98話 大逆転の発想
「さん…っ、ルシエさん!!」
「んっ!?…お、オルコス?なんでそんなに慌てて…、」
「どうやらわたくし達は一杯食わされたようです!」
「んぇ…?」
時は丁度チトの言葉の刃が葵に突き刺さったばかりの事、疲労が祟ったのかいつの間にかぐっすり寝言っていたルシエはオルコスによって強制的に叩き起こされた。身体を揺さぶられて彼女らしからぬ大声で呼びかけられて無理矢理身体を起こすが、石畳の床に転がっていたからか全身の節々に鈍い痛みが走って思わず眉を顰める。直接地面と接していた部位を摩りながら起き上がった刹那響き渡った轟音に全ての現状を思い出したルシエは、混乱すら置き去りにオルコスに掴みかかった。
「な、何が起きてるの!明らかに何かが始まっている音がする!」
「落ち着いてくださいルシエさん、今最も必要なのは冷静さをいち早く取り戻し現状打破の方法を探す事です。これは恐らくの話になりますが、チトさんがわたくしとルシエさんに聖属性魔法を使って睡眠効果を齎したものかと思われます。わたくしは元々ある程度の体勢を持っており、尚且つ定期的に状態異常解除の魔法を使用する癖がついていたのでどうにか自力で起床し、ルシエさんを起き上がらせる事にも成功しましたが…」
「睡眠の魔法、ルシエとオルコス…ここにいない、三人」
「間違いありません。チトさん達はわたくし達二人を蚊帳の外にするつもりです」
「……ムカつく、」
二人の周囲を取り囲むのは、安全地帯の結界内で念のために、と葵が改めて展開してくれた保護の結界だ。何が念のためだ、なんて悪態をついたルシエが結界に向けて手のひらを伸ばしたが、何かに拒まれる様にその先に進むことは出来なかった。睡眠の魔法の時点である程度察していたが、万が一二人が起床した場合を加味して物理的にも出られない状況を作られているらしい。思わず舌打ちを零して可能性を探る様に床に触れるが、隙間なく半円状に展開された結界に抜け道は存在しなかった。
「どうしよう…っ、どうしたらいいのでしょうか…!」
「こんなの、」
直ぐに杖を呼び出し結界の解読を始めるが、片手間で展開されたとは思えない程に複雑な文言を意図的に積み重ねられた結界を常時展開するための魔法陣に今のルシエが出来る事は何もなかった。二人が混乱している間にも少し離れた方角から激しい戦闘音は鳴り響き続いており、不定期で地面が揺れたり周囲の壁が崩れたりしている。それなりに魔力を込めた魔力弾や黒焔魔法を結界に向けて放ってみても、今の二人の実力でが威力が全く足りずあっさり吸収されて何もなかったかのように結界はその姿を保ち続けていた。魔法も物理も何の効果もない状況で、ただの学生でしかない二人に一体何が出来るというのだろうか。
「せめて、仙桃の状況が分かれば少しは出来る事があるかもしれないのに…」
下唇を噛んだルシエは、困難だと分かっていながらそれでも結界の解読を進める手を止めない。結界内限定とはいえ魔法はしっかり使えるのだ。小さな穴一つでも開けることが出来れば確実に前進が見込めるだろう。オルコスが最初に話していた通り冷静さを取り戻そうと試みるが、響き渡る戦闘音が全てを崩して指先を震わせる。それでも、数少ない針に糸を通すような可能性をルシエは捨てる事が出来なかった。そんなルシエの考えを押さえつけたのは、不意に握りしめていた杖を静かに下したオルコスである。
「———もう、やめましょう」
「…っえ、オルコス?」
「わたくし達は、気を遣われたのです。元々戦闘に際して我々が足手まといになる事は明白でした。わたくし達を庇って行動するより、安全な場所に匿って動いた方が余程効率的で、理に適っていたのでしょう。それくらい、分かっていた筈です」
