93話 とある杖に残された最期の記録
「うわぁもう、また負けたーー!!」
「ははっなーにお前、俺に勝てると思って戦ってたのか?」
「うるさいうるさい!別にどんな気持ちで立ち向かうかなんて私の自由でしょ!」
イブキは自身の身体に取り付けた魔道具によって起動した結界魔法が発動した音を理解した瞬間、それまで全身に纏っていた鋭い魔力と殺気の全てを散らして勢いよく地面に倒れ込んだ。多少は重力操作魔法を使って衝撃を軽減した為か、床に接触しても大きな痛みは襲ってこなかった。じたばたと幼い子供が駄々をこねる様に暴れたイブキの姿に吹き出したチトは、暫く愉快そうに観察した後ゆっくりと近付くと掌を差し伸べる。
「ほら、そろそろ起き上がれ。折角の白いローブが汚れるぞ?」
「むぅ~…」
不満げに頬を膨らませたイブキは渋々伸ばされた手に自身の掌を伸ばすが、触れる寸前で僅かに迷う様に動きを止めた。不思議そうに小首を傾げたチトと僅かに視線を重ねたかと思えば、完全に無軽快なチトの腕を掴んで勢いよく自分に向けて引く。咄嗟に抵抗できず、せめてイブキが自分の下敷きにならないよう腕をついて倒れ込んだチトは目を丸くして慌てて声を荒げた。
「おまっ、あぶねーじゃねぇか!!」
「……」
「…イブキ?」
意図せずイブキを押し倒したような体制になってしまったチトが悪態を吐こうとその顔を見下ろせば、対するイブキが至近距離でただ一心にチトの顔を見詰めていた事に気付く。普段の無駄に元気いっぱいで無邪気な瞳とは大きく違う、何処か静かに凪いだ様な見た目不相応に大人びた視線。まさに、長く生きた者特有の全てを見透かされたような感覚になるそれに僅かに気まずくなって視線を泳がせた。
「おい、何なの?」
「……はぁ、なんも。やっぱりチト君は変わらないんだなーって再確認しただけ」
「はぁ…?」
迷宮攻略を終えて小屋に帰還して直ぐ、小屋の前の小さな広場で二人は日課と言うには開催が不定期な戦闘訓練を行っていた。魔法を用いた殺意有りの対人戦は、身に着けた魔道具の結界魔法が発動してしまった瞬間勝敗が決まる仕組みとなっており、これまで何千回と繰り返された勝負の中でイブキが勝利を収めた事は、実のところ一度も無かったりする。元は互いに引きこもり体質である事もあり折角身に着けている魔法技術を衰退させない為に始まった遊びに近いものだったが、いつからかチトの魔法はイブキを指導する為の内容へと変わっていて、イブキもそれを理解した上でその瞬間ごとに出せる全力でチトに挑んでいた。
今日も今日とで全力でチトを殺すべく勝負に挑んだイブキだったが、結果は惨敗…と言うと不機嫌が増すので強いて言うなら惜敗。折角意図的に作られた反撃の機会や隙を最大限活用する事が出来ず、強力な魔法を使った反動で防御に大きく空いた穴を突かれて負けてしまった。毎度油断しているつもりは一切ないのだが、結局いつも通りの結果に落ち着いた訓練を終えて今回の敗因を無邪気な振る舞いの裏で考え込んでいたイブキだったが、不意に思い出したとある可能性を検証するべく今の体勢を強引にとったのだ。
地面に転がれば、チトは迷わず手を差し伸ばしてくれる。素直に手を取る振りをして動きを取れば、チトは必ず困惑すると同時に油断する。その隙を狙って腕を引けば、チトはイブキが下敷きにならないよう配慮した体勢で倒れ込んできてくれる。
全て経験から積み重ねた完璧な計画に則って実行されたものだったが、肝心の可能性だけは見事に無を証明されてしまってイブキは肩を竦めて笑う事しか出来なかった。自身の真上から見下ろしてくるのは相変わらず理解不能の文字を顔に浮かべて首を傾げるチトの顔。そこに彼女が求める唯一の感情は浮かんでおらず、只管純粋な疑問と僅かな困惑、そして不安の感情だけが示されていた。
「なんだよお前、変だぞ」
「別に?あーあ、どうせチト君には私の気持ちなんて分からないままなんですよー」
「はぁ?マジで何なのお前、意味分かんねーんだけど」
チトに顔の両脇を手を突く事で固定されている中、器用に身体の向きを横に変えて顔を隠したイブキはわざとらしく拗ねた口調で悪態をつく。視界の先で揺れる名前のない草花は、そんな二人の様子を音も立てずに静かに見守っている。全く意図が理解できなかったチトは、疑問符を浮かべ謎めいたイブキの振る舞いに僅かな苛立ちを覚えるばかりで、最後まで二人の会話が成立する事はなかった。否、イブキは成立しない事を理解して、心の奥底で静かに苦笑を零すしかなかった。
