過去の記録を辿って 4
始めて人類悪という認識を捨てて世界を独り彷徨う中で、チェントは己をチトと名乗るようになる。それは、元々勇者パーティー時代に名乗っていた偽名がエトであり、最終的に各国の判断により世界的に発信された魔王討伐者の一員として広がった名前も同じくエトであったからである。本当は縁も所縁もない適当な名前に変えてしまおう、等と考えた事は何度もあったが、それでもチェントは自身の名前を捨てない判断を下した。それは、何処までいっても捨てられず、忘れられなかった両親への確かな愛の証明でもあった。勿論チェント本人はそんな自覚等存在しなかったが。
「……あー…またかよ」
ぽつり、とある古代遺跡を取り囲む大森林の奥地で意識を取り戻したチトは、自身の周囲一帯が大きく円を描くように木々を薙ぎ倒し焼け野原と化した荒野である事に気付いて、中心で疲れ切ったため息を吐いた。ガシガシと後ろ首を掻いて立ち上がると、反射的に自身の前頭部に角がない事実を何止めかも分からない重苦しい気分と共に再認識し、ようやく地面に背中を完全に預けてどこまでも広がる青空を見上げた。
「ここまで来ると、別人格って言われた方が納得できるな」
自嘲の込められた独り言の裏には、諦観の二文字がありありと乗せられている。チェントに新たな”初めて”を与えてくれた勇者パーティー達とは折を見て意識的に顔を合わせるようにしていたが、ある時顔を合わせた時には実子へと代替わり、次に顔を出した時にはその孫の代へと入れ替わっていた為いつからか殆どトートに近付く事もなくなった。当時の勇者たちはとうの昔に天寿を全うしており、その子孫との関係性が薄すぎたチトは、彼ら彼女らに一定以上の興味や情を抱く事もなかった。思い出したように顔を出すチトの存在をトートの王族たちは歓迎し受け入れてくれたが、チトにとって勇者たちがいないトートには何の価値もない存在だったのだ。
生まれて初めて、自ら何かをしてやりたいと思えた相手。そんな大切な転換をくれた勇者パーティーの仲間たちがこの世を去っていこう、チトは世界で完全に独りとなったのだ。旅の途中ではすれ違う人間もいたが、当時の彼らと同等以上に器用身を惹かれる様な事は決してなかった。だから結局、チトは自ら孤独を選んで再び歩んでいく様になったのである。そこまで堂々と人間の街を出歩けるのならば、心境にも大きな変化があったのだろうか。そう問われればチトは、肩を竦めて首を振る以外の選択肢を持ち合わせていなかった。
そう、チトは何一つ、復讐の悲願が果たされたその日以来立ち直れてなどいなかったのだ。
勇者パーティーと共に魔王を討伐したその瞬間まで一切感じた事がなかったチトの負の感情は、独りきりで行動を続けるようになってから勢いよく表層へと浮かび上がってきた。本人すら抑え込めない負の衝動は、時に自我をも凌駕して全てを発散するべく暴走を繰り返しているのだ。まさに、嘗てのチトの母親が、渦巻く魔力と感情を発散させるべく周囲を破壊していた時と酷似していながら、その被害状況は母親の何十倍にも及んでいたが。当時の惨状を深く記憶に焼き付けていたチトは、最低限の理性を総動員してどうにか周囲から目立たない場所を求めて定期的に移動を繰り返す日々を送っていたが、それもいつまで続くのかは分からない。いつかは理由もなく周囲の生物全てを塵へ変えてしまうかもしれなかった。別にそれでもチト個人としては構わなかったが、全世界に広がった人間社会はその行為を到底許容してくれるとは思えなかったので。
辛い、苦しい、何故。
母親は自らを呪いの代償とし死を迎え、父親は己の手で殺めた。いつの間にか勇者パーティーの仲間たちも寿命で死んでいった。復讐も、命令も、立場も、何もかもを失ったチトを前に、最早この世界に留め置ける理由など何一つなかったのである。それなのに、母親が残した愛と言う名の歪み切った呪いがチトの終幕を決して許してくれない。どれだけ我武者羅に探し回っても呪いに侵された自身を終わらせる方法は見つからず、ただ段々と遠ざかっていく過去を時折夢に見ては、制御しきれない負の感情が暴走し周囲を破壊する行為を繰り返すばかりの日々。
