106話 作戦会議?
時は遡り、迷宮で無事魔王討伐を完了させた直後の事である。
「おい、どういう事だよアオイ、説明しろ」
「いやいやいやいや、間違えたんやって!も~チト君顔が怖いって、ソフィも急に無表情になってびっくりするわ!」
「茶化してる場合じゃないよぉ?」
「うぐっ…」
それはまさしく、葵が脳内に浮かべただけだった筈の未来の為の呟きを声に出してしまったが故の失言がきっかけで出来上がった空気だった。普段であれば絶対にやらかさないだろう失言に気付いた葵は大慌てで話題を変えようと無邪気さを装ってみるものの、不発に終わってしまう。いつもなら視線一つでぼんやりとした意図を察して自らの意志で流されてくるチトですら険しい表情を浮かべて葵の事を睨みつけてさえいた。こんな葵が本当に助けて欲しいと縋った時に至って願いを黙殺される羽目に合うとは想像もしていなかった葵は、どう返事をする事も出来ないまま口を閉じるしかなかったのだ。
「質問に答えろアオイ、生きるか死ぬかって…っ、どういう意味なんだよ!!」
先程までだって別人だと言われれば納得言える程性格が異なる振る舞いをしていたチトだったが、過去に引きずられていない筈の今がこれまで以上に感情的に声を荒げる姿は本当に同一人物であるのか疑わしいものだ。ソフィは相変わらず口を噤んで葵の一挙手一投足を見逃さない為だけに意識を集中させており、突き刺さる視線が居たい。普段立場上見ないフリが得意である筈のヴィル達三人でさえ、明らかに様子の異なるやり取りを始めた葵達三人を前にどうしていのか分からず口を閉ざし行く末を見届ける事しか出来なくなっていた。
葵に詰め寄ったチトはそのまま両肩を掴み強く抑えるが、視線を逸らして何一つ説明する気がない蒼いの様子を前に苛立ちのまま舌打ちを吐き捨てる。こうなった以上沈黙意外に面倒な説明を回避する方法がない事を察した葵の決死の抵抗だったが、更に怒りを増してしまうだろうかと考えていた予想は大きく外れる事になった。憤怒に染まっていた筈のチトの表情がくしゃりと歪み、葵に縋る様にずるずると座り込んでしまったからである。
「ち、チトく、」
「どうして……っどうしてなんだよ、アオイ…!!」
何故、縋られているのか。何故、疑問をぶつけられているのか。何故、そうも自分の言動に感情を揺らされているのか。チトが見せる反応全てが理解できなかった葵は戸惑ったままチトの型に触れようとして、その手を止めた。何故だか触れたら壊れてしまいそうな弱々しい気配を纏ったチトは、つい先ほどまで元気いっぱい複製体だったものを破壊していた時の姿と似ても似つかない幼い子供の様だ。それでいて、どこまでも神聖なものに見えた。自分なんかが触れていいのだろうか、そんな戸惑いがぽつりと浮かんでしまったのだ。何故そんなことを考えているのかさえ自覚できないまま、何もできない葵は口を噤んでチトの言葉を待つしかない。
「どうして、お前の口から死ぬ、なんて言葉が出てくるんだよ…!」
「え…っと、それは、」
「どうして皆、自分から死を選ぼうとするんだ!俺は死ねないのに、俺を置いていこうとする!!おかしいだろ、どうして俺ばっか、俺ばっかり……っクソ、違う、そうじゃない!お前が元の世界に還りたくねーって思ってるなら、一生この世界に居ればいい!その為の生活は全部俺が整えるからっ、やれる事なんでもするから!!」
「ちが、ちがうよチト君、ウチが言いたいのはそういう話じゃなくて、」
「死ぬなよ!!!自殺なんて、絶対に許さないからな!!」
「う、」
