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71話 異常行動


「———ふぅ、ようやく世界樹到着か。時間が掛かった、って感じちゃう辺りボクも相当変わったねぇ」


世界が定めた原則として、世界樹周辺に転移の魔法陣を発動させる事は不可能だ。近辺どころか、周辺を取り囲む大森林に到るまで転移の魔法陣の発動は許されないとされている事は、世界の常識だった。最も、現在では転移の魔法陣を使える者やそもそもの魔法陣自体が時代の流れに乗って失われつつある為、その事実を知る者は極端に減っているが。


兎も角、そんな事情もあって自力での移動を要されたソフィは森の中を風に乗って最速で駆け抜けてようやく、エルフ族によって厳重に保護されている世界の心理そのものとされる巨木、通称世界樹の元へと辿り着いていた。淡く白い光を放ち、枝先に七色に変色する花を咲かせる姿は、数百年前に人間が引き起こした大規模な禁忌指定を要する魔法使用が行われた際に様子を確認しに来た時と変わっていなかった。


「客観的な異常はなさそうだけど…あの一瞬感じた違和感が間違いだったと決定付けられるだけの理由には出来ない。世界の真理よ、世の理よ、一体どうしてしまったというんだい?」


見上げても先端が見えない程の圧倒的な巨木。僅かに隙間から差し込んだ日差しは、どんな時代も世界樹の上を必ず照らしている。それは、悪しき者たちが出す魔力をも超える圧倒的な純度の高い魔力を、常に世界樹が発しているからであった。世界樹は世の理を正す役割の他に、世界全てを覆い尽くす体外魔力を生み出す器官でもあったのだ。ゆっくりと木の幹に触れ、額を近付ければ人間の血液の流れとよく似た、魔力が流れる鼓動を感じ取れる。無機質でありながらどこか懐かしい、それはエルフ族を生み出す母体ともいえる存在だからこその、原点に感じられるものだ。


ソフィはそんな感覚が、昔からあまり好きではなかった。ただそこにあるだけで、呼びかけても決して返事をする訳ではない世界を調整する存在。唯のエルフの何倍もの時を生きるソフィにとって、その存在は最早無に等しかったのだ。与えられた役割は間違いなく果たす。必要な情報があるならば迷わず抜き取る。権限を使い渋る事はしない。あくまで、遠い昔、始まりの記憶からそこに在り続けるだけの規則。ソフィにとっての世界術は、あくまで無機物でしかない。既にそう結論付けられた以上、世界樹に触れる度に感じる懐かしさは最早忌々しさすら思い出させるのだった。


とは言え、今は必要な時だ。世界樹が何かしらのエラーを吐き出している事を検知した以上、その実態を把握するのはソフィにとって必要な行為であり、異常を把握して正す事はソフィが生まれ持って得た役割だった。意識を流れる魔力に同調させる。まるで深海を泳いでいる魚の様に、情報の奔流に身を任せて必要な答えを追い求めるのだ。暫くそうしていれば、ソフィの意思に応えるように必要な情報は自ら光り輝く。そうして、脳裏に浮かび上がるのだ。


「これは……葵ちゃんを誤召喚するに至った例の魔法陣が、以前指定された禁忌に抵触しかけた事で世界樹が審判を下すか否か揺れた痕跡がある。最終的にボクが動かなかったから、伸ばしかけた手を強引に引き戻したのかなぁ…そうか、この時点で異常は発生していたんだ」


自分や周囲の人間を大きく変えるきっかけであり、現在進行形でその効力を発揮し続けている異世界人、葵。ソフィは彼女が呼び出された魔法陣が、意図的に作成されたものではない事を知っていた。召喚者であるチト自身も、人物を召喚する魔法陣が禁忌に抵触している事は把握している。万が一使用された魔法陣が本当に禁忌指定された召喚陣であったとすれば、そもそも発動しない事や、ソフィがすっ飛んでくる事も理解していた筈なのだ。そして、ソフィは動かなかった。実際禁忌指定された魔法陣は使われていないし、チトの周辺で起きた事象を個人的に観察したいと考えたからである。世界樹は、ソフィにある程度の裁量権を与えている。本体にその気があるのかは不明だが、ソフィが動かなかった以上、自ら審判を下す必要はないと判断したのだろう。


「審判には世界樹本体が内包している莫大な魔力が求められるからねぇ。だから、通常世界樹は余程の事がない限り自ら行動を起こす事はしないし、万が一審判を発動させた場合長らく強制的な休止期間を要される事は、世界樹にとっても役割を果たす事実に支障が出ると行いたがらない。避けている、と言っても過言じゃない」


世界樹の枝葉が僅かに揺れる音、ほんのり抜ける風。それ以外一切動物の気配すらない空間で、ソフィが敢えて脳内を言葉に表したのは情報整理の為…だけではなかった。それは、最近のソフィが置かれている環境がこれまでにない程圧倒的に賑やかで、騒がしくて、愉快痛快極まりない事に慣れてしまったからだ。言ってしまえば、一縷の寂しさ。それだけが、ソフィが敢えて世界樹の前で誰にも届かない言葉を紡ぐ理由だった。