「つかれた、な」
今日もまた、暴走してしまった。恐らくは偶々立ち寄った村で見た他の村人たちから一方的に虐げられる母子の存在を目視したからだろう。それとなく話を聞けば、村の反対を押し切って結婚した外の女と村長の息子、けれどもその息子は母子を庇って命を落としたとか。だからこそ、母子は殺されることはなくとも常に監視と陰湿な嫌がらせの日常に伏していた。どこかで聞いた事があるような話だった。少なくとも、子供には何の罪もないのでは、と客観的な視点からチトはぽろりと本音を零してしまった。村人たちは、生まれた事こそが罪なのだと疑い一つない真剣な瞳で言い切った。何とも、気分の悪くなる村だった。チトがそんな母子に何かを施した訳ではないが、彼女らに与えられる最低限の食事を削って提供されたその日の夕食を見て、チトは速攻で村を出る判断をした。直接かかわった訳ではない、ただ、僅かに子供から恨みを込めた理不尽な視線を受けただけ。それだけだったのに、チトからすれば、何でもない愚かな人間のやり取りでしかなかった筈なのに。
意識を取り戻してからずっと面倒な痛みを発していた背中に視線をやれば、再生途中の灰色の翼が鈍く輝いている。こんな輝き、他の魔人たちは決して放っていなかった。少なくとも、闇を象徴する暗い靄が掛かっている程度だった筈だ。無表情のまま生えかけの翼に触れれば、全身を通り抜ける様な激痛が走る。間違いなくそれは、痛み以外の何物でもなかった。
「…いっ…たぁ……あー、死にてぇ~~~」
世界戦争が終わり数百年、魔王の討伐完了によって世界を包んでいた濃度が高い魔力は激減し、ついに顔を出した真っ青な空から差し込むのは太陽の光。チトも、これを見たのは世界戦争が終わって以降が初めての経験だった。どこまでも遠いところで、目を焼く程の光を放つ謎多き空の主。いっそこのまま己の全てを焼き払ってくれないだろうか、そんな適当な願望を浮かべながら眩しさに瞼を細めたチトは、今日も変わらず死に場所を求める旅を続けていた……筈だった。
「———面白いものを見せてもらったよぉ」
「っ、な!?」
チトがその瞬間認識できたのは、僅かに様子の可笑しいそよ風が吹き抜けた程度。音もなく背後に現れた、わざとらしく魔力を発する気配に慌てて杖を構え、振り返る事無くチトは攻撃魔法を放った。そこそこ即死性もあり、高威力な爆発系の魔法は当たれば確実に人間の命を奪える魔法だったが、呆気なく結界魔法で弾かれた音を聞いて今度こそチトは振り返る。
「もぉ、危ないなぁ…ボクじゃなきゃ死んでたよぉ?」
ぞくり、背筋を走った悪寒は、幼い頃の自分が初めて魔王と対峙した時に感じた圧倒的な上位存在に向ける畏怖と全く同じだった。それでもチトは時間の流れと成長に合わせ、いつからか魔王に張り合えるとは言わずともそれなりに近しい立場まで強くなっていた。それなのに、この感覚。つまり目の前で杖も持たずにへらりと笑った謎の存在は、チトよりも圧倒的に強い存在、何をしたって敵わない相手である事を意味している。…それでも、ここで大人しく敗北を認められるほどチトは大人ではなかった。
「万物の時を止めよ、氷結凝固!!」
「おやおや…その魔法には熱伝絶壁が相応しいかなぁ?次はボクの番だ…一閃雷神」
「な、無詠唱で…っクソ、」
チトの簡易詠唱による本気で相手を殺しにかかった魔法にゆるやかな微笑を浮かべた相手は、ようやく杖を呼び出したかと思えば適当に振りわざとらしく魔法の内容を言葉に表した。そうしてチトの頭上に黒雲を作り出し、咄嗟にその場から離れようと重力操作魔法で移動を試みたチトはいつかの魔法陣発動に付随していた完全結界によってその場から逃れる事は出来なかった。あの頃と同じ、まさに無力。いや、最低限魔法が使えるだけマシなのだろうか?魔法発動の瞬間を見計らって全力で結界魔法を張り出し己の身を守ろうとしたが、一直線に降り注ぐ雷はギリギリとチトを消耗させていった。
