84話 大賢者イブキ
「…さて、いい加減現実逃避は終わりね。こほん…ウチ、”伊吹 葵”はこれまで意図的に隠蔽していた情報について、この場を持って釈明させていただきます!」
「んなもんねーよバカ」
「はぁ!?今チト君ウチの事馬鹿って言った!?馬鹿って言った方が馬鹿なんですぅ、ウチは大天才なんやから!!」
「はいはい、大天才ですごいでちゅね~…って、お前今なんて言った?」
問題提議や情報共有についてはまとまったものの、その問題に対する相談は一切進んでいなかった。何度真面目な空気を取り戻しても呆気なく崩壊する中で、葵はここぞとばかりに一つの議題を自ら提示したのだ。それは、ここまでに浮上した情報に付随した、最終局面に物事が差し掛かっている事を理解しているからこそあえて表に出されたものである。意図的に隠蔽していた情報、なんて言い方をすれば聞こえがいいが、実際の所その本筋は葵がこれまで一貫してつき続けてきた嘘と同義である。先程一度爆発したお陰なのか深呼吸一つでどうにか平静さを装ってはいるものの、内心は心臓が激しく鼓動を続け油断すればその場から逃げ出してしまいそうな程に緊張していた。
そんな葵の心の内とは裏腹に突如始まった話題にまた茶番だろうか、と流しかけたチトは、ふと耳に残ったこれまで葵から一切口にされてこなかった一つの単語に思考を止めた。揺らぐ認識の中で矢張り葵が口にした単語はこれまでと異なる事である事を再度確認し、慌てた様に葵が騒ぐのを遮ったのである。
「え?馬鹿って言った方が馬鹿?」
「いや、その前の話!お前今、」
「あぁ……名字の話ね」
心底不思議そうな表情でチトの問いかけに首を傾げていた葵だったが、そう言えばその話もまだ口にした事はなかったなぁと思い出す。実際葵が伝えようとした内容の中にチトの疑問が解消できるだけの情報は含まれていたが、突如その単語を提示されて戸惑ってしまうのは当然の話だった。納得したように小さく頷いて、チトの反応からようやく異常を把握した他の四人からも一心に困惑交じりの表情が向けられる中で葵は僅かに考える仕草を見せた。どう説明をしたものかと、どこまで説明してよいものなのだろうかと、そんなことを考えたからである。結局面倒になって思考を放棄した葵は、軽い口調でへらりと気の抜ける笑みを浮かべた。
「ウチの名前、これまでずっと葵って名乗ってきたけど、本当はその前に伊吹って付くんよ。伊吹 葵、名字が伊吹で名前が葵。それが本当の名前なんだ。間違いなくさっきまで話題の中心だった大賢者イブキは、ウチの血縁者やと思う。そもそもイブキって少女が何故人間でありながら大賢者に至る実力を持っていたかについて話した方がええと思うんやけど……ソフィ、これは言っていい話なん?」
「……この空気でボクに話題を振るのは流石に酷くないかい?葵ちゃん…」
正直な話、葵とチト二人だけの世界が広がり始めた段階で四人は必死で気配を消す事に専念していた。突っ込みどころは当然のようにあったし、驚愕やら困惑やら諸々の動揺だって積み重なっていた。それでも視線だけで意思を共有し静まり返っていたのは、不用意に触れたら火傷してしまいそうな近づきがたい空気感が二人の間に広がっていたからである。葵によって新たな話題提示がされても尚残る、筆舌し難い雰囲気を前に巻き込まれたくない一同はこれでもかと沈黙だけで会話を試みていた訳だが…何の前触れもなく意見を求められたソフィは、新たな人間の感情「勘弁してくれ」の極意を自らの身で学びながらわざとらしくため息を吐き出した。
「えっと、イブキちゃんが一体どういう人間なのかって話だよねぇ…」
ソフィがどこか疲れた雰囲気を纏いながらもゆるやかに葵の質問の内容を確認すれば、ようやく息を殺す事しか殆ど考えていなかったヴィル達も無意識に詰まっていた息を吐いて背凭れに体重を預けた。ソフィの表情に苦笑を浮かべながらも、意識はしっかり葵とソフィの話を聞くべく集中している。そんな様子を確認したソフィは、僅かに目を瞑って唸ったかと思えば何度目かも分からないため息と共にカップの縁を指先でなぞり、空いた腕は机に頬杖をついた。
