86話 代償
「さて…何度目かも分からないけど、話を戻すよぉ?」
騒がしくなった小屋の中は、呆れた様子のソフィによって言葉の通り何回同じやり取りを重ねたのか数え切れないほどに脱線した事実を再確認しながら、どことなく気まずそうに真面目な雰囲気が取り戻された。肩を竦めて目を見合わす五人にわざとらしくため息をついたソフィだって同類なのだが、事実ソフィは周りの発言に乗りかかる事はあれど自らが茶番を持ち出した事は思い返すと一度もなかったので一応その態度は許された。
それぞれが小さな深呼吸をして、今度こそ小屋の中には張り詰めた空気が作り出される。それは、六人がそれぞれ現状の課題、魔王討伐までの道筋を真剣に考える準備が整った事を表していた。ゆっくりと一人一人と顔を見合わせたソフィは、ゆっくりと瞬きをして口を開く。
「イブキちゃんが残した複製体に定着した魔王の種は現時点で既に発芽が確認されていて、成長も進んでいる。つまり魔王の存在は既に今の世界に居るんだ。当然、完全体になる前に討伐を目指せば勝算はぐっと高まるものだよぉ。まぁ、憑代本体が相当な力を持っているから、今の段階でも相当厄介な事に変わりはないんだけどねぇ」
ソフィが魔法によって呼び出した大きめの用紙に共通言語で書かれていくのは、世界樹を模した木の絵から矢印が伸ばされた、黒く塗りつぶされた人形の頭に植物が発芽したばかりの絵が描き足されたものと、その説明だった。丁寧に水瓶から水を与えられた芽はゆっくりと開花に向けて成長している。唯の説明用の絵でありながら圧倒的な精度を持った一つの絵本の様なそれに、歴史的天才画家の実態を受けて僅かに頬を引きつらせていたヴィルとオルコスは、直ぐ隣でじっと絵を見詰めいつの間にか杖を呼び出していたルシエに気付かなかった。
「おやぁ?」
不意に、用紙に向けて魔力弾が放たれた。誰がやったのか等、無表情で杖を構えたルシエを見れば一目瞭然である。不思議そうに小首を傾げながら結界魔法で弾いたソフィは、その意図を窺うように口角を上げルシエを見詰めた。
「敵が成長を続けているなら、今すぐ叩けばいい。この会議自体が無駄じゃない?」
「中々の戦闘民族的思考だねぇ、ルシエちゃん。でも、その意見は流石に先走り過ぎかなぁ」
何処までも真剣な表情で客観的な事実を口にしたルシエを前に、ソフィは心底面白いものを見る様な表情で笑う。発言だけを切り取れば実力に自信が有り余った若い魔法使いの戯言のように聞こえるが、事実は成長を続ける魔王の力を素直に認め、少しでも勝率を上げるた為の策だった。自分が決めた事を何があろうとも必死で貫こうとする姿は彼女の美点であり、最大の欠点。ルシエは自らを強い魔法使いだと決め、日々努力を重ね続けている。それは同時に、誰にも負けない魔法使いであると誓約を賭けているに等しい行為なのだ。それでも彼女の誓いが葵に作用しなかったのは、出会いや関係性、そして葵をチトやソフィと同じ人間から外れた魔法の力を持つ存在だと認識しているからに違いない。勿論、妹だと可愛がっているのは本心だが、魔法技術に関しては追いかける事自体を諦めてしまっているのだ。
そんなルシエは、会話の中で大賢者イブキ、そして付随した複製体の存在を葵と同じ人間から外れた存在として認識する事を決めたらしい。だからこそ、勝算がないという屈辱を自ら提示する行為を恐れず、素直に事前敗北を認め少しでも勝てる方向へ進もうと舵を切ったのである。果たして、直接会った事もない過去の人間が残した魔法を前に、葵と出会う以前のルシエであれば素直に勝てないと認める事は出来ていたのだろうか。その事実に気付いているのは常に観察者であるソフィと、そして誰よりもルシエを理解しているヴィルだけだろう。事実、ヴィルはルシエの変化に驚いたような、それでいて少しだけ詰まらなさそうな表情を浮かべている。薄々勘付いていたが、ルシエ限定で性格が歪んだ男手だ。こんな男に執着されたルシエは哀れである。…ソフィには、そう思えた。事実はルシエも似たようなものなのだが、そこは今は関係のない話だろう。
「ふふ、確かにルシエちゃんの言う通りただ魔王として複製体が強化されていくだけだとすれば、即刻攻撃を仕掛けるのが最善策だねぇ。でも、問題はその複製体に強力な封印がかけられているという事実だ。迷宮自体に縛り付ける目的で作られた封印魔法を解除すること自体は、葵ちゃんの解読によって可能になった。でも、そもそもボク達が複製体の封印に至った理由は、事情が重なった結果複製体が面倒な方向性で暴走する可能性が生じたからなんだよぉ?」
