118話 価値観
「わたくしはずっと、死にたくなかっただけなんです。だからこそ…自らが懐に迎え入れた大切な友人が、意図も容易く死を待ち侘びる現状を平気で笑い飛ばすのがどうしても許せない」
記憶の再生を終えたオルコスは、真っすぐに葵の瞳を射抜いた。真剣で息苦しささえ感じられる表情の奥には、確かな怒りの感情が見え隠れしている。そんなものを一身に向けられた葵は苦笑を浮かべる事しか出来ないまま、つい先ほど見せられたばかりのオルコスを取り囲む過去の物語を脳裏に浮かべていた。
だって、葵はずっと死にたかっただけなのだ。
現代日本において存在しているだけで他人の迷惑になっていると理解してしまっていた葵は、自らが死ねば猶更周囲に迷惑を掛ける事が分かり切っていたからこそ一歩を踏み出すまでには至らなかった、それだけの話である。それでもようやく区切りを付けようと決心を固めた矢先に、この世界に召喚されてしまったのだ。この世界に来て以降、葵を取り巻く環境は彼女の死を後押しする程希薄だった。チト以外誰とも関わり合いがない世界で、葵の認識に並行している迷惑と言う概念は大幅に減少したと言っても過言ではない。結果的に死を選ばなかった理由は、単純に葵を元の世界に還すと誓い魔法陣の研究を進めるチトがいたから…本当にそれ以外理由はなかった。……勿論、最近は新たな理由が加わっていたのだけれど。
色々と説明すべき点は多いが、元の世界に還った葵は孤独を取り戻す事になる。誰一人葵の存在に価値を覚えて等いないだろうし、隣に居てくれる家族や友人など存在しない。人間は独りで生きていけない事は当たり前の話で、だからこそ葵は週の人間に無数の迷惑を重ねていく事になる事は明白で、尚且つ高校生の身分に戻れば行動できる範囲だって世間一般的な認識を前に大きな制限がかかるのだから。
「…そう、やね」
一体何対する相槌だったのか、それとも自分自身へ向けた納得の言葉だったのか。ぽつりと葵の口から零れたのは、そんな要領の得ない一言だった。それでもオルコスは決して馬鹿にしたりはしない。ただ、続く言葉を静かに待ち侘びていた。釣られる様にオルコスの真っすぐな蜂蜜色の瞳を射抜いた葵は、脳内に浮かんだ自分と彼女を結ぶ共通点をそのまま口にする事を決める。彼女の話を聞いて、自分の事を思い出して、どうしても同じ扱いをせざるを得ないものだったからだた。
「ウチとルコちゃんの本質は結局のところ同じ。自分の意志で回りに流されて、誰にとっても都合が良いようにされるがまま生きてきた事。望まれる姿を作り続けた事。自分自身にすら嘘をつきすぎて、何が本当の自分なのか曖昧になってしまっている事。……でも、生死に纏わる感覚だけは、正反対だったみたいやね」
「わたくしは、死にたくなくて…アオイちゃんは、ずっと死を求めていた。いや、死ぬ為の理由を、求めていたのでしょうか」
「…そんな事言うけど、ルコちゃん魔王討伐の時ルシエちゃんと集団自殺しようとしたことは聞いとるからね?」
「そ、それはっ!うぅ…それは、ある程度死者蘇生の魔法が発動可能である前提条件の書くんんが取れていたからであって、自殺とは全く異なる意味合いを持ち合わせていたんです!いくらわたくしが死にたくないと思って生きてきたからとて、魔王討伐の際は流石に死の覚悟だって整えていましたよ?」
自分で作り出した筈の堅苦しい空気をどうにかしたくて、オルコスが見抜いた葵の価値観の真相を前に被せるように避けにな言葉を挟んだ。それが意図的なものだと理解していたオルコスは、それでも発言を聞き流す事は出来なかったらしい。先程までの何処までも人間らしくて、それでいて聖女らしかった姿は一変して瞳をくの字に細めた彼女は慌てた様に言い訳を並べた。こういう所が聖女らしくないんよなぁ、なんて事をぼんやりと考えていた葵は、彼女の口から零れた聖女とは程遠くとも流石はソフィに気に入られるだけであるネジが数本外れた発言を聞いて思わず瞳を細める事になる。
「それにですよ?あの場所で死んだ場合なら魔王討伐に挑んだ勇者パーティーの一員として正式に歴史に名を残す事ができたんです。他の兄弟姉妹達の様な無意味で無価値な死からは程遠いんですから…一緒にしないで下さい!」
「うっわ…ほんまイカレとるよな、ルコちゃんって…」
「な、なんでですか!?」