「……、」
哀愁入り混じった、どこか疲れたような表情を浮かべたオルコスを前に、解読ばかりに向いていたルシエの意識が一瞬で引き戻される。何か言葉を発しようと口を開けたが、結局喉を振るわせる事は叶わずその口は閉ざされてしまった。そんな様子に苦笑を浮かべたオルコスは、再び口を開く。
「結局、守られるだけなら…せめて、皆さんの思惑通りに動くべきだとは思いませんか?それが、今のわたくし達二人に出来る最大限の貢献だと、気付いてしまったのです」
「皆の思惑通りに、か…」
無表情に思考を回したルシエは、やがてオルコス同様に杖を下ろして肩を落とした。そのまま力が抜けた様にその場に座り込んで、ぼんやりと結界に背中を預けてもたれかかる。ひんやりと冷たい結界は、自分達と先に進んだ三人との間に立ち塞がる越えられない壁と熱量の差を見せつけてきているような気がして嫌になってくる、そう思う自分が一番嫌だった。
「いっつもそう。ルシエは、本当に大切な事は何も知らないまま、蚊帳の外。今回の準備期間に散々思い知らされた。名前も知らない貴族や商人から向けられた、正当性の欠片もない愚かな契約書の束、国の重鎮から無意味に掛けられる圧力。全部、知らなかった。きっと…これまでは全部、ヴィルが守ってくれてたんだと思う。でも今回は事情が違う、ヴィルは魔王討伐に関してのみ上層部の議会から外されて、結果ルシエに関わる現状にも何も動けなかった」
「…トート第二王子のお気に入り…鳥籠の金糸雀は、他国でも有名な話ですからね。ルシエさんに取り入るだけでトートを実質的に動かしているとさえ言われる第二王子の意志を左右できると判断する愚者は、これまでも少なくなかった筈です」
「今回も…魔王討伐も、ルシエは知らない間に守られて、それだけで終わるのかな」
自然と下がった視線の先で、ローブの裾を強く握りしめた自分の手が余りにも頼りない現実に気付いたルシエはくしゃりと表情を歪ませて不器用な笑みを浮かべる事しか出来なかった。改めて口にして、改めて理解する現実。学園に入学していこう一体何度この現実と向き合おうとして有耶無耶にしてきたのだろうか。ルシエ自身何かしらの方法で解決するべきだと理解している現状は、これまでが余りにも完璧な鳥籠であったからこそ例えその出入り口が常に解放されていると知っていようとも一歩を踏み出すには至らなかったのだ。ヴィルが作り上げてくれた箱庭の世界を壊す勇気も、自らの足で進む自信も、何もかもがルシエには足りていなかった。全て理解している癖に、いつも現状維持ばかりを掲げる意気地なし。
「…無知なのは、ルシエさんだけではありませんよ。わたくしだって、聖女とさえ民から呼ばれる身分でありながら知らない事の方が多いのです。身近な問題で言えば、オーフの貧困街が良い例と言えます。古本屋の店主殿は確実にあの場所の存在を認識していました。その上で、これまでの会話できっかけすら齎す事はなかったのです。きっと、わたくしの力不足や、把握したところで何もできないだろうと判断されたからだったのでしょう。信頼を勝ち取れなかった、これが全てです」
「ヴィルが守ってくれるのも、ルシエが独りで生きていけるって信頼されてないから?」
「……ごめんなさい、わたくしにその問いに対する否定は出来ません。事実、そう言われてしまう程貴女はヴィルさんから継続的に保護されています。自覚がなかった事、それこそが一番の証明であり、貴女の抱える大きな欠点でもあるとわたくしは常日頃から判断しておりました」
「…嫌な事言わせて、ごめん。はっきり伝えてくれて寧ろ助かった」
