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90話 悪戯


どうにも生ぬるい空気に耐えられなくなった二人は、改めて真面目な表情を作り直して魔法陣と向き合う事にした。お互い必要以上に擽ったいやり取りを続ける趣味はなく、無理にでも着地点を作らなければ一生この雰囲気から抜け出せない事を察したからである。早速用紙に転写された魔法陣を手分けして解析を進めていけば、元々読み解かれる前提で作られていたのだろう。複雑に見えて一つ糸口を見付ければ解けるように内容は明かされていった。勿論長寿種二人基準での解読可能ではあるが、それはこの場において関係のない話である。


「…葵ちゃんがちらっと話していた通り、不老長寿の禁忌魔法が丁寧に解除されているみたいだねぇ。それに、記憶領域魔法の為の補助の文言が埋め込まれている。指定した日付以降の記録を新たに施された媒体によって第三者に送り届ける命令文のようだけど…どうやら以前ボクが視ない方が良いと勧めた魔法陣の内容を、ある程度読み解いていたらしい。妙なところで厳かな子だよねぇ、イブキちゃんって」


容姿の一部をなぞり苦笑を零したソフィは、嘗てチトの過去の記録を見せた時確かに動揺と困惑、恐怖を覚えていた筈のイブキがしれっとその内容を小屋に残した魔法陣に転用していた事実に辿り着いて頬を掻く。純粋無垢な少女ではない事は十分理解していたつもりだったが、それでも認識不足だったらしい。葵が発揮する見事な感情の切り替えや嘘の技術が母親譲りである事を分かりやすく示していた。


「その記録再生関係の魔法陣がアオイが色々知ってた絡繰りって訳?」

「そうなるねぇ。何かしらの方法で過去の記録を入手している事自体は知っていたけど…イブキちゃんの仕業だったなら納得だ。恐らく対象範囲は葵ちゃんが譲り受けた以前イブキちゃんが利用していた杖の柄の部分じゃないかな?あそこを記憶媒体にしていたから、いつでも葵ちゃんは過去の記録を視る事が出来ていた。最初は何かしらの日記でも手に入れたのかと思ったんだけど、まさかこれも魔法とは驚きだねぇ」

「杖の記録って…それ、アイツが知らない情報すら下手すればアオイは知ってる事になるぞ?」

「その通り。しかもあの杖イブキちゃんが長い事愛用して半魔物化してたじゃん?魔力の流れを見る限り、稀に自主的に周囲の記録を集める事もしてたみたい。一本…いや、十本は取られたと認めざるを得ないなぁ」


怪訝な表情を浮かべて呟かれたチトの疑問を肯定したソフィは、顔を掌で覆って深いため息を吐き出すしかなかった。全ての条件が良くも悪くも噛み合っている。葵が本来知らない筈の情報を得た入手経路は理解できたが、それでも何をどこまで知っているのか見当がつかなかった。最早記録はイブキ本人が望んだ範囲を超えて葵に干渉しているのだ。葵から杖を取り上げて強制的に記録を調べ上げれば何か分かるのかもしれないが、そこまでする理由や言い訳は何処にも存在しなかったのである。改めて自分達では考えもよらなかった方法で記録を未来へつないだ過去の少女への畏怖や、人間に対する認識の再確認がソフィの中で更新された瞬間だった。


イブキが小屋に残した魔法陣の全容は、イブキを自主的に小屋に縛り付ける直接的な原意となった禁忌魔法による不老長寿の呪いを解除する者、そして杖の柄を中心にイブキ周辺で起きた出来事を記録し、以前ソフィがチトの過去を見せた際に使用した世界樹から記録を取り出す禁忌の魔法陣一歩手前に構築された文言でチトとソフィ以外の第三者に届けるというものだった。つまり葵は、ソフィさえ調べた事がないチトとイブキが出会った当初の記録や、イブキ自身でさえ知らないだろうチトとソフィ二人だけで交わされた会話の内容、誰かの独り言さえも知っている可能性があった。


「最終範囲はイブキちゃんがこの小屋を出てキーフに向かったその瞬間までらしいよぉ。そして、記録の再生を終えた瞬間この魔法陣は自動で再現不可状態まで自主崩壊される様に仕組まれている…全く、あの一瞬でよくもまぁここまで理解できたものだよ。半分くらいボクの責任と言えちゃうねぇ」

「で、これはお得意の禁忌指定か?」

「勿論でしょう、文明崩壊程度じゃ済まない内容だし」


二人でドン引きの表情を浮かべながら覗き込んでいた魔法陣をなぞる様に翠の炎が現れる。あっという間に灰となって消えた用紙の塵は、風属性魔法に乗って森の奥深くへと流れ散っていった。完全な不可抗力だとは言え、過去の出来事全てを葵に把握されてしまっていた事実を知った二人は、何とも言えない空気を押しのける様に大袈裟に溜息を吐く。大きく伸びをしたチトは、僅かに緊張で固まった身体をほぐす様に肩を回して立ち上がった。