幼い子供のように見えていたチトは、事実過去に置いてきてしまった幼少期の感情を握りしめて今この場所にいた。チトの中で自死を選んだ存在、母親、イブキ、そして…前回魔王である父親に至るまで、恐らくはその全てをもっての発言なのだろう。本来であればチト本人がどんな状態になっていようと老衰に至るまで見送れる筈だった者たちばかりの中で、その誰もが様々な意図はあろうとも自死という結末を自ら望んだのだ。チトの中で死、と言う言葉がどれほどの重りになっていたのかは計り知れなかった。最早今のチトに残っているのは世界樹に使えるエルフと、期間は短くとも生活すら共にした葵、そしてそんな葵を通じて本当の意味で親しく慣れたヴィルやルシエ、オルコスだけなのだろう。中でも嘗て日常を共にした少女であるイブキの実の娘である事が判明している葵に対する感情が重くなってしまうのはある意味当然だった。
チトは先の戦闘において、意識が過去に戻っていたとはいえチトだからこそ決して葵には伝えていけない言葉を発していた。それに対して葵は確かに絶望感を得たし、このまま死んでも構わないとさえ思えてしまった。そしてその立場は今この時、逆転したのだ。葵だけはチトに対して告げてはならなかった言葉を、未だ感情の整理も片付いていない今発してしまった。成程、これが間違えたという感情なのか。自分の発言一つで相手を大いに傷付け動揺さえさせてしまう。決して気分が良いものだとは葵は思えなかった。
「ごめん…チト君、ごめんね。冗談でも言っちゃダメな言葉やったよね。ほんまに、ごめん」
「うるさい…お前が寿命で正しく死ぬって言うなら、文句はないんだ。もし望むなら、お前を長寿種へ還る方法を探す事だって喜んで引き受ける。だから…っだから、自殺なんて絶対に許さない!!」
「ウチは…、ウチの目的の為に元の世界に還る事を選ぼうと思っとる。その先の実態は、この世界のチト君には永遠に知るよしのない関係のない話やろ」
「違う、関係ない訳がない!お前今のままだと元の世界に還った瞬間死ぬつもりなんだろ!!イブキみたいに、俺の知らないところで死ねばいいって問題じゃねーんだぞ!」
話にならないな、そんな事を葵は緊迫した状況下でぼんやり考えていた。事実、葵が何かしらの手段の用いて元の世界に戻った後の話をチトが知る事は難しい。ソフィであれば何かしらの世界樹の力を用いて調べる事くらい容易なのかもしれないが、何となくソフィは今後世界樹の力を使う機会を大いに減らしていこうと考えている気がした。それは、今回の魔王討伐で世界樹と言う絶対的な仕組みを自ら裏切った事や、最近世界樹が齎した不便、不幸。そして何より、世界樹に苦しめられてきた複数の人間と行動を共にした経験を持って、ソフィは自らの足で進んで行く事を決めた様に葵には見えていたのだ。全く似ていないと思い込んでいたソフィと葵は、存外根本的な部分が似ていたのである。何の目的もなく死のうと考えていた葵が沢山の出会いや経験を持ってその方向性を変化させたように、ソフィもまたこれまでの全ての経験を持って世界樹と異なる道を歩む決断を下したのだと、本能的に察することが出来た。
一方でチトはと言えば、確かに変化はしているのだろう。イブキの死を完全に受け入れた事、自分の本心に素直になれた事、幼少期の想いを口に出せるようになった事。どれをとっても人間的に見れば成長したと言える。けれどもそれは、幼児が児童へ移行するような小さな成長に過ぎなかった。幼い頃に置き忘れてきた筈の感情を今になってゆっくりと開花させている様な、そんな印象が拭えなかったのだ。今だって自分の想いに本人が振り回されて、必死に言いたいことばかりを並べて相手の話や目を碌に見る様子もない。これではまともな会話など成立するはずもなかった。
「イブキみたいに、って…ほんまにチト君は、ウチをイブキに重ねたいんやね。いい加減はっきりしてくれん?イブキはイブキ、ウチはウチやろ。やってきた事も、経歴も、何もかもが違う。ただ血が繋がっている親子なだけ。イブキをチト君にとっての母親に作り上げてそれを認められたからって……、チト君が勝手に作り出したイブキの幻影を、ウチに当てはめて自分を誤魔化そうと利用するのはもううんざりや!!」