「この話はエトちゃんも実のところ詳しく知らないんだよねぇ。別に話しちゃいけないって訳じゃないし、この内容が広まって困るのは今は亡き旧国キーフの継承者たちだけ。遠慮せず知ってる全てを話してくれて構わないけど…この話はボクが引き継ごうか。葵ちゃんが知っているのはあくまで精度の高い仮定と一切の記録を参照した情報なだけで、明確な正解ではないだろうから」
カップの縁をなぞっていたソフィの指先が、紅茶の水面に触れた瞬間波紋が広がり空中に美しい絵画が浮かび上がった。既視感を覚えた葵がその正体を突き止めるべく取り出したのはオルコスが以前葵に記念品として渡したトートの絵本であり、その挿絵だった。同様に既視感を感じていた一同は、あまり知りたくなかった歴史的天才画家の正体に僅かに顔を引きつらせながらも、これから紡がれていくのだろうキーフの町並みを模した絵画を静かに見上げた。
―――
さて、どこから話をしようか。まずはあの子の出自からかな?
例え一個人がどれだけ努力を重ねようとも、魔法とは本人が持ち合わせた才能が物事を左右する。これは世界が定めた絶対の法則だ。誰もが知る通り市井の人間は魔法が使えず、逆に王侯貴族は比較的魔法を得意としている。顕著な例で言えばルシエちゃん、君だねぇ。
君の家は魔導貴族として、古くから高い魔法技術を持ってトートに貢献してきた一族だ。正直な話、ルシエちゃんであれば努力をせずとも他の中位貴族と同等の魔法を操る技術を生まれ持っている。勿論ルシエちゃんは努力を重ねたからこそ、今のトート最高峰の魔法技術を有しているんだけど…ここまで話せば理解してもらえたかな?
そう、魔法の才能は全て血縁者の遺伝に帰属しているんだ。親が、親族が高い魔法能力を持っていたから、生まれた子も同様に魔法の才能を持ち合わせている。時折市井の人間に圧倒的な魔法の才能を持った者が現れるのは、血縁を辿れば過去に貴族であったものが殆ど…否、確定しているんだよ。
ここで一つ、問題だ。キーフの大賢者として承認される程の、純粋な人類最強の魔法の才能を持っていた大賢者イブキ。彼女を生み出した者、もしくはその血族は彼女と同等に近しい魔法の才能を持っている筈なんだ。けれども、どれだけ歴史を遡ったって、そんな人間はどこにも存在しない。それは、ボクが最古の生命体である事をもって、真実と宣言しよう。ならば一体彼女は何者なのか。
ふふ、流石はルコちゃん、君はある程度その正体に辿り着けた様だねぇ?オーフはその手の歴史的資料が現在に至るまでどうにか継承されているんだ。とは言え、現代のオーフにおいてその存在は完全に御伽噺に近しいものとして学習されているけれど…まぁ、はっきり言ってこの世界の御伽噺は全て真実だと考えてくれて構わない。何一つ違わず、全て世界の過去で存在した事象、人物である。
勿体ぶるなって?全く、エトちゃんはせっかちさんだなぁ…ってなに、ルシエちゃんまでぇ?別にそう言うつもりじゃなかったんだけど…いや、人間の時間は有限だからねぇ。ボクもはっきり、端的な説明を心掛けるとするよ。大賢者イブキ、彼女が生まれたのはそもそもこの世界…時空ではないんだ。冗談を言っている場合じゃないって、君はどこまで現実主義者を貫こうとするんだい?ヴィルちゃん。さっきも言った通り、君が非現実的だと判断する無数の御伽噺は、全て過去に実在する出来事なんだよ。
それに…彼女が当時の世界に現れた者である事を証明する生き証人は、君たちの目の前にずっといるじゃないか!ようやく理解できたかい?そう、大賢者イブキ、彼女は今から数百年前…世界戦争が終わり暫くが立った頃キーフによって復元されたとある魔法陣を用いて呼び出された、異世界人だ。
