123話 記憶の中で
祝勝会もある程度の催しを終えて落ち着いた頃には、太陽は沈み空には満月が浮かんでいた。チトの魔法によって床に敷かれたのは六人分の敷き布団である。そう、魔王討伐直前に葵が宣言していた皆で雑魚寝、を達成する為である。そもそも床で寝る事など一度だって経験がなく、それどころか常に一人で広いベッドで眠る経験しか持っていなかった王侯貴族たちは大興奮で床に並んだ布団に見入っている。現代日本ではそれなりに見かける光景も、この世界では非常に物珍しいものなのだろう。
簡易的なくじ引きを行った結果端からヴィル、ルシエ、オルコス、ソフィ、チト、葵の順になったのは果たして偶然だったのか。床に敷かれるにしては明らかに最高級の布団に掌を沈めた葵は自分が知っている雑魚寝と明確に異なる現状に若干引きながらも大人しく転がった。一方でベッドかマトモではない環境でしか寝落ちた経験を持たない金持ちたちは違和感が強いのか葵の見よう見まねで僅かな緊張感と共に転がる姿は中々愉快で気付いた時には葵は吹き出していたりする。
まるで修学旅行の夜の様な雰囲気を纏った布団の上で顔を見合わせた六人は、慣れない敷き布団の感覚に気を取られながらも今日を振り返る事を決めた。
「…はぁ~…楽しかったー!ほんまに皆と雑魚寝する日が来るなんて…ってか、祝勝会はウチの提案だったのに、なんでウチだけ除け者やったん!?」
「折角ならアオイちゃんを驚かせようと…ルシエさんが言い出したんです」
「にゃ!?ち、違う、オルコスもノリノリだった…!」
「そこの二人いつの間にそんな仲良くなったん…?」
オルコスに唐突に責任を放り投げられたルシエは、慌てた様に起き上がって弁明をする。その最中に一体何故弁明が必要なのか分からなくなったのか、最後には頭上に分かりやすく疑問符が浮かんでいた。そんなルシエの様子をクスクスと楽しそうに笑うオルコスは、本当に普通の少女らしくなったと葵は改めて思う。何気なく腹黒と言うか、葵の責任逃れ込みの他者を巻き込む性格の影響を笑い方向で受けてしまったというか。確かに葵でも同じ会話をすれば誰か近くで油断していそうな人を捕まえてそう発言するだろうと思うような発言を、オルコスはするようになったのだ。誰かが困っていると思わず笑みが浮かんでしまう理由は、自分がそんな空間に居合わせる事を許された事実が嬉しいから。間違いなく、オルコスも似たような感覚で今も楽しそうに笑っているのだろう。敢えて呆れた振りはしてみるものの、同時に湧き上がる同族嫌悪の感情には目を瞑る事にする。
「お、オルコスこそ…寝相が悪かったら、叩き起こす」
「へ!?は、反対隣りにヴィルさんもいるじゃないですか。どうしてわたくしだけ…」
「ヴィルの寝相が良い事は十分知ってる。本当に動かないから。…最早気絶状態」
「そ、それはそれで…どうなんでしょう…?」
頬を膨らませたルシエは、自分とオルコスの間に存在する明確な立場の差を気にすることなく率直に反撃を行った。勿論オルコスだってその状況に文句を言うような性格や関係値ではないのだが、それでも無意識で気にし続けてきたのがルシエであった筈なのに。以前の彼女であれば、例えオルコスの寝相が悪く睡眠の邪魔をされても何も言わなかっただろう。寧ろ、改善するための魔法を考える位して見せたかもしれない。それが大好きな魔法に一切思考が向かないまま本気でオルコスを煽る言動を見せ、それどころか引き合いにヴィルを出すなど明らかな変化点である。勿論、良い方向に。
「ボク、睡眠って一切関わらず生きてきたんだよねぇ。人間も生物も短い期間しか生きられないくせに一日の三分の一程度を何もしない時間に使うだなんて、本当に非効率だと思ってるんだぁ」
「俺が聖属性魔法で強制的に落としてやろうか?安眠の奴。効果が出るかは知らねーけど」
「ボクが本能的に拒まず受け入れれば問題なく発動する筈だよぉ?初めての睡眠、かぁ…。ちゃんと朝には起こしてねぇ?ボクだけこんな血生臭い城に置き去りなんて絶対に嫌だから!」
