97話 雑音
漏れ出る魔力を強引に杖先に押し込んで放たれた雷属性魔法を、着弾点を予測し部分的に展開した結界魔法で塞いだ葵は一瞬の隙を見て重力操作魔法を使ってチトから距離を取る。油断すれば接近を許し、距離が縮まる事は魔法発動から接触までの思考時間を奪われる事と同義である。少しでも空間を把握し的確な思考をもって冷静な対応を継続する事、それが今の葵に出来る最適解だった。
「確かに強い、けど…」
僅かな間を経て攻撃魔法の雨を放たれるが丁寧にさばき続ける葵は、次の魔法に対する防御手段を組み終えてから小さく息を吐いた。一瞬の油断が即死を招く危険な状況ではあるが、チトがどれ程殺意を込めた魔法を放とうとも対処出来ない内容は一度もなかったのである。葵が攻撃を防げば防ぐほどチトの攻撃の手数は比例して増え続けていったが、同時に対処が簡単になってきているのだ。
「感情任せに放たれた魔法は、弱い」
過去の記録やこの世界で直接得た魔法に関する知識や経験の全てが、その結論を証明していた。葵の周囲に現れた複数の魔法陣を自身を取り囲むように円形状に結界魔法を展開し完璧に防いで、未だ息を荒げて睨みつけてくる鋭い視線に肩を竦め単純な魔力弾を打ち返す。そこには殺意どころか害意すら殆どなく、純粋な時間稼ぎである事は混乱の渦中にいるチトでも直ぐに理解できた。だからこそ、納得がいかない。現状も、葵の真意も、何もかもが分からなかったのである。
「んだよ……っ何なんだよお前は!!」
どれ程チトが魔法を放っても、全てが事前に想定されていたかのように完璧に対処されていく。かすり傷だって入らず、涼しい顔で受け流されてしまうのだ。まるで、チトの戦い方全てを熟知しているかのような気味の悪い感覚は、不老不死の身体を手に入れた事をようやく認め始めた彼にとって、恐怖を抱かせるには十分すぎるものだった。精密性が、反射性が、冷静さが、何もかもが完成されていたのだ。
単純な魔力量や魔力操作、そして戦闘経験に至るまでが目の前の見た目年齢相応の人間の子供に対して自分の方が格上であるにもかかわらず、どんな手を使っても一切通用しない現状はただでさえ冷静さを欠いて大混乱に陥っているチトの精神を更に疲弊させていった。全てにおいて自分が優位に立っているのに、一度だって攻撃が通らない。どんな格上相手でもこれまで攻撃が通らない状況になる事はなかったのに。更にチトを困惑させるのは、目の前の子供の戦い方が己と酷似している事だった。魔法発動の際の癖、結界を張る時の流れ、視線誘導に魔力を動かす際の呼吸の瞬間まで寸分の狂いがない。まるで、自分が知らない自分と戦っていると錯覚してしまいそうな程に自分と子供の在り方は同じだった。まさか人間嫌い筆頭である自分が、目の前の子供に魔法を直接指導したとでも言うのだろうか。あり得る筈がない。こんな子供に関する記録などどれだけ遡っても見つからないし、そんな状況に陥る原因も考え付かない。
―――明らかにそんな筈がないのだ。何故なら今の俺は……、今の、俺は一体…??
