19話 密談
野生動物も寝静まったその日の深夜、チトはそっと家を抜け出して昼間葵とルシエが向かった巨大な建造物…トートが誇る王城の庭園に現れた。曇りがかった月明かりのみが照らすその場所で既に二つの席は埋まっており、空いた席にそっと座ったチトはゆっくりと顔を上げた。
「…さて、どうして呼び出されたかは流石に?」
「まぁ、そうなるだろうなぁとは思いながら俺もアイツをお前らの元へ送り出したからな」
「こちらが把握する事も計画の内、相変わらずですね」
開口一番に険しい表情でチトと視線を合わせたヴィルを前に、あっさりと意図を露わにしたチトは悪びれた様子もなく肯定を示す相槌を打つ。小さなため息とともに珍しい敬語を使ったルシエは、ヴィルの視線が変わらずチトに固定されている様子を横目で確認してそっと立ち上がる。そのままヴィルの背後を守る形で立ち位置を決めたルシエの気配を察したヴィルは、深呼吸と共に口を開いた。
「こういったやり方はあまり好まないが…今回ばかりは持ちうる権力を惜しみなく使わせてもらう。対象はあくまで、トート所属の魔法使いチトへ、だがな。……トート大帝国王家第二継承権保持者、第二王子ヴィールとして問う。貴殿が連れてきた少女、アオイは何者だ?」
「…同じく、トート大帝国魔導侯爵家次女、エアフォルシェンとして殿下を支持する。質問に対する回答を述べよ」
不意に強風が吹き込み、薄暗かった雲が払われ月光が庭園全体を照らす。草木が揺れる音以外何も聞こえない空間を前に、その場に居合わせた誰しもが無意識で呼吸さえもを止めていたのかもしれない。月の光に反射するように二対の強い意志を持った瞳に見詰められたチトは、小さくため息をつくとともに降参を示すべく両手を挙げた。
「はぁ…ただの家庭教師な魔法使いおじさんは、権力には到底敵いませんよ…って訳で、端的に言わせてもらう。アオイは異世界人だ」
「え?」
「は?」
「い…やいや、え、どういう事だ?異世界人?」
「真面目な話だぞ。なんて言うか、寝ぼけて魔法陣を描いてたら色々不運な事故が重なって…英雄召喚の陣と似た何か分からない陣を偶然作り上げてな?そしたら、発動しちゃって」
「召喚魔法は多大な魔力量が必要だと禁書故の書物で見た事がある、」
「血の一滴」
「あ?」
「俺の血一滴で発動しちゃったんだよなー、てへ?」
「早く元居た世界に還してあげなさい!!おま、やっていることは拉致同然だぞ!?」
「いやぁ…あはは、分かる」
呼吸音さえ煩わしい、それほどの沈黙が広がっていた空間でチトの普段と一切変わらないトーンで告げられた言葉はその空気を切り替えるには十分だった。あえて纏った真面目な雰囲気全てを放り捨てて絶句する二人を前にどこか気まずそうに説明を終えたチトは、当然の反応をされて視線を逸らす。還せるものならその場で還しているに決まっているだろう、とは流石に言えなかった。
「…召還できない理由がある?」
「正解だ、ルシエ。お前は多少冷静なようだな。…呼び出したこと自体が事故のようなもので、完全な偶発的成功がよくなかったんだろうな。対応する召還の魔法陣を完成させるべく絶賛研究中だ」
「お前…本当に我が国で魔法の頂点に立つ男なのか…??」
「痛いとこつくね、王子様」
ヴィルとルシエにとって、チトと言う魔法使いは時に師であり、時に人生における偉大な先人であり、時に絶対的に頼れる護衛である…そんな存在だった。それは、葵を通じて会話をしたルシエだって結局変わらない前提条件のままだったのだ。魔法に置いて全知全能に最も近いところにいる存在、であった筈なのだ、つい先ほどまでは。
何とも言えない空気感を後押しするように、生ぬるい風が三人の隙間を通り抜けていく。頭を抱えたヴィルはひどく疲れた様子でルシエに対して今の会話のすべてに緘口令を敷いて、その場を強制的に解散させる。今日の一連のやり取りを持って聞かねばならない情報だった。けれども、聞いたところで問題が積み重なるだけで何の答えも得られない情報であった。葵が異世界から突如召喚された異世界人であるなら、書庫でふと葵が零していたチュウガッコウの説明や文字が読めない割に高すぎた教養の理由もある程度察しが付く。確かに疑問は解消されたのだ。けれども、葵が具体的にどんな世界でどんな立ち位置にあったのか、何を知っていて何ができるのか、それは変わらず分からないままで、恐らくそれはチトですら把握できていない事なのだろうと理解できた。それから、自分たちの立場や存在を一切認知していなかった理由も把握できた。葵にとっての王侯貴族がどんな存在なのかは分からずとも、暫くはそういった立場を振り払った関係性を続けられそうだとも思う。矢張り、そんな表面上の事以外何一つ分からずじまいではあったが。
「なんでこんな事に…」
王城の広い廊下の隅で、ぽつりとこれから巻き起こされるだろう無数の面倒事気配を察知して項垂れるヴィルの声が響いた。それでも本気で絶望しているわけではなく、その表情がどこか明るいように見えるのはきっと…ヴィル自身が葵によって巻き起こされる問題を楽しみだと僅かにでも思ってしまっているからなのだろう。
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