オルコスは、落ち込むルシエを前に言葉を選ばなかった。日常的に用いている聖女らしい万人受けする言葉を使う事を自らの意志で拒否したのである。今現状で求められているのは迷える子羊を救い上げる様な、そんな平坦な言葉ではなかった。向き合わなければならない現実を前に、第三者としてはっきり突きつけられる事をルシエは分かりやすく望んでいたのだ。勿論僅かながら迷いもあった。ルシエの望みを叶える事は、並行して自らが聖女として振る舞ってきたこれまでの経歴を否定する事に等しかったからだ。聖女は万能でなければならない。万人に好かれていなければならない。それは、腐敗していようが国家がどれだけ疲弊していようが変わらない、聖女として求められる全てだった。それをオルコスは初めて真っ向から否定した。言動をもって、その前提を覆して見せたのだ。果たして今の自分は聖女と呼ばれる資格を有しているのだろうか。不思議とそんな当たり前のように浮かぶはずだった疑問は、オルコスの中に一瞬でも浮かんでくることはなかった。
「悔しいですね。オーフとトートを様々な思惑はさておき、結ぶための懸け橋になるべく意思を託されて留学生になったというのに、自国の古から伝わる歴史についての理解や革命の実態に至るまで、わたくしは何一つ正しく理解できていなかったのですから。それなのに、何もかもを知ったような気で胸を張っていた。…よく考えれば、チトさんもアオイちゃんもヴィルさんも、皆さんわたくし達に知らせていない事の方が多い方々だったのに」
「信用されているから、この場所まで連れてきてもらえた。でも、信頼されていないからこの場所に置いて行かれた」
「うわ…本当に酷い言葉ですが、現状を表す上で最も的確な言葉でもありますね」
未だ鳴りやまない戦闘音、止まらない地響き。ありとあらゆる結界魔法の中でも最終系に近いのだろう見事な結界魔法の内部に閉じ込められた二人は、その場に座り込んで気が抜けば零れそうになる雫を堪えて自嘲の笑みを浮かべるしかなかった。信用と信頼、似て非となる言葉を前に絶対的に無力である事を悟った二人は、何をする事も出来ずに俯くしかないのだ。不意に、顔を上げたのはルシエだった。
「腹立つ。ね、もしこの結界内部でルシエ達が怪我をしたら、ヴィル達はどうすると思う?」
「へ?えぇと…攻撃魔法を使用した感じ肉体回復係の文言が組み込まれている雰囲気はありませんが…」
「いっそ、死んでやる」
「それはいけませんね、わたくしが全て完璧に蘇生して見せますから…あれ?そう言えば、先程からほんの少しずつ魔力が減少させられている様な気配を感じませんか?何と言うか…本当に言われても気付けない程微量に、ですが」
「ん?…待って、確認する」
オルコスは最近覚えたばかりの無詠唱魔法を使う上で必要な繊細な魔力操作の能力を持って、ルシエであれば永遠に気付かなかっただろう些細な違和感を口にした。蘇生魔法を使う可能性があるなら準備しなければ、その程度の感覚で魔力を僅かに動かしただけなのだ。それでも、オルコスには違和感が違和感として正しく見えた。これはルシエよりも保有魔力が少ないオルコスだからこそ気付けた点だったのかもしれない。オルコスの呟くような疑問に対してルシエが集中して意図的な魔力感知を行えば、確かに言われた通り微量の魔力が結界に向かって流れ込んでいる事が確認された。吸収されている、と言っても間違いではないだろう。思わぬ気付きに二人そろって顔を見合わせる。
「…ルシエ達の魔力を転用して、結界が維持されてる?」
「確かに…戦闘中常に一か所且つ目視も不可能な位置に結界魔法を展開し続けるのは、いくらアオイちゃんでも厳しいかもしれません。ましてや、わたくし達の不意を突くために片手間を装って展開されたものですから。…つまり、わたくし達が魔力供給を絶てば、」
「必然的に、必要な魔力が不足して結界が維持できなくなる…?」
