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115話 オーフ


「———死んでしまえ!」

「殺してしまえ!」

「面倒な者は全て消してしまえ!!」


自我を意識し始めた頃には、既に次期オーフの頂点を決める後継者争いは激化の一途を辿っていた。連日のように話した事もない多くの兄弟姉妹が姿を消し、物言わぬ姿になって発見される。昨日食事の席を共にした少女が、草木を眺めて笑っていた少年が、気付いた時には初めから居なかった者として扱われていたのだ。勿論、時には今の今まで行動を共にしていた兄弟が儚くなる時だってあった。


猛毒に聖属性魔法が間に合わず苦しみ藻掻く兄弟が助けを求めて伸ばした手を、決して取ってはいけないと理解していた。少しでも有力である事が発覚してしまえば、聖人の血を引くだけの無力な子供はたちまち後継者争いに手を上げた厄介者として抹殺対象に加われてしまうから。自分の意見や率直な感想は決して口にはしなかった。一定の知力があると知られれば、権力を求める愚かな家臣たちによって瞬く間に傀儡候補にされてしまうから。


だからこそ、オルコスは常日頃から誰からでも都合が良いお行儀だけは整った人形であり続ける事を選んだ。自我の一切を押し殺し、どんな相手を前にしても変わらない態度を貫き、手を引いて連れ出されればされるがまま。誰の味方でも、誰の敵でもない幼い少女はその客観的振る舞いに見合わない高い思考能力を持って進めた目論見通り、いつからか誰にとっても都合が良い存在としてその場所に存在することを許されるようになっていたのだ。


水面に浮かぶ落ち葉のように、只管に流され続けるオルコスの中には常にたった一つだけ絶対に曲げられない意思が存在していた。


―――それこそが、”死にたくない”事である。


高い地位も権力も何もいらない。次期聖女なんて絶対になりたくない。彼女の中を渦巻いていた思いはたった一つだけ、目の前で無様に転がる家族だった筈の者たちの末路が、ありもしないさぞ聞こえの良い架空の功績を与えられた栄誉ある終幕を迎えたかのように創作されていく事。即ちまるでゴミのように、適当に処分されていくだけの無価値な存在にはなりたくないと、その一心を決して捨てる事無く抱え続けてきたのだ。


己が持ち合わせた聖属性魔法の実力が、他の兄弟姉妹に比べて圧倒的で卓越している事にオルコスは気付いていた。そして、この能力が周囲に露呈すれば自身の命など己の立場を危ぶまれると一方的に子種をまき散らした加害者である筈の父親、つまり当時の聖人が勝手に恐れて抹殺対象に加えるだろう結末を、正しく理解していたのである。


神に愛された特別な力を持っている筈なのに、目の前で事切れた兄弟たちと同じような結末を辿るなんて信じたくない。こんな腐りきった箱庭の世界で、下らない権力争いの末端に一生を消費されるなんて許せない。


子供特有の思考なのか、それとも選ばれし者だからこそ得られる思考能力だったのか。己の身だけが兎に角可愛く、何より優先されるべきであると無意識に働く思考は、処分を待つ兄弟の末路を何とも思わない残酷な思考が入り混じっていつの間にか数多の意味を超越した”死にたくない”へと昇華されたのだろう。勿論この結論に辿り着かなければオルコスは既に目の前の兄弟たちと同じ結末を辿っていた事は想像するまでもない。悪運強く生き延びてきた少女こそが、オルコスと言う存在の真実だった。



―――



皆で神へと祈りを捧げよう。


まだ10にも満たない年の頃、何番目かも分からない姉に誘われてオルコスは町外れに作られた薄暗い教会を訪れる事になった。中には既に複数人の兄弟姉妹が跪いていて、各自が祈りを始めている。同様に膝をつき、祈る価値などないと誰もが気付いている世界の神と言う名の架空の存在に向けて、オルコスは祈りを捧げる姿勢をとった。