全ての感情を入れ替えるべく大袈裟に深呼吸をしたイブキは、再び身体の向きをチトと向き合う形に戻して、その背中に腕を伸ばした。戸惑い交じりに身体を僅かにイブキに寄せられたことを確認してそのまま自分の胸元へと引き寄せれば、慌てた様に腕を突くチトの身体が強張る。
「おい馬鹿、体重がかかっちまうだろーが!」
「いーからいーから、力抜いて?」
抱き寄せられたチトは、仕方なくイブキに掛かる体重を少しでも控えるべく腕の力を入れ直す。今日は一体何なんだ、そんな怪訝な違和感に支配されながら現状への打開策を考えていたチトだったが、ゆっくりと頭を撫でられた途端無意識で完全に脱力してしまった。身を委ねる様な体勢になって慌てて我に返るが、全てを押し流す様に柔らかく髪を梳かれればそれ以上碌な思考も回らず全てを預けてしまう。
「私は良い子なのでね、チト君が望む様に動いてあげます」
片腕でチトの背中を撫で、反対の手で髪を梳くように頭に触れる姿は傍から見れば母親が我が子に一心の愛情を注ぐようなもの。暫くの間完全に思考を停止させていたチトは、現状と過去の記録の一致点に辿り着いた途端溶けるようにイブキに体重を預け、その温度を享受していた。
「いつか…、うん、今じゃないいつか、チト君にも理解できる日が来てくれたらいいな。その時私が…ウチが、チト君の一番になれたらええんやけど、そんな未来は流石にまだ早いかなぁ」
胸元から僅かに聞こえてくる吐息は次第にその間感覚を開いていき、いつの間にか眠りに落ちた事を告げていた。木々の隙間から差し込む光、吹き込む風、鳥の囀り。意識せずとも気配は幾らでもある小屋の外で無警戒に、純粋に、全てを委ねる無防備さ。それを与えられたことが嬉しくて、同時に一番の目的が叶わなかった結論が悲しくて。静かな小屋の中で呟かれた独り言に返事はない。
「この記録を見届ける誰かへ。君が男なのか、女なのか、子供なのか、大人なのか…今のウチにはなんも分からん。でも、見ての通りウチは最後までチト君に選ばれんかった。…結局、対人関係の運には殆ど恵まれんままの日常やったなぁ…」
静かにチトを撫でつけていた手を無意識で止めたイブキは、不意にチトが愚図る様に小さく動いた事に気付いて慌てて手の動きを再開させる。くすりと笑いながら仕方がない子供を宥めるその動きは、確かに純粋な愛が成せるものだった。
「この後私は、チト君がトートに向かうのを見送って…ソフィ君からチト君が過去に受けた呪いを解除するた為の”ヒント”を貰おうと思っとる。きっと、ソフィ君は断れんから、全て見せてもらえる気がしとるんよ。それで得た記録を含めた全てが、未来の君への贈り物。なぁ、お願い。ウチじゃない誰かさん、ダメやったウチの代わりに、」
「ん…?あれ、俺仮眠してたか?って、うお!?すまんイブキ、重かっただろ!なんで振り落とさなかったんだ!?」
イブキの話し声に僅かに飛んでいた意識を取り戻したのだろう。慌てた様に上半身を起こして周囲を見回すチトを、イブキは止めなかった。つい先ほどまで感じていた温度が無くなった掌は、独り寂しく空を切る。子離れ、と言うにはあっという間過ぎて、思わずイブキは笑い出してしまう。
「あは、おはよーチト君。うたたね程度だったし、問題ないから気にしないで?私のお母さん直伝寝かしつけ法、チト君にもしっかり当てはまったみたいで面白かった!…チト君迷宮攻略で意外と疲れてたんだね?」
「…うるせー、デカい子供の引率が大変だっただけだし」
「それって…ソフィ君の事?」
「それは日常」
「二人とも手合わせ終わった?そろそろご飯にしようよぉ、迷宮攻略で持ち帰った過去の料理手順書、使ってみるって話だったしぃ?」
始まりかけた茶番は、小屋からのんびり出てきたソフィのまさに幼い子供の様な発言によって強制的に中断させられた。顔を見合わせて吹き出した二人を前に心底不思議そうに首を傾げるソフィは、矢張り誰よりも幼い子供の様だ。目尻から涙を浮かべる程笑い転げたイブキは、不意に地面に転がしたままだった杖を拾い上げる隙にそっと丁寧に握りしめて、誰にも聞こえない程の声量で祈る様に言葉を残した。
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