(…あぁ、これ流石に勝てないわ。一旦死ぬか、どうでもいいし)
必死に結界を張っていた最中のチトは、不意に脳裏を過った最適解を受けてふっと鼻で笑い、魔法を解除してしまった。守る壁が無くなった瞬間チトに向かって一直線に降りかかった雷の衝撃に備えてぐっと目を瞑ったチトだったが…その攻撃が身体に触れる事はなかった。
「ちょ、ちょっとぉ!?君中々面白そうな存在なのに、こんな所で死なれたら困るよぉ!これでも君が受けられる限界値をちゃーんと見極めて魔法を使っていたんだからねぇ?」
それは、心底慌てた様子で相手が発動中だった魔法を消し去ったからである。薄めに相手の様子を窺いその気の抜けた反応に全身の力が失せたチトが力なく地面に座り込めば、駆け寄ってきた相手は心底不満そうに瞼を細めてチトを観察していた。その様子を力なく見上げたチトはようやく、相手の客観的な容姿を認識できる状況に至り、少しだけ目を見開いて素直な感想を零した。
「お前、エルフか…?」
「ただの退屈なエルフと一緒にはしないで欲しいなぁ?ボクはソピアー、この世界最古の生命体であり、世界樹の代行者だよぉ。それで、君は?」
「…チト…チェント。紛い物の旅人だ」
完璧に均等に配置された顔の部位、膝まで伸びた美しい白髪、新緑色の瞳。中性的な雰囲気によく似合う、人間に比べて長くツンと先が尖った耳。それらを靡かせ得意げに腰に手を当てて胸を張ったソピアーと名乗るエルフ。どう足掻いたって絶望的な戦力差を前にすれば逆らえない事実に納得できてしまったチトは、心底嫌そうな感情を隠すことなく向けて自身の名前を吐き捨てた。そんな反応を一切気にした様子もなく、改めてチトの観察を始めたソピアーはその実力に始まり何もかもが理解できない存在としてチトの目に映った。
これが、二人の出会いである。
―――
「…チト、チェント…あぁ!今期の世界戦争魔王討伐者の中に、そんな名前の人間が居た気がするねぇ。へぇ、人間じゃなかったんだぁ。でも、魔人でもない。いや、基本構造は魔人に近い…?君、本当に面白い生態をしているねぇ、魔王軍の裏切り者って認識でいいのかなぁ!」
一切の遠慮もなく、ただ思い浮かんだ言葉をそのまま口に出しているのだろう。チトのまだ五百年程度しか生きていない長寿種の中では若い精神を的確的に抉るソピアーの言動は、嘗て最期まで理解できなかった余計な事ばかりを言葉にする魔王と酷似しており、思わず喉元まで登ってきた不平不満はため息に変えて吐き出すほかなかった。しかし、そんなチトの分かりやすい不満も目の前のエルフにとってはどうでも良い事なのだろう。なんだか大層な自己紹介を述べていた様子だったが、少なくとも張本人を目の前にすればその称号たちも霞んでしまった。
「君…あはは、すっごく愉快な呪いを受けているみたいだねぇ!オーフの愛の呪いかぁ、実物を見るのは実に数千年振りだよぉ。うんうん…へぇ、本来は人間と魔物の間に生まれた混じり子なんだぁ、しかも呪い付きで変質した個体。本当に珍しい存在だねぇ、出会えてとっても嬉しいよぉ!」
「……父様は、魔物じゃない」
「ボクにとってはそう変わらないよぉ?多少の知性と自我を得ただけで、その基本構造は魔物と大差ない。どうせ世界に敗北が義務付けられた哀れな人類の敵でしかないでしょぉ?だからこそ、そんな魔物の王と人間の、しかも聖女と交わった君の存在は本当に面白くてたまらない生物なんだぁ!」
「はぁ…もう好きにしてくれ」
全く持って会話が成立しない相手だ。チト自身が純粋な魔人であればそんな些細な事そう気にならなかったのかもしれないが、彼は幼少期を人間との価値観の共有によって育てられた特異な存在である。だから生まれて五百年がたっても尚、彼の感性の隙間には人間に非常に近い構成の情が宿ったままだった。変わらない過去を記録ではなく記憶として引きずり続けている事実や、復讐と言う野性的感情に支配された過去、現在でも過去を持って暴走を繰り返しているのが良い例である。チトの中で勇者たちの存在は記録へ変わっていたが、魔王や母親の存在は未だ記憶として残されてしまっているのだ。