その魔法陣の本質は…勇者召喚。ようやく思い立ったかな?異なる時空から召喚される、人類を救うべく降り立つ英雄。これは、世界樹によって誕生する魔王を該当する時代の人類が討伐不可能だと判断された場合に、ボクが人類に与える最終手段なんだ。圧倒的な魔法技術と卓越した知識、それらを併せ持った上で世界に悪影響を与えないだろうと判断された人間が選ばれる勇者召喚で、イブキちゃんはこの世界に訪れる事となった。
おかしいなぁ、異世界から選ばれし勇者が召喚されるのは決まって世界戦争、言わば人類と魔王軍が敵対している時代だけの筈だ。ならばどうしてイブキちゃんは数百年前のキーフに勇者として召喚されてしまったんだろう?世界及び世界樹は異世界の勇者を必要としておらず、ボク自身必要もないのに勇者召喚の魔法陣を与えるなんて愚行は絶対に犯さないし、犯せない様に制約が掛かっている。ならば一体どうして…なんて、その答えはさっきも言った通りキーフが自らの技術を掛け合わせて歴史上存在した勇者召喚の魔法陣を復元してしまったからだ。
勇者が召喚される事態なんて、少なくとも数千年は起きてない。どれだけ人類が歴史的価値の重要性を民族的に見出していたとしても、それ程過去の情報が保管できる程この世界の技術は発展していない。まぁ、出来ない様に制限しているんだけど…それは世界の調整者としての仕事であって、今は関係ないかな。兎も角、存在しない筈の魔法陣が復元されてしまったのは、偏にキーフという国家の成り立ちに事情があったんだ。
キーフは、今の世界でいう所の”初代勇者”が作り上げた国だ。嘗て世界の危機に瀕してボクが天啓を授けた事で寸前のところで滅亡を免れたのが、今も続く歴史の真実なんだよ。勿論過去には勇者を召喚しても尚魔王を討伐出来ず人類が滅亡し、世界樹によって強制的に世界が滅亡した例も複数ある。それを考えると、今の世界は相当長持ちしてるかもねぇ?
ごめんごめん、また脱線しちゃったみたい。兎も角、葵ちゃんは心当たりがあるだろうけど、キーフを作り上げた初代勇者は、葵ちゃんと同じ国の出身なんだ。だから葵ちゃんの知識と通じる点や、文化、民族意識があの国には根付いているんだよ。最も、初代勇者はこの世界で生涯を終え眠りについた。それまでのキーフは善良な一国家として存在していて、民度も高く圧倒的な技術力を惜しまず世界へ放出する非常に先進的な国だったんだ。今は見る影もないけどねぇ…腐敗はいきなり起こるものじゃない。段階を経て腐り落ちるものなんだ。
イブキちゃんを召喚した者たちは、国家に蔓延る腐食を紐解き、初代勇者が生きていた時代の栄光を取り戻そうと考えていた者達だった。けれども、実際彼女の首輪を握りしめる事に成功したのは、キーフの腐食の部分だった。
右も左も、碌な役目もないままこの世界に召喚されたイブキちゃんは、言われるまま魔法を使った。国家として不要となった瓦礫の街を更地にして次の都市計画の足掛かりにして欲しい。民の命を守るため指定した箇所に結界魔法を施してほしい。怨念化してしまった戦場跡地を光属性魔法で浄化させてほしい。おっと、光属性魔法で浄化は出来ないって話は勿論ボクは知っているよ。その手の類が可能なのは、オーフの聖属性魔法だけだ。光属性魔法に出来るのは、精々怨念の声を塵へ還し何もなかったかのように全て消し去る事だけだ。消された魂は姿形すら保てないまま地上を永遠に彷徨う事となる。
そろそろ理解できたかなぁ?イブキちゃんは、この世界の常識を殆ど意図的に知らされないまま魔法を使わされ続けたんだ。間違った方向に、まだ力のない民が住む貧困街を民事更地にさせられ、キーフの上層部の都合が良いように民と切り離す結界魔法を使わされ、そして上層部を恨んだまま行き場を失った怨念を永遠の迷いへと誘った。この世界に召喚された時点で圧倒的な力を持っていた彼女は、自らが持つ力の価値や意味を何一つ理解していなかったんだ。如何に行使する魔法全てが奇跡であり、如何に行使した魔法が残酷な結果を生んだのかを。
