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112話 ルシエだから言える事


それは、ルシエに対して決して話すつもりがなかった未来の話だった。彼女の言う通り、聞かれないと思っていた。気にされていても、葵自身が聞かれたくないと理解した上で流してくれると思い込んでいた話だったのだ。どうしていいのか分からなくなった葵は、ルシエの膝の上で縮こまる。暖かな手に撫でつけられた頭以外が僅かに触れて冷たくなっていく感覚に呼吸が無意識で細くなる。覚悟も心づもりもない状態で投げかけられた想定外の問いかけ程、葵の冷静さを狂わせるために絶好の攻撃はなかったのだ。


「……なんか、ルシエね?アオイの未来を視たの」


それは、先程までと一切口調を変えない穏やかなままのルシエの独り言の様な話だった。完全に現状打破に集中しきっていた葵の脳内に僅かな隙間が空いて、それを抜けて声は届く。


「夢なのか、現実なのかは今でも曖昧だけど…ルシエが出会ったのも、会話したのも、確かにルシエが知るアオイだったよ」

「なに、言って…?」


ぽつぽつと続く言葉を前に一切の心当たりがなく、意味の一つも理解できなかった葵は先ほどまで動揺していた事も沸ズレて首を傾げる。未来とは、ルシエが知る葵とは、夢とは、一体何の話だろうか。そんな葵の疑問符の意味に気付いたのだろう。くすりと小さく笑ったルシエは相変わらず葵を撫でつける手を止める事無く再び小さく息を吸って、息を呑む葵を抱く力を強めた。


「オーフに訪問して、古本屋で誤って古代の魔法陣を発動させた時。アオイはドラゴンと戦った、なんて話をしてたけど…ルシエはあの時、未来のアオイと対面してた」

「……!!」

「勿論、その時のアオイからは別世界線の可能性があるって念を押されたけど…少なくともルシエは、あの時のアオイは今目の前に居るアオイと全くの同一人物だって感じてる。なんだろう、勘と言うより、魔力…って言うか、うぅん…本能?兎に角、未来の話をまだ今を生きるアオイにするのはどうかとも思ったけど、やっぱり必要に見えるからちゃんと伝えるね?」


ようやく葵を抱きしめていた拘束が緩んだ。その隙を縫って顔を上げて何故か随分と久方ぶりに感じる視線が絡み合えば、ルシエは緩く瞼を細めてどうしたの、と視線だけで聞いてくる。何処までも優し気で、温かい視線だった。だから、続く未来かもしれない話を聞く葵は、そこまでの緊張感を得る事はなく済んだのかもしれない。


「未来のアオイはね?ルシエから見て…結構、幸せそうだった」

「ぇ、」


どうしてなのか、少しだけ不貞腐れたような声音。でも、慈しむような柔らかな表情。言葉の意味は分かっても、一体何故自分に複雑な感情が向けられているのか理解できなかった葵は困惑を前に瞳を瞬く事しか出来なかった。


オーフの古本屋で葵とルシエは、条件を課せられた状態で攻略を完了させる必要がある簡易迷宮に放り込まれてしまった。結果、現実世界を生きているらしいルシエ…探が迷宮内に呼び出され、葵は元の世界で完全に失ったと思っていた感情を強制的に引き戻される羽目に合ったのだ。忘れもしない、姉だなんて冗談で呼んで笑いあった探の事を、葵は本気で姉のような存在だと認識していた。探にとってどうだったかは関係ない。ただ葵だけは、その夢の様な時間を忘れまいと胸の奥底にしまい込んでいたのだ。


一方で、目の前の姉の様な存在と迷宮攻略そのものに意識を囚われていた葵は、自分が知るルシエがどうなっていたのかを一切考慮していなかった。少し考えれば分かる可能性ではあったが、まさかルシエと探が入れ替わっていたとは。