チトの脳裏に雑音が走る。耳を貫く様な鋭いそれに思わず眉を歪めるが、謎めいた現状で他事に現を抜かす訳にはいかなかった。今は自分より相手を優先する。そう決めつけたチトは、再び杖先を葵へと向け何度目かも分からない攻撃魔法を放った。
―――
「…へー?そっカ、ヴィル君は王子様なンダ!トート、オーフ、それからキーフ。私ガ知らない未来の話、とっても面白イネ!時代が変ワッテモ、革命は起きル。人間って本当ニ愚かだナ~」
「お気に召してくれたようで何よりだ。正直な話、今の俺は満身創痍な訳で…回復薬を飲む時間位見逃してくれると助かるんだが?」
「ダメだヨー!」
「だよな…」
常に杖先を額に向けられながら、ヴィルは怯えた様子一つ浮かべずこれまで各国で紡がれてきた歴史を丁寧に語った。ここ最近になって様々な転換点が重なっている様な気がして、思わず苦笑を浮かべてしまったが咎められることはなくて内心息を呑む。改めて振り返るだけでも、学園の入学から魔法戦、誕生日騒動にキーフ訪問。オーフの革命に巻き込まれ、最後には世界の未来を賭けた戦いに繰り出されているのだ。波乱万丈にも程があるだろう。
平坦な人生を平穏に生きて、平凡な死を迎えるのだろうと思い込んできた自分が、どんな形かはまだ定まっていないとは言え確実に歴史に名を残す勇者パーティーの一員として、現在進行形で魔王と対峙する事になるとは流石に思っても居なかった。いや、どれだけ突飛な未来予想図を立てても、この結論にだけは確実に至らなかっただろうと明言できる。そんな状況に、ヴィルは独り陥っていたのである。
「…イブキはどうなんだ?何か俺に話したい内容はないのか?」
「ヴィル君ニ私ガ?うーん、そうだなァ…私の昔話ナンテしても退屈だシ、この迷宮を攻略した話に至ってハ君たちが辿った探索と似たような内容ニなっちゃうでショ?」
「歴史書に大賢者イブキの軌跡はそれなりに残されているからな。忠実かどうかはさておき、と言う前置きが必須だが」
「フフーン、意外と現実ガ見えてるんダネ!ヴィル君って」
愉快そうに口角を上げてこてりと首を傾げる姿は葵とよく似て非常に可愛らしいが、決してその杖先がヴィルの額から離れる事はない。到底その顔の良さに他事を考えていられるような状況ではなかった。いつイブキが気を変えて攻撃魔法を放つかは不明だし、実際放たれたとしたら全力で結界魔法を展開したところでヴィルに防げるとは到底思えない。何が気脚気になるかも分からない対話は、事実命懸けの綱渡りである。
…それでも、ヴィルはどこか他人事のようにもういいかなぁ、なんて事を考えていたりした。
魔王に語って見せた自身が生まれてから今日に至るまでの短い人生。少し話すだけでも相当な量に達する、まるで分厚い大衆小説の様な内容だった。もしここで自分が殺されれば、魔王への決定打が無くなってしまう事になりかねないのは理解していたが、ソフィが世界樹に自ら足を運んで現状を打破する方法を探してくれている最中である事は周知された事実だ。現状自分がこの戦いに参加を許された一番の決定打であるトート王族固有の白焔魔法だって、一代に一人しか使えない特殊な存在ではあるが、逆にヴィルが死ねば他の誰かが新たに発生させられる諸刃の剣なのだ。だから王族はこの魔法継承の有無を次期国王候補関係に一切持ち出さないし、そのお陰でヴィルは特別な力を持っていながら今日まで五体満足で生きてくることが出来た。この魔法が王位継承権に関係しているなら、少なくとも腕や足の一本無くなっていた事だろう。
つまりまぁ、自分の死が完全な詰み要素ではないのである。横目でさりげなく確認した葵とチトの戦闘は葵有利で進んでいるようだし、一番の心配だったルシエやオルコスは二人が設置した結界魔法によって完璧にその場から動けなくされている。そろそろ状況に気付く頃かもしれないが、バレたところでここまで来れないなら何の問題もなかった。最早、下手に足掻いて葵の戦闘を鈍らせるくらいならあっさり人質を辞めてしまった方が良いのかもしれない。
絶対に一般人たちが過ごすような人生ではなかった。平均値的に見て短い一生だったともいえる。それでも、学園に編入し突如現れた葵を中心に繰り広げられた沢山の想いでは、総じて良かったと胸を張って言える経験の数々だったと思うのだ。唯一、心当たりがあるとすればこの場には居ないルシエだ。彼女を放ったまま独りで死んでしまう事だけは、本当に良くないかもしれない。彼女が自分に依存している事は知っているし、逆も然り。そうなる様にこちらから仕向けた以上、一方的に関係を絶つ事は不誠実な事のように思えた。せめて、死ぬ時は一緒にって昔から信じてきたのに。それはルシエも同じで、つまりヴィルが死ねばルシエは。
…でも、俺の後を追って死んじゃうのは、ちょっと嫌かもなぁ。
「アッレー、ヴィル君?フラフラしてるケド、大丈夫ソウ?」
