94話 最高速度でぶち抜いて
「っはぁ…んぅ、なんで……どういう、事なの、!?」
「わか、りません…分かりませんよっ…!!」
杖を支えにどうにかその場に立つルシエと、近くの壁に体重を預けて完全に座り込んでしまったオルコスは現在進行形で続く理不尽な愚行に激怒していた。大きな外傷がある訳ではないが、精神的な疲労や無意識で使ってしまった間法による魔力消費が激しいせいで、多少足を止めたところで肩を上げて吐き出す呼吸は収まらない。真っ青を通り越して若干白くなりつつある顔色で睨みつけた先の男は素知らぬ顔で不思議そうに首を傾げる始末である。
「っチト、大賢者!!本当にこんな方法でしか、封印されている複製体の元へはいけないの!?」
「落下は嫌だ落下は嫌だ落下は嫌だ落下は嫌だもう勘弁して下さい…っ!!」
そんな二人を訳知り顔で静かに眺める視線が二つ。呆れたような、それでいて過去の自分と全く同じ目に合う仲間の姿が嬉しいような、何とも言えない表情を浮かべた葵とヴィルは、余計な事は言わない様に口だけは閉ざして嬉々として瀕死の二人を観察していた。
そう、何を隠そうルシエとオルコスの二人は今、長寿人外式迷宮攻略方法を説明もままならないまま強引に開始され、折角魔王討伐に向けて確立させた精神をすり減らされているのである。
「…懐かしい、と思えてしまうな。割と最近の話である筈であるにも関わらずソフィに振り回されていたあの日が遠い過去のように感じてしまうな」
「それだけここ最近の展開が怒涛過ぎるんとちゃう?…でも、ウチも普通に受け入れ摂ったけどこれって可笑しいんやったね…なんか、あかん方向に慣れちゃってたかも」
全く同じ内容でソフィに対して激怒していた記憶が色濃く残っている二人は、何となく肩を竦めて崩れ落ちていく仲間の様子を眺めていた。最初から迷宮探索そのものに対する心の準備が出来ており、且つ最低限の罠配置や厭らしい移動方法をある程度記憶していた二人にとっては移動だけで疲労困憊になるほどのものではない。けれども、初見且つ足早に進められる移動と言う名の罠踏み大会は普通に考えれば精神衛生上良くない事は目に見えていた。しかも、魔王討伐と言う最大の困難に立ち向かう以前の問題である。焦りや混乱は計り知れないものだろう。
ついに聖女と言う名の仮面も完全に外れてぺしゃりとその場に潰れたオルコスの背を杖の柄でつついていた葵は、隣で座り込んでいたルシエに手を差し伸ばしていたヴィルに咎めるように頭を叩かれる。仕方がないので重力操作魔法を用いてオルコスの身体を浮かして見せれば、碌な力も入っていない物干しざおにかけられた布団の様な体勢になって思わず笑ってしまった。下手にオルコスの髪が長いせいで、高級な毛布のようにも見える。事実高貴な身分であるオルコス干し、果たしていくらで売れるのだろうか。そんな適当な事を考えていた事がバレてしまったのか、無詠唱で飛んできた魔力弾を慌てて塞いだ葵はわざとらしく咳払いをして諸悪の根源であるチトの方へ視線を向けた。
「…あー、そう言えばこの方法は可笑しいんだったな、忘れてたわ」
「まぁ普通ではないと思うけど…この道以外逆に明確に分かっとらんのやろ?正しく探索をしていれば一体いつ封印の元へたどり着けるんか分からんし」
「それが問題なんだよな…。状況が状況だから下手に時間を掛けるわけにもいかねーし、悪いけどルシエもオルコスも今回ばかりは勘弁してくれ。次からは予告するように気を付けるから。…ほら、今からこの床抜けるぞ」
「んえっ」
「ひゃっ、」