「それいー考えだな」
「ちょっとぉ!?」
一人居心地悪そうに転がって呟いていたソフィの言葉には、チトが提案で返した。これまで寝転がる体勢すらまともに盗った事がなかったのかもしれない。体重の置き場を探す様に藻掻く姿は正直なところ面白かった。どうにか見つけた安定した体勢にほっと一息ついている様子は、目の前のエルフが本当に世界における頂点に君臨する生命体である事を示している様にも思える。生物であれば等しく重要である筈の睡眠を知らず、完全に初めての経験である筈なのにそれを拒む様子はない。寧ろ、チトの睡眠へ誘う魔法を受けた後の話をする始末だ。勿論仮にもチトの実家に当たる城を血生臭いなんて表現する時点でまだまだ最低なのだが、それでも大きな進歩だと葵は実感させられた。
勿論、自身の母親との直接的な繋がりの証明である聖属性魔法を自ら使うと言葉に示したチトが、言わずもがな一番変化しているのだが。
「…誰かと一緒に眠るなんて、家族が生きとった頃以来かも…?へへ、誰かの話声がすぐ傍から聞こえるのって、なんかくすぐったいね!……あれ、み、皆…?」
家族が亡くなり遠い親戚に引き取られて以降、葵の学校生活は最低限で構成されていた。遠足はさておき、修学旅行ともなれば準備が必要な道具も増えてくる。それだけでなく、費用まで重なるのだ。葵に興味がないどころか恐れてさえいる親族が、葵に対してそんな時間を与えてくれる筈もなかった。考えても居なかったのかもしれない。兎も角葵は泊りがけの行事に参加する機会が一度もなかったのである。それ以外でも複雑な家庭事情を持ち隠しきれていなかった葵の周囲に友人と呼べる存在は一切なく、常に孤独だった彼女にとって気の許せる大切な仲間たちと睡眠と言う最も生物が警戒心の解ける時間を共有する事には大きな意味があった。
そんな葵の何気ない、本当にぼんやりと脳裏に浮かんだ感想を口にしただけの一言はやけに城の中を響き渡った。一瞬にして凍り付いた部屋の中で、困惑する葵に向かっていの一番に飛び込んだのは今日に限って自身の瞬間的な感情に素直なヴィルだった。
「アオイ、俺が共に眠ってやる。大丈夫だ、孤独に等絶対にさせない。矢張り城に来ないか?有象無象から確実に守り切り、お前を孤独にしない事を誓ってやる…!大丈夫だ、ルシエも認めてくれるさ」
「いやおもっ、」
「ん、ルシエも…アオイなら、大歓迎。アオイだったら寝相が悪くても許してあげる。…大好き、だから」
「それは…どうなん…?」
「わたくしもアオイちゃんがオーフに来てくれるなら国を挙げて最大限望みを叶えると誓いますよ?ふふ、素敵な未来です…!」
「待て待て、それでいいのか聖女様」
「……まぁ確かに?葵ちゃんの為なら慣れない睡眠だって、吝かではないよねぇ?」
「ツンデレ??」
「………俺は!元々ずっと一緒に寝てたし」
「それ言わないようにしてたのに」
団子のように詰め合った六人の間に、性別や種族の壁は一切存在していなかった。突っ込みどころは無数にあれど、それぞれが葵の為を思って心からの言葉を向けてくれる。最後のチトの発言に関しては、一時期チトの部屋が書物で埋まった結果仕方なく葵のベッドを半分貸していたという話だったが、敢えて言うまでもないだろうと誰かに伝えてこなかったものである。案の定、話を聞いた途端四人からはドン引きの視線、それも付き合ってないよな…?と関係を確認するような視線を、チトからは何故か拗ねたような、それでいて周囲の想いに打ち勝ったことが嬉しいのか得意げな表情を向けられた葵は結局話を有耶無耶にするべくわざとらしく伸びをした。
