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96話 開戦


「———来るぞ、」



葵が封印解除を行った瞬間、辺り一帯を眩しい閃光が覆い尽くした。咄嗟に杖を構え目元を腕で覆ったチトとヴィルは、反射で結界魔法を強く張る。直後、結晶は勢いよく大爆発を引き起こした。


「っ…ヴィル、無事か!!」

「なんとか大丈夫、アオイはどうなった!?」

「……問題ないよ、結界発動が間に合った」


迷宮全体が激しく揺れる様な音と砂煙が舞い上がる中で、強い衝撃を受けた壁は一部が崩れ始め剥がれ落ちていく。油断すれば近くの柱が折れるかもしれない状況で、それでも三人は一切の警戒心を緩める事無く爆発の中心から現れた存在に鋭い視線と共に杖先を向けた。コツコツ、と石畳を堂々と踏みしめる靴音が周囲に鳴り響く。細い糸が張り詰めたような緊張感の先で、それは一瞬の出来事である。


「屈めっ!!!」


チトの焦りを滲ませた合図と共に、膨大な魔力が込められた風の刃が三人の頭上を通り抜け遠くの壁を破壊した。大きく石が抉れた轟音に冷や汗を流す三人の首は、あと一秒でも遅ければ繋がっていなかっただろう。乱雑に用いられた風属性魔法によって瞬時に周辺の砂煙が晴れ視界が鮮明になる。その先で笑みを浮かべた存在を認識した途端、チトは表情を歪め杖を強く握りしめた。


白銀の髪、光を失った深海の蒼い瞳。純白のローブに革のベルトやブーツ。漆黒の杖先に取り付けられた結晶の色は血液のように濁った紅色に染まっている。三人の姿を認識し肩に掛かった髪を払ったソレは、ゆるりと口角を上げて瞳を細めた。


「———チト君久しぶりッ!やーっと出られタヨ、封印の中はとっても窮屈だったんダ!久々の外の空気、美味しいネ?」


空っぽの笑み、わざとらしい勢いのある大袈裟な動作、無駄に調子の良い声音。口調は記憶の通りである筈なのに、何処までも不自然と違和感で作り上げられた人形は三人の反応など気にする様子もなく嗤う。そういう所が、どこまでも過去の本人とは決定的に異なっているのだ。けれどもそんな事気にしてすらいない人形は、禍々しい魔力を垂れ流しながら呆然とするチトの正面へ瞬時に移動した。また、嗤う。


「チト君ッ、私と一緒に世界を変えヨウ?チト君は元々魔王の息子ダシ、私の味方になってくれるナラ態々戦う必要もなくなるモン!争いがナイ永遠の世界ヲ作る為ニ、協力するノ、いいでショ?」


動かないチトの頬に手を伸ばし、そっと撫でる指先はまるで人の体温を感じられない無機質なものだった。どれだけ姿かたちが似ていようとも、人形が人間になる日は永遠に来ない。そんな事実をまじまじと見せつけられたような気分に苛まれながら、葵は無表情で事の顛末を見守った。チトの頬に触れていた指先が、ゆっくりと唇を弄ぶ。本人であれば絶対にやらなかっただろう、自らの欲望だけを信じる行為。人形の顔がチトへと近付いていく。それは、ダメだ。その姿でそんな行為に及ぶことだけは絶対に許されない。杖を構えた葵がその魔力の流れをせき止めたのは、接触に固まっていた張本人が勢いよくその手を払ったからだった。心底驚いたように瞳を瞬いた人形は、不思議そうに首を傾げて嗤う。


「どうシテ?」

「違う…っ違う違う違う!!」

「チト君、」

「違うんだ、お前はイブキじゃないっ!!!」


瞬時に杖を構え直し先端を向けた先から放たれたのは、”爆発系の攻撃魔法”だった。碌な範囲指定すらされていない攻撃は、人形が張り出した結界魔法によってチト事保護される。発動者本人すら消し飛ばす勢いがあったその魔法をあっさりと防ぎ切った人形は、馬鹿の一つ覚えで寸分狂いない嗤いを浮かべてチトから距離をとった。


戦闘が、始まる。



―――



「アオイ、俺はどうすればいい」

「今のチト君は完全に混乱しとる。感情的に発動した魔法、しかも制御すら碌にされていないあんなのいくら連発したって誰も当たらない。意味がないんや。…まずはチト君を正気に戻すのが最優先やね」

「正気に戻す、って…そもそもどうやってアレに近付くつもりなんだ?」


念の為最大出力で結界魔法を展開したまま葵に指示を仰いだヴィル。その問いに正解を告げながらも葵の視線は目の前で繰り広げられるチトと人形の戦闘に釘付けだった。只管に高威力の魔法を乱発するチトを相手に、人形は心底理解不能な様子で防御に徹している。傍から見れば完全に弄ばれている事が明確であるにもかかわらず攻撃の手を一切緩めないチトの表情は明確な混乱が浮かんでおり、現状ではどんな言葉をかけようとも普段の調子を取り戻す事がない事は明白だった。いくら普通の人間を凌駕する魔力量を保持しているチトだって、現状維持で不用意な魔法を使い続ければいつか底を尽きる時が来る。そうなれば、チトは死なないにしても暫くの間再起不能な状況に陥ってしまうだろう。戦力の要であるチトが落ちる可能性は最初から考慮されていたが、まさか初っ端からその対応に追われることになるとはチト本人ですら想定していなかったのだ。