チトが思い出したように予告した瞬間すっぽりと抜けた床。重力操作魔法で浮かせられていたオルコスが置いて行かれない様に魔法を解除した葵は、重力に逆らうことなく真下へと落下していく。ヴィルはルシエをさりげなく横抱きにしつつ無心で落下を始め、チトは退屈そうに風魔法で自身に掛かる無駄な空気抵抗を減らしながら慣れた様に降りて行った。
対して心の準備も何も出来ていなかった二人は…、
「んにゃぁあああああああああああっ!!?!?」
「ひゃぁああああああああああああっ!??!?」
非常に情けない声を上げる事しか出来なかった。
因みに葵とヴィルがチトの突然の予告に平然と対応できたのは、ソフィがどれだけ文句を言っても予告すら行ってくれなかったからである。元々長寿種と迷宮探索と言う時点である程度警戒心を張り巡らせ続けている二人にとって、寧ろ最低限直前でも予告してくれるチトは親切だとすら思っていた。完全にズレているが、それを指摘できる程冷静なものはこの場に残念ながら居合わせていなかったのでどうにもならない。
こんなやり取りを何度も繰り返しようやく辿り着いたのは、例の即席簡易闘技場である。わざとらしく残された膨大で禍々しい魔力の残糸に先程までの疲労も忘れて目を輝かせたルシエが飛び出していったが、中心部に作られた大穴に視線が辿り着きぴたりと足を止める。危機感が全力で警鐘を鳴らし回っていたからだった。引きつった笑みと共に葵のローブを強く握りしめたオルコスはその場で踏みしめるように足の位置を構えたが、結論を全て知り尽くしている葵とヴィルは嫌がる二人の腕を引いて迷いなく大穴の方へ進んで行く。案の定チトの雑な風魔法で背中を押された一同は、何度目かも分からない落下に緊張感が削がれていくのを肌で感じるのであった。
―――
「き、休憩を、……っうぅ、」
「ここまで精神が乱れれば聖属性魔法も使えません…!」
チトによって全員分かけられた重力操作魔法で静かに着地した一同だったが、地に足が付いた途端初迷宮組は完全に崩れ落ちてしまった。余りにも記憶に新しい反応を前に流石に哀れに思った葵が記憶を辿り近くにある筈の安全地帯で一時休憩する事を提案すれば全力で肯定された。
先に封印の方へ向かい時間が必要な封印解除に取り掛かっておく事を告げれば、悔しそうではありながらも現状の拾う状態では足手まといにしかならない事を理解しているのか素直に了承された。念のため、と丁寧に結界魔法とチトによる回復補助効果がある魔法を与えられた二人は、力なく先へ進んで行く三人へ手を振った。
―――
「安全地帯事態に結界も張られているし、追加の分もあるって考えれば殆どの攻撃は防いでくれるだろ。…んで、これがアイツの複製体とその封印ね。随分と久方ぶりの対面だな」
肩を竦めて苦笑を浮かべていたチトは、視線の先に現れた結晶のような封印を前にその瞳を鋭く細めて一歩を踏み出した。そっと表面に触れる手つきは優しく、これから中身を完全に討伐しようと考えている者の動きにはどう見てもとれない。僅かに瞼を細めた葵は、自分によく似た銀髪の少女、イブキが残した複製体が眠る様に活動を停止して結晶内に封印される、まるで次代の魔王とは思えない程に穏やかな表情に視線を向けて小さく息を吐いた。
「アオイ、解除行けるか?」
「チト君こそ、足手まといにはならんといてね」
「どうせ死なねー身体なんだから気にすんな。最悪盾にでもしてくれればいいし」
「…ウチがそんな事するとでも?」
「さぁな、その時になれば分かるだろ」
どこか緊張した面持ちのヴィルは、改めて対面する嘗ての大賢者が残した魔法に畏怖するような反応を見せている。葵とチトはそんな様子に一切触れる事無く、二人隣同士で並んで立つと結晶の表面を改めて撫でつけた。その指先に意識を集中させれば、目に見えて震えている事実に気付かされてしまって肩を竦める。