重苦しかった空気はは、完全に吹き飛ばされた。頬を膨らませて拗ねるオルコスを適当に宥める葵は、これ以上不毛な言い争い続けるつもりがないと意思表示を示していた事を未だ不満気な聖女様も理解してくれたのである。最初は反射的に葵の常套手段に乗せられてしまっていたオルコスは僅かに悲しそうな瞳を揺らがせたが、結局葵の願いを汲み取る事を決める。自分だって、長らく考え続けてきた根本的な意思を覆してほしいと突然他人から言われてそう簡単に変えられないだろう事実は理解していたからだった。
寂しそうに視線を泳がせたオルコスを前に、本当は一切言うつもりがなかったとある結論を言葉にする事を決めた葵はオーフに出かける前ヴィルから言われた話を思い出していた。自分の言葉で伝えてこい、そんな事をあの男はまるで葵の事など全て見透かしたかのように言ってのけたのだ。悔しいかな、ヴィルの想定通り葵は結局ルシエにも、オルコスにも、敢えて濁していた未来を自分の口で説明する羽目になっている。これはもう、残る二人も似た末路を辿る事になるのだろう。無意識で肩を竦めた葵は、僅かに居心地が悪いそうなオルコスの方へ掌を伸ばし、その綺麗な掌を握った。
「アオイちゃん…?」
「確かに、チト君の呪いを解いた結果ウチが元の世界に無事還れる保証はどこにもないけど…、仮に上手くいった場合ウチはそう簡単に死ぬつもりはないよ」
「へ?」
誰も彼も、葵に対する理解が不足している。葵だって元は自殺志願者だったが、今でもそうだなんて一度だって口にしていないというのに。それでも、皆が元の世界に還れば自死を選ぶだろうと一方的に決めつけてくる。少しだけ、不満だった。自分に対する周囲からの理解度が高いと言うべきか、浅いと言うべきか。何とも言えない現状を前に、たった一つ、葵だって変わる事が出来ると言う前提条件を忘れ過ぎだ。
「私ね、—————って考えてるの。もし失敗したら…そうだね、哀しくて死んじゃうかもしれないけど、でも、私なら案外どうにかできそうって思わない?」
葵の口から飛び出した未来の話。ずっと息苦しそうな表情を浮かべていたオルコスは、思わずその綺麗な瞳を瞬かせてその意図の理解に辿り着いた瞬間、葵によって包まれていた手を逆に包み返して勢いよく詰め寄った。僅かに引いた様子で肩を揺らした葵の様子も気にすることなく、気を抜けば額同士が触れ合ってしまいそうな程の至近距離に迫ったオルコスはもう必死だったのである。
「ど、どうしてそのように考えてくれたのですか!?わたくし、えっと、その…とても、良い考えだと思います…!!」
「……あは、ここはリップサービス…じゃなくて、いやまぁ外来語の解説はいいか。取りあえず、ルコちゃん達が居たから…かなぁ?今のウチに求められる価値は魔法しかない。地位も、名誉も、立場も、何もかもが曖昧なのはこの世界でも…元の世界でも一緒。だからこそ…世界を通してウチを必要としてくれるこの世界の事、結構好き…なんやで?」
「アオイちゃん…!」
自分の発言が恥ずかしくなった葵が僅かに頬を染めて視線を逸らすが、そんな事気にも留めないオルコスは更に葵に近付いた。今度こそ額同士が触れ合った先で伝わってくるのは、僅かな興奮によって高まったオルコスの温かみ。そんな咄嗟の触れ合いが、どうしようもない程に温かくて、苦しくて。妙な居心地の悪さに身を捩ればようやく状況に気付いたらしいオルコスが掴んだ手はそのままに顔を話してくれる。それが…無性に寂しくて。突然自分の内側に秘めた感情ばかりが騒ぎ出した現状に困惑しながらも葵はどうにか会話を続けた。寧ろ、ここで続けなければ余計な事を言ってしまいそうで怖かったのだ。
「で、でも!ウチの一番の目標は、チト君の呪いを解く事。その為には…この世界に居続ける事は多分不可能、やろ?ウチやって色々考えたけど…信じてみたいと思えたんだ、元の世界の事も」
「わたくしは…上手くいかなくても生き続けて欲しいですけどね」
「それは無理、絶対耐えられないって分かっとるし」
慣れない他者との密度が高い接触に頬を染めながらぶっきらぼうに答えた葵を前に、オルコスは自分自身で取った行動に内心酷く驚いていた。例え一時の感情が高ぶったからと、他人とここまで距離を詰めて会話するなんて彼女だって初めての経験だったのだ。それも、自分から一方的に。確かに葵は居心地悪そうにしていたというのに、気にすることなく寧ろ更に距離を詰めさえした。それが、一切不快じゃなかったどころか温かくて、心地よかった。今だって繋がったままの葵の掌方伝わってくる体温を離したくない。果たしてこれは、ソフィが相手でも同様の効果を得られるのだろうか。ルシエなら、ヴィルなら、チトなら。…きっと、違うのだろう。世界で唯一、同族と言う事実のみで互いを晒し合った相手だからこそ、言わば悪友に等しい理解が定まった葵だったからこそ、感じられたものなのだ。そう、思いたかった。
