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120話 ソフィだから認める事


ソフィが拗ねている。それも、これまで見せたどの表情よりも分かりやすく人間らしい振る舞いを無意識で行っているのだ。感情という制御のしようがない複雑で曖昧なモノを抱えて、魔法や立場で強引に解決する選択肢を外した上で自身の中で抱え込み、ついに我慢できなくなって悩みの種である葵に直接ぶつけて見せた姿。ソフィであれば非人道的な方向は前提とは言えどうとでも自分が望む結末を作り出せるだろうに、八つ当たりは兎も角あくまで葵の意志を尊重した上で頬を膨らませる振る舞いは本当に、本当にどこまでも人間と同じだった。


使えるものを使わない。果たして、これまでのソフィがそんな傲慢で愚鈍な行いに至った事が一度でもあっただろうか。意図的であればさておき、本当に自分が望んでいる事があるのに行動を起こさず足を止め、相手に詰め寄る。これこそが、人間らしい思考を得られた一番の証明になるのかもしれない。先日小屋で仕掛けた葵の小さな発破は、見事目的を達して見せた訳である。


「…具体的に、何が不満なん?」

「へ……?」


それは、ソフィの成長を促す目的は当然として葵個人の興味が強く惹かれた故の質問でもあった。常に人外の道を駆け抜けてきたソフィが明確に提示した拒絶に近い感情。一体何がどうソフィの中で結論付けられればそんな回答が出るのだろう。…一体どんな感情を向けてくれた上で、今に至るのだろう。ほんの僅かな気恥ずかしさを頭の隅に押しやって投げ掛けた問いを前に、ソフィは分かりやすく困惑して黙り込んだ。戸惑いの視線をオルコスに向けても、ソフィの感情的な問題に対して他人であるオルコスが回答を示す事が出来るはずもない。他人に助けを求める、そんな行為を自ら無意識に行ったというのに、当の本人は気付くことなく唸るばかりだった。ソフィが見せた明確な変化を前に僅かに瞼を見開いたオルコスも、結局何を言う事もなく静かにエルフが人間へと近付く過程を見届ける道を選んだらしい。


「何が、って…不満、確かにボクは、不満を抱いている。でも……えぇ、どうしてなんだろう?」


誰に言われるでもない、自ら言い出した発言に対する理由が見つけられないソフィは未知の感覚に僅かに指先を震わせながら、それでも今認識している一番の問題点を口から吐き出す事に成功した。


「葵ちゃんが居なくなっちゃうのも、エトちゃんが不老不死じゃなくなっちゃうのも、世界にとって大きな損失…でしょう?」

「なんで?たかが人間の異世界人と、魔人の成り損ないやろ」

「なっ…!」


目の端を吊り上げたソフィは何か咄嗟に言い返そうとして、正解が見つからないことに気付いて喉元までたどり着いていた言葉を全て飲み込んだ。だって、その通りなのだ。ソフィにとって葵とチトという存在はあくまで自身の好奇心を満たしてくれる都合が良い生命体である筈だったのだから。今だからこそ、その認識が間違っている事は理解できた。けれども具体的に何がどう間違っているのか、間違っているのならば一体二人はどんな存在なのか、それがソフィには分からなかった。自分の発言に責任を持とうだなんて崇高な価値観を抱いている訳ではなかったが、一度や二度間違いなく自ら言葉に表した筈の二人の存在に対する認識は、エルフの根本的な思考回路から外れようと藻掻く今のソフィを混乱の渦に突き落とすばかりである。


「違う、二人は…その、歴史的に見ても絶対的な成果を残している。それは世界樹にとっても無視できない程に。そんな存在が無くなるなんて、やっぱり損失だよ、うん…そう、そうに決まってる!」

「反論させてもらうけど…まず、ウチは魔王討伐において何もしていない。これは紛れもない事実、魔王と一度だって直接的に対峙することはなかった。チト君だってそれは同じ。他に何かしたとすれば一夜でキーフを滅ぼしたくらい?少なくとも、歴史上好意的に名を残せる様な成果は、ウチもチト君も何もしていないと思うけど」