「ボク、最近人間に興味があるんだぁ。君はどうやら死なないみたいだし、人間に育てられたみたいだから…ボクに人間について、色々教えてくれる?」
「俺も正しい人間なんて知らねーよ。他を当たってくれ」
「えぇ?今後暫く魔王誕生もないんだし、君みたいな特異存在は中々誕生しないんだよねぇ。って言うか、どのみち拒否権がない事は理解していると思っていたけどぉ?」
「………死にてぇ~~~~」
頭を抱えてがっくりと項垂れたチトが完全に抵抗を諦め、自分にとって都合が良い結末を無事迎えられたことを認識したソピアーはにっこりと笑みを浮かべ手元に持ったままだった杖を消す。そうして数歩足を進めてくるりと振り返った。
「早く立ち上がってくれるぅ?折角だし、どこかへ旅にでも行きながら話そうよぉ!」
「…そこで手を差し伸べるのが人間だと思うぞクソエルフ」
少なくとも勇者は、移動を開始するとき完全に無意識でチトに毎度手を差し伸べてきていた。勇者だけでなく護衛も、聖人だって勇者がいないときはチトに必ず手を貸した。始めは馬鹿にされているのだろうと腹が立っていたチトも、毎回続けばそれが当然の事であると勇者たちが認識している事くらい理解できた。チトが彼らから学んだ、数少ない人間の事。
チトの悪態を気にした様子もなく直ぐに踵を返して先を歩き出した背中にため息をついたチトは、呼び出したままだった杖を支えにのろのろと立ち上がると、未だ再生途中で不格好な背中に顔を歪めながらもその後ろを追って歩き出した。
―――
「ねぇエトちゃん、人間って面倒臭いねぇ」
「理解できたなら知る事を止めたらいいんじゃねーの?」
「えぇ?そういう意味じゃないしぃ…全く、分かってないなぁ」
ソピアーに連れまわされる様に、チトは改めて全世界を旅する羽目になった。大人、子供、老人。国籍多数の様々な人間と交流を重ねる中でソピアーが辿り着いた人間に対する答えは、面倒くさい…という何とも呆れた、最初から分かり切っていた感想だった。だから言ったのに、なんて言えばつまらない数千年の歴史を交えた御小言が飛んでくることは身に染みて理解していたチトは、全ての言葉を呑みこんでため息をつくだけに収めた。目の前のエルフは心底不満そうに小首を傾げて、わざとらしく頬を膨らませている。
「どうして家族が死んだくらいで涙を流して絶望するのぉ?人間はいずれ終幕を迎えるよう設計された生物なのにぃ。って言うか、家族の概念も良く分からないしぃ…なんで一緒に行動する必要性があるのさ」
「はぁ…お前って奴は、本当に俺の傷を抉るのが得意なクソエルフだな」
「え?あー…そっか。エトちゃんも自分で父親殺して、泣いたんだっけ」
「死んでくれ…」
素直に腹が立って適当な攻撃魔法を無詠唱のまま放つが、羽虫を払うような適当な仕草で張られた結界魔法にあっさり阻まれてしまった。これでも、そこらの人間であれば簡単に殺せる程度の威力は込められていたのだが。チトが敢えて自らをそう名乗っているにもかかわらず、嬉々として呼ぶのは勇者パーティー時代を思い起こさせるエトの呼び名。その時点で分かっていた事ではあるが、行動を共にするようになって百年、いつまで経っても人間から程遠いエルフであり続けるソピアーを前に、どうあがいても勝てる算段が建てられないままのチトはわざとらしく深いため息を吐き捨てることしか出来なかった。
一切の配慮無くチトの嫌な過去を引きずり出してくるソピアーとの会話は日々苦痛の連続だ。何度殺してやろうと本気で殺害計画を目論んだのか。けれども毎度悉く計画を木っ端みじんにされ続ければ、そんな意志さえ失ってしまうというもの。いつからか、口では反論を述べながらもソピアーがそういう存在なのだと自分自身を強引に納得させ、チトは反射的に攻撃の手を出す事や殺害の隙を探る事は止めずとも、どうにかその在り方を許容できる程度には成長していた。