「いや~…緊張、するね。緊張は絶対にしとるんやけど、なんか…現実味がないや。魔王ってなんかこう、禍々しいていうか、威圧感!みたいな印象が強いせいで余計変な感じ」
「それはちょっと分かるぞ。俺もこれが魔王だなんて理解できても納得がいかない。俺が知ってる魔王はもっと、圧倒的な存在感と禍々しい魔力によって空を暗雲で埋め尽くすような、そんな気配を纏っていた。それに…絶対に勝てないって思いこませる何かも、確かに持っていたんだ」
「ん~…んふふ、経験者は語るってな。チト君は一切心配しとらんけど…ヴィル君、ウチとこの複製体が似とるからって絶対魔法使う時躊躇せんといてよ?一瞬の油断が死に直結する様な戦いになるんやから」
「えっ!?…う、うむ。しないぞ……、…たぶん」
一歩距離を引いたところで二人のやり取りを静かに見詰めていたヴィルは、突然話題を振られて大慌てで返事をした。咄嗟に普段の調子を装って大袈裟に伸びをして見せたが、どう足掻いても表情は硬いままだった。この場にいる三人の誰もが、普段は各々の世界と向き合って生きているにも拘らず同じ恐怖や緊張、見えない未来への不安を抱え込んで今この場に立っているのだ。逃げ出したくてたまらない足に叱咤を打って、震える指先を必死で押さえつけて。油断すれば詰まりそうになる呼吸をどうにか続けて、決して手から離れない様に手汗でじっとり濡れた掌で杖を握りしめて。
「当初の予定通り、進めるぞ」
ルシエやオルコスに対しては時間が掛かる封印解除を先に初めて置くと告げていたが、その真意は全く異なっていた。そう勘違いするように丁寧に誤魔化されていたのだ。元から事前情報なしで迷宮探索に乗り込めば、ルシエとオルコスが振り回されて休憩が必要になる事は想定していた。だからこそ、その隙を狙って二人と別行動する機会を強引に作り出したのだ。
事実として、ヴィルは最後の一手要員として白焔魔法が必要な為に仕方なくこの場に居合わせられているだけだ。チトと葵だけでも圧倒的な実力差があるにもかかわらず、ヴィルと葵の差は既に圧倒的だった。間違いなく、チトと葵二人だけで魔王討伐に挑んだ方が生存率も戦いやすさだって、何もかもが段違いに高い筈なのである。一番の足手まといである自覚が痛いほどにあるヴィルは、ルシエとオルコスを残して討伐に挑む話をチト達二人から聞かされた時なりふり構わず二つ返事で了承した。同時に、せめて少しでも二人の邪魔をしない為にどう立ち回るべきかを常に考え込むようになったのだ。
求められた唯一の役目を果たし、尚且つ二人に迷惑を掛けない方法を考えるのに必死なヴィル。
いつまで経っても落ち着かない精神状態を安定させようと必死なチト。
自分自身の実力を敢えて過信する事で、本能的な恐怖や何故自分が見ず知らずの世界の為にここまで動かなければならないのか、そんな風に油断すれば直ぐ考えてしまう嫌な自分を押し殺す事に必死だった。
誰もが必死なのだ。そんな状況で守る対象が一つでも増える事を、三人は良しとしなかった。不死と言う絶対性、異世界人と言う特殊性、そして最終的な留めの必要性。この三つだけはどうしても外せなかった。チトが討伐に対して不安定な事情があるというのならば、二番目に実力がある者が出向く必要が必然的。対してルシエとオルコスの二人は、主に葵やヴィルにとって保護対象としての認識が強すぎたのだ。もし無事に討伐が完了したとして、二人は酷く激怒するだろう。それでも、怪我を負わせるくらいであれば何もさせない方が余程精神的にマシだった。それだけの話である。
