108話 大賢者
「…さて、一先ずアオイの扱いが決まったとして。他は具体的にどうするつもりだ?俺個人としては…大賢者の活躍に関しては、完全な附属品扱いにしたいと考えている」
「おや、エトちゃんにも具体案が存在したんだねぇ」
「うるせーぞクソエルフ。…なぁ皆応えて欲しい。大賢者ってそもそもこの世界に必要だと思うか?」
「…そんな質問が出てくるって事は、チト君は大賢者、いらんと思っとるんや」
「まぁな…」
チトの改まった一言に、緩んだ空気が再び引き締まる。普通に聞けばチトの発言は張本人が一体何を言っているんだと笑い飛ばせるような話だったが、その表情や敢えて今提示した事を思えばそれがしっかりと考えに考えた上での発言であると判断できた。直ぐに反応を返せたのは、未だこの世界の大賢者と言う存在を正しく認識しきれていない葵だった。軽いようで本質を突いた葵の言葉にチトが肯定の一言を返せば、今度こそ張り詰めたような空気が出来上がる。誰もが大賢者と言う存在に恩恵を受けてきた国の上位者たちだ。自国の大賢者が持ち出した疑問にヴィルとルシエは息を呑み、また同じく大賢者を抱えている国を持つオルコスが唇を噛み締める。ソフィだけは、心底意外そうに眉を上げてチトの発言の続きを待っていた。
「…ルシエは、分からない。大賢者の恩恵を直接感じられる立場に居た訳ではないから。でも、今日までのチトと過ごした経験を考えると、大賢者は便利だけど、有用かどうかと言われると怪しい気がする」
「確かに…ルシエの立場じゃそう答えるしかないだろうな。これは俺個人と言うよりトートとしての考えになるが、大賢者は結論最強の武力と考えられている。他国に対する侵略を阻害する重要な部品であり、問題に関する交渉力、外交力、その他様々な政治的状況下で、大賢者が居る、と言う事実は大きく働くんだ。一方で、大賢者を持たない国が殆どの現状でトートやオーフが頭幾つも飛びぬけている事実は、過去の歴史はともあれ不公平だ、と自国の事ながら思う事も少なくない」
「嘗てのオーフでは、国家君主が完全に腐敗した人物でありそれに付き従った者だけが上層部に残っていた歴史があります。そんな中で唯一正しさを追求する術が、大賢者と言う地位だったのです。ソフィが大賢者の立場に納まってくれたことで、わたくしは今日を生き延びる事が出来ています。オーフは在るべき国の姿へと変わりつつあります。国内での政治的発言力としても、大賢者は非常に有力と言えるでしょう。勿論、言動を誤れば嘗てに逆戻りしてしまう諸刃の剣として正しい警戒が必要とも言えますが…」
ルシエのチトが身近だったからこその意見、そしてヴィルとオルコスによる対諸外国、対国内における大賢者と言う立場の有用性に関する意見。それらが並ぶと、大賢者と言う存在が客観的に見て酷く不安定な均衡の元で成り立っている事が葵にも理解できた。一長一短、使い方ひとつで全ての常識を覆せてしまう圧倒的権威。果たしてそれらが全世界で隣接するたった二国だけに現存する現状は、正しいと言えるのだろうか。葵が知る大賢者の恩恵と言えば、魔王討伐の際に各国の接近及び接触を完全に踏み潰して今日に至った発信行為や、オーフ訪問を決めた発言力程度だ。それでも国がたった一人の存在で意思決定すら覆せてしまう圧倒的な力を持っていることに気付いて、僅かに背筋を正したものである。葵にとってのチトやソフィと、世界にとっての大賢者は同一人物である筈なのに全く異なる側面を持っているのだ。チトの問いは、葵の想定以上に複雑で、難解なものだったのだろう。
「各国、及び個人の意見としては今の通り、大賢者は様々な方面に対して国家の抑止力として機能している。表立って力を振るう機会は殆どないが、象徴的に拠り所とされており、ある意味万能薬の様な側面が大きい事は周知の事実だな。…そう、俺が言いたい事はこの事実に殆ど詰まっていると言ってもいい。大賢者の存在は所属国家が依存するためにあると言っても過言じゃないと、俺はそう考えている」
「…依存、言い得て妙だな。トートの外交公的な面でも、オーフの内政的な面でも、大賢者の存在は無くてはならない物としてこれまで機能してきた事実がある」
