111話 面倒臭い
「ふむ…一先ずオーフへの先触れと入国許可申請を事前に通してあった魔道馬車の手配を完了させた。一時的にアオイの身分をトート国第二王子推薦の交友特使に引き上げておいたから、向こうで不自由することはないだろう」
「うわはっや、まだ出された紅茶も冷めとらんのに…」
「ソフィ式時間管理は俺の前では不要だぞ」
「へ?…あ、しまったつい、」
丁寧に用意された紅茶を飲み干すよりも先に駆け込むように現れた文官の一人から書類を手渡されたヴィルは、満足気でありながら当然のことのように頷いてそのまま書類を葵へ回した。胡散臭げにそんな振る舞いを眺めていた葵はふと書類に視線を下ろし、その内容の濃さに素直にドン引きした表情を浮かべる。不思議そうに首を傾げるヴィルを前に、まるで事前に用意されていたのではないだろうかと考察せざるを得ない完璧で越権行為に等しい書類を軽々しく葵へ譲渡した姿に、目の前の男が一国の第二王子であった事実を思い出させられた葵は空笑いでどうにか突っ込みたい気持ちを押し出した。
「相変わらずお前はソフィに甘いな」
「…それ言ってくるのヴィル君だけなんやけど」
「そこが疑問なんだ。どう考えても普段のアオイを前提に見てソフィに対する態度は他の誰かと比べて別格だと言うのに、何故誰も違和感を覚えないんだろうな?」
「誰も疑問を覚えていない時点でヴィル君がめっちゃ周りを見ててキモイって言うのが分かるよね」
「何故いきなり攻撃的になる!?」
葵の珍しい愛想笑いをソフィ式時間管理を指摘された事実に対する羞恥と勘違いしたらしい。肩を竦めたヴィルの発言が余りにも聞き捨てならなかった葵は、自分が他の誰でもないクソエルフであり現在進行形で葵の傷を抉り未来さえ握りつぶそうと動くソフィに対して甘いなどと言われて思わず眉を寄せた。そんな素直な反応すら珍しかったのだろう、瞳を瞬いたヴィルは楽しそうに薬と笑って考察を始めたので、葵にとって都合が悪い結論が出る前にと慌てて悪態を吐く。葵の事が大好きなヴィルは考察を捨てて直ぐ冷たい態度に文句を口にしたが、その裏では苦笑を零しているのは秘密である。
「…まぁ、茶番は俺達の間では不要だろう。取りあえずアオイ、何でもかんでも一巻の終わりにしようとするな。いつでも俺の元に飛び込んで、また欲しいものでも強請るといい。お前の為なら、出来る事は何でもしてやるとここに誓おう」
「うわ…その激重台詞で喜ぶのはルシエちゃんだけやって。……はぁい。分かったよ、ヴィル君」
「よし。それからもう一つ、元の世界に還る前に必ず俺の前に顔を出す事。その時に限っては互いに一切の”嘘”を取り払おう。お前の大切な友人ヴィールとして、向けるべき言葉をそれまでに見付けておく」
「自分でそういう事言っちゃうんや…恥ずかしい人」
「照れ隠しは無意味だ」
「あぁあああもぉっ!分かったって、ありがとうヴィル君!!」
「…うむ!」
厭味なほど満足気に葵の耳まで真っ赤に染まった顔を見て頷いたヴィルは、そっと伸ばした手のひらを迷わず葵の頭上に乗せて微笑を浮かべる。
「———”俺の身内認定を舐めるなよ?一度受け入れた奴は、何をしようと全力で味方になる。それが俺だ”」
「…その台詞、どこかで……いや、今はいいか。うぅ、確かにヴィル君がウチらの事めっちゃ大好きなのは嫌程理解してるつもり。正直疑う方が難しいって」
「ちゃんと皆に自分の言葉で、自分の口から説明してこい。俺相手みたいに誤魔化したっていい、全てを話さなくてもいい。でも…納得だけは、してこい。……分かった?一人で出来る?」
「な、」
王子として振る舞っている時とも、六人で茶番に勤しんでいる時とも違う、酷く穏やかで柔らかく、慈愛に満ちた笑みはヴィルを一切異性として見た事がなかった葵でさえ思わず呆けてしまう程に美しかった。乙女ゲームの王子様、そんな言葉が喉元に差し掛かって慌てて固唾と一緒に呑みこんだ葵の顔が未だに赤いのは、先程の会話のせいなのかそれとも。勿論葵が好きな相手は決してヴィルではないが、それはそれとして女性として今のヴィルは余りにも美しかったのだ。普段頼りになるのに頼りなくて、強いのに弱い変な男がきっとルシエ以外誰にも見せた事がなかっただろう心の底から無条件の愛を詰め込んだ笑みを一身に向けられて、どうしてルシエがここまでヴィルにご執心であったのか、その理由に納得がいったような気がする。
「アオイ?どうし、」
「………生意気!!!!!!」
「何故だ!!?!?」
