過去の記録を辿って 3
「くくくっ…くはははっ…!!また随分と愉快な呪いにかけられたらしいな」
「…っ!?な、なにが、」
僅かに体内を通り過ぎた魔王の魔力、そして堪えきれない様子で部屋中に響き渡った嗤い声。それらを受けて反射的に意識が覚醒したチェントは、慌てた様に周囲を見渡して魔王の存在、そして変わらない母親の部屋が現在地であることお確認してから僅かに息を吐いた。母親の魔力と魔王の魔力、その両方を一身に受けたせいか魔力酔いが収まらず、酷い頭痛に顔をゆがめる。いつの間にか自分が完全に意識を飛ばしていたことを理解して、チェントは仕方なくその場に居合わせた魔王の方へ顔を上げた。
「さて、新たな存在として目覚めた気分はどうだ?」
「…はぁ?」
要領を得ない魔王の問いかけを受けて、頭痛に揺れる頭を落ち着かせようと手を伸ばし…そこにあった筈の角の存在が亡くなっている事に気付いて動きを止めた。慌てて自身の頭に両手を当てて角を探すが、矢張り存在した痕跡すら残っていない。混乱するチェントの様子をじっと観察し、再び笑みを浮かべた魔王はわざとらしく丁寧に、チェントの現状を説明してくれた。
「おめでとう、次期側近候補筆頭チェントよ。お前は人間の括りから外れ、我ら魔族種と変わらない長寿の身を手にした。一方で、人間の魔力によって変質したお前は魔族種とは大きく異なる存在と成ったのだ。あの女と交わった際に浮かべていた興味、まさにその究極系の姿にお前は我が手を下さずとも成ってくれた…!実に素晴しいぞ、チェントよ!」
パチパチ、魔王一人の乾いた拍手の音が部屋中に響き渡るも、チェントの耳には届かなかった。ただ只管、魔王によって知ってしまった自身の現状を受けて理解しようと必死なチェントは不意に、ベッドの上へと視線を向けた。
「あ、」
母親がつい先ほどまで身に着けていた筈のドレスや、手に持っていた杖。そして複数の装飾品だけがまるで抜け殻の様にベッドの上に広がっていた。意識を失う直前見た、気のせいだと思い込んでいた現象。母親が光の粒となって消えていく姿。それは、それ、は、
つまり、あの呪いの魔法陣は何の問題もなく発動し、発動者は誓約通り命を落とし、自分は、
「っぐ、おぇ……ごほっ、うぇ、」
唐突に込み上げてきた猛烈な吐き気に逆らえないまま、胃液ばかりを床へみっともなく吐き出した。けれども魔王はそれを咎める事をしない。床に縋りついて、何度も喉奥が締め付けられる感覚に震えて。
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い…!!!
母親の父親に対する歪み切った愛が、呪いとして自身の身体に刻み込まれたのだ。人間でも、ましてや魔物ですらない半端もの。この世界に同様の存在など誰一人として存在しないのだろう。背筋が凍るような感覚が止まらず、警鐘を鳴らす様に頭がガンガンと揺れて苦しい。愛する者の為に自分の全てだけでなく、息子にまで何もかもを押し付けた母親も、そんな事をされても尚愉快極まりない様子で観察を続けるだけの父親も、こんな現状に碌な感想が抱けない自分自身も、何もかもが気持ち悪くて堪らなかった。
自身の身体を抱え込むように蹲り、只管吐き続けるチェントに魔王は言葉をかけなかった。けれども何を思ったのか…母親の、人間の魔力の全てを得たが故に身体構造が人間へと近付き、結果として失った角があった辺りを優しい手つきで、まるで初めて対面した時と変わらない様な温度で撫でつけた魔王は、そのまま静かに部屋を去っていった。それは慰めの様にも、愛玩の様にも、褒美の様にも、赦しの様にも思えた。何も分からなかった。何かしらの意味があった事しか、チェントには理解出来なかったのだ。
ぽたり。
果たして、床に零れ落ちたチェントの瞳から溢れた雫の存在に、魔王は気付いていたのだろうか。
―――
