とある記憶 34
「あーあ、滅んじゃったかぁ。戦火に吞まれちゃったんだろうねぇ」
退屈そうにため息を吐いたソフィは、目の前の廃墟と化した街から完全に興味を失ったらしい。踵を返して小屋に続く小道へ戻ろうとしたが、その場から動く気配が一切ないXXXの様子に気付いて呆れた様に振り返った。
「XXXちゃん?もうこの場所には何の意味もないんだよぉ?生存者が居たとしても、他の都市に避難してるだろうからねぇ」
「…分かってる。だけど…少しだけ、街の中を歩きたいの。ね、ダメ…かな?」
俯いて表情を隠したままどこか震えた声を零したXXXの問いかけに、これまでずっと無表情と無言を貫いていたチトはゆっくりと瞬きをして改めて見る影もない街を一望する。荒廃しきった都市の有様は人間の愚かさと同期している様に思えて、それでもこの街を求めるXXXの思考が理解できなかったチトは静かに首を傾げた。
「ぶっちゃけ、俺も興味ないな。元より人間は誕生と滅亡を繰り返す生き物だ。記憶に残る人間が居た都市だったことは事実だが、肝心の相手が居ない都市を歩く意味が見いだせない」
「うんうん、ボクも同意見だよぉ」
感傷的な様子ひとつ見せないまま淡々と告げられる二つ返事を聞いたXXXは、取ってつけたような空っぽの笑顔をのせた顔を勢いよく上げた。
「うん…うん、そっか!二人がそう言うなら、先を急ごう?」
分かりやすい空元気を見せつけられて、思わず顔を見合わせた二人は何とも言えない表情を浮かべながら肩を竦める。面倒臭い、けれども、放っておくのは気分が悪い。上手く言葉に言い表せない要領を得ない感覚が渦巻く二人は、駆け足で街に背を向け元の道へ戻ろうとしたXXXの腕を、一先ずチトが掴んだ。心底驚いたように肩を跳ね上げたXXXが、それでも振り向くことなく小さく尋ねる。
「急に…どうしたの?ほら、帰り道はこっちでしょ?」
「…あぁ、えっと……やっぱり気が変わった、っつーか…なんつーか…なぁ?ソフィ」
「えぇ?うぅん…そうだねぇ。時間はあるし、少しくらい見物してもいいんじゃないかなぁ?」
どこか曖昧に告げられた二人の言葉を聞いて、XXXは肩の力を抜きつつ大きな息を吐く。直ぐにでもじゃあ言ってみようと返事が来ると考えていた二人は、反応の鈍いXXXを前にどうすればいいのか分からず再び目を見合わせる事しかできなかった。咄嗟の行動だったとはいえ何故か気まずくなってきたチトがXXXの腕から手を離した瞬間、振り返ったXXXによってその手が逆に掴まれる。慌てて引き抜こうとしたXXXは、自身の腕を掴む手の強さが余りにもか弱い事に気付いて、結局肩の力を抜いた。
「うお、……XXX?」
「……人間って、凄く弱い生き物なんだよね。些細な事で簡単に傷付くし、老いも分かりやすく早いし、簡単に死ぬ。今の二人にはまだ分からない概念なのかもしれないけど、せめて私が言った言葉として記録、してくれたら嬉しいな」
「……はぁ、」
顔を上げないXXXは、相変わらず触れる程度の力でチトの腕を両手で包みながら口を開いた。そこにはチトやソフィでは到底理解できない様な、複雑な感情が入り混ぜられているような気がして何となく言葉を挟むことはやめる。何故だか、この先に続く言葉は本当に大切なものであるような気がしたのだ。あくまで普通より長く生きただけの人間の言葉、されど、行動を共にしても良いと認められるだけの在り方をしてきたXXXの言葉。何も言わない二人が続きを待っているのだという事を理解したXXXは、ゆっくりと息を吸って言葉を続けた。
「街が滅んだ。たった数年で、あっさりと。沢山の人が死んだんだと思う。あんなに活気的だった街が、人の気配すらなくしてるんだもん。…死ってね、人間にとっては酷く辛くて、恐ろしくて、哀しいものなんだよ。私だって、”この世界の家族”が死んじゃった時、本当に辛かった。何もできない自分が情けなくて、残される私の事ばかりを考えてくれるのが申し訳なくて、いっそ恨んでくれたらって、何度も思った。どうしようもなくて、どうしたらいいのかも分からなくて…死んでしまいたいって、思ったんだ」