何か策を考えなければ埒が明かない。


「複製体の実力がまだ分からない。だからこそ、冷静に戦闘で様子見を行って手数を見極めたいって話やったのに…」

「現状はチトの攻撃に対して複製体が同意力の魔法を放って相殺しているだけ。あれでは何一つ情報は得られないだろう。…だが唯一、例の複製体が俺達の想定を遥かに超えて協力である事だけは理解出来たな」

「うん、勝てる気がしない…って思わされそうになる。これが自我をある程度保有した複製体じゃなければ、チト君はとうの昔に敗北しとったやろうな」


焦りを隠し切れない状況で必死に魔法を打ち続けるチトとは対照的に、人形が浮かべる表情はある程度穏やかとすら言えた。楽しんでいるのかもしれない。今すぐにでも引っ叩いて正気を引き戻したいところではあるが、下手に人形とそっくりな容姿を持つ葵が近付けば、チトの混乱は更に深まるだろう。最悪の場合、攻撃対象になってしまう可能性すらあった。葵でも現状のチトの攻撃であれば防ぎきれない訳ではないが、少なくない代償が必要になる。それくらい目の前で繰り広げられる戦闘以下の何かは、圧倒的なものだった。


「一先ずヴィル君は一旦安全な場所まで下がって、っ!?」


乱戦に巻き込まれればいくら防御に全力を注いでいるヴィルとは言え無事では済まないだろう。一先ず距離を置こうと判断した葵は、突如自身に向けられた高濃度の魔力に慌てて結界魔法を用意するべく杖を握りしめる。けれども威力に対する強度の上昇が間に合わない事を察知し、直ぐにヴィルを風属性魔法で吹き飛ばし効果範囲を狭める判断を下した。土壇場で制御の甘い魔法を向けられたヴィルの身体はそれでも勢いよく飛ばされて、慌てて結界を張ったが強度が足らず近くの壁に勢いよく衝突する。一瞬にして身に着けていた服は破れ、全身に傷と打撲を負ったヴィルはそれでも自身が庇われた事を正しく理解して内頬を噛み締め苦悶の声を堪えた。足手まといが明確化された瞬間である。せめて少しでも葵に心配という名の気を引かない為にヴィルは必死だったのだ。


一方で、走馬灯のように数秒がゆっくりと進む視界の中で、まさに葵を殺めようとしていた魔法は突如飛び込んできた人形に負けず劣らずの禍々しい魔力を放つ物体によって受け止められた。庇われた事実を、意識が追い付いた途端理解した葵は直ぐに姿勢を正して精度の高い結界魔法を周囲に張り巡らせた。


「チト君、」

「馬鹿、離れろっ!!」


強引すぎる重力操作魔法によってその場から押し出された葵は、結界魔法のお陰で近くの壁に衝突するも無傷だった。慌てて体勢を立て直しチトへ駆け寄った葵は、直ぐ不自然な形状で結界魔法が周辺に張り出されている事実に気付く。


「なにこれ、どういう意味…!?」

「っアオイ、チト、無事か!?」

「ぁ、ヴィル君!!ち、チト君が、」

「ぐぅっ…、」


国から大量に押し付けられていた回復薬を飲み干してようやくまともに動けるようになったヴィルが叫ぶように二人の安否を確認してくる。違和感すら押しやって反射的にその問いに答えようとした葵は、直ぐに自身に向けられた禍々しい攻撃魔法の気配に咄嗟に結界魔法を張り直すも耐え切れずに溢れた余波によって全身に切り傷が出来た。刃は頬を切り裂き、鮮血が濡らす感覚を不快に感じて強引にローブの袖で拭う。苦し気に喘ぐチトが名実ともに死なない事を理解している葵は、一先ず目の前の奇行種への対応をするべきだと判断して静かに立ち上がった。


「…何のつもりなの、複製体」

「えぇ?アッハハハハハハハ!!だってチト君、つまらナイんだもン!だったら、邪魔な白焔魔法の使い手ヲ先に倒してカラ色々調べてみようカナって思ってネ!”あおいちゃん”は、折角だしチト君ト遊んでるとイイヨ!愉しくなる様ニ調整してあげるカラ。その間私ハ…君と遊びたいナァ…?」

「遊ぶ?一体何を、」


状況ははっきり言って最悪だった。咄嗟に理解出来なかった結界魔法は、葵とチト、そしてヴィルと人形を完全に分断するように張られていた。それに気付いた葵は思わず舌打ちと共に人形を睨みつけたが、どこ吹く風、寧ろ愉悦に浸った笑みを浮かべて自身の頬を両手の指先で撫でつける始末である。瞬時に結界の内容の解析を試みたが、余りにも複雑すぎるそれを読み解くには時間も余裕も何もかもが足りていなかった。記録と照らし合わせる限り、以前イブキ一行が迷宮攻略に乗り出した際闘技場全体を包んでいたものと近しい原理なのだろう。つまり、チトの理不尽なほどに威力が込められた魔法を防ぎきるだけの絶対的な防御機能に類似した力を持つもの。記録では本体の補助があったと言うのだから多少防御力は下がっているだろうが、それでもお察しの範囲内だろう。安易に動き出せない。結界から出る事は愚か、ヴィルと言う明確な人質まで作られた以上今の葵に出来る事は少しでも時間を稼ぐことだけだった。