それに、誰かと行動を共にしているからなのか衝動的な暴走もソピアーと出会って以降一度も起きていなかった。冷静に考えて、こうも日常的に過去を掘り返されていれば暴走して当然だったのだが、それを意図も容易く防げる存在が居ると本能的に縮こまっているからなのか、何なのか。チトだって別に好き好んで暴走したいわけではないので、その点に関してだけは多少なりともソピアーに感謝しているのだ。まぁ、それ以外の要素全てが腹立たしい故にその感謝の言葉を素直に口に出す日は永遠に来ないのだろうが。なんだかんだで勇者一行以来初めての、それも百年続く他者との旅は確かにチトに良い変化も齎していたのだ。
「…まぁ、いいや。そろそろ満足した?俺の事殺してくれる?」
「まだまだだよぉ?ぜーんぜん足りないねぇ!」
「あっそ、死ね」
二人旅が始まって直ぐ、チトは自身が行動を素直に共にする為の条件を持ち出した。乗ってくれるかは相手の気分次第であったが、面白いとあっさり話に乗ったソピアーに突き出したのは”ソピアーが人間を理解したら己を殺してもらう事”である。何やら最古の生命体だとか、世界樹の代行者だとか、好きかって言っていた事を思い出した結果の提案である。世界に置いて魔王さえもを討伐して見せたチトは本来相当上位に位置する実力者であったが、ソピアーはその更に果てしない上を行く圧倒的な存在だった。ソピアーが己を殺せる、そう判断できるだけの要素は幾らでも転がっていたのである。初対面でオーフの呪いの存在を看破したソピアーは、間違いなくその呪いを解く方法を知っている。だからこそ、その不純な願望を濁すことなく直接伝えれば、心底愉快そうに爆笑した後承諾されたのである。
以来定期的に問いかけているが、事実としてソピアーが少しでも人間を理解出来たような素振りはないし、そもそも最低限対等に会話できる相手であるチトですら理解していない様子を見れば状況は明らかである。それに、ソピアーにとって明確な観察対象であるチトをそう簡単に手放してくれるとも思えなかった。
何度目かも分からない問いに、何度目かも分からない返答を受けたチトはもう一度苛立ちを適当な攻撃魔法に変えて放ってから、ソピアーの隣に並んで道を歩きはじめるのだった。
―――
「貴様…魔王側近筆頭、殲滅のチェントだな!?貴様のせいで我が同胞の魂は無数に世界樹へ還る事となったのだ!まだ数百年しか生きていない幼い者も居たというのに!!」
「せ、せんめつのちぇんと…?何そのクソ恥ずかしい通り名」
「そこに居るのは…はっ、まさか世界樹の声、ソピアー様であらせられますか!?この悪しき魔人に脅されているのですね、今すぐお助け致します!!」
「いや、脅されてるのはどっちかと言えば俺の方なんだが…おっと」
ソピアーと行動を共にしていると、比較的チトと年が近いエルフから一方的に攻撃を受ける機会が多かった。チトはその度に最低限会話を試みていたが、矢張りエルフの中では若者に位置する者たちだからなのか一方的に自分が信じた情報だけを鵜吞みにし、チトの言葉の全ては戯言としか受け入れてもらえなかったのである。
チトは世界戦争時代、自暴自棄になって沢山の人間をはじめとした人類に味方した異種族、それこそエルフやドワーフなどを殺戮しまくった過去があるので、恨みを買うこと自体は仕方がない事である。けれども、それにしたってチトがエルフの中でも頂点に君臨するソピアーを脅して行動を共にしていると勘違いされるのは、素直に気に入らなかった。お前ら、自分たちの頂点に信頼なさすぎるだろうと、呆れ半分である。酷い情報操作だ、チトがソピアーに敵う訳がないのに。敵うと思われている事実自体が不満である。自覚していても、現状ソピアーをどうにかしたいと思っている気持ち自体は変わっていないので。
毎度のことではあるが、念のため無表情のままソピアーの方へ反応を窺えば、心底面白そうにこちらの様子を観察しやっちゃえ♡なんて反応が必ず返ってくるのだから、本当にどう対処していいのか分からないのだ。一応チトは最終的に魔王を討伐した、所謂人類側に立つ存在な訳だが、その事実を隠ぺいした結果以前の情報ばかりを当てにされており、現状に至っている訳である。と言うか、ソピアーに関しては一応同族な訳だし、相手は完全にソピアーの事を崇め称える信者の素振りを見せているというのに…そんな適当な返事でいいのだろうか…いいのだろうな。だって、ソピアーだし。