「さて、残りはアイツの複製体だけか。これで本当に、俺達の記憶や記録以外の全てからアイツの存在はなくなるんだな」

「いや…魔法陣はもう一つあるよ。さっき見た、床に刻まれていた小さなヤツ。あの内容もこの際しっかり解読しておこう」

「そう言えばそうだったな…どんなびっくり箱が待ってるんだ?」

「……冗談はやめてよね、ふらぐって言うらしいよそれ」


あくまで記録でしかない過去を葵に知られた事実を受けて羞恥でも浮かべればいいのか、それとも聞き流せばいいのか。どうしていいのか分からなくなって結局微妙な無表情を浮かべたチトは、ソフィの一言に今度こそ面倒臭げに肩を落とした。チトだってその存在を忘れていた訳ではない。既に疲労困憊で満腹だったのである。けれども、ここまで来てみなかった事にするわけにはいかない。ソフィが空中に浮かび上がらせた魔法陣に視線を向けて、その内容の解読を大人しく始める事にした。


「…寧ろ問題はこっちなんだよねぇ、多分」


頭を抱えたソフィは、チトが魔法陣の解析を始めた様子に小さく息をついてから浮かぶ魔法陣を指先でなぞる。そうしてとある一転を突くように触れて見せれば、複雑な魔法陣が文言ごとに分解されてとある一文が現れた。その様子を横目で見ていたチトは、浮かび上がった内容を認識して思わず二度見して固まる。ソフィは苦笑することしか出来なかった。


「は……、は!?え、これ…は、何!?」

「召喚関係の魔法陣に干渉するものみたいだねぇ。何ともまぁ…考えた事もなかったようなとんでもない発想だ」


驚愕して固まるチトの横で口元を抑えたソフィが浮かべるのは、明らかな上位存在としての笑みだった。好奇心、興味、何よりも圧倒的な余韻。ただの人間の少女が残した魔法陣として全てが異常なそれは、最古の生命体としてこれまでどんな文明の人間たちでも作り出さなかったとんでもない内容が記されている。一体どうしてこの発想に至ったのか、どうすればこんな内容をくみ上げられるのか、そこに込められた絶対的な執念、人間の複雑怪奇で不明瞭な感情の結晶。…愉悦、それはソフィを構成する感情の中でも一位二位を争う圧倒的な欲求の象徴だった。震える口角を落ち着かせようとなんど深呼吸を繰り返しても興奮は冷め止まない。あんな無害な少女が、こんな世界における冒涜にも等しい魔法陣を残していっただなんて。人間らしい、愚かな魔法陣を。


「エトちゃんがこの部屋で何かしらの召喚魔法を発動させようとして、”失敗”すると発動するように設定された悪趣味な魔法陣だ。不発の魔法陣の内容を組み替えて、発動用の魔力を流用。召喚対象を特定の個人に指定する代物。対象は勿論…イブキちゃんだ。あははっ、まさかボクが目の前で禁忌指定して見せた勇者召喚の魔法陣を転用して、特定の座標から個人を召喚する魔法陣を作り出すなんて…!こんなの、逆勇者召喚の様なものじゃないか!勇者召喚に苦しめられた人間が、自らの意志でこの世界に…それもエトちゃんと言う指定した魔力に召喚される未来を望んでいただなんて!!愉悦、実に面白い…これを傑作と呼ばず何と呼ぶ!?」

「…失敗が発動条件って事は、やっぱあの魔法陣は何かしらの事故で組み替えられた訳ではなく、本来は不発が正解だった訳だ。道理であの日の魔法陣から着想を得ようにも進展が中々得られない訳ね」

「あははっ、イブキちゃんの想定通り発動した魔法陣なのに、いざ発動して見れば肝心の本人が死亡済み。結果、その子供であり、イブキちゃんと非常に近しい魔力を持っていた葵ちゃんがこの世界に急遽召喚される羽目になった。…あはっ、葵ちゃんが存在している時点で元の世界で誰かしらと婚姻を結んでいた事は分かっていたけど、あれだけの経験をしながら人間らしい生涯を歩んだんだねぇ。実に滑稽だ、勿体なさすぎる…!これが人間、ボクが永遠に理解できない思考回路の極み……!!」

