119話 エルフ攻略開始
オルコスの現実的過ぎる一番の問題提示を前に顔を引きつらせていた葵は、わざとらしいため息を吐き捨ててから顔を上げた。その瞳に映る感情は葵が他者に向けるかんじょうの中で最も平坦で、それでいて親しみが籠ったようなものにオルコスは見えた。二人の間だけに存在する不思議な関係性。親友と言うには距離間が遠く、けれども決して他人とは思えない表情を互いに見せ合う姿を何度か目撃している。果たして、葵自身はその細やかな違いに対する自覚を持っているのだろうか。
「…ソフィってさ、その気になればチト君の呪いに対する対処法も、そもそも解除だって簡単に出来るやろ?でも、これまで長い間一度だってそうしなかった」
「チトさんは…ソフィのお気に入りですから。それも、世界で一番の」
「そう。で、今のウチら…勿論ルコちゃんも、ヴィル君やルシエちゃんも、多分そのお気に入りの括りに入っとるんよね。勿論思いの大小はあるやろうけど…会話を間違えれば、永遠にこの世界に閉じ込められるんやろうなって」
「それは…、……否定できませんね」
葵の脳裏に浮かぶのは、余りにも怪しすぎた初対面から先日小屋で会話した頃までのソフィの姿だった。始めは似たような笑みしか浮かべない嫌味なエルフだったのに、いつからか人間的な感情の理解が始まって不器用に、それでも必死で適応しようと振る舞う様を前に何も思わなかった訳ではない。ソフィなりに真剣に葵達の事を考えて、与えられる情報を吟味して、それなりに過保護に守られてきた自覚は嫌でも持たざるを得なかったのだ。悔しかった。人間から程遠い存在の癖に、葵がこれまで接してきた家族を除くほとんどの人間よりもソフィは葵の事をよく見て、葵の為に行動を起こしてくれていた。滅茶苦茶なのに、それでも必死なのが伝わってくる。まるでこれまで一切子育てに関わってこなかった父親がシングルファーザーになって初めて子供との接し方に悩むような、そんな雰囲気を常に纏う様になったのは一体いつからだったか。
人間とは程遠い愛の形を惜しまずぶつけられて、絆されて。冗談抜きで、葵の存在を閉じ込めかねない言動をとっているのが今のソフィなのだ。絶対に選択肢を間違える事は出来ない。下手すれば乙女ゲームでいう所のメリーバッドエンドにでもなりかねない時限爆弾である。オルコスもその実態を理解しているのか、微妙な表情で葵の意見を肯定するしかなかった。
「……アオイちゃんは、元の世界に還りたくないのかと思っていました」
「その考えは何も間違ってないよ?ウチはこの世界に居る方がずっと息がしやすいし、皆が居てくれるから独りじゃないし。でも…チト君の呪いだけは、ウチが解きたいの。それは、イブキの…母さんの複製体に残されていた最後の意志と交わした約束でもあるし、元は母さん自身がチト君と交わした約束でもあったから。親の尻拭いなんて言うつもりはないけど…まぁ、それに近い気持ちもなくはない、かな」
時折言葉に詰まりながらも、葵ははっきりと心の内を明かした。今のチトが存在するに至った一番の理由である嘗ての呪いは、どうにか葵自らの手で打ち払いたかった。母親の遺言だからと言う思いがない訳ではない。でも、それ以上に葵には自らが犠牲になってでも動きたい理由があったのだ。
「それにね、ウチはチト君にちゃんとお礼がしたいの。だって、誤召喚したのは母さんのせいやったし、苦い過去を刺激するイブキそっくりのウチに対してチト君は極普通の生活が出来るように取り計らってくれた。人間嫌いを謳う口でウチに魔法を教えてくれて、この世界の規則や常識を叩きこんでくれて。学校に通わせてくれて、誕生日まで祝ってくれた。魔王と戦った時やって、自分の事で手いっぱいだった癖に庇ってくれたんやで?…そこまでしてもらったウチに出来るお礼なんて、チト君の呪いを解除する事くらいしかないんだ」
話が進むにつれて瞳はキラキラと輝きだし、どこか高揚した葵は一息でチトから受けた恩を全て並べて見せた。葵はチトの事を好きになった。それは、しかるべき理由があったからこそなのだ。そして、正しく理由があったからこそ葵はその事実を受け入れるに至る事が出来た。葵にとってのチトは救世主であり、英雄であり、師であり、そして家族なのだ。異世界にたった一人で放り出された少女が長らく一人の異性と行動を共にして、何の感情も抱かない訳がないだろう。勿論、葵の恋情はそんな単純なものではないのだが少なくとも今の葵は、自己分析をそう纏め上げて満足していた。会話の最中でオルコスは葵が漠然と勘違いしている事実に辿り着いていたが、口は紡いでおくことにする。想定外の方向とは言え自分の意志を受け入れる事が出来た葵に余計な水を差すつもりはなかったからだった。だから続けたのは、葵の揺らぐ様子が一切ない結論に対する反論だった。
