87話 成長は自覚に乗せて
「だから、君の行いは彼女にとって間違いなく救いだった!永遠に人柱として世界に記録すらされないまま固定される、最悪の状況に陥ったイブキちゃんを破壊という形で救済した君が、どうして彼女を殺しただなんて暴論に辿り着くんだ!とにかく今の君がイブキちゃんの複製体とまともに戦えるとは思えない!どうせ向き合ったところで、罪悪感だの、何を考えていたのか聞き出したいだの、不用意な行動をとって痛い目に合う未来は目に見えている!!」
「っるさい!!そんなのやってみなきゃ分かんねーだろ!俺は父親だって殺した、イブキ本人も俺が殺したようなもんだ!今更複製体を前にしたところで怯む筈もない!」
「今にも死にそうな顔して、何を偉そうな事言ってるのさ!少し前までは暴走して周囲破壊して大変だったのに!何度ボクが君の暴走を魔力調整で押しとどめたと思ってるの!?」
「……え、は?いや…俺はお前と出会って以降魔力暴走は起こしてなくて、」
「そりゃ起こす前にボクが全部収めてきたからねぇ!当然でしょう!?」
「なん…、え、……そう、だったのか……」
未だ終わらない口喧嘩は、ソフィの恩着せがましさを演出しようと掘り出した過去の事実一言で唐突に終わりを迎えた。目を見開いて固まるチトは、分かりやすく驚愕している。一方のソフィも急に大人しくなったチトを前に果たして何がそうチトを揺らす発言だったのか理解出来ずに言葉を探している。言い争いが激化するにつれて自然と席を立っていたチトは、全身の力が抜けた様に椅子の背凭れに体重を預けて座り込んで頭を抱えてしまった。訳が分からず、飛び出した矛先を収める場所も見つけられないまま混乱するソフィはただ、チトが唸る様に呟く言葉に耳を傾ける事しか出来ないでいる。
「お前…なんでそれもっと前に言ってくれなかったの?」
「はぁ?なんで言う必要があるのさ。君の面倒な魔力暴走を止めるのは、世界への悪影響を最小限に抑える為。しばらくすれば暴走する事もなくなったし、敢えて言う必要性も感じなかったの」
「……じゃあ、何で今言ったの」
「それは…ボクが君にしたことなんて、それくらいだったから。君は魔力暴走を疎ましく思っていたでしょう?だから、多少は感謝とか、してくれてるのかなぁ…って」
戸惑った様子で何故か背筋が痒くなる感覚に内心首を傾げながら、どうにか浮かび上がった理由を素直に口から吐き出していれば次第に机に突っ伏して顔を隠したチトは深いため息をついてそれっきり黙り込んでしまった。困惑して声を掛けようにもどうしていいのか分からなくなったソフィは、慌てた様子で助けを求めようとこれまで完全に放置していた四人の方へ視線を向ける。けれども、ソフィに向けられたのは生暖かい、まるで人間が赤子の成長を見守る時に浮かべる様な笑みだった。訳が分からず視線をさ迷わせるソフィは、結局机に伏せてしまったチトへ視線を戻すしかない。そうしてふと、その耳の先がほんのり赤く染まっていることに気付いたのである。
「え…っと、大丈夫、かい?」
「だいじょうぶじゃない…主にお前のせいで…」
「ボク、君に何かしてしまったのかい?」
「してたって言うか、現在進行形っつーか…。俺が勘違い野郎過ぎて恥ずかしいのと、お前が無自覚すぎて恥ずかしいせいで今の俺はめちゃくちゃだ…どう責任取るつもりだよ、クソエルフ」
「うえぇ…?いや、自分が何をしたのかよく分かっていないんだけど…ってか、無自覚って何さ!ボクは今も昔も何も変われていないよ、結局ただ長生きしただけのエルフのままだ」
「………もう、今はそれでいいや」
「なんか腑に落ちないんだけどぉ!?ってか皆も、さっきからその生ぬるい変な視線やめてくれるぅ!?落ち着かないんだけどぉ!」
騒ぐソフィと照れるチトを微笑ましく眺めていた四人は、顔を見合わせてくすくすと笑う。そんな反応をされれば意味も分からず羞恥心が込み上げてきたソフィは、頬を僅かに赤く染めながら強引に机を叩き再び冷めてしまった紅茶を新たな物へ全員分煎れ直した。ふわりと立つ湯気と香りに、ようやく緩んだ空気の糸は強く結び直されていく。そのころにはチトも僅かに顔を扇ぎながら、それでも平静を取り戻したらしい。先程までの言い合いは一度流す事にしたのか、ソフィに向けて僅かに肩を竦めてから紅茶に口を付けた。仕方なくソフィもカップに手を伸ばし、まだ熱い紅茶で乾いた舌を潤す。視線が再び交差した。
「…こほん。兎に角、今回の封印を解いた後、戦闘は葵ちゃんを中心とした君たち人類の戦いになると考えられる。エトちゃんも補助位は出来るかもしれないけど、完全に作戦の中心に据える事は僅かでも不安があるなら避けた方がいいからねぇ」