「普通の生活が合わなかったから死んだんじゃねーの?流石に元の世界での死因を調べる程落ちぶれちゃいないし、葵に聞けばすんなり答えてくれそうだけど」


最古の生命体の本能に支配されたソフィは、愉悦に塗れた表情のまま天井を仰ぐ。そうして大袈裟に振られた腕に用紙が舞い上がるのを煩わし気に片手間で払ったチトは、慣れた様子で自分の思考に集中していた。最近は随分減ったとはいえ、ソフィとは本来こういう生物なのだ。人間の醜さに感動を覚え、大袈裟な位に歓喜の声を上げる。それに余計な口出しをすれば面倒事に巻き込まれるのもお約束。久方ぶりにこうなったソフィを見たな、なんて思いながらも適当に発言を聞き流したチトは、イブキが最終的に葵を産み落とした事実にぽつりと呟いた。


「あれだけ長く生きて、まだ子孫を残そうとするなんてな」

「……女性って強いねぇ」

「生々し言い方すんなクソエルフ。でも…これまでの記録を掘り返しても、女って生き物は毎度何かしらの形で自らの存在を残したがる生き物に見える。俺の…母親だってそうだった。やっぱそういうもんなの?」

「さぁねぇ、聞く相手が間違ってると思うよぉ」


チトの言葉に瞬時に正気に戻ったソフィは、まるで何事もなかったかのように感情の読めない笑みを浮かべて用紙に触れる。途端に翠の炎に燃やされていく魔法陣を眺めながら、軽口のようにチトと会話を続けるソフィはまるでいつも通りだった。とてもじゃないが、つい先ほどまで人間の本能的な欠陥に感動していたエルフと同一の存在だとは思えない。それ程までに明確に、ソフィは別人格に見えた。けれどもチトは矢張り、それを指摘する事はない。言ったところで何も変わらないし、ソフィが悠久の時をソフィとして有り続けられた要因の一つがまさに今の変化でもあるからだった。


「アイツは自分をもう一度この世界に引き戻そうと考えていた、か」


消えゆく魔法陣をぼんやりと眺めていたチトの瞳には、嘗て自らの手でイブキを葬ったあの日の感情は矢張り映っていなかった。それは間違いなく、記憶が記録へと変化を終えた証でもある。結論としてイブキは再びこの世界に訪れる事無く一生を終えてしまった。実情や考えは何も分からない。全ては残された魔法陣の存在だけが、客観的な結論を見せつけてくるだけだった。


まぁ、万が一この場に葵が居合わせたのならば、忌々し気に眉を寄せてこう言い捨てていただろう。



―――元の世界に戻って、それなりに幸せに暮らしてるって態々教えてやろうとしてたんとちゃう?自分を見なかったことを後悔させてやるとか、それくらい平気で言う人やったし。



本気で頭を悩ませる二人ですら分かっていたかのように残された、ほんの小さな復讐心を込めた下らない悪戯心。勿論チトの中に残ろうと考えた事も事実なのだろう。それでもその真意は、ただ”最後まで自分を見なかった”好いた男への細やかな仕返しだったのだと葵であれば分かるのだ。



残念ながら、まだまだ人間から遠い鈍感人外長寿二人組に辿り着ける結論ではなかった訳だが。





―――



「———こんな話は聞いておりませんわ、お兄様」

「…そうだね、私も知らなかった。恐らくどこかの隙をついた誰かさんの”お節介”で、私たちが”偶然”知らない計画が立てられて、承認を誰かが”代わりに”押してくれたんだろう。民の献身には本当に頭が上がらないよ」


オーフの聖人が執務に当たる厳重に警護された一室。最低限国と話を付けるべく一人で帰国していたオルコスは、偶然場内を歩いていた際に小耳に挟んだ内容を握りしめて兄…つまり新聖人の元へ護衛も振り払って飛び込んだ。杖すら使わず無詠唱に魔法を用いて護衛を圧倒した彼女が見せた表情は何処までも深淵染みた無であり、果てしない怒りの色が見え隠れしていた。その矛先が向けられないとは分かっていても尚、殺気を隠しもしない妹の姿に僅かに背筋を強張らせた聖人は、片手間に心底困った表情を作り上げて小首を傾げて見せた。途端に毒気が抜かれた様にため息を吐き出したオルコスは、行儀悪く来客用の豪勢なソファに勢いよく体重を預けて頭を抱えた。


「お兄様は一切関わっていらっしゃらないのですね?」

「当然だとも。私はこれでも、お前の本心を引き出してくれたトートの方々に感謝しているんだ。望まれれば力を貸す意思はあっても、彼らの意向を阻害するつもりは一切ない。聖人の判断としても、トートと手を組むことは国にとって良い事尽くしてある状況で、不用意な手出しをする理由が見つからないだろう?」