沢山の人間や、人類の味方に付いた異種族を殺した。女子供も関係なく、目についた生命体を片っ端から消滅させた。何をしたって死ねない身体は、どんな扱いをしてもあの運命の日の状態に勝手に巻き戻っていくのだ。通常であれば愚行とされる短期で敵陣へ乗り込むような真似を、狂ったように繰り返した。
嘗ては頭脳戦を得意としていた気がするが、何も考えたくなかったからこそチェントは自ら派手で威力の高い魔法ばかりを好んで使うようになった。魔力切れなんてどうでも良かった。苦痛の全ては時間が経てば元通り、それを嫌程理解しているチェントにとって、怪我など些細な出来事の一つでしかなかったのだ。
自殺行為だ、と魔王軍の者たちはチェントの行動を揶揄した。死にたくて、チェントは全ての愚行を進んで遂行していた。
陣営中の書物を搔き集めて、必死で呪いを解く方法を探して奔走した。けれども、どれ程躍起になって情報を集め掛け合わせてみても、答えに辿り着く事はなかった。戦に出るか、呪いを解く方法を探すか。チェントの日常はこの二択以外存在しなかったのだ。どちらにせよ、死ぬ為に行動している事に何一つ変わりなかった。
いつからか、魔人としての階級が最上位に達したからなのか自身の背に灰色の翼が現れるようになった。本来であればだれしも漆黒の翼が現れるはずだったのに、中途半端に白に近しい色をしていたのは、矢張り人間の、それも聖属性魔法を使える者の血が流れているからだったのだろう。
忘れた頃に主張してくる過去の存在が忌々しくて、何度も激痛に悶えながら引き千切った。どれだけ懇切丁寧に粉砕しても、元の形で綺麗に再生された。間違いなく自暴自棄だった。自分を含めた全てが信じられなくなっていた。愛していたつもりだった母親から押し付けられた呪いは、魔法陣の内容だけに留まらず思考さえもを支配して、確かにチェントの精神を蝕み続けていた。確かに母親の存在はチェントに刻み付けられただろう。そして、結果として有用性を見せるチェントは魔王自らが公言するお気に入り且つ側近としての地位を確立したのだから、結果として全ての願いが果たされたと言っても過言ではない。最も、魔王の中にチェントの母親の存在が残っているかどうかは定かではないが。
―――完全な出来心だったのだ。資料を求めて立ち寄った迷宮の近くで、階級の高い魔物に襲われて壊滅寸前の当時の勇者パーティーと遭遇した時、行動を共にする判断を下したのは。偶然にも、魔王陣営の者だと気付かれなかった。素直に能力と恩を持って受け入れられてしまった。初めてまともに会話をした、母親以外の人間の存在に興味を持ったから。まぁ、そんなところだろう。兎に角チェントは、ある日を境に勇者パーティーと行動を共にするようになった。
その中には、チェントが受けた呪いがオーフ発祥の者だからこそ、パーティーに居合わせた聖人との対話を求めて元々接触する予定だった、なんて下心も確かにあった。けれども、本当にあっさり優秀な魔法使いとして受け入れられてしまった結果、混乱したチェントは下心の存在もどこかに忘れて素直に関係を持つようになっていったのである。
「エト、お前は矢張り優秀だな。我がパーティーの聖人を癒してくれた聖属性魔法もそうだが、広範囲で高い威力を保った攻撃魔法をここまで上手く使える存在には初めて出会った」
魔族の被害を受けていると聞いて立ち寄った村から暫く離れた森の中で、勇者パーティーの一行は足を休めていた。焚火を囲むように地面に座り込み、先程までの戦闘を不意に思い出したらしい勇者がチェントに向けて口を開いたのだ。対するチェントは僅かに戸惑った様子を見せながらも、言葉を選んで適当に返す。
「…まぁ、真の天才は実力を隠しておくもの、だしな」
「ふふ、エトさんのお陰で僕はこうして現在のパーティーの聖人として活動できているんです。本当に感謝していますよ」
