74話 分岐点
ドラゴンの明確な対処法が分かって以降の闘技場内での戦闘は一瞬だった。そもそもドラゴンが召喚される度に葵によって消滅させられるのだ。偶に探も手を出させてもらっていたが、基本的に眺めるだけの単純作業の時間となっていた。そんな繰り返しもいつの間にか終わる。ついにドラゴンが出てこなくなったのである。
同時に闘技場全体を取り囲んでいた結界も解除されたようで、顔を見合わせた二人は分かりやすく照明が灯されている通路に向かって移動を始める。道中は様々な罠が仕掛けられていたが、ソフィによる強制迷宮攻略によって罠慣れしていた葵は危なげなく全てを無効化し、問題の一つもないまま簡易迷宮の攻略は続いたのである。極稀に探が死にかける時はあったが、それはまぁご愛敬。下らない現代日本のあるある話に花を咲かせながら、普段見せる満面の笑みとはまた違うどこか力の抜けた柔らかい笑みを浮かべる葵は終始上機嫌なまま通路を進んでいた。
そうして辿り着いてしまったのが、終着点だった。
「…あの一際目立つ装置?は一体何?」
「えっと…うん、帰還を示す文言と祝福の言葉が並べられてるな。つまり、」
「ここがゴール、って事か……」
探の言う通り、これまで石造り一辺倒だった迷宮の中で唯一、巨大な赤い魔法石が浮かび上がりそれを取り囲む金属の装飾が付いた装置の前で、別れを認識した葵は咄嗟に探の手を握りしめた。絶対に離さない、と言葉には言わずとも分かりやすく示された探は、ため息を零しながらそっと天井を仰いだ。
「あーおーいー?」
「やだ、」
「やだって、あのね…」
呆れた言葉を吐き出す探だったが、その気持ちを否定するつもりは一切なかった。突然呼び出された異世界で一人きり、故郷の話をする仲間もいないまま孤独に戦ってきたのだろう。少し接するだけでも、今の葵が現代日本で探が良く知る葵とは全く異なる思考回路を持っている事は明らかだった。どこまでも幼くて、何もかもに怯えて、泣く事も出来なくて。碌な不平不満も口にせず、ようやく吐いた本音が嫌と来た。探とてここで葵と別れるのは何となく本意ではなかったが、それでもこの異世界には、二本とはまた異なる謀略や因縁が日常として溢れかえっており、葵自身がその歯車の一つとして存在している事は薄っすら理解してしまっていた。
絶対に越えられない壁、共には進めない分かれ道。
ここで永遠を過ごすのはどう考えたって無理だ。探には探の日常があり、葵にも同様にこの異世界での日常が待っている。会話の中では一切登場しなかったが、きっと今の葵の周りにも、葵を大切に思い帰還を祈るそんな仲間が存在するはずだろう。それは、葵が探を目の前にした時直ぐに警戒心をなくした様子からも明白だった。何もかもを信じられない人間であれば、突如現れた別世界線の存在を受け入れられる筈もなかったのだから。それが、こうも明らかに甘えられてしまえば、葵が自殺寸前だった現代日本からこの異世界に転移して様々な経験を得て意志が変わってきている事は察する事が出来た。
今の葵を取り囲む全ての事象が葵自身を追い詰めている事に間違いはない。事実、探の手を強く握り肩を震わせる葵は、器用に表情が見えないよう俯いているが、そこに何が浮かんでいるかなど想像するまでもなかった。果たして、この大きな子供を一体どう宥めるべきか。探が良く知る現代日本の葵の立ち居振る舞いを思い出しながら、そっと頭を撫でつけつつ言葉を探した。
「…あたしが元の世界に戻ったとして、今日の出来事を覚えているかは分からない。あたしが知ってる葵が、今目の前で泣きそうな葵かどうかだって、分からないしね」
ゆっくりと言葉を並べていく探の表情は、どこまでも穏やかで優しかった。きっとこの世界で最も不運な子供。たった数時間の会話だけでも十分に知れた、自分が良く知る葵とは大きく異なる幼い一面、確立されてしまった姉心。現代日本で接する葵にはそんな感情大して抱いてこなかったのに、今後顔を合わせる時一体どうしたら良いのだろうか。そんな近い未来の想像を浮かべた探がくすりと笑えば、僅かに肩を震わせた葵がようやく顔を上げた。水面の様に揺れる綺麗な瞳と目が合う。
「…魔法って、イメージなんでしょ?だから、貴女があたしが知る未来の葵の過去の存在であるとして、元の世界であたしが今の葵と出会ったんだって証拠になる印みたいなのを、作れないかな?」
「どういう、こと?」
「ほら、ご都合主義な魔法世界なんでしょ?どうにかならない?」
「……っ理論上、探ちゃんは今ルシエちゃんの身体を使っている状況。それでも印を残す方法は…魂に、刻む?」
