8話 着替え
「ただいまー、いい子にしてたか?」
「ちょっとチト君!旅に出てからずっとウチの事子ども扱いしとらん!?ウチもう19歳やで!?成人やって間近なのに!」
「まぁまぁ、お土産でケーキ貰ったんだよ。食うだろ?」
「食べるーー!!」
時刻は昼を少し回ったころ、テーブルに用紙を広げて新しいくだらないオリジナル魔法を発動させるための魔法陣を作成していた葵は足音に気付き、玄関の扉に駆け寄ってチトを迎え入れた。少々不満な気持ちは見せられた洒落た紙箱によって吹き飛んでいく。早く早く、とチトの手を引き散らかった書類を杖一振りで纏めてベッドルームへ飛ばし、そっと紙箱を開いた。
「わ、ショートケーキだ!チョコケーキに…チーズケーキもある!」
「本当はその場で食べてくださいってもらったんだけど、家で同居人と食べるから包んでくれって頼んだら色々くれたんだよ。好きなの選んでいいぞ」
「ほんま!?じゃあウチこのチョコケーキにする!」
小さくその場で飛び跳ねて喜びを全身で表現した葵は、そのまま上機嫌で皿や匙を取りにキッチンへ向かう。そんな背中を見詰めて、チトは小さくため息を零した。脳裏に浮かぶのは、専ら機能気付いた葵の物欲のなさについてだ。
家に帰ってきてすぐの様子から見ても、口では色々言いながら結局外出の一つもしないで家の中で大人しく時間を潰していたのは明らかだ。魔法で鍵を閉めたわけでもないのだから、冒険の一つでもしてきているかもしれないと考えていたが、それは間違いだったらしい。よくよくチトが思い返せば、お調子者な発言やチトも驚く発想による魔法開発は目につくものの基本的に葵は『良い子』である。
教えられた知識はしっかりと自分の中で咀嚼してから取り込む慎重さがあるし、忘れない。食事中のマナーだってまともに覚え始めたのは割と最近の事であるにもかかわらず、危うさはあれど自分で気付いて修正できるだけの対応力を持ち合わせていた。今のように率先して皿の準備に立ち上がるところや、何も言わず家事を引き受けるところはチトの人間的な生活に対して杜撰な性格を理解して自主的に気を配った動きができている証拠である。チト自身が19歳の頃どう過ごしていたのかは流石に記憶が遠すぎて覚えていないが、少なくともここまで良くできたものではなかったと断言できた。
「チト君はどれにするん?ついでにお皿に盛っちゃうで!」
「んじゃ、王道のショートケーキで」
「りょーかい!」
チトが知らない異国の曲を鼻歌に載せて奏でる目の前の子供は、元の世界で一体どんな生活をしていたのだろうか。そんな葵自身に踏み込む疑問を飲み込んで、チトはショートケーキに匙を刺した。
「さて、残りの空腹は適当な屋台で埋めるとして、昨日約束してた葵の私服でも探しに行くか」
「…あれってほんまやったんだ。でもチト君、ウチ絶対そんないっぱいいらんよ?精々二着あれば十分!洗濯乾燥魔法もあるし」
「あぁ…あの超革命的な魔法な。それ、絶対本当に信頼できる相手の前以外で使うなよ。現状の魔道具界で覇権を握ってる洗濯乾燥機が完全に死ぬからな。…じゃなくって、流石に三着は必要だろ?その日の気分だってあるだろうし」
「ん~…別にチト君の服でも十分間に合っとるんやけどなぁ…」
心底不思議そうな表情を浮かべる葵を前に、逆にチトが首を傾げてしまう。なぜそうもかたくなに自分自身に向けた物欲という感情をなくしているのだろうか。しばらく考えても何も理由が思い浮かばなかったチトは潔く諦めて、葵の手を引き街へ繰り出した。
「葵の好きな色は?」
「んー…水色とか、白とか?」
「なるほど?確かにお前白のローブ結構似合ってるもんな。そこに薄いグレーのインナー合わせて…水色のスカートなんかも似合うかも。で、ブーツは膝丈の革製がいいかも。あーでもそうするとローブが邪魔になるか、いやベルトで止めるとか…寧ろアイツは肩までローブの裾を下ろしていたな。ローブのデザインは無地じゃなくて、袖とか裾にワンポイント刺繍が入ってるこっちだな…って、違う違う。これはアイツの私服で合って、葵とは関係ない。すまん、今のは一旦忘れてくれ」
