100話 小さな親切、
行き場を失くした二人の魔力が宙へ散っていく中、緑の炎と共に見事結界魔法を破って見せたのたのは良く知るエルフだった。妙に調子良く元気いっぱい飛び出してきたかと思えば、破壊された結界魔法の残骸を見下ろして満足そうに腰に手を当てて頷いている。突然過ぎる出来事に呆然とする二人は、ようやく我に返って首を傾げた。
「え…、えぇ…?ソフィ、ですよね…?」
「いやぁ、困った困ったぁ!紆余曲折合って、偶然迷宮探索したい気分になったんだよねぇ!仕方ないよねぇ、そういう気分なんだからぁ!」
「…紆余曲折に、とんでもない情報量が収められている気がする」
「うふふ?」
「なんでもない」
非常に愉しそうな満面の笑みを浮かべたソフィは、ルシエの鋭い呟きを目線一つで封殺して上機嫌に身体を揺らしている。完全に魔法を発動するべく様々な覚悟を固めたばかりだった二人は全身の力が抜けていくのを感じながらも、矢張り困惑が打ち勝つのか言葉を探して口を開いては閉じる事を繰り返していた。そもそもこのエルフ、世界樹へ向かって古より継続されてきた契約に抗う方法を探してくる予定ではなかったのだろうか。世界樹が具体的に世界のどこにあるのかは基本エルフ達が秘匿しているため人類では知る事が出来ない。それでも誰一人として発見した報告が上がらない以上、相当遠い場所にある事は誰しもが理解していた。ならば何がどうすれば、世界樹に向かったはずのソフィが迷宮探索がしたくてトンボ返りしてくるなんて話になったのだろう。
「……ソフィ、」
「本当に偶然、通りかかったんだぁ。それから偶然、君達二人を取り囲んでいた結界を破壊してしまった。いやぁごめんごめん、悪気はなかったんだけどなぁ?」
「えっと、そのままの意味で受け取って問題ないんですよね…?」
強調される”偶然”の連続を前に顔を見合わせた二人は、何か文句を言おうとしながら結局肩を落とす。現状を他者に説明しようものなら到底理解されないだろう規定を大幅に破るまるで卑しい政治家の様な抜け道を見せつけられて、それが結論碌な解決方法が見つからなかった事を分かりやすく伝えているのだ。まさか辿り着いたのが脳筋抜け道作戦でゴリ押しになるとは到底想像もつかなかったが、それでも結果として今がある。あのソフィが、この結果を自らの意志で指示した。感情的な思考に一切の理解を示さず、全ては規定と理屈だけで動く正確であった筈のエルフの象徴ともいえるソフィが、自らの意志でとんでもない選択に踏み込んだのだ。再び顔を見合わせた二人は、結局口元に笑みを浮かべたまま得意気なエルフに視線を戻す。
「……ふふ、今のソフィは随分と人間臭いですね」
「でしょお?ボクもこんな頭が悪いそうな結論に至った瞬間、これまでで一番人間に近付けたって気付けたんだよぉ」
「思考が近付いても、根本が世界の規定に抗う内容である以上、やっている事は人間からかけ離れてるけど」
「もぉ、ルシエちゃん!どうしてそんな興が醒める様な事ばっか言うのさぁ。って言うか、明らかに可笑しな作戦を実行しようと動いていたのは君達二人もでしょう?全く、ボクが間に合わなかったらどうなってた事か…」
結論として人間に大きく近づいた。それでも、小さく頬を膨らませて文句を垂れ流す様子は何処までもいつも通りのソフィである。先程まで自死を目指していた二人は矢張り、緊張感や様々な焦燥感などの感情に支配された末の状況だったのだろう。脱力して苦笑を浮かべた二人は、ばつが悪そうに視線を逸らして肩を竦めた。改めて思い返せば相当可笑しな発想だった。あのソフィから態々口煩く言われるのだから、相当なものだろう。何とも言えない表情で笑った二人を前に、何となく自分が馬鹿にされた事を察したソフィは呆れたような深いため息を吐き捨てた。
「…さて、切り替えようかぁ。ボクは流石にイブキちゃんの複製体…いや、今代の魔王と戦闘行為を行う事は出来ない。魔王に干渉しない決まりがある以上、偶然近くを通りかかるのはさておき敵対行動を行う事は本来意図的に避けるべき状況なんだ。でも…暴走している馬鹿な相棒の頭を引っ叩く事は出来る。これは、魔王との戦闘行為には当たらないからねぇ」
「相棒…?…って、そうだ!ソフィ、向こうで何が起きてるの!ヴィルは…アオイやチトは無事なの!?」