「その辺りは葵が考えてね。あたしは相変わらず魔法とかさっぱりだし」
悪戯っ子の様に、不意に思いついた提案を口にすれば瞳を瞬かせて分かりやすく困惑した葵は、それでも徐々に表情に生気が戻っていく。探の苦笑を前に弾かれたように握りしめたままだった手を離した葵は、直ぐに白紙とペンを呼び出して床に座り込み、物凄い速さで魔法陣を描き始めた。二度目の光景を前にふむふむと適当な相槌を打った探は、葵が浮かべる必死の表情に肩を竦める。変な話、時間はまだあるのだ。ご都合主義なファンタジー展開であれば、迷宮の中と外では時間の進みが違う可能性が高い。この迷宮を出た先の時間は年単位かもしれないし、もしかしたら数十分にも満たない時間しか経過していないかもしれないのだ。どのみちそんな急ぐ必要はないのでは、なんて事を考えていれば、ふとペンを床に落とした葵が怯える様に完成した魔法陣が描かれた用紙を抱きしめて見上げてきた。
「……魂に刻むなんて、何があるか分からんよ?ほんまにええの、ウチ、失敗するかもしれんのに、」
「葵は失敗しないよ。だって、さっきのドラゴンと戦っている時だって一回も結界魔法失敗してなかったし。何より…あたしの超絶最強な妹なんだから」
「結界の件は兎も角、妹かどうかは関係ない気がするけど…でも、うん。お姉ちゃんに使う魔法を、妹が失敗する訳ないもんな!」
空元気で満面の笑みを浮かべた葵は、立ち上がると探に背を向けて魔法発動の為の距離を取った。隠された表情が何であったかなど、今の探には考えなくても分かった。きっと、常にこうして元気に振る舞って、自分自身さえ誤魔化して生きてきたのだろう。笑顔の裏に無数の涙と後悔と、苦しみや憎しみを隠して。かける言葉を見付けられずに思わず表情を歪めそうになった探は、それでも葵を見習って今だけは何でもない表情を浮かべて笑った。
くるりとローブの裾をひるがえして身体の向きを変えた葵は、胸辺りに魔法陣が描かれた紙を持って得意気に笑う。そうして、探が何一つ理解できない中二病全開な説明を迷わず始めた。
「今からウチが使う魔法陣は、探ちゃんの魂にほんの僅かなウチの魔力を混ぜるものやで!体ではなく、意識が対象になるからちょーっと安全面を考慮して要素を多く組み込んだ魔法陣になっちゃったけど…大丈夫!だってウチは、探ちゃんの超絶最強な妹なんやから!」
「はいはい、魂に実体がある世界なのね」
「はいそこっ、無駄口を叩かない!…なーんてね?」
小さく舌を出して肩を竦めた葵は、改めて両手を広げ、その手に杖を呼び出した。先端部分に取り付けられた美しい蒼の宝石が照明に反射してきらめき、その杖先から溢れた淡い光が探の全身を包み込む。暖かいのに、どこか冷たい不思議な光を受けて探はそっと目を瞑って受け入れた。
「運べ、結べ、繋げ、灯れ。数多の記録を、汝の心の中に。届け―――魂の記憶ーメモリーソウルー」
突如体の中を何かが通り抜けていく感覚が走る。それを一切拒むことなく受け止めた探は、ゆっくりと瞼を開き微笑んで見せる。そんな様子に魔法の成功を悟った葵は、どこか泣きそうになりながら下手糞な笑顔で返した。
―――これが、葵の存在証明だ。きっと、忘れない。忘れてなんか、やらない。
「さて、帰るか!」
「中々愉快な冒険やったね」
「ん。でも、楽しかったよ。絶対に忘れない」
「っ…!うん…うんっ、ウチも、絶対ぜーったいに忘れないから!」
折角滅茶苦茶でもどうにか笑顔と呼べていた表情をくしゃりと歪めた葵は、それでも決して雫を零すことなく、そして探に触れる事無く帰還の装置へ向かって歩き出した。探はそれを、仕方がない子供を見る様な表情で見守りながらも後を追う。ついに装置の正面に立った葵は言葉を見付ける様に動きを止め、そんな様子に気付いた探は迷わず葵の手を握りしめた。はっと驚いたような顔が可愛らしい。
「じゃあ、またね?葵」
「……っうん、………またねっ…探ちゃん!」
またね、だなんて言葉の呪いに葵は果たして気付いたのだろうか。今の葵が最終的にどんな判断を下すのかは分からない。それでも、無事現代日本に戻った先で自殺を選ばず、未来で再開したいと強く思ったのだ。相変わらず素直じゃない、遠回りで意地悪な自分自身に自嘲の笑みを浮かべた探は、葵が触れた攻略完了を示す魔法陣から発せられる眩しい光に素直に目を閉じた。
全てが、閃光に包み込まれた。
「———またね、なんてお姉ちゃんの意地悪」
遠くなる意識の端で、そんな風に笑う葵の声を聞き届けて。
―――
「ほ、本が光っていますよ!!」
「もしかして俺が解読完了するより先に何かしらの脱出条件を満たしたのか?」
「んな事良いからチトは安全性の確保!直ぐ動け!!」