「一応このまま戦うと、お前怪我どころじゃすまないとおもうけど大丈夫なの?」
「魔人如きに負ける身ではない!舐めるな殲滅!」
「いや、あんま魔人舐めない方が…ってか、略すと本当に恥ずかしいなその呼び方」
「死に晒せ、我らエルフ族の宿敵ぃいい!!!」
「おーい、話し聞いてるー??」
まぁそんな感じで、いくらチトとは言えど魔法に特化した種族であるエルフに心中同然に攻められれば、チトだって余裕ぶった対処をする事が出来る程強くない。結局毎度、殺す羽目になる訳で、それが更に噂を助長させ殺せば殺す程エルフが集まってくる無限機関になった訳だが…。一方のソピアーと言えば、本当に興味がないらしく既に人間の街で入手した書物に夢中である。相手の若者エルフよ、お前たちの頂点はこんな調子だぞ。気付いてない?いや、都合が悪すぎて見えてないんだね、分かる。
とまぁ、そんな面倒な無限機関についに我慢の限界に達したチトは、ある時集団で襲ってきたエルフを全て返り討ち…殺してから声を張り上げて叫んだ。
「もう俺お前と一緒に行動するの辞めるからぁ!!せめて短期間にして、十年とか!お前と一緒に居る時ばっかり、この世界のどこに潜んでたんだって位エルフ湧きすぎなんだよ!面倒臭い、鬱陶しい!!」
「えぇ~~~~」
非常に不機嫌でいっぱいの顔をされたが、ソピアー自身もソピアーの為だと一方的に敵討ちに飛び込んでくるエルフたちをいい加減煩わしく思い始めていたらしい。渋々、本当に嫌そうに了承の返事を得る事に成功した。
「本当にエトちゃん行っちゃうのぉ?」
「俺の言葉に二言はなーからな」
「むぅ…退屈になっちゃうなぁ」
「知るかそんなもん」
ようやく手に入れた一人の時間を前にウキウキで旅行計画を立て始めたチトは、不意に目の前で不満に己を見詰めるソピアーの存在に気付いた。ソピアーだって自ら了承の返事をした以上結果を覆すつもりはないのだろうが、それにしたって余りにも嫌そうに頬を膨らませる様子は、どこかで見た幼い子供のように見えた。留守番を頼まれたらしく、親を待つ子供。直ぐに帰ってくるから、なんて宥められても現状を受け止めきれずに駄々をこねる姿。何故だかその瞬間のソピアーは、そんな子供の様子に酷似していたのだ。だからチトは、何となく笑った。思わず、と言った様子で噴き出したチトを前にソピアーは目を丸くして、それから何故か力なく草臥れた笑みを浮かべたのだ。何事かと首を傾げるチトを前に、ソピアーは僅かに黙り込んでから身体の向きを変えて独り歩き出した。
「…そふぃ」
「なに?急に」
「今後はボクの事、ソフィって呼んでね」
「……はぁ、なんで?」
「なんでも!これがエトちゃんが一人旅できる条件なんだから、大人しく従って!ほら、ボクの事呼んで!」
「えぇ…、……ソフィ?」
「……ふん」
最後までソピアー…否、ソフィは振り返る事無く、一人旅に出発するチトを待たずにどこかへと向かっていってしまった。けれども髪の隙間から見えた耳の先が、美しい白髪に浮いた赤色だったような気がして、チトは何となく背中が痒くなったのである。
ようやく互いに各々旅をし、不定期で用事があった際や偶然出会わない限りは特に干渉を控える約束を持って独りに戻ったチトは、ある日ふと自身の中に根強く残っていた筈の過去の記憶への執着心が随分と薄れ、記録へと昇華されていた事に気付いた。何度もソフィによって掘り返され、その度に抉られてばかりだった筈だが、いつの間にか過去を過去として受け流せるようになっていたのだ。これは、ソフィという圧倒的な人外種と行動を共にしていたからこそ価値観が変わったのか、それとも純粋にチトが年齢を重ね精神的な成長を得たからなのか。
はたまた…ソフィと共に過ごした百年強の時間が、チトの過去に負けない程濃密な日々であったからなのか。
