114話 オルコスだから聞ける事
「防音結界の展開をお願いしても?」
「りょーかい!」
質素な見た目とは裏腹に豪勢な車内は恐らく王侯貴族の御忍び専用に作られた魔道馬車である事を示していた。座り心地の良い椅子に腰を下ろして正面に座るオルコスと向かい合った葵は、何とも言えない緊張感を隠さない態度に苦笑を浮かべるしかない。目の前で肩に力が入った面持ちを浮かべるオルコスは、葵が一体何故独りでオーフの地に再び訪れたのか、その理由に辿り着いている。結論を与えたくないとも、考えているのだろう。それも難しい話ではない。葵の目的は、この世界における彼女の生死を問う重大な役割を秘めているのだから。
「…はぁ、いつまでもこうしてはいられませんね」
沈黙だけが支配する魔道馬車の中で、ようやく困ったようにため息を吐いてわざとらしく肩の力を抜いたオルコスの顔色は余り良くない。ヴィル同様目の下には僅かな隈が浮かんでおり、表情に至っては悲痛に歪んでいる様に見えた。本当に会話を続けたくはないのだろう。それでも、続けなければならない理由が沢山あった。葵の決心を否定したくない、オーフの民としてチトに関する過去の清算を進めたい、この場で時間稼ぎを行っても意味がない、何より本当に忙しくしているオルコスには時間がない。全ての状況が、オルコスの中で話を進めよと背中を押して止まなかったのである。
「魔王討伐の話が上がった当初から、いつかはわたくしに情報を求めに来るだろうとは想定しておりました。それでも…いざその時が来ると、覚悟していた筈なのに本当に逃げ出したい気分です」
「……んふ、察しが良くて助かりますなぁ~」
「その茶化すような態度が紛れもない本心なのも、嫌なんです」
「…、」
葵にとって、オルコスとの会話はそう重たくするつもりもないただの確認事項でしかなかった。けれども改めて対面し、情報を求めようとした瞬間の嫌がり様を前に、その認識が間違っていたのかもしれないと考えを振り返る余裕が作れるくらいには、彼女は精神的な成長を重ねていたのだ。眉を寄せて睨みつけながら、それでいて何処までも哀し気な瞳に射抜かれれば言われた通り何の意図もなかった返事に咎があったのだろうかと口を噤むくらいはする。大人しく表情を真面目なものへと切り替えた葵を前に、何故か困った子供を見るようにため息を零し視線を逸らしたオルコスは、それでもいつものようにどうせ伝わらないだろうと諦める事無く、自分の想いを口にした。
「どうして、アオイちゃんは自らの生死が関わる話に対して冷静でいられるのですか?勇者召喚の魔法陣は、事実として召喚者が死亡すると自動的に対象者を元の世界に召還する仕組みがあるのは事実です。オーフは太古の時代より常に勇者パーティーの一員であった歴史があります。勿論、異世界から召喚された勇者の事実や、それらに纏わる実態もある程度は把握しているのです」
そう言われて葵はふと思い至る。オーフにとって、世界…引いては世界樹にとって、聖属性魔法とは一体何なのかを。歴史上常にオーフは世界で唯一聖属性魔法を行使できる特別な魔力を持つ民が集う国家として登場している。魔王討伐が行われる度に、勇者パーティーの一員として聖人、もしくは聖女は必ず派遣されていた。勇者やその他の仲間たちの出身国は比較的オーフ周辺国家、つまりトートから選出されることが多かったが、それでも異世界から召喚された勇者や諸外国の戦士である回も確かに存在している。これらは、葵が小屋に多く残されていた恐らくイブキが意図的に残したのだろう勇者召喚に関する資料の補足用として保管されていた歴史書に残されていたものだ。
どんな時代でも、オーフの民だけは必ず一歩間違えれば生贄に等しい勇者パーティーの一員として選出されている。結果としてチトの母親の様な不幸な聖女が生まれた歴史がある以上、勇者パーティーの一員になる事には世界的な発言権や安定した地位を得るだけではない、絶対的な危険が見え隠れする諸刃の剣なのだ。世界樹の仕組み的に、一番最初に指定された適当な国家がオーフだった、結果オーフは聖属性魔法と言う優位な力を手に入れる代わりに必ず魔王との戦いにその身を置く運命を背負わされた。世界樹から見ればその程度の話なのかもしれない。けれども、生まれながらに絶対的な力を与えられ、更には悲痛な未来に当たるかもしれない可能性を持つオーフの民達からしてみれば、それは一種の理不尽なのではないだろうか。