「……??」


いつの間にか意識が遠くへ飛んでしまっていたらしい。喧騒に僅かに眉を寄せてゆっくりと閉じていた瞼を開けば、周囲は名も知らぬ兄弟姉妹達に囲まれていた。何を言っているのだろうか、無意識に聞き流していた言葉たちを受け入れるべく疑問を示す様に小首を傾げれば、一際背が高い兄から罵られていた。どうやら日頃の後継者争いで溜まりに溜まった不満をぶつけるはけ口にされているらしい。時折こういった機会があるのだ。オルコスは常に自ら口を開く事はなく、余計な事は絶対に口にしない事を後継者争いが激化す国の中でそれでもある程度の年まで生き延びた兄や姉たちは良く知っている。事実、少なくともオルコスはこの場でぶつけられた不満や悪口を受け止めて、それ以上どうにかするつもりは一切なかったのだから彼らの判断は正しかったのだろう。


周囲の目がない瞬間を見計らって、彼ら彼女らは自らが溜め込んだ不満を発散しようと動いた結果がオルコスと言う少女に全てをぶつける事だった。この際だけは後継者争いの立場も忘れて、ただ只管に文句を吐き出し続ける。仲が良いのか悪いのか、居合わせた者同士が喧嘩になる事は意外にもなかった。多少暴力を受ける事もあったが、腐っても聖属性魔法を使えるオーフで後継者争いに自ら乗り出した者たち。回復魔法を最後にきっちりかけてくれるので何の問題もなかった。いくら何でも、聖属性魔法以外碌に取柄のない少年少女たちに付けられた傷程度であれば誰でも回復させる事が可能だったことも功を成したのだろう。生き残った兄姉たちは揃って、大した聖属性魔法の実力を持ち合わせていなかったから。



―――わたくしに言ったところで、何の意味もなさいのに。



彼女がされるがままだったのは、後継者争いに巻き込まれない兄姉の都合が良い人形と言う立場を保つ為。そして面倒毎に自ら首を挟む趣味が無かったから、それだけだった。ぼんやりと脳裏に浮かべた呟きに意識を傾けつつ未だ止まない支離滅裂な不平不満を聞き流していくオルコスは、祈りの姿勢を崩すことなく時が過ぎる瞬間だけを静かに待ち続けていた。



そんな日常を切り裂いたのが、偶然…否、意図的に作り上げられたのかもしれないそんな刹那に現れたエルフの存在だった。



気が付いた時には永遠と続いていた罵詈雑言の言葉たちはぱたりと途切れ、そんな違和感に伏せていた顔を上げれば自らを取り囲んでいた筈の兄姉たちは皆揃って首から上が丁寧になくなっていた。


べちゃりと奇妙な音が聞こえて素直に視線を落とせば、つい先ほどまでは繋がっていたのだろう首から上が乱雑に落ちている。謎の一撃から逃れた他の者たちが怯えた様にその場から逃げようと藻掻くも、一人…また一人と不可視の魔法によって首から上だけがきれいさっぱり落とされていった。


…嗚呼、死にたくない。


反射的に自らの根源を思い出したオルコスは、平然とした様子に思わず助けを求めるよう縋ってくる兄姉たちに目もくれず自らの杖を呼び出し握りしめた。自分一人だけを守る最小限でありながら最大限の効果を発揮する防御専用の結界魔法を展開し、小さく息を吐きながら周囲を見回す。杖を強く握りしめて最後の姉が助けを求めながら崩れて落ちていった様子を妙皆下げに眺めていた事に気付かれていたらしい、何処からともなく聞こえた笑い声に忘れかけていた緊張感が一気に蘇った。


「ふ…あは、あっははは…!なぁに、君。どうして自分だけを守ったんだい?他の人間たちが助けを求めて逃げ惑う中で、君だけが自分だけを守る選択をとった。聖なる国オーフが腐っている実態を見に来るだけのつもりだったんだけどぉ…君はどうやら段違いに愉快な性格をしているみたいだ!」


現れたのは、長い銀髪を揺らす酷く美しいエルフだった。全世界でその数を目減りさせており、尚且つ人間との交流を全力で拒む孤立派の種族であるエルフは現在その姿を見る事さえ難しいとされている。ましてや、他国の人間を迎え入れた振りで厳しく取り締まっているオーフの、それも政治関係者達の目も薄い町外れの教会に現れる等明らかな異常事態だった。全力で抵抗しても意味を成さないだろうと頭では理解していながら、それでもオルコスは無意識の内に結界魔法に込める魔力を増やした。見定める様な瞳に射抜かれて僅かに身を竦めたオルコスがどうにか吐き出したのは、存外率直な感情だけである。