「はは、大丈夫ではないだろうな。元々回復薬で強引に傷を塞いでいた所に今の状況だ。手当も放って喋り倒していたからか、状況は俺が想定していたより相当悪いらしい。…つまり、態々イブキが手を下さなくても面倒な白焔魔法を所有する俺は死ぬ、って事だ」
「……フーン?」
ヴィルは常に手元にあった杖を強く握りしめる。せめて一矢報いて何かしら功績を残しておくべきなのではないだろうか。そんな歴史に名を残す立場に成ったからこそ浮かぶ強引な考えは、結局今のヴィルに出来る事は何もないだろうと冷静で無情な正論が全て押しやってしまった。力なく肩を竦めたヴィルを前に興味なさげな反応を見せたイブキは、次の目標を探す様に結界の向こうで未だ戦闘を継続中の葵とチトの方へと視線を向けた。杖先はもう、ヴィルの額から外れている。
「じゃア、ヴィル君ガ死ぬまで待ってあげるヨ」
「……それは、ありがたい話だな。時間稼ぎ役としては最高の結末だ」
―――
「人間っ…お前本当に何者なんだよ!!どうして攻撃が一切通用しない、どうして当然のような顔で今も俺の目の前に立っている!!」
「……」
魔人は人間から見て実質無尽蔵ともいえるだけの圧倒的な魔力量を持っている。それでも尚、今肩で息を荒げるチトが疲労気味なのは、全く制御されない溢れた魔力を短時間で何度も収束させ、連発し続けているからだった。対する葵が保有する魔力は当然チトの十分の一にも満たないが、必要最低限の魔力を丁寧い制御し続けた結果余裕すら残っている。必死に暴れるチトは、どうにかして目の前に突如現れた不明点だらけの人間を殺めようと必死になる余り、最早一体何故ただの人間の少女と戦闘を継続しているのか、そんな単純な理由すら考える余裕がなくなっていた。幾度となく攻撃魔法を放ち、その度に完璧に対処されるだけの繰り返し。苛立ちはやがて暴言へと変わり、躊躇いの一つもないまま葵へと放たれた。
「死ねっ…!!」
無数の言葉と負の感情の呪いを込めて放たれた魔法は、どうしたって葵の完璧な予測によって展開された結界魔法と一部の攻撃魔法による衝撃の緩和によって接近を許されなかった。何をやっても防がれる。まるで、赤子の手を捻る様な葵の冷静で余裕を含んだ反応は、チトの本能的な怒りを増幅させついには思ってもいない言葉を吐き出す。
口をついて出ただけの言葉だったのだろう。確実に、葵に向けて放つには噛み合わない点が多い言葉だった。けれども、たったそれだけの一言を受けただけで、明白に優勢であった筈の葵は急激にその勢いを失った。
「このっ……化け物め!!」
「っ、ぁ…!」
憎しみすら込められた瞳で睨みつけられて迷わず杖を手放した葵の脳内を瞬時に駆け巡ったのは、現代日本で積み重ねた沢山の記憶だった。化け物、それは葵を最も苦しめ続けた言葉であり、葵を指し示す中で最も正しいと葵自身が認めてしまった最悪の単語である。近付かないでくれ、疫病神、不幸を呼ぶ悪魔、全てを纏めて化け物。散々言われ慣れてついには何一つ感情が揺らが無くなった筈だったのに。多少他人から言われたところで、新たな傷を増やす程のものではなくなってきていた筈だったのに。
それでも、どうしても、他の誰でもない…チトにだけは、言われたくなかった…!!!
戦闘が開始してから初めて、葵は結界魔法の制御を間違えた。予測が外れ、正面から強力な攻撃魔法が接触した衝撃による余波を受けた身体は、勢いよく魔王が展開した結界に衝突する。大きな音を立てて石畳の地面に叩き付けられた葵は、そのまま暫く動けないでいた。つい先ほどまで見せつけていた余裕を失くし、痛みに呻きすら上げず沈黙を始めた姿にチトは攻撃を放った側であるにもかかわらず何故だか酷く動揺していた。確実に当たらないだろう、と理解した上で放った魔法であった筈なのに、一体何故目の前の人間の少女は呆気なく攻撃を受け地に伏しているのだろうか。
「っおい、人間…っ」
「私は……、」
「な、なんだ?」
「私は、化け物…だから」
いつの間にか忘れていたんだ。決して忘れてはいけなかった筈なのに。忘れない為に毎日自分を戒めて生きてきたはずだったのに。目前の出来事にばかり気を取られた結果、葵は自らを正す為の最も的確な言葉を自らが信じた相手から向けられる恐怖を忘れてしまっていた。まだ本来の目的である魔王との戦闘にも辿り着いていない以上、絶望を捨てて立ち上がらなければならない。それは、葵に与えられた役目だから。こんな場所で絶望していてはならない。そんな事、葵には許されていないのだから。無性に重たい体に鞭を打って必死に起き上がる葵は、いつからか頬を伝っていた雫に気付く事さえできないままふらふらと立ち上がる。
その瞳に浮かんでいたのは、今のチトが感じている焦燥感を遥かに上回る絶望だった。
メモ「大賢者、お前だけはそのセリフ言ったらアカンって」
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