こんなやり取りも、誕生会を行っていた当時であれば確実にあり得ない物だっただろう。そんな結論に誰もが辿り着いたらしい。顔を見合わせて一しきり笑い終えた六人は自身の寝床に戻り、今度こそ眠りについてみようと努力する者の誰かが誰かにちょっかいをかけ、揶揄い始めれば中々睡眠には辿り着けなかった。それがまた、楽しくてたまらないのだ。幼い子供の様な下らないやり取り、それは横腹をつついたり、髪に触れたりと細やかなものなのに、一度誰かがやり返した途端全面戦争に変化する。勿論魔法は禁止した以上、ソフィやチトとて勝算が確実にある訳ではない曖昧なやり取りは本当に面白かった。
結局、強制的にチトが聖属性魔法を展開し安眠の魔法を発動させた事によって部屋は瞬時に静けさに包まれるのだった。
―――
「———チト君、ウチに魔法掛けるの忘れとるで」
「わざとに決まってんだろ。俺がそんな失敗すると思うか?」
「んー、少なくとも誤召喚はしとったね」
「うぐっ…、…まぁいい。ちょっと歩くぞ」
「はーい」
四人の寝息が広がる部屋の中で、そっと隣で眠っていない事に気付いているチトの方へと身体の向きを変えた葵は小声で話しかけた。聖属性魔法が発動している以上ちょっとやそっとの事で回りが起きない事は頭では理解していたが、それでも葵は声を小さくすることを選ぶ。それは二人きりの時間が万が一にでも潰えないように、ぐっすり眠る皆を起こさないように…理由は様々だったが、兎も角葵はそうすることを自ら選んだのである。
隣で眠るソフィの様子をしっかりと確認したらしいチトは、ゆっくりと身体を起こして立ち上がる。部屋の出入り口を指さして笑ったチトを前にへらりと表情を緩めた葵は、同様に立ち上がってその後ろ姿を追う。様々な感情を押し殺した結果その動作はやけに緩慢だったが、それでもチトは急かすことなく静かに葵の事を待っていてくれた。
部屋を離れ、チトが先導して進んで行く広い廊下。近付けば自動的に壁に備えられた灯りが灯っていく姿は、いつ依頼なのか葵の心の中でファンタジーの六文字が浮かんでは消えていく様だった。この世界における豪華絢爛な城となれば正直どこも似たような景観だったが、この廊下ばかりはどこかで見て決して忘れてはならないと脳に焼き付けた景色と酷似していた。それは、嘗てまだ年齢と容姿が一致していたころのチトが過ごしていた光景。このまま突き当りを進めば、辿り着く部屋は。
「——もう、気付いたか?この先にあるのは…、俺の母さんが過ごしていた部屋だ」
どこか困ったように嗤ったチトは、家主のいない部屋の扉を静かに叩いた。当然だが、いくら待っても返事が返ってくることはない。嗚呼、チトはついに過去と、記録へと変換した出来事と、向き合う事を決めたのか。それが喜ばしいような、それでいてどこか寂しい様な、曖昧な感情をぐっと胸の奥へと押しやった葵は、暫く言葉を探したものの結局頷くだけでやり取りを終わらせた。
「なんか、母さんが死んでからもさ…この部屋に入る時は、どうしても返事を待たなきゃって気分になるんだよな。こういうとこ、多分今の俺に残ってる数少ない人間としての部分なんだと思ってる。まだどこで、母さんの事を心から愛している自分が居て、返事が来るって幻想を信じているんだ」
チトの手によって静かに開かれていく扉。勿論誰も居ない部屋の中で、広がっていく景色はいつか見せられた記録と変わらない家具の配置がされていた。中央に配置されたベッドには、つい先程まで誰かが居たのだと錯覚するような生活感を見せつけるように乱雑な状態のシーツや枕、皺の入ったドレスに装飾品が置かれたままだった。全て、本当に記録のままだった。そんな光景をチトは僅かに瞼を細めて見詰めている。様々な感情が入り混じった表情を浮かべるチトを前に、葵は声を掛けることが出来なかった。否、安易な言葉を向けて折角互いに固めた決意を歪ませたくなかったのだ。
何も言わず静かに部屋の中へと一歩を踏み出したチトに続いて、葵は何となく小さく頭を下げてから後を追って部屋の中へと踏み込んだ。
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