「……ふふ、とっても不思議ですね。嘗ては都合が良い第三者だと認識していた相手が、今では最も隣に居たいと思える大切な友人の一人に大出世しているのですから」
「へぇ?ウチ一番とちゃうんや」
「わたくしが一番じゃない相手から理不尽に一番を求められるのも考え物ですね」
「しまった、墓穴やったか」
素直にやばい、と表情を露わにする葵は明らかに普段の無邪気一心の彼女からはかけ離れた姿だった。それでも何も気にしないオルコスが返した手痛い一言に今度こそ普段の調子を取り戻した葵がわざとらしく視線を逸らし、ついに結ばれていた互いの掌は離された。真面目な話はここまでだ、と今度こそ完全な区切りがつけられた瞬間である。それが確かに寂しくて、けれどもいつも通りのやり取りとして受け入れられる自分が可笑しくて、言葉もなく小さく笑い合った二人は、改めて姿勢を正し椅子に座り直した。
先程までの緊張感からは多少解放されたのか肩の力が抜けたオルコスは、杖を一振りし古い用紙に古い言語が描き重ねられたものを呼び出した。そのまま葵の正面へと運べば、丁寧な手つきで静かに受け取った葵は視線を落とす。
「……これが、お望みの資料です」
時間を掛けて読み込まずとも表面的な結論だけで十分だった。葵が立てた予想通りの流れを汲んだその内容に小さく頷けば、僅かに困ったように眉を寄せたオルコスは説明を始める。
「オーフ固有の現在禁忌指定された魔法、その名も”真実の愛”。これが、チトさんを世界へ留める枷となった呪いの正体です。チトさんはついにこの真相に辿り着けなかったのか…もしくは、知っても尚自分にとっては無価値だと決めつけていたのか。兎も角、この魔法を解除する為に必要な鍵は単純明快。”真実の愛”の力が発動条件である魔法です、呪いを受けた者に対して発動者が向ける揺らぐ事ない”真実の愛”さえあれば、簡単に解除が可能なのですよ。…最も、愛を呪いだと考えているチトさんでは、到底理解できない結論でしょうけれども」
苦笑気味のオルコスが口にした資料内容の要約を受けて、葵は再び頷くだけに留めた。正確には、何をどこまで言うべきなのか迷いが生じたのである。パラパラと連なる用紙を流し見た葵はこの魔法が作り出された背景を読み取っていく。想定していた通りの内容に、思わず肩を竦めた。
「魔王討伐に向かう聖女や聖人が無事自国へ帰ってこれる様に作り出された特別な魔法、か。でも、チト君のお母さんたちの代の勇者パーティーでは使われなかった魔法なんよね?」
「そうですね…チトさんの母親の立場に在る例の聖女は、政治的に難しい立場に居た方だと聞いています。自らの命を課すことが条件の魔法ですから…大抵は、対象者の母親や兄弟姉妹が発動を受け持つものですが、彼女には心からの愛を向けてくれる相手が居なかった。……だからこそ、魔王の寵愛を求めるに至ってしまったのかもしれませんね」
「ふぅん…そっか」
資料をオルコスへと返した葵は、ぼんやりと記録で見たチトの母親の姿を思い出す。葵が見た記録の時点で既に彼女は壊れてしまっていたが、それでも不器用に息子を愛そうとする認識は確かにあったのだろう。だから、チトはこうして今を生きているのだから。愛を知らないからこそ、間違った愛を抱えて間違った愛で息子を苦しめる結論に至ってしまった。誰も悪くないとは言えない。少なくともチトにとって、母親と言う存在は完全な加害者なのだろう。それでも…チトにだって、彼女に愛された記憶が一切残っていない訳ではないのだろうから。
「ウチは、チト君の事が大好きやで。勿論、愛してる。それは恋心であって、家族愛でもある。魔法の発動条件を満たすには多分十分やと思う。そうなると問題は…」
「チトさんが大人しく呪いの解除を受け入れてくれるのか…そして何より、最古の生命体であり世界の調整者と言う役目を背負うエルフ、ソフィの反応でしょうね」
溜息と共にオルコスの口から吐き出された、頭の痛すぎる一番の問題を前に葵は思わず引きつった笑みと共に遠い目を浮かべる事しか出来なかった。
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