「、それ……は、」


どこまでも冷静さを崩さない葵の問いかけに、正しく反論する術をソフィは持たなかった。何一つ間違っていない言葉の羅列はソフィの内側を燻る不可視の感覚を刺激するばかりで、どうすればいいのかも分からず表情を歪ませるソフィは息苦しささえ覚える空間で視線を落とす事しか出来ない。分からないのだ。自分が何をどう感じているのか、何が言いたいのか、この不快感の正体は何なのか。


ふと、一切表情を崩していなかった葵の目尻が緩んだ。訳も分からずその変化に救いの感情を覚えて、その事実に混乱するばかりのソフィはそれでも葵と視線を合わせる。苦笑ともとれる曖昧な笑みを浮かべた葵は、一歩ソフィの傍へと踏み込んで完全に震えていたらしい指先を温めるように両手で包み込んだ。触れられて初めて自覚する、手が驚く程冷え込んでいた事実に目を丸くしていれば、葵は可笑しそうに肩を揺らして笑った。


「ソフィにとっては、どうなん?」

「ボクに、とって…?」

「だって、そうやろ?今のソフィは世界にっての損失ばかり気にしていて、自分の事は二の次やん。他の誰でもない、ソフィ自身にとって、ウチやチト君が居なくなるのはどう感じるの?」


温かい、確かに葵から問題解決へ続く鍵を与えられているというのに、一番最初にソフィが考えた事はそんな下らない率直な感想だった。葵の掌を通してじわりと指先から広がってくる温度が心地よくて、離したくないとすらソフィは思っていた。訳も分からず、理由を考える事すらしないまま温度に浸かるソフィの思考回路は静かに色を取り戻していく。葵やチトが居なくなったら、自分自身はどう思うのか。そんな事は、ソフィの中でずっと決まっていた。


「…嫌だよ。だって、寂しいじゃん」

「……それは、わたくしやヴィルさん、ルシエさんにアオイちゃんが寿命で亡くなるのと一体何が違うのでしょうか」

「え、ぇ…?寿命は、寿命でしょう?それは受け入れるべき定めで…あれ?」


静かに事の成り行きを見守っていたオルコスが不意に葵の言葉を補足するように疑問を投げかけた。弾かれたように顔を上げたソフィを前に顔を見合わせた二人はくすりと笑って再び視線の先を戻す。戸惑いながらも自分自身の本音と現実の狭間に折り合いを付けようと言葉を探すソフィの様子は、道理を教わったばかりの幼い子供とそう変わらないように見えた。ソフィが想定以上に人間に大きく近づいていた事実を身をもって理解した二人の脳裏には、対ソフィ専用に仕立てた作戦の成功率が大きく跳ね上がった事実が浮かんでいる。


「…ほんま、ソフィって人間初心者過ぎるなぁ。人って言うのはね、降って湧いた説明できない感情に支配される生き物なんやで?実際自分の感情なんて十分の一すら説明できない事が殆どなの。今のソフィが自分の感情に名前を付けられない様に、人間はだれしも言葉では表現できない感情を沢山抱えて生きている。本人にすら理解できていない物を、他人が理解しようなんておこがましいにも程があるんよ」

「身をもって…それは今、理解した」

「だから、ソフィが人間が知りたくて人間の感情を全て把握しようとしてきたのは間違いだったの。やられたら嫌な事、喜ぶこと、悲しむ事、怒る事。ソフィはそれをウチやチト君から学んだのかもしれないけど、それだけで人間が理解できた気になってた事に気付けたなら、やっと人間を理解する為の入口に立てたって思った方がええかもね」

「……むぅ」


葵の言葉をしっかりと最後まで聞いてから不満気に頬を膨らませたソフィは、それでも何一つ言葉を否定することはしなかった。葵の少々過激な発言を前に苦笑を浮かべたオルコスだって、何一つ間違いだと訂正する素振りは見せなかった。人間を理解することと人間に近付く事は違う。その大きすぎる意味の違いにソフィはようやく思い至ったのだろう。同時にこれまで自らが行ってきた言動が如何に無意味であったのか、その悔しさに思い至って今の反応を示している。もっと早く教えてくれればいいのに、そんな傲慢な感情は、言われたところで自分が素直に聞き入れただろうか、なんて素朴な疑問が見事に打ち消して空の彼方へと消えていった。