「なっ…ちが、」
「そうやね、チト君にとっては違うもんね?だって、考えを改めたんやから!その結果が分かりやすいお子様扱いに保護者気取り。…っどこまでウチの事馬鹿にすれば気が済むん?もうええ、ウチは自分の目的を果たす為の、自分だけの魔法陣を完成させる。チト君がウチの言った事全部理解するまで絶対会話もしたくないから!!」
「……、……っ」
売り言葉に買い言葉、けれども全ての発言は自分の意志もあるもののチトの為に敢えて言葉にした様な気がする。葵自身曖昧なところがあるが、全ての想いをわざわざチトに伝えてやる理由も義理もない筈なのだ。それでも、丁寧に言葉と説明を並べて伝えた。そこには少なからず、チトへ変化を促したい思いが含まれている事は明白だったのである。勢いよく体の向きを変えてチトから離れて、そうして僅かに口角を緩ませて。それに気付いたのは生憎正しく人間であるヴィルとルシエ、オルコスの三人だけで。深刻そうな表情を僅かに呆れ交じりに変えた三人は何を言う訳でもなく、呆然とするチトと言葉を探しては口を噤むソフィと言う珍しい長寿種の姿を横目に話題の切り替えに向けて一歩を踏み出した。
―――
「…さて、各自思う所はあるが先に戦後処理の話を進めよう。俺達個人間での会話も勿論必要である事は理解しているが、今の俺達が早急に片づけるべきなのは魔王が討伐された事実を如何にして全世界へ公表するか、その方法を纏める事だと思う。誰か、異論はあるだろうか?」
「ん…賛成、喧嘩してる場合じゃない」
「はい、ルシエさんの仰る通りです。わたくし達が迷宮を脱出した時点で世界が動く未来は決定されています。まず落ち着いて腰を据えた会議を行う事は不可能になると考えられます。我々に残された直近の自由時間は今しかないと断言できるでしょう」
静けさが広がる迷宮内部に、柏手を一つ鳴らす音と共にわざとらしく足音を立てて中心へ移動してきたヴィルによって一同の意識が引き戻された。ヴィルの発言を筆頭にルシエとオルコスによって肯定、補足された内容は紛れもない事実であり、今後の個人的な問題は幾らでも後回しにする事が出来ようとも戦後処理と言う目先の問題だけはどれだけ逃げ回ろうと迫ってくる現実なのだ。暫く俯いていたソフィも苦笑を浮かべながら顔を上げて小さく頷いた。
「確かに、今回の一件に限ってはボクやエトちゃんも例外なく表舞台に立つ機会が出てくるだろうからねぇ…。事前に結論を纏めて個々の記憶に叩き込んで置く事は必須事項だ」
「……政治的な面でも、最終的に魔王討伐を発表するのは俺達賢者の役目になるだろうからな」
渋々とは言え冷静さをどうにか取り繕う事に成功したチトがソフィの言葉に追従すれば、ようやく曖昧だった迷宮内部の空気感も一本の道へと統一された。つい先ほど繰り広げられた重苦しい個人的な会話の一切に目を瞑り現段階では有耶無耶にすることで流し切った長寿種達は、今後自らに伸し掛かってくる無数の面倒事を想定してしまったのか心底面倒くさそうな表情と共に深いため息を吐いた。
そんなに普段通りを取り戻した二人を前にほっとした表情を浮かべ顔を見合わせた三人が一先ずと距離を詰めていく様子を黙って眺めていた葵は、後ろ首を掻くチトを僅かに見詰めながらも素知らぬ顔でその輪の中へ飛び込んでいった。
「とは言え、どこまで説明すればいいんだろうな。いや、違うか…どこまで説明していい話なんだ?国家的な視点でも、歴史や世界樹的な事情の面でも。余りにも曖昧な部分が多すぎる」