「だろ?大賢者の存在は人間が持つ自浄作用の範囲を侵食し、国家としての成長を妨げているのではないかと俺は常々感じてきたんだ。俺だって長年大賢者の席に座り続けて、恩恵を一切感じられなかった訳じゃない。何も大賢者って地位そのものを拒絶したい訳じゃねーんだ。ただ…同時に俺もこの世界を歩む生命体である以上、どこかで一歩を踏み間違える可能性を否定できる訳でもないだろ?そういう部分も含めて、本来人間が知恵を募って必死で乗り越えるべき壁を、大賢者と言う武力で全て解決するのは如何なものかってな。果たして、大賢者は世界にとって本当に必要な存在だと言えるか?」
この世界において全ての権威を持っていると言っても過言ではない大賢者も、葵を筆頭にヴィルやルシエ、オルコスでさえしっかりと個人の人間に近しい存在であると認識している。人間が間違いを犯してしまう様に、チトが同じく間違いを犯さないだなんて保証は今も昔もどこにもなかった筈なのだ。国家としては当然その可能性を考慮しない訳ではなかったが、大賢者が間違えた以上それが正解となると、圧倒的な力を前にどこかで定めを受け入れている節があった。人間の起こした、人間の国の話であるというのに。一歩下がって考えてみれば、たった一人の大賢者によって国の命運さえ委ねてしまう現状はどうにも歪であるような気がしてならなかった。チトの問いかけに相槌を打ちながらも、ヴィルの思考は魔王と戦闘していた時と同様に深い底まで沈みかけていた。生まれた時から当然のように存在していた、歴史的にも長く続く大賢者と言う存在。それ自体の可否を問われて、直ぐに答えを見つける事が出来なかったのである。それぞれが思考を深める中で、一番初めに口を開いたのはどこか冷静で冷酷ささえもを瞳に宿した、世界の調整者としてのソフィだった。
「……ふむ。確かに、大賢者がいるからこそ世界の発展が非常に緩やかである事は紛れもない事実だろうねぇ。そもそも大賢者という地位が持っていた当初の目的は、人類が際限ない愚鈍な発展によって自滅することを防ぐ、一種の抑止力としての役割を果たす事だった。いつからか人類はその地位に本能的な畏怖を覚えるようになり、次第に諦観と言う形で受け入れるように変わってきている」
過去の記録を遡る様に僅かに瞳を細めたソフィは、自らの掌に翠の炎を浮かびがらせたかと思えば握りつぶす様に散らした。人類を愚かだと迷わず口にする今のソフィの意識が完全に世界の調整者、つまり過去の認識に引きずられている事は明白で、本来であれば何か声を掛けるべき状況だと薄っすら察していた一同はそれでも声を掛ける事はしなかった。何故なら、ソフィが自力で今に戻ってこれると…信じていたからである。
「大賢者であれば目の前の厄災をどうにかしてくれるだろう、目下の課題を解決に導いてくれるだろう。大賢者から受けた損害であれば仕方がない。…身勝手な祈りと一方的な享受、妄信は確かに本来人類が行うべき思考の大部分を停止させてしまっているのかもしれないねぇ。歴代の大賢者がボクやエトちゃん、イブキちゃんみたいな比較的良心的な性格だったお陰で破綻していないと言っても過言じゃないし。世界の調整者として、好ましい状況だと受け入れるわけにはいかないかなぁ?…でもまぁ、個人的な意見としてはボク達人外が人類に受け入れられ為には仕方がない制度だとも考えてるけど?」
僅かな殺気すら滲ませて、愚かを表情で示していたソフィは最後の最後に肩を竦めて気の抜けた笑みを浮かべた。へらりと笑って、僅かに緊張感を浮かべていた五人はその変わり様に無意識で肩の力を抜く。本当に、ソフィは変わった。世界の調整者として、個人的な感情や意見は不要だったはずなのに、敢えて最後に重ねて見せる。それはまるで、意図的に六人を揶揄っている様にすら思える物言いだった。僅かに息を吐いたチトは、ソフィの言葉尻を拾う様に口を開く。