「それについては…否定はできねーな。何もないとは言えない。アイツがまた複製体に妙な機能を残していないとも限らないし」
ソフィから順番に視線を向けられたヴィル達三人が息を呑む横で、葵は机の上で腕を組んで紅茶の水面だけを見下ろしていた。その表情に一切の動揺が見られない時点で、ある程度こうなる未来が予測出来ていたのだろう。ヴィル達だって勿論自分たちが矢面に立つ想像をしなかった訳ではないが、いざ決定事項のように語られて無反応を貫き通す事は出来なかった。暫くの沈黙を経て、小さく頷いたルシエは葵に向けて口を開いた。
「事実、ルシエ達よりアオイの方が圧倒的に強い。成長途中とは言え、ルシエ達普通の人間が中心になってまともな戦闘が出来るとは思ってないから。戦いにすら、ならないと予想してる」
「その通り、まさに君達が想像している通りの結末が待っているよぉ。賢明な理解だねぇ」
「確か…魔王を討伐する為には、白焔魔法による弱体化が有効であった筈です。どれだけ様々な攻撃魔法、呪いで追い詰めても最後に必要なのは人類の…勇者の力。ヴィルさんがお持ちの固有魔法ですよね?」
「…つまり、俺が止めを刺す必要があるという訳か」
「ヴィルは…、ん、はっきり言って弱いから…」
「むむっ…いや、ここは素直に認めよう。俺はこの場で最も足手まといとなる立場だからな」
思い出したように条件を提示したオルコスを前に僅かに眉を上げたヴィルは、続いたルシエのはっきりと告げられた言葉に肩を落とした。けれども頭脳や政治的な思考はさておき純粋な魔法使いとして、ヴィルはこの場で誰よりも弱かった。オルコスは攻撃が出来ずとも、オーフで聖女とさえ呼ばれた圧倒的な聖属性魔法による回復が可能である。ルシエは、恐らくこの世界における人類最強に近い実力と才能を持って尚、日々研鑽を重ねている魔法使いだ。葵やチト、ソフィは言わずもがな、普通の人間からすればヴィルだって圧倒的に優秀である筈なのに、この場においては立場や頭脳を持ってすら最下位の地位にあるのが現状のヴィルだったのだ。
「アオイ、お前頼りが確定したぞー?」
「……一応これから対立する魔王って、ウチのお母さんの複製体なんやけどね」
「はっ、情報量が多すぎですっかり忘れてしまっていました!そうですよ、アオイちゃんだって自ら進んで戦いたい相手ではないに決まっているじゃないですか!元の世界では…既に亡くなっている方なのですから、」
「いや…その点に関して言えば、寧ろウチの情緒をここまで弄んでくれたお礼に全力でぶっ飛ばすつもりやから安心して任せて欲しい」
「ふえぇえええ!!?!?」
葵に伸し掛かる世界の命運をかけた責任を前に、敢えてチトが茶化す様に軽薄な笑みを浮かべる。対する葵は、面倒くさそうに既に提示された事実を口に出してあっという間にチトを撃退してしまった。極まりが悪そうに視線を逸らしたチトを横目に慌てた様に声を張り上げたオルコス。当然葵に一同の視線が集中したが、一方で寧ろ楽し気な表情を浮かべた葵は舌なめずりをしながらみんなの前で拳を握って見せた。素直に素っ頓狂な声を上げるオルコスと、呆れた様子のチトやソフィ。そして何とも言えない表情を浮かべたヴィルとルシエを前にわざとらしくため息を吐いた葵はゆっくりと立ち上がった。
「ただし、ウチも流石に魔王相手に皆を守りながら戦う自信は一切ないから、自衛に関しては三人で協力して自力でやってほしい。ヴィル君には戦闘を観察して魔王に対する有効打を探してもらいたいし、ルシエちゃんには援護射撃をお願いしたい。ルコちゃんは言わずもがな回復担当。各々役割は間違いなくあるし、誰一人欠けたらあかんと本気で思っとる。ソフィは何ともいえんけど…チト君は、ウチの師匠として居てくれるだけでも嬉しいで」
どこまでも真剣に、真っすぐな瞳で葵は三人を見据えてそう口にした。確かに、三人に自分の背中を預けたのだ。恐らく本人に自覚はないのだろう。これまでどんなことも独りで成し遂げてきた彼女が、自ら他人の力を借りる事を当然のように認めた事実に。思わず口角が上がっていく三人はそれを必死で抑え込みながら至極真面目な表情を作って頷いた。けれどもこういった場面で空気を読めない、否、意図的に空気を読まないクソエルフが居合わせている事を忘れてはいけない。
「わぁ、葵ちゃんかーっこいぃ~!私の背中は預けたわよ!って、御伽噺の女騎士みたいだねぇ!眩しくて見てられないよぉ!」
「おい馬鹿お前避けない事言うなってクソエルフが!!」
「……ソフィ、少しウチと二人きりでお話し、しよっかぁ?」
「おやおやぁ?」