慌てて手を振り払って顔を逸らす。ついでに舌を出して威嚇するおまけつき。困惑交じりに慌てて状況把握を始めたヴィルはようやく先程までの絶対的な宝物を慈しむ表情から普段の情けなくて頼もしいものへと変わっていく。勘弁してほしい。あんなもの頻繁に見せつけられれば、ルシエのようになりふり構っていられなくなるのも理解できてしまう。理解したくないのだ、共依存イカレ幼馴染二人組の関係性の真意なんて。巻き込まれたくないし、関わりたくもないのだからこれ以上その深淵に触れるような真似は絶対に出来なかった。
「うぅううう分かったって、ほんまにもぉ、ヴィル君は心配し過ぎ、きもい!!」
「お前に関してはこれだけ心配してもまだ足りない位なんだが!?」
「うるさいうるさいうるさぁい!!」
大袈裟に頭を振って、ようやくいつもの調子を取り戻してきた葵は改めて涙目でヴィルを睨みつける。先程までとはまるで逆転した立場が腹立たしくて、けれどもどうせ今の自分がヴィルに口で勝てるとも思えなくて、結局口から出たのは大きすぎるため息だけだった。肩を竦めて強引に冷静さを取り戻した葵は小さく深呼吸をしてから再びヴィルに向き合う。仕方がないような、それでいて矢張り愛おしさを隠し切れない慈愛に満ちた視線を向けられて僅かにたじろぐが、先程までに比べればずっとマシになったそれに嫌々ながらも慣れてきた葵は咳払いで会話を仕切り直した。
「チト君の事、よろしく。どうせ勝手に独りで思い悩んで面倒な事になっとると思うから。任せたよ、精神安定担当大臣ヴィル第二王子サマ?」
「は…ち、ちょっと待てアオイ!俺じゃチトの事はどうにもできな…っおい、話を聞けぇ!!!!」
葵の爆弾発言を前に問題を思い出してしまったヴィルが大慌てで腕を掴もうとするもひらりと交わされてしまう。にっこりと心底愛らしい表情で笑った葵は、あざとく小首を傾げてから手を振って魔道馬車が用意されている場所へ駆けだした。
「えへへっ、ヴィル君がんばってねーー!!」
「くっっそあざと可愛いなぁこの宝物め!!」
地面に崩れ落ちて下らない理由で床を濡らしたヴィルの表情は、言動の割に随分と明るい。一方で駆けだした葵の瞳にはどこか寂し気に揺れる苦しみの感情が見え隠れしていて。前に進むことを完全に決めたヴィルと、未だ迷いの狭間に居る葵。きっと互いに、その事実を理解した上で見ないフリをした。全てを本音だけで進める事なんて、どうせ二人には不可能な事だった。それでも、確かに二人の間に存在していた僅かな壁が随分と薄くなったことを、互いが理解している。葵の背中が見えなくなった頃恐る恐る近付いてきた文官を片手で窘めたヴィルは、敢えて呆れたようなため息をわざとらしく吐いた。
「さて…最重要任務を言い渡すとしよう。直ぐにルシエ…エアフォルシェン嬢を指定した場所へ呼び出してほしい」
余りの変わり様に困惑する文官を前にまだ僅かに赤い目尻で気恥ずかしそうな笑みを浮かべたヴィルは、直ぐにその表情を普段通りの第二王子のものへと変化させる。そうして立ち上がったのは、紛れもない完璧に役目を果たし続けるヴィール第二王子様だった。
―――
「さっきはそれどころじゃなかったけど…もしかしなくともヴィル君、めっちゃ張り切ってくれとらん…?」
辿り着いた魔道馬車の搭乗口を前に頬を引きつらせた葵がどうにかこうにか吐き出したのは、ドン引きをこれでもかと込めた恐怖すら感じる言葉だけだった。前回オーフに向かった際オルコスが用意してくれた馬車と比べても同じか下手すればそれ以上に豪勢な外装は、明らかにそこらの一般人に貸し与えてよい質のものではない。前回は兎も角完全に独りで目的地を目指すたびだと言うのに、一体何人が足を延ばして乗れるのだろうかと文句を言いたい立派な魔道馬車は、それでも葵の前に鎮座している。最早、嫌がらせか何かだろうかと葵が感じる頭痛に目頭を押さえようとした時、堂々とした足音で近付いてきた気配に振り返った。
「……ごめん、ルシエじゃあのバカを止められなかった」
「あぁ…いや、そこは大丈夫、なんか分かるから…。にしてもルシエちゃん、忙しくしとるんやなかったん?」
「ん、抜け出してきた。あんま余裕ない」
葵以上に状況を正しく判断し頭を抱え渋い表情を浮かべたルシエの様子を受けて、現状がただのヴィルの暴走であったことを理解させられる。一先ず目の前の問題から意識を逸らす事にした葵は現れたルシエの元へ駆け寄って上目遣いに顔を覗き込んだが、顔色は悪く僅かに目の下には隈が出来てしまっている。話に聞いていた通り、本当に職務に追われて忙しいのだろう。それでも葵の視線を不思議そうに受け止めて小首を傾げたルシエは、いつも通りの雰囲気を身に纏っている。もしかして、纏ってくれているのだろうか?