それは偶然から辿り着いた正答であった。葵が使用した魔法陣は、二人の推測通り結界内の魔力を吸収する事で高い効果を維持する為の文言が組み込まれた。葵が絶対に気付かれないと過信していた、自身が戦闘に集中する上で辿り着いた些細でありながら絶対的な仕掛けである。一応気付かれたところで対処のしようもないだろうと思い込んでいたのだ。つまるところ、葵は二人が持つ存外イカレた思考回路を舐めていたのである。
「よしオルコス、事前に死者蘇生の魔法陣を設置しておけば一緒に死んでも一緒に蘇るよね」
「ルシエさんがわたくし達二人を殺害し、わたくしが蘇生すれば完璧ですね!」
一時的とはいえ確実な死を目前としているにも拘らず、その会話の調子は上機嫌とさえいえた。それもそのはず、たった一度死ぬだけで自分達の価値を決めつけた三人を覆せる可能性を見付けたのだ、これは復讐とさえ言えた。確かに二人は無力かもしれないが、だからと言って事前の話し合い一つなく戦闘から引きはがすのは如何なものか。それは聊か不誠実と言えるのではないだろうか。的確な様で妙にズレた思考回路は、極限状態に追い込まれたからこそ正しいものとして二人の間で成立してしまった。せめて、自らの死を大切な三人に見届けて欲しい。それくらい思えてしまうのは傲慢だろうか。…因みに傲慢である。
「死者蘇生ってどんな感じ?」
「自分に使った事はないので分かりません。ですが、多分大丈夫です、いける気がします!」
「…じゃあ、もし死んじゃった時はその時って事で。足手まといが死んでも戦闘結果に直結する訳じゃないし」
「ルシエさんこそ、しっかり確殺して下さいね?中途半端に生き延びて苦しむなんてわたくし嫌ですよ?」
「分かってる、任せろ」
日常的に街中で遊び歩いている時と変わらない様な、そんなのんびりとした調子で刻みよく進む会話にツッコミを入れられる者は存在しない。二人だけの結界内と言う箱庭で、互いにそれなりに頭のネジを落とした作戦である事は理解していたが、このままぼんやりしているだけで勝敗問わず何かしらの決着がつくだなんて到底耐えられるものではなかったのである。
「即死と言えば、矢張り黒焔。あれを一か所に集めて爆発させて、結界内全部を埋めれば確実にルシエ達も塵になって死ぬ」
「うんうん、聖属性魔法を一度発動さえすれば同じ聖属性魔法以外で一切魔法的干渉を受けないという特性があるんですよ?これ国家主体の機密情報なんですけどね。…つまり、黒焔の発動で影響される心配はありませんので全力で殺しちゃって下さい!それでは――――――大地に咲く全ての草花よ、空を駆ける数多の風よ、どこまでも蒼き空の果てよ、終焉より全てを導き再び君臨させよ。…発動待機、世の理を超越せよ…」
「…ん、いくよ」
膝をついて祈りをの姿勢を構えたオルコスの詠唱と共に、周囲に白い光が広がり何処からともなく吹き抜ける風が包み込む。温かい、まるで羽毛に包まれたような心地を全身で浴びながらも立ち上がり杖を構えたルシエは、ニヤリと口角を緩めながら杖先に全ての神経を集中させ体内の魔力を込め発動の為の詠唱を告げるべく唇を舐めた。
「焼き尽く、」
「ちょぉーーーーーーっと待ったぁあああ!!!!!」
「…は?」
「……ほぇ?」
最後の一言を告げる寸前、二人を取り囲んでいた頑丈な結界魔法はガラス窓が割れるかのように呆気なく破壊され、周囲にキラキラと飛び散ったのである。残ったのは魔力の発動を失って宙へ散ったルシエのそれと、行き場を失くし気が抜けた様に光を失っていったオルコスの魔力、そして…乱雑に飛び散った翠の炎だった。
☆評価やブックマークで応援して頂けると励みになります。次回も是非御一読下さい。




