえず自己紹介ね?お互い名前がわからないと不便だし。俺はチト、お前は?」

「…ん、ウチは葵!ぴっかぴかの高校一年生!ねぇねぇ、チト君って呼んでもいい?」

「アオイ…、おう、アオイね。じゃあよろしく」

「よろしくね!」


チトが言葉に載せて握手を求めれば、葵は心得たと言わんばかりにの満面の笑みでその手のひらを両手で包んだ。それから暫く握手でつながった手を楽しそうに上下に振っていた葵だったが、不意に小さなクシャミを零す。その様子からようやくチトは今自分がいる部屋がボロボロの本と紙だらけの埃被った部屋であった事を思い出し、ひとまず部屋を出るべく杖を呼び出した。


「!?今その杖どっから出てきたん!?」

「どこって、どこだろ…亜空間?多分マジックバックとかに近い原理だとは思う。そうか、そういえばこの原理について深く考察したことはなかったな…」

「亜空間…!やば、めっちゃファンタジーやん!魔法みたい!」

「みたい、じゃなくて魔法な。俺は魔法使いなんだから」

「ふぉおおお!!!?」


魔法使いなんてこの国どころか世界中どこを探しても簡単に見つけられる。自分の杖を亜空間から呼び出すくらい初級も初級、幼い子供だって当然のようにできる行為であるにもかかわらずきらきらと目を輝かせてチトが持つ杖を見詰める葵に少しくすぐったくなったチトは、場を一新するべくわざとらしく咳ばらいをした。


「いやお前反応が大きすぎ。そんな調子じゃすぐ疲れるぞ?たかが杖を呼び出したくらいで」

「いやいや、ウチ魔法って初めてみたで?あ、さっきは水の魔法見せてくれたよね、じゃあ火を出したり光を出したりもできるん?」

「朝飯前だな」

「空を飛んだりとかは?」

「ちょっと面倒だけど出来はするな」

「めっちゃ回復するとかは!?」

「聖属性魔法の事か、あれは種族型固有魔法だから出来る奴と出来ない奴ではっきり分かれるな。隣国の聖オーフ教会皇国連中だったら範囲はともかく誰でも使えるぞ。あんま外には流失させたがらないけど。それに俺でもまぁ、多少はできる。ほら」


チトは思い出したように魔法陣が発動してしまった一番のきっかけである落下物によってできた傷に杖を向けて魔力を流す。すると途端に逆再生するかのように怪我のわりに痛々しい見た目をしていた傷が塞がっていった。その様子を口を開けて見入っていた葵は瞳を輝かせたまま、自信の好奇心に従って口を開く。


「じ、じゃああれは!?こう、物を触らずに移動させる魔法とか!」

「重力魔法ね。ふむ…よし、今からやるからよーく見ときな?」


まるで純粋無垢な子供のような瞳で見上げられて悪い気はしない。重力魔法の中では初歩も初歩、無機物を浮かせる魔法の習得はそこまで難しくないが、極めようとすれば非常に高い魔力操作が必要とされる高等技術に様変わりするのだ。


得意げに杖を掲げたチトがそこに魔力を込めれば、部屋中に散らかっていた本や書類たちがひとりでに浮かび上がる。


「う、わぁ…!」


浮かび上がった書物たちに夢中な葵に横目で視線をやったチトは思わず降格を緩ませながらも再び杖を振る。途端に浮かび上がるだけだった書物たちは空をかける鳥のように羽ばたき、本棚に整理整頓された状態で自ら収納されに行く。倒れた本棚はかけた部分が修理され、元あった位置に戻る。書類はパラパラと音を立てながら姿を露わにした木箱や机に角を合わせて積み上げられていった。


「っ、すごい…」

「重力魔法の応用と風魔法の混合魔法だな。俺の腐れ縁に魔法がめちゃくちゃ得意な奴がいるんだけど、そいつさえも唸らせた自慢の魔力制御の集大成だ」


得意げに魔法の詳細を語り始めたチトを横目に、葵は目の前で起きた出来事に深く心を奪われていた。葵が生まれた世界は現代日本、魔法は空想の一つであり存在しない者であった世界だ。現代人の誰しもが、きっと一度くらいは魔法を使ってみた、もしくは自身の目で見てみたいと願っているような世界でもある。いま目の目で広がる明らかに非科学的で奇跡的な現象を前に、上手く言葉をまとめられないでいた。


「アオイ?」

「いいなぁ…ウチも魔法、使えたらよかったのに」


現代日本で過ごす儀日の中で、何度そう願った事だろうか。存在しないと理解していたからこそ縋っていたファンタジー現象がたった今、目の前で葵に直接存在を訴えかけてきている。それは葵の中で非常に複雑な感情を巻き起こしていた。