「魔王である事実以前に問題が生じている、という訳ですね…。事態は想像以上に複雑化しているようです」
「複雑化、なんて耳障りのいい言い方をこの場でする必要はないよぉ、ルコちゃん。結論、全ての条件が面倒くさいんだよねぇ…あの複製体は」
ソフィの発言を受けて次なる一手を探し出したルシエは黙り込んでしまった。ヴィルはそんなルシエに夢中で恐らくルシエの話は半分以上聞こえていなかったのだろう。未だ変化を見せつけるルシエに釘付け状態である。こうなってしまえば使い物にならない。そして、ソフィの発言に俯き視線を落としてしまったチトや一切の興味関心を示さない葵を見れば、何か事情がある事実は証明される。そこまで分かれば、沈黙を選んでいたオルコスが相槌を挟むのは当然だった。気休めにも満たないオルコスの一言は、分かりやすく苛立ちの表情を浮かべたソフィによって押し流されてしまう。ソフィをもってしても、理解不能でない筈の複製体の状況を面倒臭いと言わしめる状況。それが示すのは、一体何なのだろう。
「封印が解除され次第本格的な活動を開始するだろう複製体が、次期魔王でなければボクもここまで頭を悩ませることにはならなかった。でも、残念なことに複製体は次期魔王が確定してしまった…全く、この恨みはどうやって世界樹にぶつければいいんだろうねぇ」
不満気にため息を吐き捨てたソフィは、世界樹に向けた一方的な恨みを呑みこむべく勢いよく紅茶で口内をいっぱいにした。ぷはぁ、と普段の上品さを捨てまるで酒を飲んだ親父のような勢いで音を立てて茶器にカップを戻したソフィは、その一連の様子に自分の思考も忘れてドン引きする五人の視線に気付いてへらりと誤魔化す様に笑って咳ばらいをする。
「兎に角、既に魔王となった複製体を前に世界樹との契約があるボクは手が出せないの。全ての戦闘はボク抜きで行う事になるだろうから、その辺りの連携や打ち合わせも随時進めていく必要があるよぉ。誰が何を担当して、何を成すのか。退屈になるけど、その分全てを見届けることが出来るのは楽しみだなぁ」
「作戦立案か。つまり攻撃や防御、回復、揺動といった所謂冒険者が普段から行う役割を決めるという話だな。確かに、俺は無意識で魔王との戦いは各々が対峙する総力戦だと勘違いしていたが…魔王は現状あくまで孤立状態、一対多の戦闘が約束されているのか。…勿論次第に軍勢にはなっていくのだろうが…少なくともここ数年の間に軍勢が発達する、なんて事にはならないと判断していいのか?」
「あれぇ、ヴィルちゃんルシエちゃん観察はもう終わったのかなぁ?…ふふ、なんてね。そうだねぇ、その通りだ。封印状態で迷宮から動けない今の魔王に仲間を集める手段はない。迷宮とは完全に外界から孤立した、一つの箱庭と称しても問題ない空間だからねぇ。逆に言えば迷宮が破壊された瞬間、歴代最強の魔王軍が立ち上がると考えてくれても構わないよぉ」
「迷宮は最後の砦の役割と果たしている、という訳だ。狭くないとは言え建物内での戦闘、それも使う魔法に気を付けなければ生き埋めになる可能性もある。考える事は無限にあるな」
いつの間にかルシエから視線を外し、ソフィの発言を聞き脳内を働かせていたヴィルは自らの思考を纏めるべく口を開いた。始めは茶化そうとしていたソフィだったが、先程までのまるで話が進まない状況を思い出してどうにか踏み留まる。そうして問いに対する答えや新たな情報を与えれば、直ぐに次なる必要な条件の検討を始めるのだからつくづく優秀な子供である。瞼を細め机を見詰める瞳の奥に写っているのは小屋の景色ではなく、以前自分自身の目で見た封印状態の複製体や周囲の迷宮の状況なのだろう。頬杖をついて人差し指が頬を叩く様子は、決して声を掛けてはならない雰囲気を纏っていた。思考の海に沈んでいったヴィルを前に暫く会話が出来ないだろうと悟ったソフィは、目下の問題である先頭に立って魔王と戦闘を行う最有力候補であり不安要素に視線を向ける。僅かに肩を跳ね上げて慌てた様に視線を重ねたのは、ずっと気難しい表情で黙り込んでいたチトだった。
「さて、エトちゃん。今一番の問題は他のどんな要素でもない、君だ。相手は複製体とは言え、間違いなく封印される直前までイブキちゃんが積み重ねてきた記憶を保持している存在だ。そんな相手と君は、戦えるのかなぁ?」
「……どういう意味だ」