「そんな事ありません、チトさんがアオイちゃんを受け入れたのは相手がアオイちゃんだったからです!結果としてチトさんは共同生活を選びましたが、オーフの上層部に預ける事だって、ソフィに託す事だって、選択肢は幾らでもあったのですから。だからそんな…悲しい事、」
「あるよ」
「っ…」
オルコスは、真っすぐな瞳で言い切った葵を前に結局言葉の続きを紡ぐことが出来なかった。本質が似ている二人は、思考回路の方向性も良く似ている。求められた存在であり続ける事を一番とするが、自分自身の中で紐づけた結論を曲げる事だけは絶対にしないのだ。オルコスであれば死にたくないという意思、一方の葵はその場で一つの出来事に対して一つの結論を作る。今誰かに何かを送ると決めた。ならば絶対に押し付けてでも渡して見せる。そう考えるのが葵の性格だった。理解できてしまうのだ。葵がチトに恩返しする手段がそれしかないと結論に達したのならば、その考えを覆す事は絶対に不可能だろうと、そう嫌でも納得するしかなかった。だから、不毛な会話は捨てて次の議題に映る事を決める。オルコスだって、揺らがせたくない意思がある。それが明確化してどうにもならなくなる前に、せめて話を逸らすくらいは許してほしかった。
「ソフィの説得は…わたくしも協力いたします。ですが、勝算はあるのでしょうか?」
「…んー、考えてはきたんやけど…それは大博打って言うか?今のソフィやから、通用するかもって可能性がある作戦なだけで、無意味な可能性も大いにある、みたいな感じなんよね」
「珍しく煮え切らない態度ですね?一体どのような案を考えたのですか?」
「今回ばかりは理論から遠く離れた話になるからね…一応、ソフィに対して―――」
「———と、言う話ですか?…それは何とも確かに、効果があれば抜群、なければただの無意味な博打に等しい話ですね。ですが、それしかないと思います」
「でしょー?」
葵の立てた計画を始めこそ軽い気持ちで聞いていたオルコスだったが、結論が出るにつれてそれはオルコス自身もソフィの反応に強い興味を惹かれるそんな内容である事を知る。改めて脳内で転がす作戦は、相手がソフィであるからこそ何処までも未知数で、試す価値が高いと思えた。真剣な話でありながら僅かな期待を隠し切れなくなっていたオルコスは敢えて大きな深呼吸をして、気合を入れ直すべく頬を叩く。目の前で驚いた様子の葵が僅かにのけ反る姿をくすりと笑って、勢いよく立ち上がった。
「わたくし、ソフィを捕獲してきますね!」
「…うん、任せた!」
「はい!」
先程までのどうしても拭えなかった心の奥底を読み合うようなやり取りは一切取り払われた。元気いっぱい無邪気に笑みを浮かべた葵と、どうしてかぽんこつ感が否めないオルコスは互いに頷き合い、いつの間にかオーフの城に辿りついていた馬車から飛び降りて意味もなく走り出した。
―――
「今の葵ちゃんと話す事はなにもないよ」
「…わざわざ本人を目の前にしてそれ言う?」
「も、もう…ソフィ…!」
開口一番の一言に、思わず半目になった葵は現状に至るまでのやり取りを思い出すことしかできなかった。
オルコスの後をついて豪勢な談話室に案内された葵は、ソフィを探してくると気合十分なオルコスの後ろ姿を見送りながらぼんやりと先ほど見せてもらった真実の愛に関する使用の内容を思い出していた。
御伽噺染みた魔法の存在に対する生き証人であるチトは、以前この国に葵達の保護者として訪れた際どんなことを考えていたのだろうか。矢張り、過去は過去でしかないと諦観していた?それとも、未だに心の奥底では一種の母国であるオーフを恨んでいるのだろうか。少なくともオルコスに対して負の感情は一切ないように見えるが、それだって表面的に見て分かる情報であって、誰もチトの心の奥底にしまい込まれた本音を知る事は出来なかった。
ご丁寧にも発動を始めた瞬間から対象者をその場の座標に固定する文言が組み込まれていた発動用の魔法陣は、嘗ての製作者が残した執着の重さを見せつけられているようで妙に居心地が悪い気分になってくる。そこまでして魔法を作り出し、自らの命を懸けてでも永遠の命を与えなければならない状況とは一体どんなものだったのだろう。
「例えば、将来を誓い合った王子様とお姫様が居たとする。ある時王子様が瀕死に陥ってしまった。そこでお姫様は、自分の命を犠牲に王子様を生かそうとして魔法を発動させた。…これなら王子様が拒むことを想定して文言を組み込んだのは納得できるかも?他には…国家転覆の危機によって国王が次代を継ぐ王子を生き永らえさせるべく魔法を発動させ、復権を望んだ…なんて可能性もあるか。あの資料には発動例は記載されていても魔法の開発者についての情報は一切なかった。研究資料の一端って感じやったし」