喉奥で震えを帯びた声音で続けられるのは、過去の独白だった。人間でありながら長い時を生きるXXXが、沢山の生死に関わってきた事は当然だ。勿論、チトやソフィだって人間の生死はそう遠くない場所にあると認識している。だからこそ、気にならないのだ。当たり前のように死ぬから、慣れてしまっている。てっきり、XXXもそうだと二人は思い込んでいた。今になって、ようやくXXXが街を歩きたいと発言した意味を理解できたのだ。人間に対する、否、人間の生死に対する価値観がXXXは二人に比べて余りにも違い過ぎた、人間的過ぎたのだ。それは、人外を突き進む二人にはどれだけ手を伸ばしてもたどり着けない人間だからこそ理解できる感覚。理解できないと、二人が理解してしまっている感覚だった。
「…人間は、生に縋りつく生き物だよねぇ。それなのに、どうして身内が死ぬと自分も死にたくなるんだい?ボクには到底理解できない、人間の大きな矛盾点だ」
「そう、だね。私もそう思う。人間って、本当に矛盾だらけの生物なんだよ。…人間は生まれた時から本能的に群れて生きるんだ。だから、一人ぼっちがどうしようもなく寂しいって思うのかも。私もそうだったし」
「寂しい…、か。曖昧な感情だな」
「あはは、本当にね」
ソフィの余りにも客観的で論理的過ぎる発言を肯定して、チトの人外ならではの率直な感想を笑い飛ばす。情緒不安定な様に見えて、意外にも冷静らしいXXXは決して声を荒げる事も、二人の非人道的過ぎる発言にも否定はしなかった。肩を竦めたXXXはようやく曖昧な表情を浮かべた顔を上げて、再び街の方へ向ける。それでもチトの腕から手を放す事はしなかった。
「エルフであるソフィ君なら少しは分かるんじゃないかな?突然置いて行かれてしまった気持ちとか、そういうの」
「ふぅん?…確かにそうだねぇ。エルフは喪失感の概念を感じるし、気分も悪くなる。でも、それだけかなぁ?」
「そう、それだけ。だって、エルフは寿命の概念が殆ど存在しないから。悠久の時を生きるエルフは、その過程で沢山の知識や精神的な成長の機会を得る。だからこそ、そういうモノなんだって割り切れるようになる。…でも、人間ってさ、寿命が短いからさ…割り切れないんだよね。すぐ死んじゃうって事は、並行して死のうと思えば簡単に死ねるって事に繋がる。この先ずっと独りで生きていくくらいなら、そんな未来いらないって思えちゃうんだよ…!」
決して涙がこぼれるような素振りはない。ただ、苦し気な表情を浮かべ声だけを震わせたXXXは、そっとチトの腕から手を放して自分の胸元に寄せ、やり場のない種族差と言う覆せない価値観の違いに呻いた。分かって欲しいとまでは言わない。それでも、一端でいいから理解して欲しい、そう願う事は果たして傲慢なのだろうか。
「この世界の今の人間なんて、長くても70歳生きられないんだよ。だからさ…あぁもう、何が言いたかったんだろう…分からなくなってきちゃった。ごめんね、要領の悪い事言っちゃって」
「よく分かんねーけど…人間は物理的だけじゃなく、精神的にも脆い…って話か?」
「…そうかもね。人間はありとあらゆる方面から見ても弱い。取柄の様に見える群れの結束力だって、不満一つでこの通り。簡単に人間同士は争いを起こして、罪もない同族の命を奪って見せるんだから。もし今この街で、家族を失って生き残ってしまった人がいるとすれば…その人は、簡単に死を選択すると思う。私だってそうしようとして、失敗して今ものうのうと生きている人間だからね」
チトのあまりにも気の抜けた残酷なまとめ発言に苦笑を零す事しか出来なかったXXXは、自分自身を哂う様に肩を竦めて胸元の服を握りしめた。皺が付く程強く握られているのか、肩が僅かに震えている。悟ってしまったのだ。今の自分では、今の彼らに自分と同じ感覚を抱いてもらう事は決して不可能であると。悟って、諦めてしまった。諦めた自分を笑うことしか出来ない。感情的にならない様に、ただ自分だけを責めて笑う事が唯一出来る彼らの為の行動だった。