「今は分からないフリをする場面じゃないよ。君の中でイブキちゃんの存在が非常に大きなものである事は、人間から程遠いボクにだって分かる。そんな大切な相手を前に、君は攻撃ができるのかい?」
「何が言いたい、俺がアイツに躊躇するとでも?」
「いやいや、そういう意味じゃないってばぁ…ボクは君が心配で、」
「アイツとの過去は全て記録でしか残っていない。お前には及ばなくても、俺は十分この世界で強者だ。余り人類を舐めるなよ、調整者」
「ちょっと、落ち着いてってばぁ…どうしてそうなっちゃうのぉ?ボクは君が弱いだなんて一度も言ってないのに、」
「お前が今を生きる生物全てを見下している事は知ってる、アイツの複製体と戦う事に思う事がないとは言わない。でも、そこに口出しされる言われはねーだろ!俺は一度魔王を討伐してるんだぞ!?もう一度魔王を倒す事くらい、出来て当然だ!!そもそも俺は、」
「大賢者イブキのこの世界における死因はなんだったの?ウチ、話を聞く限り物凄く優秀だった癖に、国に帰った程度で死ぬなんて想像つかんのやけど」
チトは必死だった。ソフィが言いたいことなど、わざわざ指摘されなくとも理解していた。それでも、嘘でも当然のようにお前はやれるだろうとソフィがチトに向けて言い放つだろうと思い込んでいたのだ。チトにとってのイブキは性格や価値観、生き方に至るまでの全てを変えた大きすぎる転換点だった。嘗て魔王討伐を終えソフィと出会って以来、実に数百年振りとなる新たな存在は、確実に今のチトにおける大部分を作り上げた人間と言っても過言ではなかったのだ。それは所謂、自分を受け入れ育み見詰めてくれる大切な庇護者。自分に比べて物理的に弱い人間の少女に向けるには、余りにも重すぎる感情をチトは無意識でイブキに向け続けてきたのだ。それは、記憶が記録へ変わっても尚変わらない前提認識だ。
果して、チトは自らを認めてくれた相手を例え複製体であろうともそう簡単に杖先を向けられるだろうか。答えは否だ。チトにとって、嘗て対話を怠った結果最後の最期に知る事となった魔王…父親との関係性は間違いなくトラウマとして刻みつけられていた。誰かの最期に立ち会うのが恐ろしい。それは酷く人間的でありながら、長寿を生きてきたからこそ顕著に感じる感情だった。例えば、今この場で魔王と成ったイブキの複製体と対立したとしよう。無事戦闘を終え、討伐が叶ったとしよう。果たして、彼女は最期にチトに何を言うだろう。
どうしてここまで最期の言葉を恐れるのかと言えば、これが二度目の可能性だからだ。チトが知る本物のイブキに、最期の言葉はなかったのである。
葵の冷静でどこまでも真剣でありながら、チトとソフィの間に出来上がった強い魔力の揺らぎあいを受けても尚変わらない平坦な瞳を受けて、二人は言葉を失った。チトは何となく感じていた忌避感が、葵の問いかけによって正しい理由までもが思い至ってしまった事実に表情を歪め、視線を明後日の方向へと逸らしたのである。そんな質問に答えてくれたのは、残されたソフィだった。
「彼女の死因は、禁忌魔法の使用による代償死だよぉ。命を糧に発動する魔法を使い、そのまま亡くなったんだ。とは言え、実のところ当時の詳しい状況はボクにも分からないんだけどねぇ」
「…どうして?世界樹の記録を見れば分かるんとちゃうの?」
「本来であれば、そうなるべきだったんだけどねぇ…。そもそもの前提の話として、イブキちゃんは世界に望まれない勇者召喚によって現れた異世界人と言う立場がある。つまり、世界にとっての異物なんだよ。この世界に属する全ての物質と全く異なる特殊な立場に彼女はあったんだ」
先程の感情的な様子から一転、僅かに眉を寄せて頬杖をつき、中身が空となったカップの何もない空中をなぞったソフィはゆっくりと告げた。素直に小首を傾げた葵は、心配と安堵を混ぜ合わせた様子で葵の仲裁に胸を撫で下ろしていた三人をちらりと横目に見てから改めてソフィを向き直る。チトは相変わらず視線を外したまま、葵の方を見ようともしていなかった。困ったように肩を竦めたソフィはカップの縁に指先を振れさせた途端、あっさり消してしまった。カップが乗せられていたソーサーだけがソフィの目の前に残る。
「そんな立場に在りながら、事前に禁忌指定が施されていた魔法を強引に発動させてしまった。結果として、彼女がこの世界に存在した軌跡は人伝に残りながらも世界樹からは審判によって抹消されたんだ。彼女は記憶として人々の中に残っても、世界の記録としては存在していないんだよ。現代まで文献に残っているのは、ボクが率先して自ら記憶を語り継ごうと望んだから。彼女がこの世界で過ごした軌跡、ひいては記録の全ては、どれだけ見たくとも見れないんだ。だって、存在自体がなかったことにされてしまっているからねぇ」