「何より、大賢者の存在が最も揺らいだと言えるのが今回の一件だ。人類最大の敵対勢力ともいえる魔王。その討伐戦において、今回の俺やソフィは何もしていない。全ての結末は人間たちの手によって片付けられたんだ。複製体を生み出したのは人間。魔王を討ったのは憑代となった複製体に残されていた人間的な意識と、そして三人の子供達。事実、俺やソフィの大賢者的な力は一切振るわれなかっただろ?」
事実の提示を前に、ヴィルとルシエ、オルコス三人の視線が重なり合う。所々言いたいことはあるが、極論を言ってしまえばチトの言う通りなのだ。魔王と実際に対峙したのは三人だけであり、最終的に討伐に至るまで三人以外の直接的な介入はなかった。それだけは、揺るがない絶対的な事実である。何か発現しようと口を開いた三人は、結局返す言葉が見つからずにその口を閉じる事しか出来なかった。
「俺達大賢者が人類から必要とされる所以は、人類に比べて圧倒的に長寿でありだからこその経験と実力、種族特性による前提条件が非常に良い事などが上げられる。俺達が持つ条件の一切を持たない人類が、しかもたった三人の子供が、今回の戦いで勝利を収めた。…改めて問おう、大賢者は今の世界において本当に必要な存在だと思うか?」
僅かな間を開けて、こくりと頷いたルシエが一歩前に出た。その瞳には先程までの困惑や迷いの感情は無くなっており、確信を持った雰囲気を纏っている。
「…ん、やっとチトが言いたいことが理解できた。大賢者は誓約が多くていざという時には役に立たない可能性がある。でも、間違いを犯す可能性がありながらそれを止めない仕組みが完成されている。その不安定さを、チトは気にしている…だよね?」
「なるほど?確かにわたくしはこれまでソフィの意図に従って言動を行ってきた経緯もあります。彼が面白さ半分で間違った指示を出しても、疑問の一つすら持たず実行しただろう未来は容易に予測できるのです。そういった側面や今回のソフィの様な特殊な条件を思えば、人類が本当に大賢者を必要とするだろう課題等存在しないのではないか、とそうチトさんは懸念されているのですね」
「……あぁ、そういうことかぁ」
次いでオルコスがルシエの発言を補足したことで、ようやくソフィもチトが本当に伝えたかった疑問に辿り着けたらしい。僅かに瞳を瞬いて、それから成程と思考を始めた様だ。ヴィルは既に大賢者が居ない場合の政治について思考を始めているらしい。ぶつぶつと呟く言葉の中に諸外国やら、関税やら業界用語が混じるようになっていた。唯一葵だけが、実感が薄いままぼんやりとチトの発言の意味を考えていた。
チトが紡いだ疑問…それは総じて、大賢者や長寿種の存在が無くとも人類が自らの足で進んで行けることを、現実的に発生した事象をもって証明するものだった。これまで世界の調整者として悠久の時を生き続け、無数の文明の成り立ちと崩壊を見てきたソフィ。彼にとって、人類の成長には長寿種の助言と言う上位者の存在が欠かせないもののように思えてきていた筈だ。実際ソフィは面倒だと言いながらも大賢者としての務めを大人しく果たし、これまでに一切の間違いを犯してこなかったことは彼の人柄や言動を見ていれば明白な事だった。世界にとって長寿種との関係性は根強く、時に魔人種、時にエルフと何かしらの方法で世界の進退に関わってきた存在である以上、そう簡単に動かせる思想ではなかったのである。
大賢者は先ほどの発言の通り、ソフィが自ら助言と言う形をもって人類の発展を制限する目的で世界に取り入れた仕組みの事だ。他の目的があったとすれば、国家間での終わらない無意味な戦争への抑止力だとか、時折誕生する強力な魔王への対抗策だとか、その程度の事ばかりである。けれども今、人類はたった三人の子供によって自らの足で強敵と立ち向かえる事実を証明して見せた。さぞ、青天の霹靂だったに違いない。流石にそこまで詳細には判断できずとも、概ねそんな正解を葵は思考の中で静かに導き出していた。
「……これからは、人類が自らの足で進んで行く時代…。発展の急激な加速には注意が必要だけれども……いや、それさえ今の人間たちなら自らの足で乗り越えて行けるのかもしれないねぇ」
