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103話 振り絞って

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ヴィルの魔法が発動し声を張り上げた刹那、魔王の周囲に張られていた結界が意図的な隙を作りだし、本体を勢いよく貫く。心臓部分を狙ったソレが外れる事はなかった。自ら狙った事で、ヴィルを信じていた筈だった。それでも尚二人の表情は驚愕に染まり、完全に動きを止める。一番に動き出したのは、自ら結末を受け入れた魔王…否、複製体であった。



「———こんな、あっさり負けちゃうなら助言はいらんかったかもね」

「勘弁してくれ…こっちは限界寸前だ」

「えぇ~?」



酷く人間らしい、呆れ交じりの苦笑を浮かべた魔王…否、イブキの複製体は、傷だらけで倒れ込んでくるヴィルを抱き留めてそっと頭を一撫でしてみせた。未来ある優秀な成果を収めた若者を労わるようで、それでいて幼い子供を可愛がるような仕草はイブキが嘗てどのような立場に在ったのかを思わせる曖昧さがある。素直にその手を受け入れたヴィルはようやく全身に伸し掛かっていた緊張感や恐怖心、そして達成感に脳内が溢れていくのを感じながらも強張った力を抜いた。


「んふ、偉いぞ~ヴィル君、君こそが今代の勇者だ!先代勇者のこの私、イブキが自信をもって認定してあげよう!それから…ルシエちゃんと、オルコスちゃんだよね?二人も本当に優秀な魔法使いとして良く戦えていたね。隙を作らせない魔法の選び方、限界を見極める器用な聖属性魔法。もし私が複製体じゃなくて本体だったら、全力で君達三人の師匠になりたいって自己推薦していたと思うよ。君達みたいな将来性の高い魔法使いの成長を間近で見れるなんて、ご褒美だからね!」


葵とよく似た明るい口調で、けれども一切周りに口を挟ませない怒涛の感想を満面の笑みで並べていく複製体は、そんな一見友好的な様子とは裏腹に無詠唱、杖も使うことなく複製体自身に向けて自ら攻撃魔法を浮かべた。理解が追い付かず呆然とする二人と、気付いていないヴィル。そして離れた位置から結末を見届けていたチト達三人に気付いた複製体は心底可笑しそうに笑う。


「ごめんごめん、勘違いさせちゃったかな?大丈夫、ヴィル君に怪我はさせないよ。ほら、チト君パース!!」

「ぱ、す?っておい、うおっ!?」


無邪気に口角を上げて戸惑うヴィルへ重力操作魔法を使ったイブキは、その身体をチト達三人が居る方向へ放り投げた。けれども器用にチト達に触れる直前で風魔法を用いて衝撃を吸収させたらしい妙な器用さは、以前オーフで人質?になった際塔から飛び降りてきた葵が全く同じ要領で魔法を使った姿と重なった。飛ばされてきたヴィルを受け止めたチトはようやく我に返ったのか、ヴィルを抱えたまま複製体達の方へと駆け寄る。葵とソフィも、何も言わずその後ろ姿を追いかけた。


「…え……っと、」

「ふふ、もしかしなくても戸惑ってる?」

「そりゃあ…思う所がない訳じゃ、ねーし」


どう反応していいのか分からず要領を得ない言葉を一先ず発したチトを前に、複製体は楽しそうに笑った。幼い子供を見守るような緩やかな表情の中に恋愛的な感情は一切伺えない。ただ純粋に、チトが困惑している事実を成長として受け止めて喜ばしいと感じているようだ。思い出したようにヴィルに向けてオルコスが回復魔法を放ったことで自力で動けるようになったヴィルは他の誰でもないチトに抱えられるという不思議な経験に何とも言えない気分になりながらも事の成り行きを静かに見守る事にする。今目の前で広がる二人のやり取りは、決して他人が口出ししてはならないまるで親子の会話の様な空気感が確かに広がっていたからだった。


「その、発動待機中の攻撃魔法は何?」

「これ?あぁ…私が血迷ったりしない様に保険、みたいな。大丈夫、絶対他の誰も傷付けないって約束するから」

「そういう意味じゃなくて…いや、そういう意味、でもあるんだけど…」

「うんうん、言いたいことは分かるよ?きっとチト君は、私が言う皆の中に私が入っていない事実を気にしてくれてるんだよね。でも、これは仕方がない事なんだ。私、もう純粋な複製体じゃない自覚がちゃんとあるから」


複製体からは一切の殺気が感じられなかった。先程ヴィルによって放たれた白焔は確かに複製体を貫き、魔王としての機能を完全に停止させた。それでも複製体に元から備えられていた修復機能が発動しようと、魔王として役目を終え消滅を求める世界樹に対抗して今の複製体は自我を保っているようだ。傷口は塞がる事無く、けれどもそれ以上広がる事もない。そんな自らの傷にそっと手のひらで触れた複製体は、改めて困ったような笑みを浮かべてチトを見詰めた。