「…この魔法陣が発動してすぐ、ウチは一時的に複製体の意識内に招かれる様に文言が組み込まれとる。解読の中でわざとらしい招待状を見かけたからね…。意識内におる間の外の時間経過がどうなるかは分からん。でも…いつでも動き出せるように準備だけは必ずしておいて欲しい」
「了解。はっきり言って俺は自己防衛に必死になると思う。逆に、自分の身だけは全力で自分で守るから過度な気は遣わなくていい。不味いときははっきり言葉にして助けを求める。傲慢な思考だけは取らないよう常に警戒心を怠らないつもりだ」
「俺は…、…最悪死んだところで勝手に生き返る。使い物にならないと判断したら直ぐ放っておいてくれて構わない。冗談抜きで、肉壁にでも使ってくれ」
「皆固いよ、そんな緊張ばっかしとったら逆に危ないって!それに?魔王程度このウチが簡単にぶっ飛ばしちゃうんやから…任せてや!」
三人は互いに顔を見合わせて小さく頷く。互いの主張に対する文句は少し考えるだけでも山ほど浮かんできたが、その全てを呑みこんだのは戦いが終わってから好きなだけ言う時間を作ろうと考えたからだった。結局のところ、信じるしかないのだ。客観的に見れば三人それぞれの主張は間違いではなかった。間違いではないのだ、圧倒的に論点がズレているのだが。
ワザとらしく深呼吸をした葵がゆっくりと結晶から距離を取る姿に合わせて、二人も数歩後ろに下がる。
「それじゃあ早く終わらせちゃおう。封印……解除」
――――――暗転。
―――
ふわふわと覚束ない周囲の気配に、ゆっくりと瞼を開く。周囲には静かに雨が降っており、何故だか葵を避けるように跳ねていく雫に手を伸ばしてみても、矢張り触れる事は出来なかった。
広い森の奥深く、美しい真っ青な花畑とはとてもじゃないが似合わない鉛空。それでいて何処からか差し込んだ光によって雨と反応し浮かび上がるのは七色揃った虹だ。余りにも滅茶苦茶に要素が組み合わさった世界で、草花を踏みしめる音が背後から響いた。つい先ほどまでは一切感じられなかった気配。けれども今は当然のように居合わせた存在に葵はそっと身体の向きを変えた。
「……初めまして、だよね!」
「…、初めまして」
視線の先で笑うのは、葵とよく似た容姿を持ちながらも白銀の長髪を揺らす少女だった。無邪気でありながら、どこか寂し気に細められた瞳の奥に気付いてしまえば、目の前の存在が本当に極普通の人間の少女のようにしか思えない。困惑交じりにそれでも冷静に返した葵の一言に上機嫌に笑った少女は、杖一振りで花畑と木々ばかりが広がっていた空間に真っ白な机と椅子を呼び出した。視線で座るように促されたので素直に腰を下ろせば、葵の正面に座った少女は満足気に頷いてから再び笑みを浮かべた。
「私はイブキ!よろしくね、チト君の前に現れた新たな風の人!」
躊躇いもなく告げられたその名前に、葵は僅かに瞼を伏せてからゆっくりと視線を合わせた。伸ばされた手のひらに警戒心は一切存在せず、じっと黙り込む葵の姿を不思議そうに見詰めている。何処までも純粋無垢…な様に、振る舞う姿には痛い程心当たりがあった。
これは面倒な事になったなぁ、そんな、事前に予測していた中で最も最悪な可能性を引き当ててしまった葵は内心頬を引きつらせながらも改めて少女…イブキと向き合って彼女が浮かべたものと全く同じ笑みを浮かべた。そんな様子に何か思い当たるところがあったのか、僅かに眉を寄せたイブキが動きを止めた事に機嫌を良くして葵は嗤う。
「私の名前は伊吹 葵だよ!よろしくね、チト君の元同居人さん?」
二人の脳内で、試合開始の鐘が煩く鳴り響いた。
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