「…なんか、呑気にオーフに行くとか言っちゃってごめんなさい。まさか突発やったのにここまで立派な魔道馬車が用意されるとはウチも想定してなくて。ヴィル君を舐めとった、と言うか…」
「それはヴィルが悪いから気にしないで。これのせいで余計な仕事が増えたのは事実だけど、ルシエがヴィルの代わりに用意しろって言われたら多分近い事はしてたと思うし」
「うぐっ…この共依存イカれコンビめ…」
「こん、び?」
思わず零れた現代日本語を聞き返してくるルシエの様子は至って真面目で、冗談を言っている様子はない。結論をもって想いを見せつけてくれたヴィルにドン引きしている顔でそれでも当然のように肯定を示す彼女は、始めからこんな性格だったのかそれともいつの間にかヴィルに毒されてしまっていたのか。考えても碌な結論が出ないだろうと判断した葵は早々に思考を切り上げて、疑問符を浮かべるルシエに対して肩を竦めた。特に重要な単語ではないと察したらしいルシエもそれ以上追及する様子はなく、一つの会話に区切りがつく。いつものやり取りだった。
これ以上踏み込んだ会話なく、出発するのだろう。そう葵が結論付けた瞬間、大人しかった少女の逆襲が始まる。
「でも、次旅行に行くときは、必ず事前にルシエも誘って?どんな状況でも絶対時間を作るから。勿論、面倒事はヴィルに押し付けるから安心して」
「は、」
ぽかんと口を開けて固まった葵を前に、そっと周りを見回したルシエは悪戯っ子の様な可愛らしい表情を浮かべたまま馬車の扉を重力操作魔法で開く。そのまま戸惑う様子を気にも留めず葵の手を引いて馬車へ乗り込んだ。見た目通り、と言うより空間拡張魔法なんて古代魔法が使われているらしい馬車の内部は異常なほどに広々としており、葵が自由気ままに転がり回っても平気な程の空間が広がっている。柔らかなクッションが敷かれたソファに座ったルシエは、そのまま葵の腕を勢いよく引いて自身の膝の上に導いた。
「ちょっと、」
「今は、ルシエの番」
戸惑いを隠しきれず僅かに怯えた様子で縮こまる葵だったが、顔が見えない様にルシエの胸元に顔を押し付けられるような体勢で強く抱きしめられてしまえば、大人しくするか堪る事しか出来なかった。
二人だけの吐息が、広々とした馬車の中に響く。心臓の音、緊張で震えた葵の呼吸、そしてどこまでも穏やかなルシエの呼吸。それ以外何も聞こえない小さな世界で、先に分かりやすく息を吸って調子を整えたルシエは口を開いた。
「———ヴィルに、何か言ったね。ルシエ以外誰も気付けないだろうけど、ヴィルはアオイに対して過保護…と言うより、ルシエと殆ど同じ扱いをしてた。この馬車だってそう、ルシエでも初めて乗る王族限定の最高級仕様車。でも、不思議。ヴィルはルシエに対してその態度を隠さないけど、アオイに対しては必ず気付かれない様にしてたのに。…ね、何言ったの?」
どこまでも穏やかで、決して問い詰める様な素振りはなかった。純粋な疑問を並べて、姉が妹に対して優しく問うような、そんな神聖染みた空気が広がっていく。どうしてか、葵は何も言えなかった。ほんの一瞬でもヴィルが見せた表情を記憶してしまった事への後ろめたさなのかもしれない。それとも、ルシエと言う存在がありながら自分も大切にしてくれるヴィルと言う現状を作り出してしまったからなのかも分からない。兎に角、葵は気まずかった。必死で思考回路を動かしてようやく口をついたのは、そんな全ての動揺を堂々と表したような情けない言い訳。
「別に、何も…」