「ウチがどうして元の世界に還りたいのか。今のソフィなら、どうしてウチがその理由を上手に言語化できないのか分かってくれるやろ?」


もごもごと喉の奥で文句を言うに留めたソフィは、結局何も言わないまま葵の瞳を見詰めた。そこに迷いや遠慮、隠し事、厭味と言った負の感情は一切込められておらず、純粋でどこまでも真っすぐな色が見えた事実にどうしてだか無性に泣きたくなった。何故人間は幼児でもないのに涙を流すのか、その理由が行き場のない感情を吐き出す為の手段の一つであると理解できてしまって嫌になる。


「ウチはチト君の呪いを解きたい。それは、イブキの複製体と交わした約束であり、イブキ自身がチト君と約束を交わしたままこの世界を去った忘れ物でもあるから。母さんの代わりに約束を果たす…勿論この結論に思う所がない訳ではないけど、それでもウチは目的を達成すると決めた。自分の為に、自分がこの世界から去る事やチト君が呪いから解き放たれることになったのは結局のところ結果でしかないんやから」

「それでも…嫌だ、よ」

「嫌でいいの。ただ、ソフィがウチの気持ちを優先して自分を押し殺してくれるのか、ウチを望む方向へありがたーく導こうとするのか、それだけの話や」

「そんな単純な問題じゃ…」

「単純だよ、こんな程度の話」


葵の瞳は、矢張り冗談一つ混じらない何処までも真っすぐで凪いだ色を纏っていた。ソフィを煽りたいわけではない、ただ本心から現状の問題をあくまで単純だと言ってのけた。その発言に至ったのは、間違いなくこれまで彼女が歩んできた人生があったからこそのものなのだろう。沢山のどうしようもない課題と正面衝突し、苦しい思いをしてきた葵だからこそ、平気でその言葉を吐き出す事が出来た。これがオルコスであれば、決してそんな発言には繋がらなかっただろう。これが、人間。曖昧で、不確かで、碌な理論や推察の余地もなく、常に迷いと共に在り続ける短い一生を背負った種族。


「……ボクの望みを優先する、って言ったらどうするの?」


ある程度の決断を下した後に零した、最後の抵抗に等しい問いかけは改めて考えれば酷く身勝手で、残忍な内容だった。慌てて訂正を試みようといつの間にか明後日の方向に向いていた視線を葵の方へ戻せば、何とも言えない居心地悪そうな表情を浮かべていた為に呆然とするしかない。慌ててオルコスの方へ視線を向ければ、こちらもまた微妙な表情を浮かべて葵の回答を待っていた。


「えー…っと、想定と違う方向性で想定通りの内容を言われた訳やけど…一応、ウチの考えを提示させてもらうね?これは、ソフィだからこそ考慮できる可能性の話。……世界循環説に、賭ける事」

「…………、へぇ?」

「ウチが元の世界に還る最終的な決断を下せた理由も、ここにあるんやけどね」


瞬時に、人間らしい迷いと混乱に満ちた表情がいつも通りの掴みどころのない曖昧なものへと切り替わった。それだけ、葵の発言はエルフであり世界の調整者であるソフィとして、聞き捨てならないものだったのだ。世界樹が定めた仕組みを利用する、傍から聞いていれば到底許されるものではない。世界樹を中心に世界を動かす仕組みの全ては、あくまで人類から外れた壁の向こう側で作用しているべきものである。少し特殊な立場に在るだけの人間が決して触れていいものではないのだから。


「世界循環説…この世界は一定の周期で循環を繰り返し、全ての関係値は繰り返し利用されている。それが、どうしたのかなぁ?」

「嘗て魔王を討伐した勇者パーティーの三人、いつかトートに革命を起こすべく立ち上がった二人の子供達。どちらも、今のヴィル君やルシエちゃん、ルコちゃんの以前の姿やろ」

「……、認めよう。それで?」

「仮に、この世界がウチが元の世界だと仮定していたウチにとっての現代の過去の姿やとしよう。ウチは、オーフで色々な事情に巻き込まれた結果未来のルシエちゃん…探ちゃんと出会った。そこには、ソフィも居るって話や。……可能性に賭けるだけの価値は十分にあると思うけど?」


いつの間にか展開されていた防音結界は、オルコスだけを仲間外れに葵とソフィ二人だけの空間を作り出していた。その事実に気付いているオルコスは、それでも気にすることなく静かに窓の外側に広がる青空に視線を向けている。一方でソフィは、心底呆れた様子を隠しもせずに表情に浮かべて肩を竦めて見せた。