遊ぶ、そう人形が吐き出した言葉の意味を必死で分析していれば、背後から意識的に目を背けていた禍々しい魔力が蓋を合ずしたように勢いよく溢れたのを察知して葵はヴィルを護らなければならない気持ちを抑え込んで振り返る。せめて自分がまともに機能しなければヴィルを助けるも何もないのだ。闘技場に残されていた魔力、それよりもどこか痛々しく、無性に泣きたくなるような孤独を感じさせるそれは膨らみ切ると、爆発した。


「…チト君、」


嫌な予感。返事がないとある程度予想した上での問いかけに、案の定答えはなかった。呻くように、覚束ない足取りで立ち上がろうと重心を揺らす。最初は零れた本音、けれどもそれがいつの間にか本能の叫びへと姿を変えていく。



「ぃ…たい、死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい!!!!!!魔族も人間も、俺も、全部死んでしまえばいいんだ!!魔王も、母様も、俺も、全部全部何もかも、大っ嫌いだ!!!」



強引に制御から外された魔力は魔力弾へと姿を変えて葵へ襲い掛かる。混乱の渦に呑まれながらも咄嗟に結界魔法を用いて防いだ葵は、直ぐに結界範囲ギリギリまで距離をとって杖を構えた。ヴィルの進退だけでも考える事は無限にあるのに、目の前の様子は一体何事だ。どう考えたって正気じゃない。いや、正気自体は先ほどから失われつつあったが、これは明らかな異常事態だ。呆然とすることしか出来ない葵の様子に何を思ったのか、腹の底から嗤った人形は愉しそうに言い放つ。


「アハハハッ、何が起きたのカ分からないって顔してるネ!教えてあゲル、特別ダヨ?チト君が受けたのは記憶を引き出す魔法。過去の記憶ヲ強制的に呼び覚ましたんダヨ?折角記録に変わったのニネ、可哀想!つまり今のチト君は…ずーっと昔、まだ愚カナ先代魔王が討伐されたばかりの頃マデ精神が引き戻されテいるノ。アハッ、貴方にチト君を連れ戻す力ハあるのカナァ?」


端の焦げた管理すらままならないボロボロの灰色の翼、光を失った真っ赤な瞳。何より、本人でさえ制御不能状態に陥っている圧倒的な暴走する魔力。目の前で呆然とする葵の姿など意識の端にすらいないのだろう。苦し気に呻いたチトは、感情全てを吐き出すような咆哮と共に周囲を破壊して見せた。


「なん、なんだアレは…っ本当にチトなのか!?…っぐぁ、!?」

「どうシテ油断してるノ?キミは私と一緒ニ遊ぼうヨ!ちゃーんと愉しマセてネ?」


どう考えても異常事態だとしか思えない結界の向こうの景色に完全に気を取られていたヴィルは、突如大きな水の塊によって身体を吹き飛ばされ再び近くの壁に押し付けられる。一切予備動作が見られなかった動きを前に僅かに瞼を細め、敢えて作り出したのは冷静さを装った顔だった。口内に溜まった血液を強引に吐き捨てたヴィルは、杖を支えに立ち上がる。結界の向こうの出来事は今のヴィルにどうする事も出来ない。精々、信じる事くらいしか元々出来ないのだ。ならば今やるべきなのは、せめて葵の無駄な心配を引かない様に正面から人形の気を引く事。少しでも時間を稼ぐこと。葵の安堵を買う事。単純明快、全ての状況における時間稼ぎ以外何もなかった。


「へぇ~そんな顔モ出来るンダ。私はイブキだヨ!キミは?」

「ヴィール…いや、ただのヴィルで構わない。短い間だがよろしく頼む、イブキ」

「ウンウンッ!ヴィル君ってなんダカ不思議ヤネ!絶体絶命の状況なのに、すっごく冷静さんダ。このまま殺しチャウのは勿体ないシ、少しお話しようヨ!」

「そっちから時間稼ぎを提案してくれるなら大歓迎だ。精々イブキがつまらなくならない様な話題を提供するとしよう」

「ハッハーン、言ったなァ?ヴィル君、私の事ちゃーんと楽しまセてネ!」


間違いなく、追加の回復薬を飲む時間は与えられないだろう。既に満身創痍に等しい状態で、それでも表面だけは冷静である事を自分自身にすら言い含めたヴィルは、静かに杖を握り直した。対する人形には傷一つなく、警戒すらしていない事は見て取れた。



―――チトが放った爆発魔法。それは、今度こそ開戦の合図となって迷宮内に響き渡った。


☆評価やブックマークで応援して頂けると励みになります。次回も是非御一読下さい。

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