口にしてから、一体何を自分は言っているんだと頭を抱えたくなった。それすら許されないのは、ルシエによって絶妙な力加減で完全に身体の動きを抑制されてしまっているからだ。暴れれば離してもらえるかもしれない。力尽くで距離を取る事だってやろうと思えばできるだろう。それでも動けなかったのは、どれだけ感情的に気まずくなっていようと全身に感じる他人の温かみを手放せなかったからだった。悔しい、そんな感情が葵の脳内を駆け巡る一方で、葵に見えないところでくすりと困った子供を見る様な表情で笑ったルシエは何処までも穏やかだ。
「んふ、ヴィルにも全く同じ質問をして、全く同じ回答をされた。気まずそうな、恥ずかしそうな感じ。二人って、意外と似た者同士。最初はアオイとオルコスが似てると思ってたけど、二人は本質的に違う。本当に似てたのは、ヴィルとアオイだったんだね。…あぁ、だからか」
背後に回っていた腕の一つが動いて、葵の頭の上に落ち着いた。柔らかく撫でつけられて悪い気はしない。そう考えてしまう自分がどうにも受け入れがたくて、葵はどうしようもない感情の前で小さく呻いた。直ぐに頭上からくすくすと笑う声がする。
「ヴィルにとって、アオイは自分が捨ててきた過去のように見えてたのかも。だから、過去の自分を救うかのようにアオイを受け入れて、力を貸した。それが次第に…ルシエに向けてくれる想いに近付いた」
「るしえちゃ、」
「大丈夫。ヴィルは、ルシエの事は手放せないけど、アオイはアオイだから手放すことが出来る。それくらい、分かってるし自信もある。どっちも大切だけど、アオイはあくまでヴィルに近い経歴を辿ってきた守るべき子。ルシエは多分、隣にいて欲しいって思ってもらえてる。アオイはきっと、懐に収めたいって思われてるんじゃない?…ん、しっくりきた」
「こ、こないんですけど…何懐って、ウチ物かなんかなん?」
「んー……愛玩動物?」
「うぇえ…」
納得を深めるべく、そして葵に聞かせるべく敢えて並んでいく答え合わせは、確かにその通りなのだろうと理解するに足る要素を多く含んでいた。黙って素直にそれらを聞いていた葵は、最後に告げられた聞き捨てならない結論に迷わず文句を口にして、肯定を受けて気持ち悪さを隠しもしない表情で蹲った。今度こそ、楽しそうに笑う声と共にルシエの身体が揺れた。元々可笑しいとは思っていた。ヴィルが何故異世界から現れた何の関係性もない少女を直ぐ懐に収めたのか。受け入れて、認めたのか。どうしてルシエは突然現れた葵と言う存在を文句の一つなく隣に並んだのか。それらの理由が根本的な認識の違いを理解していたからだとすれば、なんともまぁ面倒な関係性なのだろうか。ルシエはヴィルに対して複雑な感情を向けているのは知っていたが、そこまで把握できているのならばすぐにでもゴールしてしまえばいいのに。ヴィルもヴィルだ、まさかルシエがここまで理解している事を知らないとは言わないだろう。だったらいい加減腹をくくって…いや、腹はとっくに括っているのだろうが、いつまでも投網漁の様な振る舞いを続けていなくてもいいではないか。
「また巻き込まれとるし…」
「んぅ?」
「いや、なんも」
馬に蹴られたくはない。葵が辿り着いた真実は決して言葉にされることはなかった。
「…ルシエは、ちゃんと見てるつもり。だからね、気付いてないと思ってた?それとも、気付いても何も言わないだろうって思ってた?正直、そこはどっちでも構わないけど…ちゃんと、聞くね。———これから、どうするつもり?」
ぴくりと肩を跳ね上げてしまった葵の動揺は、間違いなくルシエに気付かれてしまっているだろう。大きなため息と共に再び優しく撫でつけられた頭は、不思議と温かくてくすぐったかった。
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