始めはどこか険しい表情を隠しきれていなかったソフィは、最後には魔王に無事勝利した三人の姿を思い浮かべたのか穏やかな微笑と共に小さく頷く。そして、敢えて世界の調整者としての意識をもって、チトの発言を認めたのだ。
「…なんか今更やけどこれって、ウチらが聞いても良かった話なのかな」
「うーん本当に今更だな。ま、いんじゃね?最近のソフィって諸々隠す気なさそーだったし」
「大賢者に関する発案者ってソフィだったのか。…オルコスは事前に聞いていたのか?」
「えぇ!?どうして過去の話になるとわたくしが何でも把握していると見なさん思われるんですか!?わたくしが知っていたのはチトさんの出生に関する事くらいです、今回のは話は皆さんと同じく初耳でしたよ」
「ん、オルコスは秘密主義者。もっと暴く…ぐへへ」
「わ、ちょ、ルシエさん!?一体どこを触って、ひゃ!?」
「……はいはい、そこ煩いよぉ?全く、君達っていつも緊張感が薄いよねぇ、折角世界の意志決定が行われる瞬間だったのにぃ…もっとこう、他に物語的な反応は出来なかった訳ぇ?」
葵の発言を筆頭に完全に平常運転に戻った五人を前にわざとらしくため息を吐いたソフィは、不満を口にしながらもその口角を緩めていた。世界の調整者としてならば人類のふざけた態度など面白くないに決まっている筈だったが、ソフィ個人としてはどうしてか胸の奥がほんのり温かくなるような不思議な感覚があったのだ。緊張感の欠片もない、好き勝手に口を開いてソフィを馬鹿にさえして見せる子供達。自分の一万分の一だって生きていない様な人間や人外種のひよっこが、圧倒的な世界の意志そのものである自分を恐れる事さえしない。ただの友人同然に話しかけ、時に茶化し茶化され、馬鹿にされて、庇うような振る舞いさえしてはされてを繰り返す仲にたった一年にも満たない期間で発展するとは思いもよらなかった。
イブキの存在はソフィの中で人類と深く関わる大きなきっかけの一つだったが、彼女へソフィが向けていた認識はあくまでチトを変える興味深い人間の延長線上にしか存在していなかった。決して、友人にはなり得ない存在だと互いが理解した上での関係性だったのだ。
「全く…こんな自由奔放で滅茶苦茶な人間が愛おしいと感じる日が来るなんてねぇ」
「ほーんと、とんでもなく肝が据わった奴らだよな」
「別に君もボクにとっては似たようなものだけどぉ?」
ワザとらしい呆れた言葉に同調してきたチトへ悪態を向ければ、幼い子供の様な無邪気で純粋な笑みを向けられてソフィは思わずその額を指先で弾いた。予想もしていなかった魔法を使わない反撃に目を瞬いて僅かに赤く色づいた額に触れるチトの姿に思わず吹き出せば、いつから見られていたのか他の四人の笑い声が便乗してくる。
全てが、変わってきている。それも、ほんの僅かな変化なんて生ぬるいものではない、もっと明確で、確信的な変化だ。チトは決してこんな純粋無垢な笑みを浮かべる様な男ではなかったし、ソフィは魔法に頼らない反撃方法なんて言葉以外知らない筈だった。上位者と言う認識をした上でそれを笑い飛ばせるほど、四人の子供達は肝が据わっていたり向こう見ずなところ、不用意な信頼を他者に預ける様な正確ではなかった筈。それでも今、この場所でそれらの変化は明確化していた。
穏やかで緩やかな時間は、ふと思い出したようにオルコスが浮かべた疑問…”結局戦後処理はどうしますか?”の一言を前に、チトの発言を踏まえて更に忙しなくなるだろ未来を想像してしまった葵以外の全員が崩れ落ちた事によって、無慈悲な終わりを迎えるのであった。
「え、えぇ!?す、すみませんすみませんすみません!!」
「馬鹿お前…お前って本当に、そういうとこあるよな…」
「んぅ、折角いい感じに現実逃避してたのに…」
「あ~…どうやって大賢者の地位って降りるんだ?そもそも降りれるもんなのか?」
「大賢者の仕組みが終了した以降の世界の調整法を考えないとぉ…」
「あっははは、ルコちゃんさすがや!それでこそウチが見込んだ女やで!!」
「ぅううれしくないですぅ!!!!」
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