「な、もう分かったって!そう何回も言われなくても十分伝わったから!」
「はいはい、雑談は良いから次の目的地を決めるぞ?それに、エトが強いって話は別に今に始まった事じゃないでしょ」
「お前は相変わらず醒めてるなぁ」
トート出身の勇者にその護衛兼魔法使い、そしてオーフ出身の聖人。男だけのパーティーで、チェントの人間離れした美しい容姿はあっさり受け入れられた。万が一この場に女性が居合わせれば面倒な事になっていたのかもしれないが、今回のパーティーに至ってはその心配はないらしい。穏やかに微笑んで改まって感謝を向けた聖人の言葉に素直に顔を赤くして隠す様に視線を逸らせば、呆れた様に護衛の男が話を遮る。そんな様子に勇者が呆れた様に肩を竦めて、聖人がくすくすと綺麗に笑う。彼らと行動を共にするようになってからチェントが知った、新たな日常の一面だった。彼らより十分に年上である筈のチェントだったが、どうにも反応し難い言葉をかけられる事が多々あるせいで、何故か幼い子供の様な扱いを受ける。それが不満でありながら、どこかで喜ばしいと感じてしまっている自分自身を前に、チェントは混乱するばかりだった。
勿論、勇者パーティーの一行として行動する中でチェントは同族と遭遇する機会が少なくない。けれども、人間と共に大人しく行動しているチェントと、これまで人類陣営を容赦なく抹殺してきたチェントの姿は魔族、魔人たちの中で一致するものではなかったらしい。それとなく魔力を薄めて見せれば、疑問に思われる事すら一度もなかった。
決して力を貸し過ぎる事無く、それなりに。
チェントが魔法を使わずとも目を見張る速度で成長を重ねていく仲間たちを前に、ようやく変化という概念を思い出した。自らが死ぬ事だけを目標にしていたチェントには、もう一つすべき事があったのだ。…魔王を、殺す事。最早何のための復讐なのかも分からない。それでも、幼い日に確かに描いた復讐を、今更捨て置く理由もどこにもなかったのだ。
「エト、新しい魔法を教えてくれ。もっとあの自己中勇者様を守れる力が必要だからな」
「…お前はブレないな、どこまでも護衛である事を望む」
「なんだ、可笑しいか?」
「別に、そういう訳じゃないけど…。勇者の護衛であり続ける理由も、特にないんだろう?」
それは、いつものように二人になった機会を窺って護衛から告げられた、いつもと同じ言葉。こうやってチェントからさりげなく新たな魔法を授かっていく護衛の成長は、他の二人に比べてもかなり顕著だったと思う。実力だけで言えば勇者を超える護衛は、いつでも勇者の為に新たな力を求めていた。この護衛に、魔王を討伐したいという強い使命感や意思は感じられなかったのだ。だから、チェントは素直に疑問を口にした。ところが、不思議そうに首を傾げた護衛は、特に悩んだ様子もなく口を開く。
「俺が望んだからに決まってるだろ?勇者の護衛であり続けたいと思う事に、理由が必要か?」
チェントは、何も言えなかった。至極当然の様に返された言葉を前にどうすればいいのか分からなくなって、結局無言のまま用紙を呼び出して魔法陣を描き上げた。護衛もチェントからの反応を特に期待していた訳ではなかったらしい。それ以上会話が掘り下げられることはなく、護衛が新たな魔法を覚えた時点でその場は解散となった。
理由、それは何か行動を起こすために必要な動機の事。お腹が空いた、だからご飯を食べた。命じられた、だから任務を遂行した。全ての物事には前提となる何かが必要だ、それがチェントにとっての日常だった。興味を持った、だから勇者パーティーの一員になった。力を請われた、だから護衛に魔法を教えた。過去や個人についての情報を聞かれなかった、だから言わなかった。これが、チェントである。チェントにとって、理由なく何かを成す事はあり得ない事だったのだ。護衛の言葉を聞いたチェントは暫くその意味を考え込んでいたが、それこそが愚問である事にいつしか気づく。理由がなくても、行動していいのだ。理由がなくなっても…復讐を成す事は、間違いではないのだ。