馬鹿馬鹿しい与太話だ、そう言い切るにはこの世界は夢と希望で満ち溢れていた。勿論世界樹が取り巻く影は在れど、基本的にこの世界を生きる者たちは勇者や魔王、聖女と現代日本で言う所のファンタジーや御伽噺に値する歴史を事実として歩んできた過去があるのだ。魔法の発動例だって、捉え方によってはチトの一件ですら愛する魔王の為に聖女が自らの子を共に在り続けるべく残したと言う事にだって出来るのである。
「行き過ぎた愛は結果として呪いにしかならないけど…この魔法を使用する理由は確かに存在したのか」
適当に並べただけだった筈の可能性立は存外間違っていない様な気がして、無意識で宙に向いていた視線を用意された紅茶に落とす。始まりは本当に壮大な愛の末路だったのかもしれない。それがいつからか執着へと変貌し、結果禁忌として扱われるまでに至った。矢張り、生まれながらに悪と称されるものなど何処にも存在しないのかもしれない。葵だって現代日本ではある意味悪の象徴として扱われることも多々あったが、家族が生きていたころは……、
「アオイちゃん!ソフィを無事捕獲しました!」
「…ボクは動物か何かだと思われているのかなぁ??」
慌ただしく飛び込んできたオルコスと強引に腕を引かれて駆け込んできたソフィの姿に、深く沈みかけていた葵の思考は突如大量の空気を浴びせられたように吹き返した。入口の方へ視線を向ければ、まるで投げたボールを加えて帰ってきた大型犬のように得意げな様子のオルコスと、どこか気まずそうに困った表情を浮かべたソフィの姿がある。なんだか非常に面倒な気配を感じた葵はひっそりため息を吐きながらも、敢えて紅茶に口を付ける事で冷静さを取り戻す事に成功した。
渋々と言った様子でオルコスに導かれるまま葵の正面のソファに腰を下ろしたエルフ様は、不意に態度を悪い方向へ崩して葵の事を睨みつけた。そして冒頭に戻る訳だが。
―――
「まさか自らボクの前に現れるとは想定していなかったよぉ。てっきり、誰かがしびれを切らして強引に顔合わせの機会を作るものだと思っていたからねぇ。良く逃げなかったねぇ、偉いじゃん」
「……あ、アオイちゃんはソフィに一体何を告げたのですか?」
「う、うーん…」
分かりやすく煽り口調を取ったソフィは、オルコスが僅かに引き気味で問いかけてくる通り出会ったばかりの頃のように葵を見定める様な刺々しい視線を向けてきていた。敢えて言葉の節々に棘を混ぜて、まるで葵を意図的に怒らせようとしている様にも思えるそんな酷い態度である。一方で、それ以上にソフィが醸し出す雰囲気はどこか既視感を覚える者であった。オルコスもそれに気付いたのか、困惑した表情で二人の顔を交互に視線で追っている。恐らく自分が何かを言わなければ進展しないだろうと理解した葵は暫く言葉を探して、ようやく口から出たのは気が抜けた一言だった。
「ソフィ、怒ってる…?」
まるで叱られた子犬の様な、雨の日に捨てられた子猫の様な、葵自身無意識で零れ出ていた弱々しい視線と声音を前にうっと唸ったのは果たしてソフィだったか、それともオルコスだったか。兎も角そう小さくない慎重でありながら肩を竦めて見上げてくる様子や潤んだ瞳は、断固会話拒否の姿勢を取るつもりでしかなかったソフィの決意を揺らがせる事に成功したらしい。心底悔し気な表情を浮かべたソフィは、それでも返事すらもらえないのかとさらに落ち込む葵を前に慌てて口を開くしかなかった。
「も、もぉ…そうだってこの前も言ったでしょ!」
両手を握りしめて身を乗り出す。本当はソフィはこの場で本気で葵と会話するつもりがなかったのだが、こうなってしまえば仕方がない。頬を膨らませ、瞳は不機嫌そうに細めて。オルコスが拗ねる時と似ているが、意図的に真似をしている雰囲気は一切感じられない。つまりソフィは今、
「………人間、みたいやね?」
「何言ってるの!そんな事今はどうでもいいからぁ…兎に角ボクは反対だからねぇ!ルコちゃんは上手く言いくるめたみたいだけどぉ…ボクはエトちゃんの呪いを解く事も、葵ちゃんが元の世界に還る事も、全部ぜーんぶ許さないんだから!」
「あらまぁ…」
緊迫していた筈の談話室の雰囲気が一気に変わる。頬に掌を添えて困った子供を見る様な表情を浮かべたオルコスが零した気の抜けた一言は、運よくソフィの耳には届かなかったようだ。まるで駄々をこねる幼児の様な反応。先程までそれなりに落ち込んでいた筈の葵ですらぽかんと口を開けてしまうような大きすぎる変化。ソフィは確かに、怒っていた…否、拗ねていたのだ。
評価やブックマークで応援して頂けると励みになります。次回も是非御一読下さい。