「…しにたく、なかったので」

「死にたくない、かぁ…へぇ?たったそれだけの為に君は自らの自我を抑え込み、物言わぬ人形として後継者争いの日々を生き抜いてきたのかい?ふむ…誰よりも人間臭い根本意識を持ちながら、人間から程遠い振る舞いを選択するだなんて…あぁ、最高に興味深い存在だねぇ!」


口にしてから、何を言っているのだろうとオルコスは自分自身を自嘲した。別に今だって、目の前のエルフから何かしらの返答を求められていた訳ではなかったのだ。エルフは一方的にオルコスを見て、何かしらの情報を勝手に読み取っていた。わざわざ言葉を発する理由も、それどころか本心を口にする意味なんてどこにもなかった筈なのに。それでもオルコスは、エルフに対してその意志を告げた結論を間違いだとは思わなかった。事実、口角を数段上げたエルフは心底楽しそうにオルコスの発言を舌先で転がしては嗤っている。ふと、何かを思い出したようににんまりとこれまでとは一段異なる表情を浮かべたエルフは、突然恭しい態度を作ってオルコスの前に立ち塞がった。


「ボクが君を生かしてあげようかぁ?丁度、暇だったんだよねぇ…勿論、代償はある。君への観察と干渉許可だ。ボクが考えた振る舞いを、君は黙って行う。君は、ボクと言う名の絶対的な戦力と後ろ盾を得る事になる。勿論前提としてこの腐った愉快な国の後継者争い最前線に躍り出てもらう事にはなるだろうけど…あは、うふふ。人形の如く振る舞っていながら人間でしかない君が、この先どんな未来を見せてくれるのか、どんな反応を示してくれるのかぁ…!非常に、ひっじょーーーに興味深いねぇ!!」



―――狂っている。



確かに目の前のエルフは文句なしに絶対的な力を持っているのだろう。一人語りに酔ったわざとらしい振る舞いとは裏腹にいつまで経っても隙は見当たらず、この場から無事逃げ出せる未来など到底予想もつかない。先程兄姉たちを葬った不可視の魔法攻撃の原理も今のオルコスでは見当もつかなかった。死にたくない、その望みが叶わない未来はこれでなくなったのかもしれない。少なくとも、エルフに従っていれば何一つ残さない無価値な死を迎える結末からは逃れられると考えていいだろう。一体何が正しいのだろうか。


…否、そもそもオルコスはこれまでずっと人形として有り続けてきたのだ。今更従う相手が変わったところで、何一つ拒む理由など存在しないではないか。エルフに従ったのだ。何をしたってきっと自分は悪くない。それどころか、これまで感じていた不自由を大幅に解消できるかもしれない。少なくとも、何の前触れもなく突然兄姉に町はずれに呼び出されて、なんて事はなくなるだろう。一体どこに断るべき問題があるのだろうか。


「……承りました。わたくしの名前はオルコスと申します。本日から、貴方様の為に踊る人形になりましょう」

「おやまぁ、人形であり続ける事を自ら望むのかぁ。別にこの条件は多少ゆがめられても問題なかったんだけど…本当に君は興味深い思考回路を持っているみたいだねぇ?普通の人間とは明らかに違う、実に愉快で…愚かだ」

「だからこそ、貴方様に選ばれたのでしょう」


気付けば、オルコスはエルフの個人的な思考に口を出していた。言葉を発してからはたと動きを止めたが、どうやら目の前のエルフのお気に召したらしい。心底愉快そうに笑うだけのエルフは、それから僅かに考え込むような素振りを見せつつゆっくりとオルコスの前へ膝を立てて座った。まるで物語の世界で姫に求婚する騎士の様な、そんな上っ面だけの振る舞いがだからこそ目の前の存在が人間とは程遠い感性を持ち合わせている事を伝えているような気がする。


「———ボクの名前はソピアー、君を導くエルフ族の頂点だと理解してくれて構わないよぉ。気軽にソフィと呼んで欲しい、敬称はいらない。君は君がしたいように振る舞ってくれればいい、但しボクが望んだ選択には一切逆らわない事。それ以外の全ての立ち居振る舞いについて、ボクは口出ししないとここに誓おう」