誰しもが、聖属性魔法を良いものだと受け入れている訳ではない。実際、目の前のオルコスにとって聖属性魔法の存在は今でこそ大切なのかもしれないが、話を聞く限り以前はただの枷のようにしか見えなかった。特殊な力の代償、と言えば聞こえはまだマシなのかもしれない。けれども、言い方を変えればオーフの聖属性魔法は世界樹によって齎された国家で背負うべき呪いなのではないだろうか。勿論、生まれながらにそういうモノだと学習してきたこの世界の人々が葵と同じ結論に辿り着くとは思えない。寧ろ、聖属性魔法と魔王討伐の関係性を祝福と栄誉だと言ってのけるかもしれない。そう思う人が大多数な裏で、オルコスの様な本質に辿り着いてしまった者は、一体何を思うのだろう。
「ルコちゃんにとって、聖属性魔法って何?」
それは、無意識の内に零れた脳内に留めておく筈の疑問だった。僅かに瞳を瞬いたオルコスは、少しだけ考え込むような表情で膝上に視線を落として息を吐く。ため息と言うより、自身を留める壁を吐き出すような仕草だった。
「…使命、ですね」
「そりゃまた、壮大な…」
「どうせお気付きなのでしょうけど…オーフにとって、聖属性魔法は良い面だけではありません。時に試練を、時に終焉すら齎す恐ろしい力だと、本質に辿り着けた者だけが理解しているのです。聖属性魔法があるからこそ、オーフは最古の国家と称される事も多々ある多くの歴史を内包した国です。それ即ち、歴史上隠蔽された真実や意図的に曲解された事情の全てを把握し、語り継いでいく役目を持っているのですよ。なんと素晴らしい事でしょう…なんと、恐ろしい事でしょう。少なくともわたくしは、そのお役目全てを背負う度胸も、度量も、何一つ持ち合わせてはいませんでした。だから曖昧な聖女の立場に胡坐をかいて、貧困街の一件のように知るべき現実から目を逸らしていたのですから」
静かに語られるオルコスの意見は、内容とは裏腹に僅かに怯え方の震えを抑え込もうと必死な様相のせいでどこか歪で、曖昧に聞こえた。頂点に立つもの以外は気付く事すらないオーフの現状に、彼女は一体どのようにして辿り着いたのだろうか。嘗て、あったばかりの頃声音とは裏腹に一切表情が変わらなかったオルコスの姿を思い出す。それは厳しい立場に在るが故の生存戦略だと思い込んでいたが、実際のところは防衛本能が機能した故の全面的な警戒心の表れだったのではないだろうか。葵がいつでも笑顔と無邪気さを絶やさない様振る舞っていたころと全く同じ、表情を変えなければ何一つ誰にも悟られることはない、気付いてしまった真実を無暗に他者に押し付ける事のないように。元より背負っている物は多かっただろうに、彼女はこうして自分の中で辿り着いてしまった不要な真実さえ抱え込み続けて生きてきたのだろうか。
「改めて、聖属性魔法はオーフの民にとっての使命そのものです。圧倒的な回復能力は傷付いた人々の為、そして来る魔王討伐の時には勇者たちを癒し人類を勝利へ導く為、そうして与えられた力なのだろうと、わたくしは考えております」
「……そっか。重いね」
「えぇ、とても」
勢いに身を任せて胸の内を明かし過ぎた現状を理解しているのだろう。どこか居心地悪そうに、それでも決して自らの発言を撤回する事無く肯定して見せたオルコスは、肩の力を抜くように何止めかも分からない息を吐いた。きっと、目の前の相手がヴィルやルシエなら、チトやソフィ相手ですら、今の内容を一片たりとも話すつもりはなかったのだろう。この世界の誰にも、聞かせるつもりがなかった心の内。それを敢えて葵に聞かせたのは、間違いなく彼女なりの決断を最終的に後押しする為だった。葵が、この世界の住民と言う理から外れる事を認める為の、覚悟を固める為の。
「話を、戻しましょう。勇者召喚の魔法陣の仕組みは先ほどの通りですが、アオイちゃんを呼び出した魔法陣は決して勇者召喚のものではありません。オーフでも愚者たちが募って嘗てのキーフのように召喚した勇者を意のままに操ろうと水面下で動いていた時期があります。けれども、いくら歴史書に則って正しい手順で魔法陣を発動させようとも、最終的には翠の炎に阻まれて召喚には至らなかったと聞きました。恐らく、禁忌指定が施されているのでしょう。我が国に残る歴史的な魔法陣の多くは、発動前に全て翠の炎に焼かれて消失しております。今では、古い魔法陣に魔力を注ぐことすら禁じられているくらいには、オーフで失われてしまった歴史的な魔法陣は多いのですよ」