「審判を下すために用意した魔力が、結局正しく放出されずに停滞している…。本来であれば、審判の後残された魔力は世界樹内部で順次正常化が行われ、最終的に世界全体を循環するべく放出される予定だった。でも、それが今回ばかりは行われなかった」


意識して世界樹の魔力を見れば、明らかに正常時を大幅に上回る圧倒的な量が、どうにか逆流しない様に暴れ流れているのが分かる。そして、世界樹内部で正常化しきれなかった魔力は、起こり得る可能性の中で最も最悪な用途に使われるべく、一定の方角へ放出が始まっていた事に気付いた時、ソフィの顔に浮かんだのは間違いなく苦痛に喘ぐものだった。


「最悪だ…。よりにもよって、循環の時に重なるなんて…!」


現状を把握できてしまったソフィは、強引に自分と世界樹との繋がりを断ち切って思わずその幹を殴りつけた。言ってしまえば、魔法や記録と言った曖昧な事象以外なんの取柄もないソフィがその太い木を殴りつけたところで、傷一つ付くはずもない。葵と関わるようになってから薄々感じていた嫌な感覚、これまで感じた事がなかった無力感。物理以外で何も変えられない自分と、言葉、人との繋がりであっさり自分を含む他人を変えてしまう葵。もし葵がこの場に居れば、どんな反応を示したのだろうか。何も対応を考えられなかったソフィは、得た情報を可能な限り簡潔にまとめて、ある種の同胞であるチトに告げる以外の行動指針には辿り着けなかったのだ。


「世界循環は千年単位。嗚呼、確かにそんな時期だったねぇ。もう何度目かも分からない繰り返しに、期間の感覚なんて完全に頭から抜け落ちていたよ。…魔王誕生の布石、それが種付けされる周期がまさに迫っていたなんて…ふふ、ははは…!」


世界樹に世で最も近しい立場に在るソフィは、世界樹が繰り出す審判や行為の一切に手を出す事が出来ない。それは、世界の運営側に回った存在として、必然的な前提条件だった。これまでも、これからも、その事実は変わらない、変えられない。


「本来であれば暴走しながらも世界樹内部である程度沈静化されるまで内包される予定だった魔力が、魔王誕生の布石の為に流用されている。それが原因で、本来込められる筈の魔力を大幅に超えた魔王の布石は当然の様に暴走、まだ若干時期早々であったにも関わらず、世界の在り方を正常に取り戻す為に強引な憑代の選定が行われたんだ」


ソフィの脳内を、まるで逃がさないとでも言うかのように情報が風に乗り花や葉に乗って駆け抜けていく。受け取った世界樹内部の現状、そしてソフィが感じた異常の真相に辿り着いた以上、もうこの場所に用事はなかった。今からでは間に合わない。もう自分では一切手が出せない状況に既に陥っている。こんなことを望んだ筈じゃなかったのに、こんな風になるならもっと他に何かできた筈だったのに。浮かび上がる感情はたらればの夢ばかりで、これこそが後悔と言うのだろうと零れた自嘲の笑みを隠す相手はこの場には居なかった。


最後の最後に押し付けられた最大の問題、ソフィの思考を最も乱した最悪の情報。



「今代の魔王、その憑代の対象となった”無機物”は…」



踵を返し、無力な掌を爪の跡が付く程強く握り込む。無意識で震えた喉の奥が、その先に続く言葉を擦れながら吐き出した。




「——————イブキちゃんの、複製体だ」




世界は残酷だ。これは、余りにも酷い最悪の状況だ。誰も、誰一人として幸せにならない。誰もが悪くて、誰も悪くない。世界樹の異常行動を把握するなど、世界樹に最も近しい存在であるソフィにすら不可能なのだ。現状の事後確認がその事実を物語っている。それでもソフィは、何かを恨まなければやっていられなかった。だから、自分を呪った。もっと早く、魔王の憑代選定がいつ完了したのかは定かではないが、それでも先日迷宮に向かった時であれば間に合っただろうか、それとも誕生日のパーティーで魔王城に立ち寄った時に思い至っていれば良かったのだろうか、いや、葵がこの世界に召喚された時点で世界樹を確認していれば―――。


ソフィはこんな時に吐き捨てる悪態の言葉すら知らなかった。これまで、後悔や苦しみをまともに味わった事なんて殆どなかったから。初めての感覚、それに喜びを感じられるほど今のソフィに余裕はなかったのだ。一刻も早くこの場を逃げ出したい、これ以上嫌な情報を知りたくない。そう思う一方で、今以上の見落としを恐れたソフィは迷いに迷って、一先ずその場に踏みとどまる。



刻一刻と、世界循環を目論む世界樹による試練…魔王復活の時が迫っていた。




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