人間を理解できない彼らは、それでも彼らなりに客観的な理解を深めつつある。だからここでXXXが二人を責めれば、何かしらのXXXの気に障る間違った発言をしてしまったのだろうと不用意な心残りをさせてしまう。それだけはダメだと強く思った。XXXは彼らの記録に残れても、記憶に残れるかは分からない。ただ、残った記憶に心残りと言う名の後悔を残す事は本当に不本意だったのだ。
「人が死ねば、次代が育たなくなる。特に、折角生を受けた子供が死ねば、人間はその数を減らすだけになってしまう。だから、せめて子供だけは大切にしたいって思ってる。これは私の傲慢、それでも…もしかしたら、この荒廃した街のどこに取り残された子供が居るかもしれない。そんな子供たちを探しに行くの。その死因が自己によるものではない、それだけでも人間の生き方に救いを与えられる気がするから」
「…本当に傲慢。自分の手が届く範囲の、しかも子供だけを助けようっていうのかなぁ?」
「そうだよ、悪い?さっきも言ったでしょ、人間は矛盾で出来た生き物だって。…それに、あーんな沢山の思い出が詰まった美しい街の存在が失せていくなんて勿体ないじゃん?私がこの街の繫栄と滅亡の在り方全てを目に焼き付けておくんだ。この街の存在証明、それこそが人間の理を外れた私たちに出来る最大限の手向けだと思わない?」
常に薄暗い雲の隙間から、僅かに光が差し込んだ。くしゃりと諦観と僅かな期待が入り交じった笑みを浮かべたXXXを照らす光は、僅かであるはずなのに異様に眩しく輝いている様に見えて2人は瞼を細める。矛盾を抱えて、それでも必死で今だけを生きる人間は本当に眩しいと、心から思ったのだ。
確かな決意の込められた瞳を浮かべたXXXは、改めて街を見据えて拳を握る。それは覚悟の証明だった。
「やっぱり私、戦争……止めるよ。少なくとも、キーフの事だけは止めてみせる。それが私に与えられた、使命だと思うから」
基本的にあまり自分の意見を大切にしている様子は無く、長いものには巻かれていく事を好んでいるように見えるXXX。事実、ソフィに言われたからとあっさり小屋に居続けた過去を捨て一歩を踏み出した位には、XXXは周囲の雰囲気に流されやすいところがあった。それでも、自分自身で決めた今の誓いの言葉だけは覆されることはないだろう。そう、2人は確かに思えた。
「……人間って、面倒だねぇ」
「だな。でもまぁ…XXXがここまで言うなら少しくらい人間の生死を慮る…子供を大切にする、位やってみても良いのかもな。俺たちも人間以上に傲慢で強欲だし」
「ふふ、既に人間以上の力を持ちながら、更なる力を求め日々研究を重ねるエトちゃんが言うと発言の重みが違うねぇ?」
「黙ってろクソエルフ」
背後で交わされる会話を聞き届けたXXXは、振り返ることなく街に向けての一歩を踏み出す。彼ら本来の感覚であれば殆ど昨日の様な出来事、けれども世界で見れば五年もの時が経過した街。まともな生活の跡など到底見付からないその場所で、XXXの傲慢によって選ばれた人間の子供だけを救う為に。
「……俺達も随分甘くなったもんだな」
「そうだねぇ。面倒だとは思いながらも、断る気は全然起きてこないんだもん。昔の自分が今のボクを見たら、どんな顔をするのか……ふふ、見物だよぉ」
「お前の観察対象で、自分自身も含まれてるんだな…」
僅かにドン引きした素振りを見せるチトと、相変わらず適当な笑みを浮かべるソフィ。荒廃した街の背景があまりにも似合わない二人は、いつも通り変わらない会話と共に先を急ぐXXXの後ろ姿を追いかける。口では面倒だと言いながら、元の道へ戻る素振りなんて一切見せないソフィと、文句すら零す気配のないチト。
本人が気付かないのが本当に残念だが、これは確かにXXXによって生み出された、二人の在り方における大きな変化を示していたのだった。
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