それは矛盾だった。世界樹が存在を認めないとしたにもかかわらず、人々の記憶には現代まで語り継がれた奇跡。何より、世界樹の手足であるソフィが、自らの意志で率先して記録を残そうと動いた事実。何もかもが、世界に対する矛盾を示していた。ソフィを自ら説明を重ねる中でそれに気付いたのだろう。考え込むように口を閉ざすと、そのまま思考の波に飛び込んで行ってしまった。不可解な自分の行動、どこまでも無情な世界の判断。果たして、ソフィは本来世界側であるべきではなかったのだろうか。瞼を細めて何も乗っていないソーサーの縁を指でなぞるソフィが浮かべる困惑の表情は、どこまでも人間に近しいものだった。
「……アイツが使用した魔法は、発動者の命を代償にキーフ全域を保護する大規模守護結界魔法だった。一度発動を成功させさえすれば定期的に新たな代償…つまり生贄を捧げる事で半永久に発動を維持できる優れもので、その本体となる発動者そのものを結界へと組み替える人柱の魔法。どうしてそんな魔法を使う結論に至ったのかは、腐りきったキーフの歴史を見ればいくらでも予想がつく」
「結論、大賢者イブキの死因は自殺やった、と?」
「違う、俺がアイツの願いに応えて結界を破壊し、怒りのままキーフも滅ぼしたんだ。俺は、アイツが守ろうとしたものも、アイツ自身も、全てを……殺したんだ」
膝の上に置いた掌を、爪が食い込んで血が出る程に握りしめたチトは、苦し気にそう言いきった。事実、チトはイブキが結界となる直前何を思ったのか、どんな言葉を発したのかを知らない。それでも、迷宮で交わした約束に則って彼女を救いにキーフへ向かったチトは、死を救済と信じて結界、ひいてはイブキを自らの魔法で殺したのである。嘗ての父親、そしてイブキ。二人の大切な存在を自らの手で葬った事実。全てはチトの記録の奥底で鉛のように沈み込んで、決して光を浴びる事はない。それは未来永劫チトが自らの意志で背負っていくと決めた、過去の記録の全てである。俯いたままのチトを前に、僅かに肩を震わせたソフィは慌てた様に机を叩いて立ち上がった。視線はチトの方へと固定されている。
「それは違うって何度も君に伝えてきただろう?イブキちゃんは結界と成った時点で既に人間として死んでいる。結界を破壊した結果は確かに死体を蹴った様なものかもしれないけど、君が殺したって話にはならないんだ!寧ろ、君の行動は解放、救いだ!君が結界を破壊したお陰で、結界に囚われていた彼女の魂は無事元の世界へ還る事ができたんだから!」
「それはあくまで結果論だ。確かに俺はアイツが異世界から召喚された勇者だとは今日まで知らなかった。でも、例え魂が解放されたとは言え、還りたくないと願っていたアイツを元の世界へ還した事実は変わらない!」
「エトちゃん!!」
珍しくも声を荒げたソフィの瞳の奥に浮かぶのは、僅かな苛立ちと哀愁、そして強い意志だった。話を総合する限り、全ては結果論でありどちらの意見も事実なのだろう。当時自らが陥った状況を判断し罪と定めたチトと、完全な第三者として客観的に状況を判断したソフィ。二人のどちらにも間違いがないやりとりは、どこまでも不毛だった。卑屈に諦観を重ね俯くチトと、感情的になって声を荒げるソフィ。これまで一度だって見た事がない二人のやり取りは、どこまでも人間同士の喧嘩のようにしか思えなかった。過去の出来事に対していつまでも事実を引きずって、自分が悪い、君は悪くないと口論を重ねる。どうにも人間臭く、どうしようもない会話だった。こっそり顔を見合わせた四人は、浮かんだ笑みを隠し切れずに肩を竦める。自分達ばかりが変わってきたと思い込んでいたが、この長寿種二人組もいつの間にか大きく変わってきたものだ。それも、相当無自覚に。
「全く、しょうがない大人たちやね。大事な時に子供達を放って、思い出話に浸るとは」
「ん、共感性羞恥、見てられない」
「……ふふ、傑作ですね、嘗てわたくしに人形であれと微笑んだ大賢者が、今ではまるで幼児の様…」
「三人とも程々にしておけ。悪い顔だぞ」
肩を震わせる子供達の前で、大人たちは未だ口喧嘩を継続していた。
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