「…質疑応答の時間、設けようか?」

「意地悪、何が聞きたいかなんてとっくに分かっとる癖に」


僅かに頬に掛かった横髪を繊細な手つきで払われたその腕にはめられているのは、出会ったばかりの頃に街を散策するついでで葵が送ったブレスレットだ。そっと手を伸ばし指先で遊んでみれば、直ぐにルシエの反対の手で掴まれて恋人繋ぎの如く丁寧に握り合わせられてしまった。話を逸らす事も、その場から逃げる事も許されなくなった状況で葵に出来たは恨みがましくルシエを見上げる事だけである。


「……なんで、拗ねてるの」

「あれ?魔法理論的な詳細とか、推測じゃないんだ。ん……意外」

「だって、一番気になったし」

「んぅ…全く、相変わらずアオイは欲が薄いのか濃いのか分からない」

「じ、自分から質問させたくせに何その反応!」


ワザとらしく目を瞬かせて、呆れたような視線。気になるなら自分で聞け、そう言われたから態々自分が一番知りたいことを口に出したというのに、想定外の質問が向けられたと言わんばかりに驚いてくる。一体どういうつもりだろうと悪態をついてもルシエはやれやれと肩を竦めるばかりで、碌な答えは得られそうになかった。完全にへそを曲げつつある葵が今度こそ本気でルシエの元から離れようと藻掻く寸前、強く手のひらを握り締められてその気も薄まってしまう。何、と視線だけで見上げたルシエの表情は、矢張り不満げだった。


「少しは自分で考えてみると言い。ルシエは、さっきなんて言った?」

「えぇと…結構、幸せそうだった?」

「そう、未来のアオイは幸せそうだったの。だから、拗ねてる」

「???」


ルシエがわざとらしく強調する幸せの言葉を前に、葵はどれだけ考えてもその真意に辿り着く事は出来なかった。分からない事を素直に口にしようとすれば、勢いよく抱きしめられる力が強くなり咄嗟に変な声が出る。


「ぐぇ…ちょっとルシエちゃ、」


「———ルシエ達と一緒じゃなくても幸せそうだったのが、嫌だったの!!」



「……は、はぃい…??」


予想もしていなかった、普段と全く違う怒ったような口調から放たれるのは幼い子供の嫉妬の様な発言、思わず間抜けな声を上げつつ慌ててルシエの表情を確認しようとした葵は、お見通しと言わんばかりに胸に顔面を押し付けられて全く動けなくなっていた。僅かに重力操作魔法を使われている気配もある。それなりに高度らしい技術を一体どうしてこんな下らない事に使っているのだろうか。兎に角必死でもがいて辛うじて視線だけで確認できたルシエの耳の先が真っ赤に染まっている様子に気付いてしまって、思わず葵まで顔が熱くなっていく感覚にたじろぐ。


「ぇっと、」

「うるさいうるさいうるさい!ルシエは…ったぶん、皆が思ってる以上に皆に興味がある。魔法とか、関係なく…好き、なの!だから、過去とか、未来とか、本当はどうでもいいの。ルシエにとって大事なのは、今の皆で…今のアオイなの!だから、えっと、だからっ…未来でもルシエが居ないのにアオイが幸せなの、嫌で…許せなくて…!!うぅ、分かんけど、兎に角アオイはルシエと一緒だから幸せじゃなきゃダメなの!!分かった!?」

「わ、分かりました…!?」


まるで、愛の告白だった。普段から大人し気で飄々としている雰囲気もあり、立場の都合もあり一歩離れたところから全てを見ている節がある比較的可愛い女の子と言う印象が強いルシエ。そんな彼女が自ら感情的になって、個人的な意思の為だけに一方的に文句を言ってくることになるとは思ってもみなかったのである。けれども、彼女が感情的になったからこそ真っすぐに伝わってくる胸の内をうずかせる温かい何かこそが、ルシエなりの愛の形である事は葵でも理解できた。ヴィルは全てをぶつける様な大きすぎる愛、そして今ルシエから感じるのが遠慮がちでありながら、わがままで真っすぐな愛。