数多の苦難の壁を越えながら、時折増減する新たな仲間たちとの出会いと別れを繰り返して結局魔王の城へ辿り着いた時残ったのは、勇者と護衛、聖人、そしてチェントの四人だった。なるべくして落ち着いた顔ぶれにチェントは少しだけ安堵する。出会った人間の中には、過度に情報が少なく人間としての経歴や地位を持たないチェントの存在を訝しむ者も多かった。立場や生まれ持った力だけを過信して、時にはチェントを排除しようと動く者だっていたのだ。そういった者たちはいつの間にか勇者によりパーティーを追放されていた訳だが、あまり奴らがしつこいとチェントだって大人しくしていられるほど冷静な精神状態ではなかったのである。命拾いしたな、と勝手に思っていたりもした。
そうして目前に迫った魔王の城を前に、決意を固め作戦を立てる仲間たちを前に、チェントは一つだけ賭けを行う事に決める。それはほんの気まぐれで、けれども彼らを確かに信じたが故の発言だった。
「…なぁ、お前たちって……俺の事、どこまで信じられる?」
「はぁ……どういう事だ?全然余裕で全て信じているつもりだが」
「いや、勇者のそういう妄信的なやつじゃなくってさ…なんつーか…。…今から俺、お前たちの事裏切るわ。でも、本当に裏切る訳じゃないから、信じて待ってて…って言ったら、どうする?」
頭の中では完璧に組み上げられていた作戦は、いざ言葉に表そうとすると何処までも曖昧で頼りなかった。それでも必死で分かりやすい言葉を選んで並べた提案を受けた三人は、心底不思議そうに顔を見合わせてから小さく笑った。何か面白い事を言っただろうか、いや、言ったな。普段から多く口を開く方ではなかったが、今の自分の発言は余りにもらしくない、ものだった。そう思い直して何か言葉を続けようとしたチェントを遮ったのは、意外にも普段一歩下がったところに居る事が多い聖人だった。
「それは…エトさんが、人間ではない事が理由になっていますか?」
「聖人…お前、気付いていたのか。……そう、俺は魔王陣営で人間じゃない。本来ならお前らがこぞって討伐するべき悪だ。…だから、もし危険だと判断したなら別に、」
「なんかさー、エト。お前、水臭いぞ?俺達って、これまで何度も一緒に死地を乗り越えてきた仲だろ?でもその中でさ、お前はいつでも余裕がありそうだったけど、結局一度だって俺達を見捨てた事なかったじゃん。俺たちも一応貴族の端くれだからさ、分かるんだよね。相手の表情が嘘なのかどうか、とか」
「確かに…俺に至ってはトートの王族固有の真実の目があるからな。お前の発言の全てが何一つ嘘じゃない事くらい初めて会った時から分かってたぞ」
自然と続いた流れを受けて、チェントは思わず目を見開いた。ここで忌避されても構わないと思っていた。けれども、それは嫌だとも確かに思っていた。ところが、返ってきた反応はチェントをどうしようもない子供を見る様な目付きと言葉である。チェントはどうしていいのか分からなくなった。別に、魔王陣営を裏切ったつもりはなかった。本当に裏切ったなら真っ先に魔王が待つ城へ飛び込んで、せめて魔王以外の奴らを一斉に滅ぼすくらいしていたのだから。勿論、人類側についたつもりもなかった。理由は前者と同様だ。今自ら行った提案が、何かしらのチェントにとっての戦争へ向ける価値観を左右する自覚はあったのだ。そして、結論は定まった。
呆然とするチェントの反応でさえ心外だ、と言いたげな表情を浮かべて、勇者は固まったままのチェントの額を指先で弾いた。鈍い痛みに反射的に頭を押さえながら改めて勇者の方を軽く睨みつけるも、随分と穏やかな表情を向けられている事に気付いて視線をさ迷わせる事しか出来ない。そんな様子に楽しそうに笑った勇者は、そっとチェントの頭を撫でつけながら口を開いた。