「ひえぇ」
「二人とも大丈夫でしょうか、お怪我などしていなければ良いのですが…えぇと、回復魔法の準備を整えて、それから、それから!?」
散々説教を受け心をズタボロにされたチトは、結局自ら魔法陣の解読をし脱出関係の魔法陣を作り出す事で二人を呼び戻そうという結論を導き出し、解読を進めている最中だった。そんな時、怪しく光るばかりだった魔法陣が急激にその光を増し、閃光となって古本屋全体を包みだした。
念の為に、と周囲に結界魔法を張ったチトと、慌てるオルコス。そして声を荒げながらも冷静さを保とうと震える拳を握り込むヴィルは、暫くして本の中から飛び出してきた葵とルシエに全身の力が抜けた様に崩れ落ちた。見たところ怪我の一つもなく、ルシエはかなり混乱している様子だが葵はその場に座り込んで俯いたまま一向に顔を上げない。何かしらの感想や悪態の一つでも吐き出すだろうと考えていた一同は、葵の何も言わない様子に次第に心配になってそっと近づいた。
「…えっと、アオイちゃん…?その、大丈夫ですか?」
「何かあったのか?俺が簡単に解析した感じだと、大した内容ではなさそうだったが」
「アオイ、チトには既に十分説教をしているが、足りなかったらいくらでも言ってくれ。俺はお前とルシエが許すというまでこの怒りを鎮めないと誓った」
「いや物騒…ん、ヴィル、取りあえず落ち着いて?」
葵より先に状況を理解したルシエは、葵に対して何か言いたげな視線を向けながらも結局肩を竦めてヴィルを宥め始めた。本気で視線だけで他人を射殺せるのではないか、と思える表情を浮かべたヴィルを相手にチトが分かりやすく怯えた様子を見せている。この王子は、自国の大賢者に対して一体何をやったのだと白い目でヴィルを眺めていたルシエだったが、直ぐ隣の葵の肩が僅かに震え出した事に気付いて慌てて視線の先を葵へ定めた。
「アオイ、」
「もぉ~!!ほんっまサイアクやったんですけど!!ルシエちゃんは何やってもずっと寝たままやし、ドラゴンが出てきたんやで!?」
「んにゃ!?」
「ほわぁ!?げ、元気そうですね、良かった…」
「へードラゴンねぇ。そう言えば最近見ねーな」
「いや伝説上の生き物だが??」
咄嗟に葵の肩に触れようとしたルシエとオルコスは、勢いよく立ち上がった葵に驚きながらも安堵の表情を浮かべた。どうやら思考が追い付いていなかっただけで、十分元気な様だ。チトは葵の発言を前に明後日の見解を述べて、すかさずヴィルが突っ込む。いつも通りのやり取りだ。
「兎も角…攻略完了!!」
両手を腰に当てて満足そうに言い放った葵は、満面の笑みを浮かべる。それから苦笑するルシエに視線を向けて言い放った。
「ルシエちゃん、ずーっと寝たままやったけど何しとったん?ほんまに寝とったん?」
「いや、ルシエはルシエで試練の連続だった。大変だったんだから…」
「ふーん?分断して試練を受けた、って感じなんかな。…全く、それにしてもホンマ悪趣味な迷宮やったわ!チト君、絶対その魔導書封印しといてな!?ウチ二度はごめんやで!?」
「お、おう、悪かったよ…。でも、この魔法陣に分断なんて要素あったか…?」
「チト、即刻封印処理をしろ!二度はない、次保護者としての指名を怠ったら…」
「お、怠ったら…?」
「丸一日徹夜で説教だ」
葵の考察に小首を傾げたチトは再び解読途中だった魔法陣に視線を下したが、直ぐに横槍が飛んだ。葵とルシエが巻き込まれて以来ずっとご立腹だったヴィルである。普段の様子を取り戻したように見えて、彼はまだまだ二人を失う可能性があった事実に怒りが抑えられないでいた。そんな男から告げられた最悪の結末にひくりと口角を震わせたチトは、皆の前で分かりやすく魔導書に封印措置を施した。悪趣味な鎖が本を縛り付ける様に何重にも覆われて、そのままチトの空間魔法で回収されたのである。
「…あれ、徹夜でお説教って、ヴィルさんも大変なのでは?」
「ルシエやアオイが巻き込まれるなら、俺にも責任はある。痛み分けだ」
「理不尽だ…」
「何か言ったか?大賢者殿」
「いやなんも!?」
そんな日常のやり取りを前に、葵は僅かに気の抜けた微笑を浮かべる。
誰も知らない、二人だけの秘密。
きっと葵は、今回の出来事を未来永劫誰かに話す事はないだろう。
……最も、再び探と再開する未来があるなら話は別なのだが。
何がともあれおかしな騒動を巻き起こした魔導書は無事封印が施され、腹を抱えて笑い倒れるエルフを横目に一同は古本屋をようやく後にするのだった。
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