「チト君なら、この身体の修復能力の高さは理解しているでしょ?でも、さっきから全く修復が進んでいない。それなのに、崩壊も始まらない。今の私には勇者兼大賢者イブキの記憶も、この世界に来る以前の彼女の記憶も、そして魔王としての記憶も全てが備わっている。それでも……今の私はその中のどれでもない存在であるって本能が理解している。…人形の身体に本能なんてものが存在するのかどうかは分からないけどね」


自分だけに向けて発動の瞬間を待ちわびる攻撃魔法の一つに、複製体は何でもない様な仕草で触れた。途端に指先が飛び散る。見るだけでも痛みを感じるその状況下で、複製体は一切の感覚を得ていない様に見えた。事実、本来複製体に備えられていた痛覚機能は完全に停止している。最早複製体は、複製体ですらなくなっているのだ。


「こんな役目、誰にも背負わせたくなかったんだ。これだけは絶対に証明できる、本音。だから…私の機能(いのち)は、私の手で終わらせる。本当は皆の前でやる事も嫌なんだ。だけど、私を…この器を止める絶対的な力が必要だから。ごめんね、チト君。きっと本体(わたし)は貴方に何も言わずキーフへ向かって、そのままだったんだよね。だけど、これだけは言わせて欲しい。……私達が貴方へ向ける想いは、今も昔も、未来永劫変わらない。私達は貴方の過去。そして今貴方の身の回りには沢山の未来が居る。どうか、未来を見て、視て、観て、看て…そして、信じてあげて」


今のチトに、その言葉の意味は何も分からなかった。けれども複製体は、それで構わないと言外にチトへ伝えてくれていた。それだけは、チトにも理解できたのだ。だから頷いた。過去の言葉として、今受け止めた全てを忘れない事を、未来に向けて、実行していく事を、誓う意味を込めて頷いたのである。真剣な瞳を浮かべていた複製体は満足気に笑って、それから少し離れたところで様子を窺っていた葵とソフィの方へ向けた。


「ソフィ君には、もうお願い事は伝えてあるからね。約束、守ってね?」


たったそれだけで、ソフィの優秀な記録は迷宮内でイブキと交わした約束に辿り着く。もしイブキが居なくなった時、そんな約束をした気がする。まさか、この時から彼女は今の未来を想定していたのだろうか。それは人間だから想定できた未来なのだろうか、それとも…彼女が特別だったのだろうか。ソフィもまた、複製体の発言を聞いて理解には至れなかった。それでも問題ない事は矢張り分かっていて、苦笑を浮かべ肩を竦めながらも小さく頷くだけに留めた。


「さて…問題はあおいちゃんかなぁ。さっき少しお話させてもらったけど…もっと話したいことは沢山ある。そんな時間ないのにねぇ…、…うん、でも、これだけは。改めて、にっちゃうかもだけど…」


ずっと沈黙を保って一部始終の閲覧者に身を置いていた葵は、不意に自分に向けて複製体が話題を持ち掛けた事に本当に驚いた。ソフィに話を振った時点でも困惑気味だったが、まさかあくまで複製体の記録にとっては赤の他人で先ほど少し会話しただけの相手である葵に話しかけられるほど、この世界にいた頃のイブキの精神性に余裕があったとは思っていなかったからである。一貫してチトの為だけに行動し続けた傲慢な彼女は、どんな状況でも一番最初にチトの存在を念頭に置いていた。それは、こうして今会話を交わし大切な想いを伝えた瞬間まで変わらなかった。正直なところこのまま逝ってしまうのだろうと葵は考えていた。それで構わなかったのだ。話したいことは、言いたいことは、全て封印を解除した際に話しきれた。それで満足していたというのに。


「…ウチかて未来でとは言え自分の子供の事くらいちゃんと頭にあるわ、ぼけ」

「なっ…、…うぅ、別に何も言うてへんし」

「全部顔に描いとったで」

「………、」


瞳を細められて、先程までの感情豊かな調子は一体どこへ行ってしまったというのだろう。むすりと不機嫌そうに罵られて図星だった葵は、全力で顔を逸らす以外に出来る事が無くて視線を泳がせた。そんな葵の様子に何を思ったのかくすりと笑った複製体は、何故か楽しそうに口角を緩めて葵を見詰める。そうしてわざとらしく息を吸う仕草を見せつけられれば、決して聞き逃してはならない話だろうと無意識で身構えてしまうのは仕方がない話だった。


「———チト君の事、よろしくな!!!!」

「しねっっっっっっっ!!!!ウチの純粋な気持ち返せや!!!!」

「あっはははははははははは!!!」

「この魔王め、今度こそウチがこの手で討伐したる!表出ろや!!」

「ふふ、それじゃヤーさんやで?京女はお淑やかやないと!」

「うっるさい!!!」


やっぱり複製体は、イブキは、母親は、どこまでも傲慢な人間だった。古今東西、チトの母親に始まって親と言う立場は揃ってどうしてこうも頭のネジが幾つか外れているのだろうか。こんな状況、普通に考えたら葵の身体を心配するとか、それくらいするのが常識だろう。それをこの複製体ときたら、最期まで自分が好きな人の心配ばかりして、その癖態度では絶対見せない様に全力で覆い隠して。本当に何がしたいのだろうか!!嗚呼、腹が立つ…けれども、これが自分が出来る本当の家族との最後の会話なのかと思うと、それだけで何とも言えない寒々しい感覚が葵の胸中を燻った。こうなる事を複製体も理解していたのだろう。実際、葵が想定した言葉を向ける事だって当然出来た。それでも、複製体も葵も、自分の言動が重苦しい空気を作る可能性を全力で忌避する性格だったから。