「…、うん、それにする!」
新品古着さまざまなものが集まる洋服市にやってきた二人は、一周ぐるりと適当に回ってから実際の服選びを始めた。心底困った表情で視線をうろつかせる葵を横目に、チトはふと浮かんだ嘗ての同居人の姿を思い出して魔法を用いて空中で組み合わせてみる。そのまま葵の正面に移動させてみれば、魔法使いらしい服装でありながら葵らしい元気さやその陰に潜むどこか大人びた雰囲気を見事に表したものになっていた。ぴったりだと頷いてすぐ、これが嘗ての同居人が身に付けていたものと瓜二つであったことを思い出して元の場所へ戻そうと振りかけた杖は、葵の手によって止められた。あっさりとチトの魔力制御を奪い自分の元へ服を集め抱き込んだ葵は絶対に話さない、と言わんばかりに少々鋭い目つきでチトを見詰めたかと思えば、どこか自嘲交じりの笑みと共に小さく頷いた。
「いやでも…結局それじゃ、俺が選んだ格好になるだけじゃねーか」
「やだ!ウチこれがいいんやもん!」
「だ、だから…俺はお前が好きな服を着てもらいたくてだな」
「これが好きだって思ったもん。…チト君がウチに似合うって思って選んでくれた、チト君の中でもなじみ深いこの服が着たいんやもん」
「なんっ…、……はぁ…」
普段からガキだな、と思う事が多くとも、子供だ、と感じることは殆どない葵。しかし、今の葵の姿は、どこか寂し気に服を抱える様子や途端に幼くなった口調を含めて、どうしようもなくチトには子供のようにしか見えなかった。思えば、初めての本気の我儘なのかもしれない。これまでは、なんだかんだで一度ダメだと言えば大人しく聞いて諦めていた様子だったのだから。
「じゃ、それにするか。せめて他の服は俺一切口出ししないから自分で選べよ」
「…うんっ、チト君ありがとう!」
次に顔を上げればいつもと変わらない満面の笑み、そうである筈なのに、なぜだかチトにはいつも以上に本心からの笑顔を浮かべられているような気がして思わずその頭を撫でつけてしまった。子ども扱いするな、とまた拗ねられるかと思っていたが、大人しく目を伏せて受け入れる珍しい葵の様子にチトは小さく笑った。
「…ほんとにそれがいいのか?」
「うん!これでいい」
「本当に?」
「絶対これー!」
先ほどの服を購入してその場で着替えた葵は、続いて真っ白な膝下丈のワンピースとシンプルな革靴を選んだかと思えば人形店の一角を見て駆けだした。慌てて追いかければ、魚の着ぐるみにすっぽりはまるような妙な部屋着を抱えてチトの元へ戻ってくる。足先から頭まですっぽりと体が入り、顔をは魚の口元から顔を出す形のその着ぐるみパジャマは明らかに利便性が悪そうで、フード位置になる魚の顔もなかなか凶悪そうである。だがしかし、きらきらと無邪気に見上げられてしまえば、頭を抱えながらも購入せざるを得なかった。
「本当にこれだけでいいのか?」
「ふふん、これだけがいいの!チト君は分かっとらんな~」
自分が最初着ていたチトの服、新たに購入したワンピースは布袋に入れて肩から下げ魚の着ぐるみパジャマを満足げに抱えた葵は、戸惑った表情を浮かべるチトに心底楽しそうに笑いかける。呆れて空を見上げれば、昼過ぎには家を出た空はいつの間にか日も暮れ始め、空の端が赤く染まりつつあった。
「夕飯はちょっと良いお店、お前の編入手続きの時に紹介してもらったから予約もしてきたんだ。たまには豪華に決めようぜ?」
「ほんま?やったー!お肉?お魚?」
「コースだしどっちもあると思うぞ」
「酢昆布は!?」
「何それ」
「はぁ!?世界で一番おいしい食べ物なんですけど!!」
夕陽にあてられた二つの長い影は、時に重なり離れてを繰り返して街の中を進んでいった。
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