「随分と…破格の提案ですね。まるで悪魔の契約の様です」

「似たようなものだと思ってくれてもいいんだよぉ?よろしくねぇ…ルコちゃん」

「…はい、よろしくお願い致します。…ソフィ」


齢10にも満たない少女は、終始無表情を貫いていた。声音すらもが平坦でどこまでも人形らしく振舞っていたオルコスを前に、どこか楽しそうに笑ってその頭を撫でつけたソフィの目には、一体どのように映っていたのだろうか。子犬や子猫?それとも、人形?案外ただの人の子としか映っていなかったのかもしれない。…そんなの、どうだっていい。オルコスは結局のところ、死ななければどうだってよかったのだ。そして今交わされた契約によって、その根本的な願望に絶対的な保証が確立された。これ以上何を望むというのだろうか。


兄姉たちの躯には一切目も止めず、踵を返そうとしたオルコスの視界に写ったのはソフィの首元に巻かれていた床に付につく程長い豪勢な刺繍が施されたマフラーだった。残念ながら下の方は先ほど殺された兄姉たちの血で汚れてしまっている。これでは、折角質の良さそうなマフラーが勿体ないのではないだろうか。そんな素朴な意志だけでマフラーの裾を引けば、何が何だか分からないと言いたげなソフィに見下ろされる。それでもマフラーを引けば素直に前屈みになったエルフの首元に可愛らしいリボン結びを施せば、鮮血でさえ始めからそうであったかのように錯覚できる程度には誤魔化しが効いた。満足気に頷けば、ソフィは愉しそうに笑った。


「そちらの方が、貴方には似合っていますよ」

「…あはっ、そう?じゃあ今後はこうやって結ぶことにしようかなぁ」

「えぇ、良いかと」


僅かに緩んだ目尻と口角に目を瞬いたソフィが脳裏で表情作りの練習方法を掲げる中、オルコスは迷わずその腕を掴んで歩き出す。足元を邪魔する死体たちを鬱陶しそうに避けながら、それでも振る舞うのはこれまで一切やってこなかった自ら行動を示すというものだ。これは、ソフィが望んだ人間としての振る舞いに準じて敢えて行ってみたものだったが、お気に召したらしい。折角だから、と思いついたように僅かに顔を上げたオルコスは、振り返って楽しそうに思考を巡らせるソフィを引き戻した。


「ソフィ、大賢者の役職に興味はありませんか?大賢者の後ろ盾があれば、わたくしの生死はもっと安定すると思うのです。わたくしの為に、そして貴方がオーフで自由に動く為にも、オーフの大賢者になって頂きたいのです」

「大賢者ぁ~?それ、今のオーフじゃ本当に面倒じゃなぁい?ボクのお気に入りの子がトートの大賢者を務めているけど、良い事なんて何もないって文句ばかりだしぃ」

「ですが、オーフは根本から腐りきっておりますし…寧ろ、良い思いが沢山出来るのでは?」


たった二人で教会から姿を現した王族の幼い少女と、得体の知れないエルフ。そして背後に広がる惨状に護衛役として待機していた者たちが喉を引きつらせる姿を横目に、二人は並んで帰路を辿る。エルフは誰かを先導する事無く、人形だった少女は誰かに導かれる事無く、互いが初めて感じる立場に僅かな戸惑いを隠しながらそれでも堂々と振る舞えば、口出しする者など誰も居なかった。



オルコスの提案にずっと面倒くさそうな反応を示していた癖に、いつの間にかソフィはオーフの大賢者へと就任していた。言われるがままに兄弟姉妹を陥れて、気付いた時には残っていたのは自我も曖昧な年端もいかない下の弟妹と数年年上の兄だけになっていたのだ。オルコスは決して聖女になるつもりなどなかった。だからこそ、唯一残った兄と絶対的な効力を持つ魔法契約を結んだのだ。




「———わたくしを殺さない代わりに、ソフィの力をもって必ず貴方を次期聖人にする為の協力は惜しまない、と」




現実に引き戻される感覚に、葵は無意識で詰まっていた息をゆっくりと吐き出した。ゆっくりと瞬きを繰り返し顔を上げれば、そこには呆れ半分に自嘲の笑みを浮かべるオルコスが肩を竦めて葵の反応を待ちわびていた。


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