「そんなとこまで、似ないで良かったのに…」

「んふ、じゃあこれで本当にお別れだね。色々引っ掻き回しちゃったけど…私、皆にこうやって敢えて本当に良かったって思ってる!だから、最後の最後まで迷惑かけて申し訳ないけど…よろしくね」


あっさりしていた。刻みよく歩幅を進めて一同から距離をとった複製体は、満面の笑みと共に迷わず攻撃魔法を自分だけに向けて放った。一切の防御がない全方位から放たれた攻撃は全てが複製体を抉っていく。けれども人形から血が流れる事はなく、そしてどれだけ傷だらけになり自立が不可能になっても、崩壊も再生も見せなかった。見せていないのに、何処からともなく溢れた鋭く気味が悪い重苦しい魔力だけが、本当の意味で複製体が制御を手放し機能を停止させた事実を物語っていて。


これまでずっと困惑気味だった表情を無へと変えたチトは、静かに杖を呼び出し構えた。他の五人も迷わず真剣な表情で杖を握りしめる。完全に攻撃魔法が止まり、複製体の核の部分にヒビが入った瞬間だった。これまで一切行われていなかった再生が、高速で始まる。見る見るうちに心臓部分が作り上げられ、肩から腕、腹から太もも、首から、顔。改めて傷一つない複製体と相まみえた時、そこに浮かぶ表情は魔王だった時とも、そしてイブキの複製体であった時とも大きく異なっていた。何一つ宿さない蒼い瞳が六人を捉える。杖を向け警戒されている事実にわざとらしく首を傾げた人形は、ケラケラと嗤って肩に掛かった髪を払った。



「———魔王は討タレた。そしテ、世界樹を騙ス目標も達成さレタ!私、上手に出来テたよネ?」



誰かが舌打ちを零す。誰しもが、自分の口から零れたのだろうと漠然と考えていた。


「大賢者イブキはネ、この世界ガずーッと大嫌いだッタの。残酷で、無慈悲デ、愚かナ世界。当然、コノ世界を支配すル世界樹の事モ大嫌イだった。いツカ痛い目に合わセテやルって思ってタケど、世界ノ調整者でアるソフィ君と出会っタ事でその考エも仕方ナク捨てタ。大人しく還った筈だッタのに、まサかソの世界樹がイブキの事ヲ選ぶ事態ニ発展するトはね。認識した瞬間カラ、絶対ニ世界樹へ嫌がラセしてやロウって、最後のチャンスだッテ、そう思ッタ!」


夢見心地に迷宮の更に上、広い空を仰ぎ笑みを浮かべ続ける人形は、明らかに人体構造上あり得ない向きに首を曲げて同意を求める余暇のように嗤った。初対面であったヴィル達三人でさえ、今目の前の存在が先ほどまで会話していたイブキの複製体とは一切異なるモノだと本能的に理解できる状況で、完璧に六人を騙せていると思い込む人形だけがどこまでも哀れだった。


「魔王は人類の手デ討伐される。筋書さえ守レバ、世界樹ハ一切手出し出来ナイんだから…こレで、見事騙シキったっテ言エルよネ?」


六人がどんな表情を浮かべて、何を思っているのか。唯の人形にはその全てが理解できない。この世界の無機物には本来まともな思考能力すら備わっていないのだから。それを、複製体としてイブキが設計した記録だけを頼りにつなぎ合わせて再現している。ただ場面に合わせて発言を探す発声器にしか、今の人形は成り得なかった。沈黙が支配する現状を、人形だけが心底不思議そうな表情を選び作って浮かべている。その一角だけを切り取るならば、先程までのイブキの複製体と遜色なかったのかもしれない。けれども、全ての動作が、発言が、何もかもが目の前の存在がイブキの複製体とは一切異なる事実を伝え続けていた。



「———君は、イブキちゃんの複製体じゃない。嘗て君の身体を取り込んだ魔人、その残滓が植え付けられた事で捻じ曲がった、ただの人形だ」


「どウシて、そんナ酷い事ヲ言うノ?ソフィ君」




どの口が、そんな反論すら一言でも吐けば止まらなくなるような、明確な苛立ちを作り上げる言動だったから。



人形の発言を受けてゆっくりと目を瞑ったソフィが次にその瞼を開いた時、迷宮全体を通り越して周辺地域一帯に広がったのは無尽蔵に向けられた、圧倒的な殺気だった。



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