第41話 訓練場にて
王城を出て訓練場まで戻る途中で、王都の正午を知らせる鐘の音が鳴った。
まだお腹はそれほど空いてはいなかったが、また商店街まで戻って来るのは面倒だったので通りにある飯屋に寄ってから訓練場へ向かった。
訓練場へ戻るとアイシャが場内を走っており、その直ぐ近くを飛んでいるティタの姿も見えた。
アイシャはいつもの練習用のウェアを着て右手にガントレットを付けているが、彼女の筋肉質でスレンダーな身体にぴったりフィットしたラインとは異なり、女性用で細く流線形にデザインされているとは言え右手の輪郭だけが無骨に見えてしまうガントレットは、やはりアンバランスな印象を見る者に与えてしまう。
アイシャが右手首を失う大ケガを負ってしまった事は知ってる者が多く、そのケガがある日突然に治ったと噂を広げられたら、さすがに説明を求める声が上がるだろう。
失った身体の一部を再生するにはエリクサーと呼ばれる秘薬が必要なのだが、今の異世界の技術では作り出す事が出来ず、その入手方法は迷宮の奥深くに出現する宝箱の中からと相場が決まっており、そんな希少な薬を騎士のアイシャが買える理由はない。
なのでオレの仲間が昔作った夢魔導鎧を装備させてガントレットだけを装着させる事で『魔道具の義手』を使ってる事にしたのだが、アイシャの為にも早く彼女の右手が治った事を公表出来る状況を作ってやれないかと考えその方法を模索している。
その為に手っ取り早いのは一度国外へ出る任務で、それも外国にある迷宮探索であれば都合が良いのだが、まだ発足仕立てで団員もオレを含めて3人しか居ない今の状況では、仮に外国の迷宮深部を踏破したと言っても誰も信じてくれない可能性があった。
もし聖女が存命していれば彼女に治して貰った事にすれば良かったのだが、今の教会に聖女レベルの治癒魔法を扱える者は居ないし、そうかと言ってエルフの精霊魔法で治して貰ったと言えば列強各国がエルフ自治区へ軍を送り込むほどの騒ぎになるのが目に見えているからこの案もダメだ。
それならオレが実際に持ってるエリクサーを使用した事にすれば良いのだが、それだとオレが勇者パーティのメンバーだと明かさなければならない事態に追い込まれそうだし、そうなると異世界へ帰ったはずの勇者は誰だったのかと問われるのはマズイ展開だ。
「隊長、おはようございます!」
「ハルト、おはよー」
もうお昼を過ぎてはいるが『おはようございます』の挨拶の語源が『お早いお着きでございます』だとすれば、その日最初に出会った時に交わすセリフとしては合ってるはずだ。
「アイシャ、ティタ、おはよう。今日も頑張ってるな」
「隊長もご一緒にいかがですか?」
まだ今日の午後に行う練習メニューを決めていないから、アイシャと一緒にランニングから始めるのも悪くないと思い、軽くストレッチ運動を行ってから彼女を追いかけて走り始めた。
「隊長、どれだけ頑張ってもティタさんに勝てないのですが……」
「ティタはさいそくのおんななの」
「へーそうなのか? これまでピクシーとマジで競争した事は無かったから、オレでも勝てるかどうかは判らないな」
オレも盗賊を本職としている者なので『速さ』については一方ならぬ拘りを持っており、そんじょそこらの者に負けるつもりは無い。なので3人で横に並んでトラック一周400メートル先にあるゴールを目指して同時にスタートを切った。
スタートダッシュが一番早かったのはオレで、そのままゴールするまでの約9秒弱の間トップを維持し続けたままゴール出来ると思っていたが、最後の瞬間オレの目の前を青白い光が彗星のように尾を引いて飛び込んで行ったのはティタだった。
アイシャもオレの直ぐ後ろをぴったりと追走していたと思うので、彼女のタイムも10秒を切っているはずだ。
「つうじょうよりさんばいはやい、あかいすいせいとはティタのことなの」
「いや青かったよな? お前」
ティタ曰く、青いのはオッサン臭いイメージが強いからダメなんだそうだ。
「隊長、速すぎです! 私、これでも西方騎士団で一番足が速かったんですよ?!」
オレがスタートダッシュでアイシャを引き離せたのは、こちらの異世界ではまだ一般的ではないクラウチングスタートを切ったからであって、もし彼女が同じ走法を学んでいたらスタートで引き離されるのはオレの方になったかも知れないな。
だってアイシャは若くて瞬発力が凄いし、その上オレより体重も軽いからパワーウェイトレシオを考えれば不利は否めないだろ? それに彼女の方が脚も長い……。
だがこの異世界には”祝福”の力があるから、スキル込みの状況であれば盗賊が騎士に速度で劣る事は無いと信じたい。
「隊長、もう一本お願いします!」
実践形式の打ち込み稽古の時もそうだったがアイシャの性格はかなりの負けず嫌いで、ただの駆けっことは言え、ティタを含めた3人の中で最下位だったのは彼女にとって不本意な成績だったのだろう。
だがアイシャは知らない。オレとティタがまだ本気を出していなかった事を、彼女はこの後直ぐに思い知る事になる。
「ハァ、ハァ。だ、だいじょう。もういっぼんおねがいひまふ…」
ほら、だから言わんこっちゃない。
あれからもう既に20回以上もこの全力疾走を繰り返しているが、回を重ねる毎に目に見えてアイシャのタイムが落ちてきた。
オレとティタの二人はまだ体力に問題は無く、あと数十回くらいなら今のペースで走り続ける事が出来そうだったが、アイシャはそろそろ休ませた方がいい頃合いだと判断した。
訓練場の木陰になってる芝生の上に野営用シートを広げてアイシャの身体を横たえる。
「アイシャ、これを飲んでおけ」
オレは魔術で生成された水を元に、少量の塩と蜂蜜を溶かしてミカンとレモン果汁を混ぜ合わせたスポーツ飲料をコップに注いでアイシャに手渡す。
「隊長、これ美味しいです」
千年前にもこの異世界へやって来た勇者たちが居て、彼らから元の世界の文化が大体伝わっているが、オレが見る限りだとそれらは昭和くらいまでの内容がほとんどで、コーラやラムネみたいな炭酸飲料はあるが今アイシャに飲ませたようなスポーツ飲料はまだ存在していなかった。
これは推測だが、千年前の勇者たちはきっとインドア派だったのだろう。オレも似たようなものだけど……。
午後の明るい日差しの中にポッカリと空いた日陰の空間。その中で汗ばむ少女と大人の間にいるアイシャが、スポーツ飲料を飲み込む度に喉と胸が上下に動く様はとても幻想的に見えた。
「ハルト、やらしいかおしてる」
「ば、ばか。何を言ってるんだティタ。オレは部下の身体を心配していただけだ」
「へー、やっぱりアイシャのからだをみてたんだ。ハルトやらしー」
確かにアイシャのスポーツ選手のようなスレンダーな身体に、薄手の生地で作られたトレーニングウェアがやや汗ばんでピッタリとひっついている姿は、イヤラシイと言うより美しいと表現すべきではないかと常々考えている。
だがそれを見ているのが35歳のオッサンだと指摘されれば、その瞬間から何故か犯罪臭がしてくるのは何故だろうか? もしかして美しい女性を見るのはイケメンだけの特権だとでも言うのか。
アイシャの顔が赤かったのはオレみたいなオッサンに見られたからではなく、まだ運動直後の状態で全身の毛細血管が広がった状態だったのだと思いたい。