「そうでした!結界が無くなった以上今すぐ援護に向かわなくては…!」
問いを投げておきながら答えを待たずに大慌てで駆けだした二人に向けて自然と結界魔法の保護を行ったソフィは、そんな保護対象から発された背筋が伸びる様な殺気に慌てて魔法を解除した。先程まで相当悪質な結界魔法に閉じ込められていた二人だ。いくら完全に無関係だったソフィとは言え、余計な怒りを思い出させる行為は避けた方が良いだろう。僅かに口角をヒクつかせながらも不干渉を心の中で数回唱えたソフィは、それからふとルシエが一方的に放り投げて行ってしまった問いかけの答えを零した。
「無事かどうかで言えば無事だけど…穏やかな状況ではないかなぁ」
頬に人差し指を当てて小さく首を傾げたソフィは、先程から肌に感じる懐かしくも面倒な気配を前に溜息をつく。衝撃の元凶の方へ駆けだしその状況に驚愕し手固まった二人を置いて、杖先を向けた先にいたのは愛しの相棒だった。風を限界まで圧縮して放たれた鋭い切っ先は、意図も容易く葵とチト、魔王とヴィルを断絶していた結界魔法を破って見せる。ある程度把握していたとはいえ、目視で状況を確認すれば良くない事は明白で。
「…っアオイちゃん、ヴィルさん!!」
「ボクはエトちゃん、君達は魔王が相手だ。いいね、絶対に油断しない事、必ず作戦は共有する事、無理はしない事。…さぁ、行こうか」
「分かった!オルコス、回復だけアオイに、」
「もちろんです!」
突然の乱入者を前に、膠着状態だった戦場は混乱を極めていく。ソフィの乱入に心底驚いた様子の魔王、そんな魔王に杖を向けられたまま瀕死で、それでも目を見開いてルシエ達の登場に困惑するヴィル。新たな魔法使いの登場に煩わし気に眉を歪めたチト、そして脱力して膝をつく葵。結末が定まりつつあったその空間に、突風が吹きこんだのである。
―――
「やぁ、相棒?葵ちゃんも遅くなってごめんねぇ?」
「エルフ?…なんだお前、一切勝機が見えてこない。相当な実力者が、何故人間を庇う…?」
「はいはい、君は一旦黙ってて」
「な、」
ソフィの出現に警戒心を何段階も引き上げたチトが情報を求めようと口を開く中で、煩わしそうに瞼を細めたかと思えば結界魔法をチトの周囲に展開したソフィは慌てた様子もなく葵へと近付いて行った。一切の攻撃要素がない代わりに無駄に高性能な遮音性を持つ結界に囚われたチトは急いで解除を試みるが、一筋縄ではいかないらしい。眉を顰めて本気で解読を始めたためにこちらから意識は完全に逸れてしまった。油断、けれども強者を相手にするからこその傲慢な油断を前に僅かに鼻を鳴らしたソフィは、それでも何かを言う訳でもなく葵だけに意識を向ける。
「ソフィ、だ…なんで?何しに来たの」
「随分と派手にやられちゃったみたいだねぇ。このままだと君、いくら不定期でルコちゃんの回復があるとしたって死んじゃうよぉ?」
「…っ、」
葵が崩れ落ちる目の前まで進み座り込んだソフィは、普段と変わらない口調でその表情を覗き込んで見せた。小首を傾げて致命傷寸前の攻撃を何度か喰らった様子の葵の衣類に気付き、片手間で新品同様に戻して微笑む。何故チトは確実に殺せる状態の葵を殺さなかったのだろうか。まるで相手を試すような曖昧な攻撃魔法が幾度となく積み重ねられた跡を前に、いたぶる意図が無かった事が透けて見えた。反応を確かめる様な、言わば反抗期の子供の様な漠然とした敵対感。それが発揮された事に気付いたのである。チラリと視線を向ければ結界魔法の解読は半分ほどまで進んでいるようだ。そこまで呑気にしている時間もないだろう。
「葵ちゃん、君…こんな所で死にたいの?」
「だって…私化け物、だし…チト君に殺されるなら、悪くないかなって…思って、」
「うぅん、君が化け物なら、ボクは一体何者なんだい?」
「ソフィはソピアー、でしょ。悠久の時を生きるエルフであり、世界の調整者。私みたいな無力で無利益な人間とは違う」
解読は殆ど完了していたが、最後の一手が見つからないらしいチトは方向性を転換し攻撃魔法を使用し始めた。激しい魔力の揺れと衝撃が周囲に響き渡るが、全ては防音機能を完璧に兼ね備えただけである筈のソフィの結界魔法によって防がれてしまっている。一方で完全に戦闘意欲を失ったらしい葵は杖を床に落として、ぼそぼそと聞こえるか聞こえないかの狭間な声量でソフィの問いに丁寧に答えるばかりだった。言い訳はない、ただ事実を淡々と述べるだけ。お決まりの元気印すら見せない様子は、すっかり葵が憔悴してしまっている事を分かりやすく示している。