肩を竦めた聖人は、片手に握っていたペンを離して机に両肘をつき顎を支えた。その瞳の奥には為政者としての確かな意志が込められており、発言に嘘偽りがない事はオルコスでも理解できた。普段はもっと、空っぽに笑みを浮かべる人なのだ。まともに会話したことも殆どなかった、半分しか血がつながらない兄。彼が断じて長男ではない事をオルコスは良く知っている。何人もの兄弟姉妹が倒れていく中で、最終的に唯一の兄として残ったのが目の前の聖人、その人だ。まさか世間一般でいう所の兄らしい感情を多少なりとも向けてくれていた事実には心底驚いたが、それでも自らの手で革命の手引きを行いオーフの頂点に君臨した以上、見た通りの空っぽな男ではないのだろう。


「自国だけでなく、まさに渦中のトートの大賢者殿までもが率先して全世界に提示した情報。逆らうつもりなんて端からなかったよ。……よくもまぁ、国の混乱に乗じてやってくれたものさ」

「そうですか…疑ってしまい、申し訳ございませんでした」

「いや、君の考えは当然の話だと私も思っている。何せ、君が耳にした通り私の承認が下りた前提で事態が進行しているんだからね。しかし、改めて考えてみて欲しい。折角革命を成立させ、大国トートとの間に事前に国交を結ぶ契約を果たした今、私がこの国を滅ぼしかねない言動を行う理由が一体どこにあるのかを」


穏やかに見える表情に僅かな苛立ちを乗せた計算高い聖人は、自らの計画が相手にもしていなかった下々によって僅かでもほころびが生まれた事実に腹を立てているのだろう。落ち着いた声音で話している様に思えるが、普段より随分と余裕のない早口だった。通常であればこんな些細な事に気を取られ、それどころか出し抜かれるなんてありえない話だったのだ。それを可能にしてしまったのが、聖人自らの手で引き起こした革命とそれに乗じた国内の一掃だった。彼も相当歯痒い思いをしているらしい。素直にその言葉を呑みこんだオルコスは、溢れていた殺気を吸収してため息を一つ吐いた。


「わたくしは、”志願”して下さった方々を迷宮内部に同行させる事に反対です」

「私だって賛成する訳がないだろう?今の君を見るだけでも、志願兵が足元にも及ばない戦力差を抱えている事は目に見えているのだから。ならば矢張り、彼らの裏をかける方法を探す必要がある。それこそ…大賢者様からお知恵を、」

「それはなりませんわ、お兄様。大賢者様方は現時点で既に他者の干渉を拒む宣言をなさってくださっております。これ以上のお願い事はただの依存、一方的な要請に当たります。元より魔王討伐は人類の悲願。いつまでも過去の御方に縋らず、我々だけで未来を掴むべきだとわたくしは考えます」

「……オルコス」


ゆっくりと立ち上がったオルコスは、聖人の前に立った。嘗て人形のように大賢者の言いなりで過ごしてきた少女は今、自らの手で操縦士を手放し歩き出そうとしているのだ。自らが生きる為、何よりもその為だけに革命を推進してきた聖人にとって、妹のそんな姿は余りにも眩しすぎた。思わず瞼を細めてしまう程に、強い意志を持ったオルコスの瞳は輝いていたのだ。


「わたくしは魔王討伐の任務を大賢者様方より賜りました。ならばこそ、我が国で起きている問題はわたくし自らが考え、対処を進め障害を振り払ってみせます。どうか、お兄様は手出しなさらず見守っては下さいませんか?…わたくしはもう、誰かに言われるまま動く操り人形の聖女様ではない事を、ここに証明して見せます」


真っすぐに視線が絡み合う。琥珀色の瞳は、オーフ固有の聖属性魔法を持つ者の特徴だった。国家君主として国内の問題に積極的な対処を行いたい兄、そして一人の選ばれし者として自らを証明したい妹。互いに譲らない無言の空白は数分にも、数時間にも感じられたが実際のところは一分だってなかったのだろう。先に視線を机に戻し、作業中だった書類を手に取った聖人は顔を上げる事無く緩やかに口角を上げた。



「お前の好きにしなさい、兄は邪魔しないよ」



視線は交わらない、それでも彼は聖人である前にオルコスの兄である事を選んだのだ。革命を起こしてでも自らの立場を成立させた聖人にとって、その言葉は非常に重たいものだった。自らの功績全てを否定するようなものだったのだ。けれども不思議と、嫌悪感は抱かなかった。寧ろ、オルコスにそう言い放った自分を誇らしくすら感じていた。僅かに瞳を瞬かせたオルコスは美しい礼をして、静かに背を向け執務室を去っていく。


どこか清々しい表情で肩を竦めた聖人は、暫く扉が閉まった後を眺めていたがため息一つで作業を再開するのだった。


☆評価やブックマークで応援して頂けると励みになります。次回も是非御一読下さい。


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