当時のキーフは、禁忌を犯してでも第三者の風を入れようと動いた者たちが居たほど、今でいう革命前のオーフに負けない位腐りきった国家だったからねぇ。彼女の身元を預かり、日常を作ってくれた貴族こそ善良な人間だったけれども、その周囲を取り巻く環境ははっきり言って劣悪、地獄以外の何物でもなかったんだ。彼女は日々無知である事を利用され時に民を苦しめる魔法を、時に都合が良い者だけが得をする魔法を、理不尽に行使させられ続けた。喜んだ姿しか見る事が出来ず、その裏で絶望する者たちに気付けないまま。
酷い話だと思うかい?…ふふ、エトちゃんはそうは思ってないみたいだねぇ。そう、無知は罪だ。知ろうとしなかった事、それがイブキちゃんが自ら認めるべき大罪だったんだ。ヴィルちゃんなら、突然現れた魔法使いによって上層部の都合が良い政策だけが推し進められる国を見てどうする?当然、起こしちゃうよね。…革命。
イブキちゃんの魔法が広まる事に比例してキーフ国内は全域が大混乱に陥った。臭いものには蓋を、だったかな?まさにキーフは、自分たちに都合が悪いもの全てを文字通り消して回ったんだ。それらを知っている者たちが反旗を翻すのは当然の権利だろう。革命の内容はどうなると思う?これは、ルコちゃんに答えてもらおうか。自分に問いかけるなんて意地が悪いって?これは歴史の授業の一環だと思ってくれて構わないんだよ?ほら、学園でキーフの研究だって進めてるんだから、この話を全てまとめれば勲章だって夢じゃないね!
あはは、ごめんごめん、楽しくなっちゃった。でも、正解。オーフで起きた革命の実態は、私腹を肥やす聖人討ち取り新たな頂点を立てる為のものだった。キーフで起きた革命の実態は…悪しき大賢者に裁きを、そんな目的だった。まぁ当たり前だよねぇ、何も知らない市井の人間から見れば、全ての魔法を行使しているのは新たな大賢者イブキだ。彼女を討伐すれば、再びマシな政治が復活するだろう、そう思うのは当然だった。最も、それさえも真相は、周囲の善良な人間たちからの言葉を直接受け止め、自身の行いに疑問を持ち始めていたイブキちゃんを煩わしく思った上層部が流した悪意ある噂がきっかけだったんだけどねぇ。
そこまでするかって?腐敗した国家が考える事なんて、その程度だよぉ。また名前を借りるけど、革命前のオーフを思えば当然だろう?勿論、オーフの方が数倍マシな話だけれど。縋るべく呼び出して、好き勝手に利用して、邪魔になったら民の不満の的として放逐する。それも、常日頃から滲み出ていた彼女の善良性を利用して。
イブキちゃんに関する一連の騒動の真実を知っていた者達は、彼女を擁護しようとして革命軍たちに惨殺される結末を迎えた。彼女に日常を与えていた貴族たちは、裏切りの罪に問われ赤子に至るまで軒並み死刑が与えられた。突然の裏切りと彼女を守っていた世界の崩壊に放心状態だった事に漬け込んだ上層部は、追放刑と称して不老の呪いがかけられた、誰も立ち寄れない強い惑わしの効果がある森の奥深くにひっそりと作られた小屋への投獄が行われた。
さて、ここで君たちが興味を持つのは不老の魔法についてだろう?さっき葵ちゃんが少し話していた魔法、これはキーフによって勇者召喚の魔法陣と同様に歴史から復元された魔法陣が使われているんだ。内容を知ったら確実に公開すると思うけど…ここで引き返すつもりはなさそうだね。人伝にしか碌に知らない大賢者の末路を、君たちはただの人間の身分で見届けようとしているんだねぇ。愉快で、それでいて眩しくて堪らないよ。