「…エトちゃん、様子が可笑しいけどどうしたの?」
「知らない。複製体は愉しくなるよう調整した、としか言わなかったし」
「へぇ、アレが何かしたのか。えーっと?…成程、過去の記憶を再生する魔法陣と似た効果を発揮する魔法みたいだねぇ。けれども、失敗作だ。本来の目的から外れたこの魔法の効果は、対象者の記憶を一時的に消去させ過去に引き戻す事らしい。えぇ、イブキちゃんって自力でこの魔法を完成させようとしてたんだ…末恐ろしいねぇ」
ワザとらしく腕を摩って肩を竦めたソフィは、離れた位置でヴィル達三人と対峙している魔王の方へと僅かに視線をやった。イブキ本人の記録を持つ複製体であれば、そこに魔王としての多大な魔力の補助によって再現不可能である筈だった魔法を使う事も確かに容易なのだろう。そもそも碌に戦闘できるかも曖昧だったチトを颯爽と対話不能状態に陥れるとは、流石は大賢者イブキの記録を持つ複製体とでも言うべきなのだろうか。本当に厄介な魔法を残していったものである、なんて言葉で片付けられれば良いのだが、そうもいかない現状でソフィに出来る事は複製体が一体どこまで現状を把握し行動に移しているのかを判断する事だった。とまぁ色々考えなければならない事はあるのだが、まずは目の前の相棒だろう。
「あの状況は恐らく、母上を亡くして直ぐのエトちゃんだろうねぇ。感情を制御できず、自暴自棄も同然に暴れ回る事で自我を保とうと必死だった頃の彼そのものだ。…ふむ、魔法は精神に付与されているらしいから、隙をついて大量の魔力で上書きすれば解除は可能らしいよぉ?うーん、やっぱり葵ちゃんが適任かなぁ?」
「…なんで。ソフィの方がよっぽど魔力も技術も高いでしょ」
「ボクには難しいと思うよぉ。だって、ボクが何をしても強力なエルフだからって理由がエトちゃんの中で確立されてしまう。一方で葵ちゃんであれば人類最強に等しい実力と、何より人間であると言う前提を前に何をするか分からない、と言う根本的な圧を駆ける事も出来るんだ。…説明が曖昧だなぁ、要は君が何をするのか分からないから、エトちゃんの動揺を誘って隙を見付けられるって話」
淡々と、矢張り普段通りの調子で言葉を並べていくソフィは何処までも冷静だった。他事に思考を回せるくらいには、目の前のチトが見せつける異常事態をどうとも捉えていないのだ。最早、毒や麻痺に等しい状態異常とでも認識しているのではないだろうか。結局ソフィは何処まで進んでもエルフであり、人間を完全に理解する日は永遠に訪れないのだろう。それでも、今のチトが陥った状況から引き戻す相手は自分ではないと確かに理解したのだ。ソフィが動けば、正直な話強制的に魔法でもなんでも使って元ある姿に引き戻せるだろう。しかし、それではチトにとっても、勿論葵にとっても意味がないと感じたのだ。
「葵ちゃんはさぁ、エトちゃんの事どう思ってるのぉ?」
「何、急に」
「えーっとねぇ…今エトちゃんに使われた魔法の完全な解析が完了したんだけどぉ…やっぱり、解除方法を見る限り、ボクが手を出すのは遠慮したいんだぁ」
何度でも繰り返す話だが、ソフィはエルフである。結局人の心など分からないのだ。どれだけ近付けたとしても、これまで悠久の時を独りで生きてきた時間と経験は彼を人間の枠に留める事を許さない。擁護するが、ソフィは全力で、それはもう最大限に葵に気を遣って発現しようとしているのだ。彼の中では世界で一番素晴らしい最適解だと信じ切った上で、この発言を口にした事を理解して欲しい。
悪気は一切ない、本当にないのだ。
そんな前提を並べた上で、ソフィは葵に対してたった一つの嘘を貫く事を決めた。
「エトちゃんを正気に戻す為の方法なんだけどぉ…簡単に言うとねぇ?———接吻、なんだぁ」
「……は?????????」
祝、第100話到達!本編は完結が近付いてきましたが最後まで気を抜かず書き上げます。是非最後までお付き合い下さい!
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