いや、最後のは流石にあり得ないだろう。そう強引に思考を振り払ったチトは、ソフィと出会う以前頻発していた負の感情の暴走ともそれなりに向き合いつつ、半ば諦めの極地に辿り着きつつある呪いを解く方法を探して、旅を続けていた。そうして偶然立ち寄ったのが、奇妙な人除けの結界が無数に張り込まれた大森林である。
そうして一つの小屋と、そして一人の少女との出会いを果たしたのだ。
―――範囲到達を確認・記録再生終了・展開対象者:魔人チェント
―――
「———おかえりぃXXXちゃん。知りたい情報は見付けられたかなぁ?」
長すぎる夢を見ていたような感覚が、一瞬にしてXXXの全身を駆け抜けていった。思わず力が抜けて椅子に座り込んだXXXは、自分が視た記録の全てを整理する。多少の事情は察していても、その根源にあるきっかけが明かされるような事は決してなかったチトという存在に対する解像度。それが瞬く間に跳ね上がり、それと同時にこれまでXXX自身がチトと交わしてきた会話の節々で感じていた違和感がすっと振り払われていく感覚に目を瞑る。そうしてふと、目の前にどこか落ち着きのない様子のソフィが迫っていたことに気付いたXXXは肩を竦めて苦笑を零した。
「…泣いてるの?どうして?過去の記録でXXXちゃんが嫌な思いをするなんて、あり得ない筈なんだけど…」
おろおろと自身が作成した魔法陣の不具合を探すソフィを片手で制したXXXは、落ち着きを取り戻すために大きく深呼吸を繰り返した。そうして顔を上げて、普段通りの笑みと不釣合いな雫が零れる表情でソフィを見上げる。ソフィは本当にどうしていいのか分からない、そんな瞳を浮かべてXXXを見詰めた。
「どうして、なんだろうね…私も分かんないや。でも、私はこの記録を見て、チト君に無性に会いたくなっちゃった。それから、沢山褒めてあげたいな」
「過去の、エトちゃんを…って意味かなぁ?ごめんね、記録で見たと思うけど、ボクは未だに人間が理解できないままなんだぁ。エトちゃんにあんな風に見られていたとは思わなかったけど…なんてねぇ」
「ううん、ソフィ君は確かに人間の理解に近付いているよ。今だって、泣いちゃった私を気遣おうと一生懸命言葉を探してくれている。話を逸らしたのだって、今回に至っては意図的でしょ?そう言うのってなんか、凄く人間っぽい」
「そうかなぁ…?」
未だどこか呆然と大粒の雫を零し心ここにあらずの様子だったXXXは、それでも困ったように苦笑を浮かべたソフィに向けてどうにか言葉を並べて穏やかに微笑んだ。そうして、自然と役目を終えて禁忌指定されるべく翠の炎に焼かれ、塵となって行く魔法陣が描かれた用紙が完全に消え去るまでを眺めていたXXXは、改めて全身の力を抜くように息を吐く。そうして顔をローブの裾で拭って、勢いよく立ち上がった。
「よしっ…ありがとうソフィ君!お陰で私がやるべきことが見つかった気がするよ!」
「うぅん、程々に、ねぇ?」
「うん、程々に!…程々に好き放題、やらせてもらうから!」
力強くいつも通りの表情で笑ったXXXを前に、ソフィは肩を竦めながらもそれ以上何か言葉を向ける事はしなかった。頑張るぞ、と気合を入れて本が並ぶ書斎へと飛び込んでいったXXXの後ろ姿を見て、ソフィは無意識でため息を零す。
きっと、XXXは世界を覆しかねない禁忌を犯すつもりなのだろう。もしかすれば、ソフィが意図的に見逃しても尚世界樹に世って強制的に排他され、存在事世界から抹消されてしまうかもしれない。ソフィの世界の調整者としての勘が、今すぐにでも彼女を止めよと必死で軽傷を鳴らしている。それでも…ソフィは全てを見届けたいと願ったのだ。
たった独りの人間の少女が成す、世界への全てを賭けた挑戦の結末を。
「なんて、考えすぎかなぁ」
ぽつり、普段と変わらない声音で呟かれた一言に、偶然にも書斎から目当ての書物を集めて机へと運んでいたXXXはにっこりと笑うだけだった。
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