「ルシエちゃん、さ…ウチのお姉ちゃんみたいやね」


まさか、自分がこの世界のルシエと言う未熟さを隠しきれていない少女に向けてその感情を覚える日が来るとは。あくまで、自身に絶対的な信頼を向けてくれる探の時は手にしたひと時が思い出の記録になるだけだと思い込んでいたからこそ飛び出した提案。それが、元の世界の葵を何も知らないこの世界だけの繋がりを保ってきたルシエ相手に感じるなんて本当に想定外だった。


「だからさ、ウチのお姉ちゃん…なってみない?」

「やだ」

「……そっかぁ、」

「勘違いしないで。その提案、どうせ元の世界のルシエにもしたんでしょ。ルシエはルシエ、あの子はあの子。一緒にしないで」


あ、ツンデレだ。だけどはっきりした物言いは、探に似てる。思わずそんな余計な事を言いそうになった葵は慌てて喉奥を締めて堪えた。そう言えばこの世界のルシエは口数が比較的少ない方だが、探るは随分と陽キャ染みた明るくてよくしゃべる人だった気がする。世界や環境が違うだけでこうも変わるものだろうかと思っていたが、今のルシエを視ればそれが何となく正しいように思えてきた。事実として今のルシエは相当抑制された環境の中で、ある程度疑問でさえ選ばなければならない立場にあったのだから。…いや、そんな話は今はどうでもよくて。


「一緒に、してたつもりはないんやけど…」

「ルシエから見れば、同じ扱いに見えた。チトの事、言えないんじゃない?」

「それはっ…、…ごめん」

「別に誤って欲しい訳ではないし」


また、呆れた声とため息。アオイの中に無意識で自己嫌悪の感情が溜まっていく。探の存在を思い出させられたことを引き金に、感覚が現代日本に引きずられているのだ。そのせいで無駄に自分自身の存在を疎みたくなって堪らない。チトにやられて本当に嫌だった行為を、葵は無意識にルシエに対して行ってしまったのだろうか。始めこそ、純粋な友人としての感情しか向けていなかったつもりだったが、言われて見ればオーフの迷宮探索以降葵の行動には違和感を覚えるものがあったような気もしてくる。ルシエを嫌な気持ちにさせてしまったのは、他の誰でもない葵自身だ。その事実がどうしようもなく、苦しい。無意識で呻いた葵を前に何を思ったのだろうか。再びため息をついたルシエに肩を震わせた葵の頭を撫でつけたかと思えば、小さな深呼吸を終えて口を開いた。


「ルシエは、アオイの拠り所になれればいいって思ってる。別に誰かと重ねられたって平気。だけど…一緒にだけは、されたくないの。重ねて視ることと、同一視される事って、全然違うと思うから。…あのね、今はこんな事どうでもいいの。ルシエの話はまた”後で”解決すればいいから、平気。兎に角ね、アオイは元の世界でもそれなりに上手くやれてるらしいの。だから、未来の生死とか………そういう問題も、後でいいでしょ?」


そこまで丁寧に言われて、ようやく葵は彼女が伝えたかった言葉が最期の一言にしか込められていないと理解した。これまでの全ては前置きだったのだ。正直、意外だった。今を大切にする彼女だからこそ、敢えて未来の、それも完全に個人の選択次第の問題に口出ししてくるとは。


「…ルシエちゃんは、未来のウチに死んでほしくないの?ルシエちゃん達の事放ってそれなりに幸せになっちゃうようなウチやで?それに、元の世界に還っちゃえば…その後のなんて誰がどう解釈しようと関係ない話なのに」

「はぁあああああああああ……アオイって、そういう所あるよね。本当に馬鹿」

「うえぇ!?なんで急に罵倒!?」


今度こそ、盛大に葵に呆れ切った大袈裟な溜息と共に葵の身体は強制的に立ち上るよう動かされた。恐る恐る顔を見上げれば、苛立ちを隠さない表情で頭を抱えたルシエと視線が絡み合う。一体何を間違えてしまったのだろうか。慌てて弁明と謝罪の言葉を脳裏に並べて直ぐ、ルシエが口を開いた。