「仮にその新たな仮定が真実であったとしよう。けれどもその推察には大きな穴がある。それは、君だよ。嘗ての勇者パーティーに君はいなかった。…まぁ、魔王側に居たのは君のご親族みたいだけど。革命に挑む子供達と出会った頃共に行動をしていたのは君ではなく君の母親であるイブキちゃんだ。君は、君達一族だけは、常にその推察の外側にいる。未来で君と再会できる保証なんてどこにもない、君に会えなければ意味がないだろう?」

「……ソフィって、思ってた以上に熱烈にウチの事気に入ってくれとったんやね…」

「んな、今はそんな話してないんだけどぉ!?」


葵の本当に思わずと言った形で零れた率直な感想の意味に辿り着いたソフィが、反射的に頬を赤く染め上げながら身を乗り出した。葵の事は特別気に入っている。それは、珍しい異なる世界から現れた人間だから、特別な魔法陣を操る実力者だから、そんな上辺の理由ばかりではない事は最早周知の事実だった。それでも、気まずそうに頬を赤くしている癖にどこか小馬鹿にするような、誤魔化すような表現を他の誰でもない葵自身にされることは気に入らなかったのだ。けれども同時に、無意識で張り詰めていた自身の緊張の糸がふわりとほどけた感覚に思わず肩の力が抜ける。


不確定な未来、賭けなどと言う愚か極まりない人間だけが見せる愚行。そんなものに、悠久の時を生き世界樹の手足として世界を調整してきたエルフである己が、縋るなんて。


「そんな、何の証明も再現性もない非現実的な可能性に、ボクが身を委ねるとでも?」

「少なくともこのウチが、その可能性を信じて行動を起こすと決めた。人間は一生が短いからこそ、滅茶苦茶な可能性に賭けて生きているんやで?人生なんて、神が作る盤上遊戯の結果論でしかないんやから!」

「…盤上遊戯、ね。確かに全ての生命体は上位存在が定めた枠の内側でしか生きることが出来ない駒に等しいけれど…自虐でも何でもなく、本気でそれを見せつけられると何とも言えない気分にさせられるなぁ…。……でも」


にやりと口角を上げたソフィは、自虐の表情を見え隠れさせながらそれでも眉を下げて立ち上がった。同時に、展開されていた防音の結界が解除されて一気に外部の音が入ってくる。窓の外から聞こえてくる城内の喧騒、動物たちの声、風の音。不意に入り込んだ一筋の光は、ソフィだけを見事に照らし宙を舞う埃がキラキラと輝きを強くして見せる。人間離れした美しすぎる容姿とソフィの周囲だけを切り取ったような空間に、思わず葵は目を細めた。


「———実に、愚かな選択だ。失望せざるを得ないよ」


葵は何も言わない。ただ静かに、続く言葉を待ち侘びていた。突然のやり取りに目を見開いたオルコスの緊張感が高まる中で困ったように肩を竦めて笑ったのは、勿論ソフィの方で。


「…自分自身の選択に、ね」

「!…と言う事は、アオイちゃん…!」

「はっはーん、ウチの大勝利や!」


何一つ納得などしていない。それでも、人間に近付きたいと、人間をもっと知りたいと望んだのは自分の方だったから。だから、人間が信じる愚かな可能性の未来を、自分も信じてみようとソフィはそう考えたのだ。元より葵の意志を踏みにじるつもりはなかったソフィが探していたのは、自身の思考を否定するための一手だった。それが、賭けと言う滅茶苦茶な結論で強引に判断を下すに至った。本当に愚かな選択だと、今この瞬間もソフィの脳内を埋め尽くしているのはエルフとしての本能で。けれども、それを一切言葉にすることなくソフィはただ良かったと笑い合う二人の少女の姿を眺めていた。



「……これが、疲労なのかなぁ?」



無性に体力を消耗してしまった気がする。だらしなくソファの背凭れに体重を預けて座り込んだソフィは、窓の外から吹き込む一陣の風に長い銀髪を揺らしながら肩を竦めた。


評価やブックマークで応援して頂けると励みになります。次回も是非御一読下さい。

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