いいとも、魔法陣そのものについては流石に黙秘権を行使するけど、趣旨については全て教えてあげる。まずもう察しているだろうけど、この不老の呪いが込められた魔法は現在禁忌指定が何重にも掛けられた非常に危険で厄介極まりないものだ。一言で不老呪いと言っても、その効果は絶大だ。実際、彼女はその後数百年をこの世界で一切年を取る事無く生きる事となるのだから、正しく発動された効果と言える。けれども、圧倒的な結果には代償が付きものだろう?調子づいたキーフが滅ぼされたように、世界の頂点に立ったつもりでいたオーフが、革命を起こされたように。勿論、不老の力にも、言い逃れ出来ない絶対的な代償が存在した。
それは…あまり、口で説明するのもいい気分じゃないねぇ。分かってるよ、これは別に君たちを揶揄おうとしている訳ではない。本当に、言い淀んでいるんだ。なんとも卑劣で、愚かで、それでいて…人間らしい考え方だ。これを行ったのが大賢者を留めておくためだけで本当に良かった。いや、発動している時点で悪いに決まっているのだけれど…それでも、国家の上層部が自らの為に利用しなくて良かったと、本当に思っているよ。
不老の効果を持つ魔法陣、その発動条件は対応する人間の寿命だった。
この魔法陣は世界樹から特定の人間の情報を引き出し、その寿命を他者に移動させる事が本質とされているんだ。全ては、上層部によって処刑扱いになった彼女の真実を知る者たちの命をもって作り上げられた、言わば屍の上で完成する極悪非道でどうしようもない呪いの集大成だった。
エトちゃん、顔が怖いよ。もうこの呪いの魔法陣はイブキちゃん自身の手で解除されていて、魂は完全に開放されている。世界樹への循環を働きかける効果を上手く利用したみたいだねぇ。相変わらずあの子の魔法陣作成能力は禁忌と隣り合わせだ。そう簡単に世界に接続されては困るんだけど…って、これは葵ちゃんも一緒だったねぇ?血は裏切られないものなのかなぁ。
数百年間にわたって、自らを信じてくれたこの世界で出会った大切な人間たちが積み重なった屍の上で、終わらない不老の呪いと共に独り生き続けたイブキちゃんは、一体どんな事を考えていたんだろうねぇ。よく、狂わずに精神を保ち続けていたものだよ。…いや、狂う事さえ許されなかったのかもしれないねぇ。自らの無知と言う名の罪と向き合い、キーフで奪った沢山の命や居場所。それらを忘れない限り、彼女は狂えなかったのだろう。
イブキちゃんは強い魔法の力や時代と異なる知識を持っただけの、普通の人間の少女だった。この世界とは、比べ物にならない程治安が良い世界で、家族や友人に愛されて過ごしてきた。だからこそ、沢山の命をもって理不尽に生かされる自分が、自分で亡くなる事を許せなかったのかもしれないねぇ。それとも、キーフという狭い世界で救いと裏切りを受けたのが、認められなかったのかも。そんな事あってはならない、受け入れてはならないってね?自分が知る世界と余りにも異なるキーフと言う国は、どこまでもイブキちゃんが生まれ育った故郷の国の面影を引いていたから。
ボクは未だに、人間の感情が理解できない。だから、どれだけ正しい記録を見たとしても当時の彼女が抱いた心境を読み解く事なんてできやしないんだ。それでも、彼女は確かに選ばれただけあって、本当に素晴らしい勇者だったんだと思うよ。純粋無垢で、嘘がつけなくて、無駄に真面目で、感情豊か。ボクが言うのもなんだけど、ちょっと生きるのが下手糞な子だった気がする。
いつの日かエトちゃんと出会って、その紹介でボクと出会って、何かしらの決意をもって小屋を飛び出して、キーフの歴史が残る迷宮を攻略して。再びこの小屋へ戻ってきたイブキちゃんは、不老の呪いを解いて自らの足でキーフへ飛び出していった。当時、トート及びその支持国との間に行っていた戦争を止める事、そしてキーフ国内で生じている新たな革命の火種を消す事を目的として、だったかなぁ。今となっては本当にそれが全てなのか分からないけど、残念ながら彼女は今この世界に存在していない。
―――そう、彼女はその日以降、ボクとエトちゃんの元に戻ってくることは永遠になかったんだ。
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