「ルシエはアオイの事、大好きなの!ヴィルがアオイの事好きなのと、同じくらいにね。だから、そんな相手が…姉妹じゃなくても、家族みたいに大切に思ってる子が、自分から死のうとしてたら止めようとするの、普通でしょ!!なんで分からないの、ばか!!」

「だ、だって…たった一年にも満たない付き合いなのに…」

「出会ってから過ごした時間の濃度は、言葉なんかで表せないもの。だったら、どうして出会って一年足らずの相手に背中を預けて魔王討伐に挑もうとしたの。普通に考えて頭おかしいでしょ」

「それは…、…あは、確かに!ウチも変だと思った。まさか異世界で元の世界を超える大切な仲間と…出会うなんてね。母さんが聞いたら引っ繰り返りそうやな…」


ようやく、二人の間に流れていた感情的な空気感が落ち着きを取り戻してきた。とは言え葵の動揺はルシエの発言によってどうにか冷静さを取り戻したばかりだったが、それもいつものルシエらしいさりげない気遣いの結果である。僅かな気恥ずかしさに視線を泳がせる葵だったが、結局ルシエの真っすぐな瞳を前に観念したように苦笑を浮かべた。そんな葵を前にして満足気に頷いたルシエは、小さく首を傾けて問いかけるのだ。


「結局、この先どうするつもりなの」

「…うん、ヴィル君にはもう伝えたんだけどね――――――」




「……ふぅん。まぁ、及第点かな。満足できる程情報量はなかったけど、アオイにしてはちゃんと説明してくれたし」

「意外な反応や、失敗の可能性については何も言わんのや」

「なんでそんな話になる?ルシエはアオイを元から信頼してる。アオイなら絶対成功するって信じてるから、心配する必要なんてないでしょ」

「……ヴィル君に続いて、ルシエちゃんまで…」

「何、その反応」

「いや、探ちゃん…元の世界のルシエちゃん?と同じこと言ってるなぁって。ヴィル君は、昔の勇者と同じこと言ってたけど…こうも連続で重なると気になる部分も増えてくるね」

「………ふーーーん??」


本当に反射的に思った言葉がつい口から飛び出してしまった。一瞬にして不機嫌そうな雰囲気を纏いジト目で睨みつけてくるルシエをどうにかやり過ごした葵は、全力で冷や汗をかきながらも適当な口笛を吹いて誤魔化したことにした。魔王討伐以降本当に口が軽くなってきている気がする。随分と腑抜けてしまっているらしい。


「そ、そろそろルシエちゃんもお仕事に戻った方がええよね!長々とお話ししてくれてありがと、お見送りも感謝感激雨あられやで!!」

「……全く」


説教が始まる気配を察知した葵は、全力でルシエの身体を押し出して馬車から追い出した。暗黒微笑と共に放たれた攻撃力の高い魔法を全力で結界を展開する事で受け止め、大慌てで魔道馬車の起動部分に魔力を流し込む。ゆっくりと発射する魔道馬車だったが、葵の規格外の魔力供給と破壊を許さない制御によってとんでもない速度で王城から離れていく様子は流石と言うべきか、それとも馬鹿だと一蹴するべきか。


姉妹の別れに、しんみりとした空気は似合わない。杖を向けて笑みを浮かべたまま馬車が見えなくなるまでを見送り続けたルシエは小さく息を吐いて、何も見えなくなった道に手を振って身体の向きをヴィルが居るだろう庭園へと向ける。葵の問題はさておき、とんでもない馬車と権利、一時的な地位を葵に片手間で差し出したヴィルには一先ず説教が必須だろう。突然の悪寒にくしゃみが零れたヴィルが首を傾げながら書類に向き合う庭園へと、早足で進んだ。




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