上層部の者たちでさえ、その不明瞭性を理解して使用を完全に諦めた歴史的な魔法陣の数々。翠の炎と言われた時点で誰が動いたかは一目瞭然だったが、その点についてオルコスは触れる気がないらしい。視線が絡んだが、肩を竦めるだけで流されてしまった。
「ヴィルさんやルシエさんは、もしかすると気付いていないのかもしれませんが…わたくしの目は誤魔化せません。アオイちゃん、貴方が仮に”チトさんの呪いを解除するために自らの命を犠牲にする”として、この世界での生を終えた後無事元の世界に還れる保証はどこにもありません。万が一無事戻れたとしても、時間軸に一切の保証はないんです…それを、貴女も把握している筈ですよね?」
考え事に比重が傾いていた思考回路が、オルコスの確信めいた問いかけを前に瞬時に現実へと引き戻された。真剣で、何処までも真っすぐで、眩しい。そんな瞳に一心に射抜かれて、居心地が悪くならない筈がなかった。嘘はついていない、けれども勘違いしていると知っていながら敢えて放置していた。チトに関わる呪いの諸々や、勇者召喚に付随した事情は正直なところヴィルとルシエでは把握できていない部分が殆どなのだ。だから、二人を相手にした時はどうとでも言い逃れることが出来た。けれども、矢張り目の前の少女は違うのだろう。葵程ではなくとも、多くを知っている。だからこそ、葵の目的に伴う重大な欠点を正しく見抜き、指摘して見せた。妙なところで冷静で、思い切りが良い。面倒なところばかり、似ている。
「……確かに、ヴィル君とルシエちゃんはウチが元の世界に還るつもりである事実は把握していても、帰還方法までは一切理解していないやろうね」
「矢張り、質が悪い…!どうして貴女は…っもっと、自身を大切にしてくれないのですか…っ!」
両手を強く握りしめて、オルコスは自身の額に押し付けるように顔を隠してしまった。その身体は酷く震えて、落ち着きがない。そんな様子を前に困ったように嗤った葵は、そっと肩に触れようとして乱雑に振り払われてしまった。乾いた音が馬車の中を響き渡る一方で、ハッと顔を上げたオルコスは葵の反応をじっと見つめた。ほんのりと赤くなった自身の腕を眺めた葵は、何も言わずに反対の手で腕を握り込んだ。
「……痛かった、ですか?」
「痛く、なかったよ」
「そう…」
内傷外傷問わず痛みと言う概念に鈍い葵は、本来感じるべき苦痛をはっきりと認識することが出来ない。元より嘘つきな己が、自分自身の身体にさえ嘘をつかれているのだろうか。不意に浮かんだ皮肉は、諦観交じりのため息と共に吐き捨ててしまった。葵の痛覚が鈍い事に気付いたのだろう。僅かに眉を寄せたオルコスは、葵同様に赤く色づいた手の甲を暫く見詰めて黙り込んでいたが、カーテンがかけられた窓に頭を預けるようにもたれかかって視線をどこか遠い場所へ向けた。
「…わたくしは、死ななければどうでもよかったんですよ?激化する後継者争いの最中でも、ソフィと出会って以降言われるがまま言動を続けていた頃でも。…アオイちゃんと出会って日常を共にするようになったあの日まで、本気でそう思い続けてきたのです」
疲労感を見え隠れさせるオルコスの口から力なく語られるのは、彼女が抱える幼い頃の記憶。そっと先を予測しいつかのソフィとイブキの会話の際に入手した目的の記録を再生させる魔法陣を発展させた、部分的な記憶抽出の魔法陣を差し出せば、なんとなくで意図を察したらしいオルコスの手によって静かに魔力が注ぎ込まれていく。空中に浮かび上がるのは革命以前、まだ彼女に無数の兄弟が居た頃の記憶。記録に昇華される事無く、全て丁寧に残されていた過去の蓋を開ける行為に、オルコスは一切の躊躇がなかった。
お待たせ致しました。
当方オルコス激推しでして、普通に続きを作っていたところ見事な主人公交代が起きていた事が発覚した為、大幅な再構築を行った結果投稿に穴が空いてしまいました。
本日より投稿頻度再開の予定です。
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