「ばーか、俺の身内認定を舐めるなよ?一度受け入れた奴は、何をしようと全力で味方になる。それが俺だ」
「…それもそうだな。ご主人様もこう言ってるし?俺もエトを信じるよ」
「勿論僕も、必ず貴方の味方である事をここに誓いましょう!何なら、聖属性魔法に賭けても構いませんよ?」
「そ、それは重すぎ」
「そうですか?」
勇者パーティーの中で、チェントの存在はいつの間にか当たり前になっていた。それは、チェントが数百年に渡って根強く持っていた他者との関係性の構築不信を、意図も容易く覆してしまう程に真っすぐで純粋な感情の込められた瞳たち。ここまで言われて、彼らを受け入れない判断を、チェントには下せなかった。面倒な事になるだろう。失敗する可能性だってある。それでも、彼らが見方であり続けてくれるというのならば。
「……あ、っそ。じゃあ、その……よろしく」
じわじわと高まる羞恥心から目を逸らし、顔を隠す様に俯いたチェントを面白そうな表情で見た三人は、息を合わせてチェントを揶揄い始める。大袈裟に嫌がったチェントの反応を前に、魔王の元へ突入する前夜とは到底思えない穏やかで明るい笑顔が夜空に響き渡っていた。
―――
魔王が討伐された。
直前まで魔王と、その側近であるチェントと激しい戦闘を行っていた勇者パーティーだったが、ついに勇者が魔王に討たれそうになった瞬間、チェントが狙いを済ませて放った無数の呪いを含んだ魔法を一身に受けた結果、魔王は最期の時を迎える事となったのだ。気配に気付いて近付いてくる魔人たちを自らの魔法で全て塵に還したチェントは、豪勢な魔王専用の椅子に座り込んで呪いに侵されていく魔王と無表情に対峙した。チェントの姿に気付いた魔王は、僅かに口角を緩めてチェントの姿を視界に収めた。
「……いつか、お前に殺されるだろうとは思っていたが…まさか、こんな形になるとは思っていなかったぞ。人間を恨んでいたお前が、人間の味方につくとはな」
「御機嫌よう、魔王。気分はどうだ?」
「ふむ…はは、中々愉快なモノよ。お前が掛けられた呪いを世界で唯一解除できたかもしれない我を、よくもまぁ自らの手で討とうと考えを改めたものだな、チェント」
死に際だというのに妙に上機嫌な様子が嘗ての母親と重なり、チェントは僅かに身体を震わせた。それでも、魔王の最期を決して見逃してはならない気がして、その視線を逸らす事はしなかった。魔王であれば呪いを解除できる、そう考えなかった訳ではない。けれども、魔王が永遠に呪いを解除する気がない事も、薄々察していたのだ。魔王はチェントの姿を視界に収める度にチェントに声をかけた。それは、興味深い生命体が今何を感じ、どんな行動をしているのか逐一自分の目で観察したかったからなのだろう。少なくともチェントは、そう考えていた。愉快な観察対象を自らの手で殺めるなど、到底この魔王が起こす行動だとは思えなかったのだ。小さく息を吸ったチェントは、震える喉を押さえつける様に言葉を吐き捨てた。
「…これは、幼い子供でしかなかった頃の俺が決めた…復讐の結末だ」
「うむ…お前自身の意志であるならば否定する気はない。他の勇者一行を生かすべくたった独り城との心中を狙った聖女を生かすべく拾い上げ我が身の元に留めただけのつもりだったが…生まれた子に討たれるならまぁ、悪い結果でもない」
「は…?」
「お前は色々と勘違いしているようだったが、我が本当に興味だけでそこらの子供に目をかけるとでも思っていたのか?それは聊か心外だな」