「主な今回の流れは、魔王との戦闘、魔王によって一時的に意識を奪われたエトちゃんとの戦闘、最後に魔人の残滓によって暴走した複製体との戦闘。前提として、魔王誕生に関わる世界樹の仕組みと、今回の魔王の憑代の正体が嘗てのキーフ元大賢者が作り出した複製体である事実は確実に隠蔽する必要があるねぇ。前者は当然として、後者は現時点で既に禁忌指定された魔法陣がきっかけだ。再現性がない事は重々承知しているけれど、それでも夢を見て自ら禁忌に手を伸ばす愚者が居ないとは限らない。一々その対処に追われていたらキリがないからねぇ…」
頭を抱えるヴィルに対して一番最初に口を開いたのは、世界の調整者としての視点を持ったソフィだった。非常に面倒臭そうに表情を歪んるソフィの脳内には、嘗て禁忌の魔法陣が意図せぬ形で世界に広がってしまいその対処に追われた時代が思い浮かんでいる。そんな過去を知らずとも何となく以前面倒な事があったんだろうと察した五人は特に口を挟むわけでもなく頷くだけで聞き流す事にした。実際世界樹の仕組みに関する部分に対してその支配下にある人類がどうこうする手立てがある訳でもなく、また魔王の正体に関しても今後意図して魔王の憑代になるべく存在を作り出そうとする愚者が現れないとも言えなかったのだ。
「ふむ…大賢者関連の問題は、元より敗戦国としての歴史を歩んでいる今のキーフに更なる世間の厳しい視線を与える事になりかねない。そもそも、”魔王の憑代となる部分を生み出した”なんて知られれば、大賢者という権威に対する打撃が大きすぎて世界的な混乱も免れないからな。…まぁ、魔王討伐の時点で全世界は大混乱な訳だが」
肩を竦めたヴィルの小さなぼやきに重苦しくなってきていた空気が僅かに緩む。考える事は山積みだったが、何も独りで片付ける必要など何処にもないのだ。今この場所には様々な視点を持つ者が六人もそろっている。一つずつ問題を丁寧に会話を重ねて結論を出すには十分すぎる数が揃っているのだ。その事実を認識できるだけでも、これまで独りで重大な結論を重ねてきたヴィルにとっては重大な安心感を齎してくれたし、ルシエやオルコスはそんなヴィルの様子に肩の力を抜く事が出来ていた。ソフィやチトは言わずもがなであり、葵に至っては通常運転で話の内容を理解できているのかいないのかニコニコと黙って会話の成り行きを見守っているようだ。
「…歴史は全てを物語っている。世界的に絶対的な力を持っていた大賢者と言う地位に疑いが生じれば、確実に混乱へと発展するのは明らか。そんな中で、混乱が起きればおのずとついてくるのが反乱。ふふ、ルコちゃんは心当たりがあるんじゃないかなぁ?」
「全く、笑い事ではありませんよ?ですが、えぇ…そうですね。オーフの革命が身近な良い例と言えるでしょう。聖人と言う絶対的権威の地位が落ちたからこそ国を挙げての革命が成されたのです。…そういった視点から見ると、チトさんが魔王の攻撃によって一時的とはいえ人類の敵に陥った事実も隠蔽した方が良さそうですね。大賢者が絶対的な力を持っている、と言う全世界共通認識が根底から覆されかねない重大問題ですよ?」
「ん…トートを軽視する国家が現れる可能性が高い」
「わ、悪かったよ…でもあれは色々な不運が重なってだな?いやそもそも、」
「チト君?言い訳無用、やで?」
「むぐ……」
葵によって片手間で強制的に口を魔法で塞がれたチトは、その気になれば簡単に口を開ける事実を抱えながらも葵の満面の笑みに逆らえず大人しく口を閉ざして視線を泳がせた。どうやらチトは完全に葵に頭が上がらなくなってきているらしい。流石に自国の大賢者の情けなさすぎる姿にルシエが吹き出し、ヴィルが苦笑を浮べるとそれに気付いたチトは不満げに睨みつけて、それにつられて全員が笑い出した。尚チトは相変わらず葵の魔法によって口を塞がれたままであり、喉奥でくつくつと笑うだけだったとここに記しておく。
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