ソフィに向けて当たれば確実に無事では済まない威力の攻撃魔法が無数に飛んでいく。それを杖を呼び出して結界魔法で全て弾いたソフィは、攻撃の手が止んだところを見計らってゆっくりと立ち上がり意図的に魔力を揺らした。瞬間的な緊張感が小屋中を支配する。たった一瞬で何が起きたのか、思わず葵が杖を握る手に力を籠めるが、ソフィから魔法が放たれることはなかった。ただ、言葉が飛んだのだ。
「…君達、魔王の事随分と舐めてるねぇ。完全体じゃないってだけで、そもそもイブキちゃんは人類最強の魔法使いだったんだよぉ?その複製体、しかも厄介な副効果も山盛り。…一撃でもまともに食らえば即死も免れない、そんな理不尽な相手と戦闘するって本当に理解できているのかなぁ?」
明確な警告である。何せ、相手は魔王なのだ。それも、不確定要素だらけで倒せる保証などどこにも存在しない、人類が束になってようやく相手になるような圧倒的強者。決して片手で数えられる程度の人間が力を合わせたところで、どうにかできる相手ではないのである。葵が先陣を切って対面する事を認めた事は、先程の取り乱した様子からも相当無用な責任を勝手に背負っている事は分かる為納得できるが、他の三人に自覚が足りていなさすぎる。下手すれば目線一つを受けただけで死ぬ。それくらい、魔王はもとよりイブキの複製体は強力なのだ。そんな彼女が数百年に渡って積み重ねた知識や経験、それらを持って魔王へと成長を続ける複製体。唯一対抗できるだろうチトが気がかりな状況で、それでも尚明るい表情を浮かべる三人を、ソフィは理解できなかった。
そんな、緩んだ気持ちを締め直すべく放たれた強い魔力と共に放たれた問いかけを前に、当然身体を震わせながらも三人が浮かべていたのは心底不思議で不可解そうな表情だった。葵までもが、小首を傾げている。理解できない様子で三人の気持ちを代弁したのは葵だった。
「勿論チト君が役に立たんかもしれんのは痛手やけど、ソフィが何もできないからって…何もしない事にはならないやろうなって思っとるし」
「…どういう意味ぃ?」
「いや、どうせ何かしらの抜け道を使って干渉しようと考えてくれるやろ?知らんけど。ソフィにとってウチらは絶対的なお気に入り、それは言い逃れのしようがない事実やん。そうじゃなきゃ、そもそも事前に魔王が誕生しただなんて話も、過去の歴史も、世界樹の実態も、聞いただけで教えてくれるわけがないもん」
「は、」
言われた言葉の意味が理解出来るに固まったソフィを横目に、違和感の正体に気付いた三人は顔色を明るくして口々に思考を並べていった。
「ん、アオイの言う通り。興味がないものにはとことん興味がない、それがソフィ。今も昔も、ずっと一緒」
「ふふ、ソフィがわたくし達を見る時の瞳には、他の人間を見る時と全く異なる色が浮かんでいるんですよ?何と言うか…見守る、観察者と言うより…最早、保護者の視線とでも言うのでしょうか。それって、わたくし達を特別だと認識してくれている、何よりも分かりやすい証拠でしょう?」
「分かるぞ、昔と相当違うからな。初対面の時なんて、オルコスかそれ以外かでしか認識していなかったのは見て取れたし。何度お前に名前を確認されたと思っているんだ?それがいつからか渾名呼びに変わって、こんな過保護になって。その範囲にまさか俺やルシエまで含まれるようになるとは想定していなかったがな」
「な、え、……は、はぁ??」
重ねられた言葉たちに始めは戸惑っていたソフィも、次第にその頬をはっきりと赤く染めていく。即ち、言葉の意味を理解したからであった。
ソフィは全知全能の存在であり、この世界における神に等しい立場に在る。悠久の時を生き、手にした経験は世界中の誰よりも豊富で、それら全てを記録できる最古の生命体なのだ。そんなソフィが、これまで一切気付いてこなかった自分自身の変化を、たった二十年と少ししか生きていないような人間たちから当然のように指摘されたのである。しかも、ずっと昔から望んできた、人間に近付いた変化。子供達の口ぶりを聞けば、相当前から、相当分かりやすく表に現れていたのだと分かる。
嬉しい、恥ずかしい、困る、戸惑う、やっぱり嬉しい。
様々な感情がソフィの全身を駆け回り、優秀過ぎる筈の思考回路を歓喜だけで埋め尽くしていく。気付いた時にはまともな言葉も発せないまま、両手で顔を覆って俯いてしまっていた。
「……ふーん?良かったじゃん」
「…うっさいなぁ」
ニヤリと口角を上げたチトに、肩へ寄りかかられたソフィ。普段ならば無駄な重みを直ぐにでも振り払っていただろう行動への対処さえも、思考が追い付かず俯く事しか出来なかった。美しい髪から覗く尖った耳は、矢張り真っ赤に染まっている。結局暫くの間ソフィは口にしたのは、要領を得ないあ、だとかう、と言った曖昧で無意味な声ばかりだった。
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