「…練習すれば少しは使えるようになると思うぞ?」

「へ?」


何やら様子がおかしい葵に気付いたチトはこぼれた言葉の意味を瞬時に考え、どこかズレた結論と共に言葉をかけた。驚いた声と共にようやく視線が重なる。


「さっき握手した時、ちょっと見せてもらったけどお前魔力は持ってそうだし。無意識なのか、お前の世界の特徴なのか、かなり緻密な制限が掛けられていたけどな」

「ウチでも、魔法が使えるの?これまでどれだけ使いたいって思っても駄目だったのに?」

「おう、理論上はな、そもそも、魔法の発動には体内の個人魔力と体外の大気中に含まれる自然魔力の二つが必要なんだ。どちらかが欠けてしまえば魔法は絶対に発動しない。お前がこれまでどうしても魔法が使えなかったって言うなら、問題があるのはおまえ自身じゃなくて世界の法なんじゃねぇか?」

「世界…。…ふふ、よしっじゃあチト君がウチに魔法、教えてよねっ?」


目を見開いてチトの言葉を聞く葵の脳裏には一体何が移っていたのだろう。少しのフリーズの後ゆっくりとまた滝下葵は、満面の笑みを浮かべてチトに手を差し出した。その手を少しだけ驚いた表情を浮かべて見詰めたチトは、少しの間をおいてその手を握り返した。



「———それで、だ。さっきまでの会話から見るにある程度お前は魔法そのものに関する知識とかはあるって認識でいいのか?」


整理整頓されたとはいえ書物に囲まれてどこか息苦しかった部屋を出れば広々としたリビングに辿り着く。六人掛けの大きなテーブルの上には木で編まれた籠に清潔そうな白布が敷かれており、その上に数種類のパンが入っていた。壁には薬草らしき草花が干されて独特な香りを発している。再び杖を取り出したチトがそれを振れば、立付け悪そうに窓の冊子が開かれた。途端に純白のレースカーテンが揺れて柔らかい風がリビング全体を駆け回る。


「うーん…魔法の知識かぁ。ウチの世界では魔法って御伽噺上の存在で、絶対に実在しないって認識やったからあくまでうちの世界の人たちの魔法ってイメージと想像で出来上がっとるんよなぁ。だから、どこまでがこの世界で実現可能な話で、どこからが不可能な話なのかは全く分からん!多分一般常識とかマナーとかも、イメージはあるけど正しくはない気がする」

「あー、じゃあ殆どないようなものだと思った方が良さそうだな。了解、ゼロから教える」


「…ってことはさぁ、ウチって…すぐに元の世界には帰れないって訳?」


パキリ、チトが用意した牛乳が入ったカップが割れる音がした。それに気付いたチトは慌てて杖を一振りし何事もなかったかのようにカップを元に戻す。葵の何とも言えない視線がチトに突き刺さる。


「……い、いや、違う…帰れる、絶対に帰します!!その、まず言い訳を最初に聞いてほしいんだけど…」


―――


「つまり、ウチがチト君に召喚されたこと自体が事故だったって事?」

「そうなります…。まさか政令召喚の人が本に崩された衝撃で他の何かの召喚陣に書き換えられて、しかもピンポイントで俺の血液が付着して発動しちゃうなんて思わないじゃんか!俺ばっかりが悪いわけじゃないし!」

「急に開き直りやがったなコイツ。で、変えるための魔法陣は一から制作する必要があるから時間がかかる、と」

「いやでもその代わりちゃんと元の世界の元の時間に戻せるような術式を開発するから!それにほら、魔法も教えるって!俺こう見えてもトートで有名な魔法使いだし!」

「…ウチを事故で召喚したチト君が、ねぇ…?」

「うぐっ、いや、それに関しては確かに俺の不注意もあったけど…。…悪かったって…」


つい先ほどまで簡単な魔法ひとつに瞳を輝かせていた少女と、得意げに魔法を扱っていた男の姿は一体どこへやら。班目で事象大魔法使いを睨むあおいと、小さくなって頭を下げるチトは暫く無言の問答を続けていたがやがて埒が明かない葵は立ち上がった。


「ボーナスステージだと思えばまぁ、いっか。じゃあ、これからしばらくお世話になるね、チト君」

「…よろしくお願いします、アオイサン」


自分の中で一つ納得を終えた葵は、小さく息を吐いて気まずそうに視線を逸らすチトの姿に小さく笑って窓の外へ視線を向けた。


小屋の周囲は少し開けているが、辺り一帯は木々に囲まれて先の景色は見えない。碌にチト以外の他人と接触する機会もないような深い森の中だ。地球では早々体験できないだろう非日常を、ひとまずは全てを諦めて楽しんでいこうと小さく決意したのである。

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