決して、魔王が嘘を重ねているようには見えなかった。ただ、母親を城に留めさせている理由を魔王に直接確認したことは、一度だってなかったことも同時に思い出していた。そう、魔王はチェントと一緒だったのだ。聞かれれば、望まれれば、その想いに応える。世界に望まれたから、人類を滅ぼすべく魔王へと成り上がった、それだけの男だったのである。突如脳内を襲った情報の波に混乱して言葉の出ないチェントに何を思ったのか、崩れかけの手をチェントの頭へと伸ばし笑った魔王は、その身体が完全に崩壊する寸前絞り出す様に最期の言葉を言い放った。
「———全く、妙に大人ぶって厄介なもんだ。お前さんは今でも十分幼い、俺の優秀なガキやろう?…ほな、じゃあな」
これまでずっと目を逸らしてきた。もしかしたらその可能性があるんじゃないか、そう至った途端あり得ないと意図的に捨ててきた可能性。チェントが最も聞きたくなくて、そして最も言われたかった言葉を最後に魔王は完全に崩壊した。チェントが自らにかけられた愛の呪いを解くために研究を続けていた無数の呪いが込められた魔法を前に、偉大な魔王であっても抗う事は出来なかったのである。…否、抗うつもり等始めからなかったのかもしれないが。
魔王の最期の言葉を受けて呆然と立ちすくんだ後、独り崩れ落ちたチェントの元へ傷だらけの勇者パーティーの一行が駆け寄ってくる。けれども、はっきりと理解できずとも大枠を知ってしまった彼らがチェントにかけられる言葉など、何もなかったのだ。あまりにも重すぎる結末、どうしようもない真実。何が悪かったのか、そう言われれば世界が悪かったと言わざるを得ない。誰も、何も恨めなかった。母親は確かに正しかったのだろう。父親は、間違いなく母親の存在を認めていたのだから。父親は間違っていなかったのだろう。母親を、そしてその子を最期まで忘れなかったのだから。
その日、チェントは初めて自身の両親を、自身がきっかけとなって失った事実を受けて涙を零した。
きっと、明確な悪など存在しない。余りにも哀しい結末だけが、待っていたのだ。
―――
数百年にも渡って繰り広げられた世界大戦は、勇者パーティーの活躍によってついに終幕の時を迎えた。最大の功労者であるチェントの身に起きていた悲劇の全ては、仲間たちの意向によりごく一部にだけ伝えられて、その後事後処理に頭を抱える事となる。
始めにチェントの存在に対する隠蔽を提案したのはオーフだった。当然、過去に自国の聖女によって魔王のとの子供が生まれ、身勝手な願いによって子供はオーフの禁術、不死の呪いがかけられ、沢山の人類陣営を殺し、最終的には勇者パーティーの一員として魔王に止めを刺した余りにも立場が曖昧過ぎる存在を全世界へと発信する訳にはいかなかったのだ。けれどもそれは、きっかけとなった自国の汚点以上に、全ての真実を公表した場合今後チェントに降りかかるだろう全世界から受ける被害を最小限に抑える上での、チェントの身を想っての提案であると主張した。
トートは、勇者パーティーの一員として最終的に大活躍を収めたチェントの功績を闇へ葬り去る結論に難色を示したが、オーフの主張の通り正しい事実を広めた結果全世界からチェントが受ける干渉や被害を考えれば、その提案をのむ以外の判断を下す事が出来なかった。
結局チェント本人の意向を確認し、「どうでもいい」の一言を受けた勇者パーティーの一同はあまりのチェントらしい言葉に吹き出しそうになりながらも、その処遇を身元不明の協力者と定め、国家承認の大賢者と言う称号を授け地位を確立させる事に落ち着いたのである。
暫くの間は戦後処理に追われる勇者パーティーの補助などを行っていたチェントだったが、ある程度国政が落ち着いた時を狙って彼らの元から自ら静かに離れていった。再び自身の呪いを解く手がかりを探し、あわよくば死に場所を求めて。そんなチェントの後ろ姿を誰かが止められる訳もなく、トートの大賢者となったチェントは、独り世界へと飛び出していったのだ。
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